怯える者は憐れむ
やがて木々の間が広くなり。地面を背の低い草木が埋め尽くしていく。
あれ本当に歩きにくいんだよなぁ。ルーが一緒で本当に良かったと思う。ただ……
ガックンガックンガックンガックンガックン!
木々がまばらになってから、ルーは地面に降りて、ウサギみたいに飛び跳ねるような進み方に切り替えた。
そりゃこんな小さい子におぶってもらってケチつけるのもカッコ悪いんだけど。それにしたってこの縦揺れは……
「ル、ルー。ちょ、ちょっとタンマ。休憩! ちょっと休憩……し……よ……」
「ン? わかっタ」
僕は降ろしてもらって適当な切り株に腰かける……ん? 切り株?
座ってから気が付いた。どう見ても切断されてる。
「ルー。この近くに人がいる!」
「ソうみたいだナ。あっちから匂いがするゾ」
ルーがスンスンを空中を嗅ぐ仕草をする。
人間って言うのは現金なもので。あれだけ酔って動けないと思っていたのに、人がいるとわかった途端、再び歩く元気が湧いてくる。
「行ってみようか。もうこのくらいの草だったら僕も歩けるから」
そして僕たちは手を繋いで歩き出した。
腰から胸くらいの高さまであった背の低い木々は、膝下くらいまでの草に変わっている。
しばらくして林を抜けると、丘の上に大きな街が。
「うわぁ……結構大きな街じゃないか」
丘の上に城壁。街の中にも更に丘があるみたいで、ひと際高い位置に大きな建物が見える。
「ナー。ナー。あれはー?」
「あれは農場だよ。食べれるお野菜とかをいっぱい作ってるんだ」
「え、アレ全部食えるやつカ?」
「そうだよー」
「スゴーい! スゴいナー! あんなの全部食べたら、お腹パンパンになってやぶれちゃうんじゃなイカ?」
人類の英知にルーが目をまん丸にして驚く。
「ナー。ナー。あれはー?」
「あれは風車だよ。風を受けて僕たちの代わりにお仕事してくれるんだ」
「ナーんだソれはー! ルーは。ルーは今まで、ナにも知らずに生きてきタのカー!」
ルーが目を><の形にしてうにゃうにゃと空中をかきむしる。
知らない世界がどんどんと入り込んでくる感覚に、頭がオーバーヒートしてるみたいだ。
「じゃあナー! じゃあナー! あれハ? あれナニ?」
ルーが裾をぐいぐいひっぱって、水の流れている川を指さす。
「どれ? ただの川だけど」
「じゃなくて、アレ。地面にいるやツ」
ルーは小枝を拾って川に近づいた。そして地面をツンツンとつつくと…………
ガバァッ!!
突如、地面が盛り上がってモンスターが現れた。
「ハ、ハンマー・オラトリア!!」
ハンマー・オラトリア。全長2m50cmほどの、巨大なエビのような姿をした雑食のC級モンスター。
固い甲殻に覆われた体は斬撃や刺突による攻撃をほとんど通さず、討伐には専用のハンマーを用いられる。
でも、名前の由来は討伐にハンマーが使われるって意味じゃない。あいつの名前は……
「ルー! 危ないっ!!」
頭部近くから生えた2本の太い捕脚。
他のオラトリア種はカマキリの鎌のような形状をしているのに対し、こいつは手首のところが180逆を向いた状態で固定されてハンマーのようになっている。
かつて有名な鍛冶師が言ったそうだ。「オラトリアがハンマーを振るう時。この世のすべてのものは打たれる釘と化す」と。
全身のバネを使って繰り出されるその一撃は、フルプレートで武装した兵士を簡単に打ち殺してしまう。
水中で放てば周囲の水を一瞬で沸騰させて、閃光と共に爆発が発生するほどだ。
ボッ!
音速を超える一撃がルーに襲いかかる!
あまりの速度に何かが光った気がして。次の瞬間、捕脚はルーの右手にむしりとられていた。
シュボッ!
間髪入れずに、オラトリアが背中を丸めて捕脚に力を込めた、と思った瞬間。目に見えない一撃が襲い掛かる。
影すらも見えない一瞬の攻防。気が付いたらもう一本の捕脚もルーの左手にむしりとられていた。
「……ッ!」
3対の歩脚でジリジリと後退するオラトリア。そして……
ガキーンガキーンガキーン!
