嵐の前の夜
「ナー。あれぜんぶニンゲン?」
「そう……だけど、なんで街の外にあんな行列が……」
街に入る門の外には、随分と長い行列が出来ていた。
街道を歩いて近づくと、列に並んでいた人達の何人かが目をぎょっとさせて近づいてきた。
「き、きみ。それ。ハンマー・オラトリアじゃないの!?」
まだ年若いお兄さんが訪ねてくる。
「えぇ。向こうの川辺に潜んでいまして……びっくりしました」
「こんばんワー!」
「え? あ、あぁ。うん。こんばんわ」
お兄さんが返事を返すとルーがニコっとしてクルクルまわりだす。
お兄さんは笑顔になって手をひらひらと振ってくれた。
「ちゃんと死んでる……のよねぇ? いやだぁ。ホント恐いわぁ。早く街に入れてくれないかしら……」
恰幅の良いおばさんが頬に片手をあてて怪訝な顔をする。
「こんばんワー! 誰ですカー!?」
「あら、こんばんわ。ただのおばさんよ。あらあら。お嬢ちゃん随分力持ちなのねぇ」
「ウん! ルー、ナー。力持ちナんダー!」
ルーがオラトリアを上げ下げすると、おばさんが一瞬目を丸くしたあと、表情を綻ばせる。
なんとなく予想してたけど、結構人懐っこい子だな。自然と人々を笑顔にさせる力がある。
「よしよし。ちゃんと挨拶出来て偉いね。僕、ちょっとお話があるから、しばらく待っててもらえる?」
「わかっター! ルー。1人であそんできてイイ?」
「いいよ。あんまり遠くに行かないでね」
「ハーイ!」
ルーはオラトリアを降ろすと両手を広げてクルクル回りながら去っていった。
なんか花の匂いをスンスン嗅いだり、草むらでガサゴソしている。
「ねぇ、あの子尻尾動いてたけど本物なの? 随分変わった子ねぇ」
「え、えぇまぁ。ちょっとありまして……ところで、この騒ぎはなんなんでしょうか? 随分行列が出来てますが」
先頭の方を見ると衛兵と何人かの人達が言い争いをしているようで、穏やかな雰囲気じゃない。
「なんの騒ぎか、だって!?」
髭を生やしたおじさんは、僕の発言に随分驚いたようだ。
「君。知らないの?! ドラゴンだよ、ドラゴン。もうそこら中で大騒ぎさ」
おじさんから僕が聞いた話はこうだ。
1か月ほど前。とある村の住民が大森林の方角にドラゴンを見たと言って騒ぎ出したんだそうだ。
発見者の人達は狂ったように危険を訴えたけど、誰も相手にしようとしなかったらしい。
そして、誰も避難しないまま最初の村が犠牲になった。住民38人に対し生存者1人と言う、ほぼ最悪の結果を残して。
ドラゴンはその後も村々を焼き払ったんだって。
討伐隊が編成されて冒険者達も送り込まれたんだけど。実際に実物を見たらみんな戦いもせずに逃げ出してしまったらしい。
「それでみんな逃げてきたって訳ですか……」
「あぁ。ドラゴンに対して城壁は役に立たない。もし襲われたら簡単に壁を飛び越えて、街は火の海になるだろう。ドラゴンと戦える人間なんて誰もいやしない。それでもみんな街に入りたいのさ。あの中には頑丈な石造りの建物や、地下墓地なんかもあるからね」
「そう。だけどもうそういう避難所は人がいっぱいで入れないんだそうよ。道端に避難民が溢れかえってるらしくてねぇ。衛兵の数が足りないもんだから治安を維持できないってんで、首長が門を閉ざしちゃったんだって」
「そうだったんですか…………」
街に入れもしないって言うのはまいったなぁ。クセルに帰りたいんだけど、ここがどこなのかもまだわからないし……
それにオラトリアの素材だって換金したいし、ルーの服があまりにも野生的過ぎる。
毛皮に穴を空けて頭を通して、腰のところを蔓で縛ってるだけなんだもの。激しく動いたらすぐ見えちゃうし……
そう思って辺りを見回すと、行列から少し離れたところでテントを張ってる人たちがいた。品物を地面に広げている露天商らしき事をしている。
「ルー。おいで~。いくよ~」
僕はおじさん達に話のお礼をしてからルーを呼び寄せた。
