#7
「仁、そっち行ったわよ!」
「ジンっ!僕の方への誘導お願いしますよっ」
「おう!」
オルテンシアが炎の魔法で誘導した二足竜が逃げ、仁が待ち構える方に走って来る。竜の背丈は1.5mほどでスマートな体型をしており、太く逞しい後ろ足二本で素早く走っている。前足は小さく、歩行には適していない。また、前後に延びた長い首と尻尾で上手くバランスを取って走っている。
仁が待ち構えている前方に幾つもある朽ちた遺跡の間を抜けて走ってくる二足竜が見えた。その後ろ、少し離れた所をオルテンシアも走って追いかけてきている。
「上手く仕留めたら今日は焼き肉ねっ!」
「おうっ?」
仁は少し変な声で返事をすると、前から走ってくる二足竜を軽くいなして右側の通路に ──
「仁っ!?何してんのっ!」
「へっ?」
竜を打ち据えようと手を上げた状態で固まっていた仁の右手側を竜が走り抜けていく。
「私が援護をっ」
仁の近くまで来ていた愛莉珠が上手く竜の進行方向に回り込み、槍を振るって竜を予定の通路に誘い込む。
「行けますっ!」
── ターンッッ!
「ギゲャ」
軽い音が響くと同時に二足竜が悲鳴を上げる。胴体上部に命中したのか、鱗が数枚飛んで、赤黒い血が流れ出ていた。だが、二足竜そのまま勢いを落とす事無く走り続けている。高台から狙いを付けていたステラは遊底の下に付いたレバーを前に引いて再装填する。
── カシャン……ターンッッ!
「ギギィー」
装填音の暫く後、再度銃声が上がると二足流は足をもつれさせ倒れ込み、のたうつ。暫くしても起き上がれない竜の元へ全員集まってくる。
「二発ですか…及第点ですね」
タチアナの言葉通り、二発目は首筋に命中していた。二足流はそれでも立ち上がろうというのか、痙攣を起こすかのように時折足を大きく動かしている。
「流石にあのスピードで走ってる獲物を一発じゃ狙えませんよ」
「あの程度、親方様はおろか、フィリッポス様でも一発です」
「兄さんと比べないでよタチアナ。…それにしてもジン、先ほどは一体どうしたのですか?」
「……」
「ジン様?」
仁は痙攣している二足竜をじっと見つめていた。
「仁?」
「…へっ?あ、いや、さっきな?ちょっとぬかるみに足を取られちゃってさ~。悪いね」
「ジンでも失敗したりするんですね」
ステラは話しながら肉厚の剣を抜き、竜の首筋を切って血抜きを始める。
「さて、とりあえず冷やす為に沢まで運ぶので手伝って頂けますか?」
そう問いかけられた仁は、切断された箇所から流れていく血を青い顔で凝視している。見つめながらも体がガクガクと震え出しているようにも見える。
「兄様…」
あきらかに様子がおかしい仁に全員の困惑した視線が集中する中、愛莉珠だけは心配そうにしている。
「うっ…ぷ!すまん…ちょっと気分が悪いんで向こうで休んでくる…」
仁は急に両手で口元を抑えたと思うと、詰まった声でそう言って足早に走り去っていく。
「ちょっと、仁!…っと」
オルテンシアは慌てて追いかけようとするが、愛莉珠に手を捕まれて止められてしまった。
「なんでっ?愛莉珠!」
愛莉珠は否定するかのように、ゆっくり首を何度か左右に振った。
「愛莉珠…」
「さて、役立たずは放っておいて早く血抜きをしますか。肉が悪くなってしまいますよ」
「は…はい、そうですね…」
愛莉珠が竜を引っ張り出したのでステラもそれを手伝う。荷車があるキャンプ地に戻るまでオルテンシアとステラは仁を気にして何度も消えた方向を見ながら歩いていたが、キャンプ地に着いても戻ってくる気配は無かった。
・
獲物の解体や後処理が終わり空が赤みがかってきた日暮れ頃、キャンプ地に仁がひょろっと戻ってくると、まずステラに謝罪した。
「ミスって悪かった。本番はちゃんとやるつもりだ」
「おかえりなさい、ジン。そうですね、誰にでもミスはあると思います。次は頑張って下さい」
