階段
前園未来は、その日友人の沢田雪とともに、図書室の片付けをしていた。
二人は顧問に命じられて、蔵書の整理をしていた。
「ごめんね、未来。図書委員でもないのに手伝ってもらって」
雪は、申し訳なさそうに言う。
「いいよ。どうせ帰宅部だもん。時間はたっぷりあるの」それに未来には家に帰りたくない事情があった。
ガラリと扉が開いて、その顧問が顔を出した。
「もうそろそろ下校時間だ。今日は帰りなさい」
「はーい」雪は返事をして帰り支度をした。
今は11月で、19時前ともなると外は真っ暗だ。暗い校舎を足早に進む。
「あ、私忘れ物しちゃった。先に行ってて」雪はそう行って教室の方へ駆け出す。
暗い校舎に一人残されたようで、未来は震えた。下駄箱の方へ行けば電灯が付いているので、先に行かせてもらうことにした。
薄暗く不気味な階段に右足を下ろした瞬間、左足首を何かに掴まれた。
驚いてバランスを崩し、転げ落ちそうになるがとっさに手すりを掴んだため、階段から落ちることはなかった。
心臓が波打っている。心を落ち着けるために深呼吸をした。
しばらく手すりに掴まり、座り込んだ。
床の冷たさが冷静にさせてくれる。
ゆっくりと立ち上がり、慎重に階段を降りる。踊り場にたどり着いたとき、雪が追いついてきた
「待っててくれたの?ごめんね」
「暗いんだから、急いだら危ないよ。私さっき階段から落ちそうになっちゃって」
「えー。大丈夫?そういえばこの階段ってよく事故が起こるんだよね」
「事故って何」
「覚えてない?国語の山本先生が春に骨折して入院したじゃない?それってこの階段から落ちたんだって。去年は一年の子が落ちたらしいよ。怪我は大したことなかったらしいけど」
「どうして、そんなに危ないのに電灯の一つもつけないのかしら」
「今年中には付けるらしいよ。うちの学校貧乏だからね。すぐには無理なんだよ」
「それで大怪我したら、割に合わないよ」
左足首に感じた痛みを思い出し、ゾッとする。
「でもそんなに事故が多発するなら、怪談になってそうだよね。うちの学校の七不思議」
「階段で階段?」
「うわ、未来。それ寒いよ」
そう言いながら、雪は笑っている。
校舎を出て、駅に向かう。校内より外のほうが明るくて安心した。
家に付くと、居間が少し散らかっている。お菓子のゴミや酒の缶がそのままになっている。
未来はため息とともに怒りを感じた。
天井を見上げ睨みつける。このクズニートが。そう毒づいた。
未来の家族は、両親は共働きである。
そして中学の頃から不登校になり、引きこもりになった兄がいた。
もうとっくに成人しているはずだが、ここ何日も顔を見ていない。ブクブクと太って、おまけに風呂に入りたがらないものだから匂いもする。
母親に金をせびり、ゲームに費やしている毎日だ。しかも最近は酒も呑み始めた。
一度、親族会議が開かれ、その時はしおらしくしていたものの親戚が帰った後に大暴れしたのだ。居間の壁に大きな穴があき、それを隠すためにタンスを移動させた。
怒りに任せて暴れる成人男性に、恐れをなしたのか両親はそれ以来口やかましく言わなくなった。未来だけが苦言を言うが、その鬱憤は両親、とくに母親に向かった。
お兄ちゃんを刺激しないでと母に泣きながら懇願されたくらいだ。
居間を片付け、自室に戻る。部屋着に着替えていると左足首の異変に気づいた。
人の手形らしきものが付いているのだ。雪の話を思い出し、ぞくりとなる。
あの階段には、何か悪霊でもいるというの?
翌朝になってもは手形は消えていなかった。
階段を使うのもビクビクしてしまい、やけに教室が遠くに感じる。
怖がっているだけなのは癪にさわるので、あえて昨日転びそうになった階段を使った。
だが登るたびに何かが足首にまとわりついているような気がする。
恐怖を押して、下を見るが何かいるわけもにない。
だが感じるのだ。何かが未来の足を掴もうとしている。
よほど元気のない顔をしていたのか友人達に心配された。放課後、雪と二人になったとき手形の事を相談した。
靴下を脱いで実物を見せてみる。
「うーん、手形に見えなくもないけど、考え過ぎじゃない?」
「はっきり人の手じゃない。雪には見えないの?」
思わず興奮して大声を出してしまった。
「ご、ごめん。昨日怖い目にあったんだししょうがないよね」雪は慌てて謝る。
「いいのよ。でも気になっちゃって。本当にあるんじゃないかと思うの。あの階段には何かがいるんじゃないかって」
未来は階段での体験を話した。
「それマジ?」雪は信じられないといった表情だ。
「本当よ。私呪われたんじゃないかと思う。雪なら図書委員でしょ?この学校の歴史が書かれた本とか知ってるんじゃない?」
「そりゃ学校史の本は知ってるけど怪談なんて書かれてないよ」
「調べなきゃ分からないじゃない。その本どこにあるの?」
雪はため息を付きながら、その本棚に案内してくれた。雪には悪いが資料の整理は一人でやってもらおうと思った。
確かに当たり障りのない内容しか書かれていなかった。創立時やその年の出来事、優秀な生徒の受賞歴など。これでは、なんの役にもたちそうもない。
日に日に未来の足首の手形は濃くなっていった。