全身を丸めてダンゴムシのようになるオラトリア。
棘をもつ固い甲殻に守られた鉄壁の鎧はどんな方向の攻撃からも……って! そうじゃない!
「ルー! 大丈夫!?」
ルーに駆け寄ると彼女はこっちを向いて
「ヌゥ……手がトんできたかラ、掴んダら腕がトれてしまっタ……」
とりあえず怪我はないみたい。
「あぁ、良かった。ルー。こいつはすっごく強くて危ないヤツなんだ。可哀想だけど殺してしまわないと……」
モンスターの強さと人的被害は単純に比例する訳じゃない。
例えばA級最上位種の巨人なんかは物凄く強いモンスターなんだけど。人間達から彼らの縄張りに入らないと積極的には襲ってこない。
大きくて目立つので、行商の人なんかがうっかり殺されてしまうような事例も少ないんだ。
でも、このハンマー・オラトリアは違う。泥底に潜まれると容易に発見は出来ないし、彼らは物凄く獰猛で積極的に人や馬を襲う。
人的被害の規模だけで言ったらこいつ一匹で巨人に匹敵するんだ……見かけたら通報が義務づけられているし、僕は冒険者だから討伐しないといけない側の人間だ。
「ごめんよ……!」
呪文を唱えて火炎放射を放つ。Eランク程度の実力しかない僕の魔法じゃ大した威力は出ないんだけど。それでも長時間魔法に晒し続ければダメージは蓄積する。
「…………ッ! ッ!!」
結局、オラトリアは死ぬまで防御態勢を解く事はなく。何の反撃もしてこないまま逝ったみたいだった。
死ぬ直前は流石にちょっとビクンビクンしてたけど、それでも丸まった姿勢を崩す事はなかった。
……よっぽどルーと戦いたくなかったんだろう。本来はめちゃくちゃ獰猛なモンスターなんだけど……
流石の僕だってモンスターにとどめを刺した経験はゼロじゃない。
……あんまり思い出したくないけど、山賊に襲われて人を殺した事もある。
でも、そういう時はいつも必死だったから……こんなに無抵抗なモンスターの命を奪ったのは初めてだった。
「…………」
チクリと胸が痛む。なんて自分勝手な罪悪感なんだろう。
もし、一対一で戦って僕が食べられそうになった時。横から誰かがそいつを殺してくれたら絶対に可哀想なんて思わない。
可哀想って言うのは、つまりは相手を見下している感情だ。
それを……自分の実力でもなんでもない。仲間の手柄を横取りするような事をしておいて、死にゆく相手にそんな感情をぶつけるんだから。
やっぱり僕の性根って……
「どうしタ? お腹痛いのカ?」
毎度のように、僕が1人で堂々巡りの考えにはまっていると、ルーが声をかけてきた。
「あ、ごめん。大丈夫……」
ルーが僕の瞳を見つめてくる。彼女はオラトリアの死体に一瞬だけ視線を移してから、僕の方へ向き直った。
「アぁ、そうカ……あんナ。ルーもナ。痛いのいヤだからアルフのことわかルんダ。でもナ。森の中ハごめんなさイだけじゃ生きてイけなイから」
そう言ってルーは手に持った捕脚を差し出してきた。
「どうしてモ食べなきゃイけない時は、ありがとウするんダ。ダから、一緒に食べよウ? ごめんなさイが違う時ハ、ちゃんと食べテありがとウすルんダゾ」
差し出されたオラトリアの脚を受け取ると、ルーが二へへ、と笑いながら見上げてくる。
また励まされてしまった。なんか僕ってそんなのばっかりだな。
でも、そっか。きっとこの子も、色んな痛みを超えて。そして強くなったんだ。
ルーの笑顔を見ると、心なしか元気が出る気がする。僕もいつかこんな風にこの子や、フィーネの力になれる時がくるんだろうか……
「そうだね……食べよう、有難く。でも、もうすぐそこで街だから。あそこまで行ってから食べようか」
「オー!」
巨大なオラトリアを両手で高々とルーが掲げる。
日はもうだいぶ落ちていて、空で群青色と夕焼けの混じる不思議な色合いを映し出す。
人間の街はルーにとって未知の世界だ。楽し気に話すルーの質問攻めにあいながら、僕たちは街へと向かった。