「ああ…」
そう返事をした仁は、キャンプ地から離れてまた見えなくなってしまう。そこへ肉の処理をしていたタチアナとオルテンシアが手を拭きながら近づいてきた。
「あの人、次は役に立つんですかね…」
「ジンはあれほどの実力を持っているのに、もったいないですね」
「そうですね、とても強いと思っていたのですが…とんだヘタレでしたね」
「そうね~、博愛主義者だとは思ってたけど、あそこまで重症だとは思わなかったわ」
「オルテンシア様も知らなかったんですか?」
「生き物を殺せないとは思っていたけど…」
オルテンシアはどうしたものかという表情をしている。
「お二人が居れば十分ですし、仁様も囮くらいにはなるでしょうから、若様もそういう采配でお願いします」
「囮って…そりゃまあ今日も私たちは囮役だったけど…」
「役に立たない者もそれなりに使うのが良い雇い主ってものです」
「はあ…」
「よいですか、こういった場合はですね──」
タチアナの講義は日が暮れるまで続いた。
・
バチッっと木が爆ぜる音がする。辺りはすでに暗く、焚火の火が周囲を明るく照らしている。愛莉珠は火にかけた鍋をかき混ぜていた手を一旦止めると、匙で少し中身をすくって味見をし、調味料らしき物をを少し削って鍋に入れた。
「やっぱり干し肉よりも新鮮なお肉のほうが良い味になりますね」
「知らないのか?干し肉でも高い奴は美味いんだぞー」
「私は食べたことないのですが、隠れて食べてたんですか?兄様」
「へ…?なんだ、そりゃーあれだ。国に居るときだよ。実家でだな」
「本当ですか~?」
仁も調子が戻ったのか、焚火の側に座って愛莉珠と普通に会話をしていた。オルテンシアも隣に座り、少し安心した表情で仁の方を見つめている。
「そろそろいいかな」
鍋をかき混ぜていた愛莉珠はそう言うと鍋を火から下ろし、スープを木の器によそって仁とオルテンシアに渡していく。配り終わると火で温めておいた日持ちする固いパンも幾つかスライスして配り始める。
「もう食べ始めてしまいましたか?」
そこへステラがタチアナを伴い、焚火の明かりに入ってくる。
「いや、今からだよ」
「よかった。食べ始める前に少しお話があるんで、皆さん聞いて下さい」
そう言われた仁は少し真剣な表情をしてステラを見つめた。視線に気がついたステラは、大丈夫ですよと言うように笑顔を見せ、話を続ける。
「まず、今日の連携の確認訓練ですが、概ね問題無かったと思います。明日以降はより大型の竜を狙う事になります。一撃では仕留められないと思いますのでご助力の程宜しくお願いします」
タチアナはステラを見てから、仁を見て表情を歪める。誰もそれには気がつかないままオルテンシアが質問をする。
「魔法、当てちゃっていいの?」
「炎は商品価値が下がるので、他の系統ならある程度大丈夫だと思います」
そう言ってチラリと同意を求めるかのようにタチアナの方を見るが、それに反応はない。
「氷とかの方が良さそうね」
「普段はどのようにしているのですか?」
「普段って…そうか、アリス達は狩りはあまりやらないのでしたね。そうですね、通常は罠か前衛役で足止めをして、動きを止めた状態で残りの者が撃つ。という感じです。倒れるまでに10〜20発位はかかるので、普通は逃げられる前に倒すために多く射手を集めます」
「足止め程度なら私だけでも。足は潰してしまって構わないのでしょう?」
「そうですね、頭、内蔵、爪、あたりが高価なのでそこを避けて頂ければ」
簡単そうに言う愛莉珠に苦笑しながらステラは答えた。
「では、明日の話はそれくらいで。実際に獲物が見つかってから詳しい打ち合わせをしましょう。後は本日の見張順なのですが、昨日と同じくオルテンシア様、ジン、僕、タチアナ、アリスの順でお願いします。僕からの話は以上です」
「では、ステラとタチアナさんもどうぞ」
