武勇伝 ~トラウマ~
田舎町の国道沿い、そこにある個人経営の書店。
右も左もわからない俺に、接客の基礎からレジ打ちまで仕込んでくれたここが、現在の職場だ。
店主の趣味でかなり偏った品ぞろえであることと、その店主の娘さんの趣味で陳列棚がかなりグローバリティーあふれる感じなことを除けば、そこらへんにある普通の、書店と変わらない普通の書店。
店主、店主の娘、俺の三人で切り盛りしているこの店は、扱うジャンルは頻繁に変わる。
というのも、店主のその時期の趣味によって陳列される本が丸ごと変わるのだ。
先週まで歴史ものを好んでいたと思ったら、今度はミステリーに傾倒し、今度は数学や語学の検定の参考書を妙に気に行ったりと、本当に好奇心の尽きるところを知らないらしい。
毎回、入れ替える作業を夜な夜な行うこちらの身にもなってほしいものだ。
「お客さん、こないねえ~」
レジカウンターに上半身を預けて寝そべりながら、ミヨちゃんがうなり声で話しかけてくる。
俺は段ボールから棚に陳列する作業を行いながら、それに応える。
「いつも、この時間帯は人は少ないかな。夕方からだよ、忙しくなるのは」
「そうなのぅ? じゃあなんでお母さん私に店番してろなんて言ったの?」
店主である母が、なぜ自分に店番を言い渡したのか。その疑問の回答は簡単で、
「ミヨちゃんが、いつもすぐどっかいっちゃうからだと思うけど?」
「えええ!!! そんな理由?! 信じられない、私、今日約束あったのにぃ……」
驚いて起こした体を、すぐ脱力させて結局元の態勢に戻ったミヨちゃんに、俺は苦笑いしながら告げた。
「三時くらいまでそこで店番してくれたら、夕方からなら遊びに行っても大丈夫だよ。俺もいるし、フミネさんには俺から言っといてあげるし」
「ホント?! やったあ!! ありがとう、アルさん!!」
あどけなさの残った笑顔に、俺も微笑を返す。
喜ぶミヨちゃんの表情とは裏腹に、俺は内心また店主に「甘やかさないでください」と怒られる未来を想像していた。ま、まあ、仕方ない、仕方ない。
「ところ、お母さんは今日、何しにどこに出かけてるんですか?」
飛び跳ねて喜んでいた動きを止めて、ミヨちゃんがこちらに首をかしげて聞いて来る。
俺はその質問を受けて、なんだ、ミヨちゃんには話してないのかと不思議に思う。
「お墓参りだよ。ミヨちゃんのお父さんの」
瞬間、ミヨちゃんの表情がきょとんとして、
「私のお父さんの、お墓?」
と、さながら、そんなものあるはずないとでも言いたげに、俺の言葉を繰り返した。
「あ、あれ……?」
俺、なんかまずったかな?
作業の手が止まり、動揺を隠せない。
まさか、フミネさん、戦死したお父さんのこと話してないなんてことないよな? だとしたら俺今相当やばいこと言ったんじゃ……
「あっははは、冗談だよ冗談! アルさんその顔おかしい!!」
んなっ……!?
