少し辛くて、少ししょっぱい
「夢を見るということは、何かに憧憬れるということ。
憧憬れるということは、何かを羨むということ。
羨むということは、何かを僻むということ。
僻むということは、何かを妬むということ。
夢を見るということは何かを欲しがっていることと同義だ。欲望に目を光らせ、他人を羨み、自分を卑下し、苛む。
何かになりたいと思うということはそういうことだ。」
彼は私にそう言った。
どこか達観した、悟ったようなことをいう彼に、私は少しのいらだちをつま先に込めて彼の足の側面を蹴った。
私の夢をただ少しだけ応援してほしかっただけなのに。そういう思いを込めて。
訳が分からないといって風な彼の困り顔に、私は舌を少し出してあっかんべをすると、数歩分距離を取るように足を速め、距離が開いたのを見ると元に戻した。
横目で彼をうかがうと、首をかしげるだけで隣に並ぼうともしてこない。
(なによ、手の届かないくらいの存在になって、見返してやるんだから・・・・・・)
強気な言葉は口には出せず、結局、自分から歩調を合わせて彼の横に並んだ。
「でもさ、僕には夢がないから、夢を見られることがすごいことだとは思うんだよ。やりたいことがあって、なりたいものがあって、それに向かって努力する。それってすごいことだし、目標があるのはすごくいいことだと思う。生きるっていう空白の時間を、何かをするための実のある時間に変えられるんだからさ」
別に、そんなことが言ってほしいんじゃないのに。
でも仕方ない。彼にとっての私は単なる幼馴染で、友達で、たぶん、兄妹みたいなもの。
私は彼のことを、その……す…好き………だけど、彼はたぶん、そうでもない………
自分で言い切って自分で泣きそうになるのを堪え、目をぐっと閉じて涙をせき止めようとする。
と、
「お、おい! 前々!!」
彼の声に前を見ると、電柱が眼前に現れて、私はよけるすべもなくそのまま顔面からぶつかりに行ってしまった。
ガツッ!! という鈍い音と「あうひゃッ!!」という私の間抜けな叫び声が響いた後、私はしりもちをついてぶつけたおでこを「いったああい!!!!」と叫びながら抑えた。
「何やってんだよ……」
あきれる彼に、何も言うことができません。
「大事な顔に傷でも出来たらどうすんだよ、これからの商売道具なんだろ?」
私のすぐそばにしゃがみ込むと、「見せてみろ」と覗き込むように私の顔を見つめてくる。
咄嗟な状況に、私は抗うこともできずに手をどけると、恥ずかしさのあまり顔を真っ赤にして、さっきまでせき止めていたはずの涙を流し始めてしまう。
「えっ、な、なに泣いてんだよ、子供じゃないんだから……。傷のほうは大丈夫そうだぞ。ほら、立てるか?」
「……だってえ………」
何も言えず、そんな風にぐずる私に、彼は手を差し伸べて立ち上がらせてくれた。
「ああああ、そんなんで女優なんかやってけるのか? 今からでも遅くない、やっぱ無理ですって言ってくるか?」
「やあだあ……やるって決めたのぉぉ………」
ぐずぐずな顔をさらにゆがめながら彼の言葉に打ちのめされる。
「あっそ。じゃあこれ、涙拭け、あと鼻水もな」
差し出されたハンカチを「……うんん……ありがどおお………」と受け取る。
中学三年の夏。スカウトされて芸能事務所に入ることになった私に、彼はこういった。
『頑張りすぎんなよ。お前なら、すぐ人気になる。でも、たまにはうち、遊び来いよ』
涙が止まり、鼻水をかむと、真っ赤な顔をみて彼が笑う。
私はムカついて、鼻声のまま「ねえねえ」と手招きして、無防備に近づいてきた彼の唇を奪った。初めてのキスは、少し、しょっぱい味がした。
彼の驚いた顔を見て、私は満足してまた歩き始めた。
彼は私に夢見てくれるだろうか?