愛莉珠はそう言って料理を分け、各自食事を始める。受け取って一口食べがステラは驚きの表情をする。
「やはり、新鮮な肉は干し肉と違って美味しいですね、ジン」
「あ…ああ、そうだな…」
「どうしだんですか?まだ気分が…?」
仁は料理に手を着けずにじっと皿をみつめている。
「そんな事も無いんだが…ちゃんと食うよ」
そう言って匙でスープをすくって口元に運ぶ。だが、口元でまた手が止まってしまう。
「すまない、まだちょっと食欲が無いみたいだ。悪いな愛莉珠」
「早く食べられるようになって下さいね。兄様」
「ああ」
仁は器を愛莉珠に返し、代わりにコップを受け取り水を飲む。その後は会話も少なく時間が過ぎていった。
・
オルテンシアが焚火の側に腰掛けて船を漕いでいる。
「起きてるか?」
「へ?寝てない。寝てないよ?」
オルテンシアは仁に声を掛けられ、慌てて立ち上がると返事を返してキョロキョロと周囲を見渡す。
「なんだ仁か…」
「誰だと思った?」
ほっと安心して座り込むオルテンシアの横を抜け、水の入ったブリキのコップを2つ、火の側に置いてからシアの隣に座る。
「もう交代の時間なのね?」
「一瞬だったろ?」
「……」
オルテンシアに反論する気は無いのか、仁と反対の方向を向いて黙る。
「まあ、それはともかくだ、アレの方向は分かるか」
「あれ?ああ、アレね。そうね…」
暫く目を閉じて集中すると再び目を開き、北西の方向を指差す。
「あっち…かな」
「ふむ」
方向を聞いた仁はコンパスを取り出して方向を確認すると、地図を取り出してなにやら書き込みを始める。
「毎日マメねぇ」
「こうやって場所をできるだけ特定するんだよ。お前、三角測量とか知らないだろ?」
「三角…?なにそれ?」
「こうやって、二点以上の場所から方角が分かると、目的地の位置が分かるんだ」
「どれどれ」
仁に体を寄せて地図を覗き込むと、線が交わる部分をに指を置いた。
「へー、なんか線が幾つか引いてあるけど、このへん?」
「そう。まあ地図なんで実際に行ってみないと細かい位置はわかんないけど、その辺だな。そもそも、このためにこの街に来たのを忘れたのか?」
「そうね」
「どうした、あんまり乗り気じゃ無いな」
オルテンシアは軽くあくびをすると、両手を組んで上に上げて体を伸ばす。
「ん~、今のあんたほど切羽詰まって居ないのは確かかも」
そう言ったオルテンシアは、伸ばしきった体を前屈みに丸め、斜め下から覗き込むような視線で隣の仁を見つめる。
「この生活も、まんざらじゃないしね?」
「……そうか…」
仁は火にかけていたコップを取り、一つをオルテンシアに渡す。
「熱っ」
オルテンシアは受け取ろうとした手を一旦引っ込め、布で手を覆って受け取った。
「ちょっと、熱いわよ。私を傷物にする気?」
「そうだな。一応その予定だ」
仁は苦笑いしてそう答える。
「へーへ、そうですか。私もいつか手込めにされちゃうのねー」
オルテンシアは心底嫌そうにそう言うと仁の返事を暫く待ったが、返事は無かった。
そして、まだ暖かい白湯をぐいと飲み干すとコップを仁の前に置く。
「ありがと、暖まったよ。んじゃ、私は寝るね」
「ああ、おやすみ」
「明日は…ま、いいか。おやすみ」
オルテンシアは少し心配そうな表情で仁の方を見てから、防寒具を持って全員が固まって寝ている荷車の影の方に歩いていった。
「ほんと、情けないよな…」
オルテンシアが去り、一人になってから仁はそう呟いた。
・
仁の夜番の交代間際、荷車の方で誰かが起きてこちらに歩いてくる気配がする。
「ステラか。ちょっと早くないか?」
「はい、少しジンとお話しできればと思いまして」
仁はまたか、という表情をするがとくに拒否もせず、ステラは仁の隣、先ほどオルテンシアが座って居たのとは逆の左側に腰を掛ける。とても近い。