「こ、この、悪戯っ子め!! 本当にびっくりしたぞ!!」
「へへ、ごめんなさい、でも、そっか、お母さんお父さんのお墓参り行く気になったんだ」
おどけた表情で謝ったかと思うと、哀愁を漂わせ母を語る。
雰囲気と表情が忙しい女の子だな。でも、こんなに見ただけで感情が透けて見える人間もそう多くはないだろう。
俺はそんな特別な彼女の横顔を見つめてしまう。
「アルさん、手、止まってますよ?」
「??!」
突然後ろからかけられた声に、振り向くとそこには先ほどまでの話の種である店主が、喪服姿で立っていた。
「お、お帰りなさい!?」
「ただいま。アルさん、娘に見惚れてしまうのはわかりますが仕事、してくださいね?」
「見惚れっ!!? アルさん私まだ十四歳だからね!?」
「まって! 確かに見てたけど変な意味がこもってたわけじゃないから!」
俺が慌てて訂正すると、
「アルさん、変な意味とか、変な言葉を娘の前では使わないでください。」
「俺はどうすればよかったんだ!!!!!」
床に座り、膝を抱える俺を、腫物のように眺めてから、親子二人が会話を始める。完全に俺いないものだよね。
「早かったね、ちゃんとお線香上げてきた?」
ミヨちゃんがさっそくそう質問すると、フミネさんは綺麗な相貌を崩さない程度に微笑んで、
「ええ。ちゃんと、断っても来ました。」
「断ってきたって、何を?」
なんだろう、俺も少し気になって顔を上げると、フミネさんがこちらを見ていた。
「な、何でしょう? まさか俺、減給ですか……?」
まさか、そんな……
ぶるぶると震えていると、フミネさんは「違います」と言って、俺の目の前にしゃがみ込み、目線の高さが合うと俺の目を見ながら確かにこういった。
「私たち、一緒になりませんか?」
「へ?」
突然の申し出に、俺の思考は完全に置いてけぼりを食らっていた。
薄い化粧の下で、頬が少し染まり、
「だめ、でしょうか?」
俺同様に固まってしまっているらしいミヨちゃんからも、言葉がさしはさまれることがなく、営業中でありながら、完全に無音となった店内で、店主に迫られる従業員。
たかだか従業員の俺に、この申し出は本当にありがたい、有り難いし、うれしいんだけど。
「俺、フミネさんのこと大好きです。でも、でも、それだけは、出来ない……」
だって、そもそもこんなに優しい美人な女性を、一人にしてしまったのは、片翼にしてしまったのは、俺の落ち度が原因なんだから。
「どうして、駄目、なんですか?」
ここに勤めて三年になる。店主のこんな、悲壮な顔は、初めて会った時以来だ。
「フミネさん、前に俺言いましたよね、理由もなくごめんなさいって。償いがしたいから、ここで雇ってくださいって」
俺の問いかけに、力なく縦にうなづくフミネさん。正気にもどったミヨちゃんが、店の戸にカーテンをかけ閉店にしてしまった。気の利きすぎる十四歳だ。
「あれの理由、俺、昔騎士団にいたんです。四年前の戦争で、結構活躍して、戦死者ゼロの立役者なんて触れ込みでかなり騒がれたりもしたんです」
何かに気づいたように、二人とも俺の顔を見て「……あっ」と声を漏らす。
偽装魔法の効果が切れたらしい。意識さえしなければ見破ることのできない変装魔法、こんなものまで使って、俺は罪を重ねていたのだ。
「でもそんな触れ込みは嘘っぱちだった。戦死者は少なくはあったけどゼロじゃなかったんです。その中の一人、ブン・テレツという徴兵されてきた男が、俺を庇って死にました。あれは紛れもなく俺のミスだった、のに、その人は俺を庇ったんです」
フミネさんの瞳から涙があふれだした。ブン・テレツ、その男こそ、この書店の元店主にして、フミネさんの旦那。ミヨちゃんのお父さんだ。
「俺は、あの日、謝りに来たつもりだったんです。でも、あなたを見たら、放っておけなくて、こんな長々とだまし続けることになってしまいました。ごめんなさい。俺には、あなたと一緒になる資格はありません」
これらの言葉は、ある意味用意していたものだ。この三年間、いつかは言わなければと淡々と練っていた台詞たち。だから言い淀みや濁り、たぶん、不足もないだろう。
だが、この親子にしてみれば初めての情報で、驚きで、声も出ないだろうことは容易に想像できた。
口元を押さえ、嗚咽をこらえるフミネさんに、ポケットからハンカチを取り出して差し出す。
ポロポロとこぼれていく雫を、ぬぐおうとして俺はその手を押しとどめた。俺が触れていい人ではない。そう思ったから。
その行き場を失った手を、優しく包むものがあった。
フミネさんはハンカチではなく俺の手を取ると、そのまま自分の頬にあて、涙を拭っていく。
「ふふ……」
フミネさんの漏らした笑みの理由が、俺には分からなかった。
「ねえ、アルさん」
フミネさんがいつものように優しく俺の名を呼ぶ。
「私、あなたと一緒に居たいわ」
あふれる涙は止まらず、笑顔の理由は俺には分からない。
ミヨちゃんはやれやれとあきれた様子で、漫画を読み始めてしまう。
「これは、業務命令です」
えへっと年端もいかない少女のように笑いながら、きっと世界で一番俺にとってうれしいパワハラをしてくる女性が、今は俺の奥さんだ。