ルーがネコミミをピョコンとさせてから、四つ足で走ってくる。だからその恰好やめなさいってのに……
「なんか面白いものあった?」
「あんナー。森の中で見たことナい花があっタ。あと、変な虫いタ」
ルーは1人で走り回ると四つ足になるんだけど、手を繋ぐと自然と2足歩行になる。
脇に抱えた捕脚だけでも結構な重量があると言うのに。ルーはモンスターの巨体を軽々と片手で持ち上げてしまった。
商人のところに着くと、ルーが挨拶した。
「こんばんワー! なにものですカー?」
「何者……アハハ。こんにちわお嬢ちゃん。私達は商人なんだ。差し詰め、流れ者と言ったところだね」
「こら! 初対面の人の匂いを嗅がないの。 す、すいませんどうも。えっと、品物を見せてもらいたいんですが」
ルーが商人の人の匂いをスンスン嗅ぎだしたのを見て、慌てて肩を掴む。
「ナー。ナー。また遊んできてイイ?」
「ルーの服も買うんだから駄目だよ……」
「ヌー」
ルーは両足を揃えて前に出した姿勢で、背中を僕に預けてズリズリとずり落ちていった。
「どうぞどうぞ。パンにチーズ。エールにワイン。武器や防具に様々な薬まで。必要なものならなんでも取り揃えているよ。なにが見たいんだい?」
「えっと、まずはこの子の衣類を……それと、クセルに帰りたいのですが」
「おにいさん。他所から来たのかい? それは災難だったね」
商人さんは立ち上がって荷馬車のところへ行くと、袋から地図を取り出して帰ってきた。
「まず。私達が今いるグリーンヒルがここ。クセルは大森林の反対側だけど、陸路はおススメしない。まずは街道沿いに馬車で北上してシアンに向かいなさい。そこから船が出ているよ。ただ、混雑しているから覚悟することだね」
「あっちゃぁ……やっぱり反対側でしたか」
ルーの足なら大森林の中を突っ切る事も可能かもしれない……ただ、また道に迷う可能性がある。
街道は海沿いの一本しかないからどのみち遠回りになる。それならおじさんの言うように船で向かうのも手か……
「必要なら地図買っていくかい? 銀貨1枚でいいよ」
うーん、相場の2倍ってところか。結構ぼったくられてる。
でも急いで帰らないといけないし。明日も街に入れるかわかんないからなぁ。
「ください……うぅ、なかなか良いご商売されてらっしゃいますね」
「そりゃそうだとも。今、ここで。この状況だからこそ、この値段で売る事が出来る。みんなお金や宝石を手放して、すぐに要りようになる物を買っていってくれるのさ」
商人のおじさんは白い歯を見せてニコっと笑った。
「冒険者も。商人も。旅慣れた者たちはみんなこのドラゴン騒ぎで一目散に逃げ出してしまった。残っているのは、生まれた村から出た事がないような農民達ばかりだ。でも、私はこれをチャンスだと思っている」
そりゃ、確かに競争相手がいなければ商売は楽だろうけど……このおじさんはいつもそんな危ない橋を渡っているんだろうか。
僕は結構思った事が顔に出てしまうらしい。おじさんはそんな僕の考えを見透かしてこう言った。
「私の事を無謀な博打打のように思ったかい? でも、それは違う。大切なのは何が本当の危険で、何が作られた噂なのかって事だ。最初にドラゴンが来た時、誰も避難しようとはしなかった。お隣は大丈夫だと言っている。お隣のお隣も大丈夫だと言っている。そうやってみんなで根拠もないのに大丈夫大丈夫と言い合って、みんなで焼かれたんだ。
そして今。逃げ惑う人々は実際にドラゴンを見た人以上に、見えない脅威を恐れている。腐った肉に私のうんこを混ぜたものを、ドラゴン除けの効果があると言えば飛ぶように売れるほどね」
そ、それって詐欺なんじゃ……と、思った言葉を飲み込む。でもすぐに目でバレてしまったみたいで、おじさんはにっこりと微笑んだ。