「そ…それで話ってのはなんだ?」
あまりの近さにぎょっとした仁はそう言い、不自然ではない様に気を付けながら距離を取る。ステラはその空いた空間を埋めるかの様に上体を捻って体を寄せてくる。
「もちろん今日の事ですよ。竜の事でとても悩んでいるようでしたので、僕心配で…」
「ひうっ!」
近づかれ、あぐらをかいていた左足の上に手を乗せてられた仁は奇妙な悲鳴を上げる。
「実力ではジンにかなわないけど、励ます位は出来ると思うんです!」
「いや、そうだな…気持ちは有り難く受け取っておくが…」
「僕、ジンを元気にできますよ。ほら…」
「うほぅ!いやいやいや、ちょっと待て!お前、やっぱりそっちだったのか?」
何をされたのか、また可笑しな悲鳴を上げ立ち上がり、あわててステラから離れる仁。ステラは距離を取られて悲しそうな表情だ。
「あ…そっちってなんですか?」
「そっちはそっちに決まってるだろ!俺はノーマルなの!」
この世の終わりのような表情で絶叫する仁に、驚いた表情をするステラ。
「何を…何を言ってるんですかジン。男同士で愛を確かめ合うのは高貴な物の嗜みでしょう!」
「そんな嗜み知らんわっ!」
「明日のため、ジンに元気になって欲しかったのに…」
「元気になってるのはお前のソコだけだっ!」
再度近づいたステラの手を仁は叩いてはじく。
「ジン…」
「俺は雇い主と雇われ以上の関係になるつもりはないからなっ!」
仁はそう言うと、背中を向けて他の面子が横になっている方に小走りに駆けていった。声も無く後を見守るステラ。
「ジン…そうやって焦らすんですね…そこがまた…」
ステラの呟きは、密やかに泣く虫達の声に紛れて消えていった。
・
翌日の朝仁が起き出すと、珍しくオルテンシアが朝食の用意を手伝いながら、愛莉珠と何か話をしている様子が見える。仁に気がついたオルテンシアは仁の方を見やると、にやにやとした笑みを浮かべた。
「夕べはお楽しみでしたね?」
「は?お楽しみ?何の事…ってあれか!阿呆か!そもそもなんでお前が知ってんだよ」
「兄様もとうとう大人になられたようなので、今日はお赤飯を炊かないといけませんね」
「お前かっ!つーか起きてたなら助けろよ愛莉珠!」
獲物を見定めた様子のオルテンシアと、瞳をキラキラさせて楽しんでいる様子の愛莉珠。
「いえ、兄様が素敵な世界に旅立とうというのに、何故邪魔ができましょう」
「お前がそういう系統の話が好きなのは知ってたが…」
ウキウキと話しながら朝ご飯の準備をする愛莉珠に、仁はうんざりした表情で頭を抱える。そこへオルテンシアが近づいてきて肩に手を掛けて顔を近づけて小声で話す。
「で、どこまで行ったのよ?」
「どこにも行かんわっ!いい加減にしてくれっ!」
肩に掛けられた手を振り払う仁。
「あらら、イライラしちゃってまあ」
牽引竜の世話を終え、丁度そこへ戻ってきたステラを捕まえて抱え込む様に抱き締めながら話す。
「ステラ君、仁に告白したんだって?可愛い顔してやるわねー」
「いえ、告白とか大層なものじゃなくて、ジンともっと仲良くなりたいなと…」
頬を赤く染め、恥ずかしそうに答えるステラ。
「そっかぁー健気ねぇ。分かった、私と愛莉珠に出来る事があったら、何でも言って。全力で応援しちゃうから!」
「だからそうやって茶化すのは止めてくれ!こっちは真剣に悩んでるってのに」
「やったねステラ君、仁も真剣に考えてるって」
「ジン…」
「だーかーらー!」
「ほら!遊んでないで早く朝食を済まして出発しますよ!」
タチアナが怒気の籠もった声を上げるが、騒動は収まらない。
「兄様、ステラさんの事もお義理兄さんと呼んだ方が宜しいでしょうか?」
「うがー、もう勘弁してくれ-!」
両手を胸の前で組み、瞳の中に星を浮かべて楽しそうに語る愛莉珠の台詞に、仁は髪の毛を掻きむしりながら悶え、叫びを上げた。