あの階段から落ちて、怪我をした先生と生徒にも話を聞きにいった。だが未来のように足首に痣ができたということはなかったらしい。
ひょっとしたら階段から落ちなかったから、いつまでも痣は消えないのだろうか。
未来はイライラしていた。足首のことだけではない。
証拠はないが、学校に行っている間に兄が未来の部屋に入っているようなのだ。
何かを盗られたということはないが、物を動かした形跡がある。あの醜悪な顔で自分の物を触れられているかと思うと、今すぐ家に走って戻りたかった。
自分でも情緒不安定だと分かっている。そのせいで友人たちが自分を避け始めているのも分かっていた。
足首に手形なんて付いていないと雪は言うが、どうしてこれが見えないのだろう。靴下をめくるとそれは消えずにそこにある。
「ねえ、未来。ちょっといい?」
「なに、雪?」
昼休みに人気のない特別教室に入る。
「あのね、階段のこと私なりに調べてみたの。いわゆる七不思議ってやつなのかな。先輩の先輩にも未来と同じようになった人がいるの。いつも足に何かがまとわりついてくる感覚を感じてたんだって。その先輩は霊能者に相談したらしいの。そうしたら怨霊が取り付いてるというの」
未来は黙って聞いている。雪は一生懸命に説明を続ける。
「その呪いを何かに移さなきゃ駄目だということになってね。霊能者が用意してくれた人形に呪いを移したの。そしたら先輩の足首は元に戻ったんだって」
「その霊能者と連絡はとれるの?」
「先輩は探してくれるって言ってる。だからもう少しの辛抱だと思うよ」
心配をしてくれる友人を抱きしめてしまった。
「雪、ありがとう。でも人形に呪いを移すってどうやるのかしら」
「うーん、同じように足首を掴むとか?詳しくは知らないけど」
「そうなんだ。案外簡単だね」
その日は雪たちとカフェに行き、久しぶりに楽しい時間を過ごした。
未来と別れた雪はもうひとりの友人、藤子と話し合っていた。
「信じてくれたかな、未来」
「大丈夫だよ。未来のイライラは暴力を振るう兄さんのせいで呪いなんじゃないよ」
藤子の親戚が、未来の家の隣人でよく叫び声や暴れる音を聞いているらしい。そんな事は一切未来の口から聞いたことはなく意外だった。
だが気休めでも未来の心配ごとが一つでも減るならやってみる価値はある。雪はそう信じることにした。
未来が家に戻ると楽しかった気分は一気に吹き飛んだ。
兄が激しく暴れた後だったのだ。今度は皿やコップが割られている。母が黙ってそれを片付けている。ガラスを踏んでは危ないから手伝わなくていいと笑っていた。
「なんでこんな事になってるのよ」
「コーヒーを切らしてて明日買いに行くっていったら、言い方が気に入らないって暴れだしたの。お隣さんが心配して訪ねてくるくらい」
「もう駄目だよ。どこかに相談しないと、ウチのなかだけじゃもう解決できないよ」
「そうね。お父さんが帰ってきたら相談するわ」
もう母は、話をしたくないようだった。
未来は、兄の部屋を乱暴に開ける。珍しく鍵はかかっていなかった。もわっと嫌な匂いが広がる。未来は嫌悪感で顔が歪むのを感じた。
「ちょっと!食器を割ってまわるってどういうつもり。いくらなんでもひどいと思わないの」
「なんだよ、勝手に入ってくるな!」立ち上がって未来の肩を押し、床に突き飛ばす。
兄は無言で鍵をかけた。
未来は殺意を覚えた。
そして雪の話を思い出す。呪いを何かに移せば助かる。
未来は足首を見る。この呪いをあの役立たずに移してしまえばいいんだ。それで死んでしまえばいいんだ。
翌日は休日だったため、未来も家にいた。いつもなら外出するのだが今日は機会を伺うために部屋で息を潜める。
静かになった時、部屋に忍び込む。単純な鍵なので硬貨で開けられるのだ。
酒を飲んで寝ているのか熟睡している。
いびきを立てて寝ている兄の左足首を思い切り掴む。憎しみと怒りと嫌悪感を込めて。
おまえなんか死んでしまえばいいんだ。そう念じる。この呪いをあんたにプレゼントするよ。
太くて弾力のない足首に未来の指はめり込んだ。
その時の未来の顔は、怒りに醜く歪んでいた。
それから数日後のことだった。珍しくコンビニに出かけた兄が途中の坂道にある階段から落ちて死んだのだ。深夜ということもあり発見されたのは明け方だった。
両親は自失呆然としていたが、未来は呪いが効いたのだと喜んだ。これであいつに苛まれなくてすむ。
両親はともかく未来はもとの明るい性格に戻った。友人たちも未来のまわりに戻ってきてくれた。
一ヶ月が過ぎた頃、未来があの階段に差し掛かった時何かに突き飛ばされる。
振り向き様、そいつの顔を見た。
あれ、なんで私そっちにいるの?なんでそんな怖い顔をしているの?
未来を押したのは醜く笑う未来自身だった。そして衝撃。
それが未来が感じた最後の感覚だった。
未来の葬儀が終わり、雪と藤子は怯えていた。
「ねえ、未来って本当に呪われてたんじゃない?あの階段から落ちて死ぬなんて」
雪は青ざめている。
「私達も未来に呪われるのかな。だって作り話であの子を騙そうとしたから」
「あれは未来のためだったじゃない。でももう私達はあの階段、使えないね」藤子は言った。
それからその学校には女生徒の幽霊が現れるようになったという。
その霊は階段の一番上で、恐ろしい顔をして下を見ているという。