「全ての情報を自分の目で確かめろとは言わない。時間には限りがあるし、移動にはとてもお金がかかるからね。それでも、自分の持っている商品の価値が今どんな風に変動しているのかだけはしっかり把握しておかなきゃいけないよ。これだけは記憶にラベルを貼って手抜きをしてはいけないんだ。ところで……」
と、そこで商人のおじさんが。傍らに置いておいたオラトリアの死体を指さしてきた。
「それは……ハンマー・オラトリアだね? まさか、君たちが倒したのかい?」
「え、えぇ。まぁ……」
僕たち……と、言うかほとんどルーが倒したんだけど。
「そうかい。なに、私達も色んなところを渡り歩いてきたからね。見かけによらない人達も多く見てきた。事情について聞くつもりはないよ。それよりどうかな。脚一本でもいい。私達に売ってくれないだろうか」
「え、いいですけど。どうするんですか?」
「そりゃあ勿論……食べるのさ!」
10分後。僕たちは僕、ルー、商人さん、商人さんの奥さん、護衛の二人の6人で、湯気をたてるオラトリアの脚にかぶりついていた。
みんな一心不乱にむしゃむしゃとかぶりついている。
ムシャムシャ ムシャムシャ ムシャムシャ
「はー。ここ最近は肉と言えば干し肉ばかりだったんでね。水気のあるプリプリの身にかぶりつくと、生き返る心地だよ」
陸上に上がってきたオラトリアの身は、住んでいる水辺によって味が変わる。
沼地や湿地帯のものは臭くて食用に向かないそうだけど、ここは山に近い清流なので臭みがなくて美味しい。
「あっさりしてて美味しいですね。でもちょっと淡泊かな?」
カニやエビに比べると、あのギュッとした甘味が足りない気がする。いや、美味しいんだけどね。
「ちょっと。ちょっとアンタ。アレ。アレ出しなさいよアレ」
「あぁ、そうだ。良いものがあるぞ」
そう言うと商人さんは、何やら袋を持ってきて、調味料らしきものを取り出した。
「まずはこうしてバターを塗るだろ。で、粉末のガーリックをかける。仕上げにちょいとバジルをふって……もう一度かるく炙る」
ジュワァッ
バターの脂分が溶けて、小気味いい音をたてる。良い匂いがして誰かがゴクリと唾を飲み込んだ。
「それを……こうだ!」
ガブリッ
「……っはー!」
「ちょっとアンタ! 何1人で昇天しちゃってんのよ! 早くみんなの分も作りなさい!」
奥さんが商人さんを小突く。と、そこへ匂いに誘われたのか、太鼓を持ったお兄さんがやってきた。
「やぁ、僕は吟遊詩人のマルケル。宴のささやかなお供に一曲いかがですか? そ、その代わり僕にも一口……頼む、一口頼む!」
「どうぞどうぞ。まだいっぱいありますから」
「ほ、本当かい!?」
僕の分を一本差し出すと、お兄さんはかぶりついた。
ガブリッ
「っアー!」
吟遊詩人のお兄さんが口を天に向けて叫ぶ。そりゃこんな状況で吟遊詩人にお金出してくれる人も少ないよね。久々の食事なのかもしれない。
お兄さんは片手で太鼓をたたきながら、片手で身を貪り食うと言う器用な事をしだした。
トントトン ト トントントン トントトン ト トントントン
「なんだなんだ? 旨そうな匂いしてんな」
騒ぎを聞きつけて人が集まってきた。
「あの。すいません。もう2日も食べてないんです。この子たちの分だけでも一口いただけませんでしょうか?」
子連れのおばさんが申し訳なさそうな顔で聞いてくる。
「どうぞどうぞ。脚だけじゃなくて胴体も焼いちゃいましょう」
「なんと。太っ腹だねぇ。うん、それなら火を組みなおそう。 おーい! 組み木をもってきてくれ!」
商人さん達がキャンプファイアーみたいに木を組んでいって、中に薪を放り込んで火をつける。
炎が舞い上がって辺りを大きく照らす。オラトリアの甲殻を鉄板代わりにして姿焼きにする事にした。
「うまいカー!?」
「うまいぞー!」
「あばー!」
ルーが飛び跳ねながら喜びを表現すると、子供たちが真似して垂直跳びを始める。
ぴょんぴょん ぴょんぴょん ぴょんぴょん ぴょんぴょん
気が付いたら商人さん達は酒瓶を空けて勝手に酒盛りを始めていた。
トントトン ト トントントン トントトン ト トントントン
「やぁ、僕は吟遊詩人のハミエル。宴のささやかなお供に一曲いかがでしょうか?」
「待て待て待て。そんなやつに演奏させてはせっかくの酒がまずくなる。ここはミニス平野一の吟遊詩人。このサムロスにおまかせあれ」
「なんだと貴様!」
「やるのかテメェ!」
「まぁまぁまぁ。2人の分もあるんでご一緒にどうでしょう?」
新しくきた二人は喧嘩をはじめそうな雰囲気だったから仲裁に入る。
すると二人は顔を見合わせて「まぁ、そういうことなら……」と、しぶしぶ演奏を始めたんだけど……
ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ポロンポ ポポロン
「え、初対面なんだよね?」
「いいゾー! やレやレー!」
演奏がはじまると、息がぴったりな事に気付いて二人が顔を見合わせる。吹き出したように笑顔がこぼれて演奏が盛り上がる。
トントトン ト トントントン トントトン ト トントントン
ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ポロンポ ポポロン(タン タン!)
「なぁ、わしら近くの村のもんなんだが。キャベツとニンジンあげるから参加させてもらってええかのう?」
「うちらはたまねぎとジャガイモがあるぞ!」
「あぁ、こいつはいいや。調理器具を貸してあげよう。なぁに、調味料代は要らないよ。なにせ、こんなに太っ腹な宴は久々だからね」
「こんな宴に酒がないなんて冗談だろ!? みんなハチミツ酒を飲め! 1瓶銅貨5枚だ!」
「そんな甘ったるいもの飲んでられるか! こんな席にはエールに決まってるだろう。 こっちも1瓶銅貨5枚だ!」
「おっと、こいつは負けていられないよ。南の地方で珍しいワインはどうだい?」
「おーい! こっちの若旦那がエビみたいな肉おごってくれるってよ!」
トントトン ト トントントン トントトン ト トントントン
ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ピヒャラピヒャリ ポロ ロンロン ポロンポ ポポロン(タン タン!)
続々と人が集まってくる。こうなるともう止まらない。
ルー達は片足ずつ跳ねさせるような謎のダンスを踊っている。
きっとこの中には家族や大切なものを失った人もいるんだろう。
だけどみんな笑う。笑い方を思い出そうとするかのように。
問題が何か解決した訳じゃない。それでも明日また戦うために、これもきっと必要な遠回りの1つなんだろう。
……! ……!! ……! ……? ……!!!! ………… …………
やがて子供たちが寝て、宴は静かな色へと表情を変えていく。
同じ村の出身の人達で固まって、コップを片手に小さな声で何か話してる。きっと苦労してるんだろう。涙を流している人達もいた。
僕らは幸いな事に、木板に毛布を合わせた簡単なベッドを貸してもらえた。
ハチミツを薄めた甘いジュースを飲んでいると、ルーが起き上がって目をこする。
「アルフ……」
「どうしたの、ルー。寝れない?」
「……くっついてイイカ?……」
焚火の火にあてられて、僕も一肌が恋しくなっていたんだろうか。
僕はルーの頭を膝にのせて、頭を撫でてあげる。
パチ……パチ……
勢いを失った火が、時々思い出したようにはぜる。
ルーがうつろな目で呟いた。
「焚火……キレイダナ」
「そうだね……」
「アルフと会ってかラ。ルーは楽しイ。ねェ。今日みたい日、また有ル?」
きっと、以前の僕なら「先の事はわからない」としか答えられなかったと思う。だけど、この短い間に……ルーと会ってからの間に、僕にも思うところがあったんだ。
「そうだね。きっとあるよ」
ルーの柔らかな髪を撫でつける。そうして夜は更けていった……