#6
「あ~これも美味し~」
ここは釣り合う宿り木亭の一階、外はすでに暗くなり仕事帰りの男達で店内は混み合っていた。賑やかな話し声、笑い声、持ちこんだ楽器を演奏して歌う声などが聞こえてくる。オルテンシア達は三人でテーブルを囲んで食事をしていた。ステラ達とは分かれたのか周囲には居ないようだ。
「美味しいですね。この野菜のスープ煮」
「そうだな、このパスタってのも色々形があって面白い」
3人が食べているのは、色々な野菜をトマトスープで煮込んだ物に、いくつかの種類のパスタが入った物だ。スープの他には丸いパンが幾つか中央に積まれていて、ちぎってスープに浸けて食べたりしている。
「明日はどうするの?」
「出発は明後日って事だから、明日は必要な備品の調達かな」
「食料はまとめて用意してくれるらしいので、それ以外ですね」
「ま、食費は天引きだけどなー」
「あとはまあ、ロープとか肉の保存袋とか、狩りに必要な雑多な物ですね」
「ふーん。あ、私も解体用のナイフが欲しいかも」
「そういえば刃物は持ってなかったな。1本買っとくか」
「やったー!」
他にも細々とした話を決めていった。そこでふと思い出したかのようにオルテンシアが切り出す。
「そういえば、狩り場まで片道4日、現地で5日くらいって言ってたけど。私そんなに着替え持ってないわよ?途中で洗うの?」
「あ……っと…」
「ふむ…どうすると思う?」
オルテンシアの質問に愛莉珠は即答を避け、代わりに仁が逆質問する。
「いやー、まさか2週間も同じ物着れないでしょ。だから途中で洗って──」
「ぶぶー」
「………へ?」
ダメ出しをされたオルテンシアが絶望的な表情で仁を見る。仁は諦めろ。というようなジェスチャーをしている。
「狩りの時はほとんど着っぱなしが普通。道中に洗濯屋なんて無いしな」
オルテンシアは次にギギギと首を動かし、愛莉珠に確認する。
「マヂ?」
「ええ…残念ですけど…」
「無理……二週間も……無理…」
絶望の淵に放り込まれたような表情で呟き始めるオルテンシアを、愛莉珠が救い出そうとする。
「あっ、でも着替えを持って行って、なんとか途中で洗えれば2~3日に1回くらいは着替えられると思いますよ!」
「本当!?それなら、まあ、なんとか…」
「ちょっと今まで贅沢させすぎたかなぁ?」
「え~~、仁も愛莉珠も毎日着替えてるじゃない?」
「洗濯代、結構馬鹿にならないけどな。だから普通の人は2~3日は同じ物着てるよ」
「だんだん行きたく無くなってきた…」
「仕事をしないとお金も無くなって、そのうち自分で洗わないといけなくなりますよ?」
「それもやだなぁ…」
「シアの着替えとかの話は愛莉珠に任せるよ。俺は俺でテキトーにやっとくし」
「駄目ですよ。兄様の着替えもちゃんと洗います」
そこで一旦会話が途切れ、食事をする音だけが続く。
「そういえば ── 俺たちの他に、もう1人だけ雇おうとしてたやつが居たって言ってたけど、どんな奴かまでは聞けなかったな」
「断りを入れると言ってましたが、その人には悪いことをしましたね」
「ま、聞いたところでどうするってもんでもないけど、謝るくらいはしてもいいかもな」
「謝る気なんか無いくせにー」
それから3人とも食事が終わるまで、他愛の無い会話を続けていた。
・
2日後の朝、朝食を取り宿を引き払った三人は、ステラ達との集合場所である街の南側にある貸馬屋へ向かっていた。今は街の南側の広場を横切っており、そこは南側の遺跡に向かう狩猟者達や、狩猟者相手の商売をしようとする人々で朝からごった返していた。
「近場の獲物の分布情報あるよー」
「矢玉、袋、ロープ、など、消耗品は足りてるかい?」
「美味い保存食、缶詰、携帯食、食のことならこのオービカにお任せだ」
「最近発見されたばかりの遺跡の情報いらないかー?」
「遺跡の罠に詳しい奴を探している。一緒に行ってくれる奴はいないか?」
「日帰りの狩りで銃持ちを3人ほど追加募集だ!腕に覚えのある奴はいないか!」
様々な売り込みの声に混じって、どこからか人集めの声も聞こえてくる。
通りには様々な物を取り扱う露店が並んでいた。区画整備されているのか露店自体は直線に並んでおり、広場を十字に横切る大通り付近は布製の天幕が張られている。大通りに面した露店は比較的大量の商品を扱う大きな店が多かったが、1本外れた通りは大小様々な店が並び、屋台だったり、布敷の上に商品を並べただけだったりと様々だ。
仁達三人は、そんな小さな通りの一つを南に向かって歩いていた。先頭をオルテンシアが歩き、キョロキョロと興味深そうに周囲の店を見ながら歩いている。
「前も来たけど、朝の方が賑やかで楽しいわね」
「普通の狩猟者なら朝から出かけるしな。もう遅いくらいだが」
オルテンシアはいつもと似たような象牙色で長いスカートのシュミーズを着て、足下は黒いブーツが少しだけ見えている。薄桜色の髪を上の方だけ編み集めて左側に団子をつくり、その他の髪はそのまま下ろした髪型だ。
背中には小さな背嚢を背負い、腰のベルトの後ろには50㎝ほどの布に包まれた棒状の物と、刃渡り20㎝ほどの短刀が着けられ、小さな球が幾つも付いた輪状の飾りを左右の腰から交わるように下げている。
「よっ!そこの可愛いお嬢ちゃん!もしかして狩猟者かい?そんな美人なのにこの業界とはめずらしいな!うちは保存食を扱ってるんだが、どれも美味いよ?どうだ、みてかないか?」
「え?美人?ありがと~ふふふっ」
「ほら、呼び込みに引っかからない」
「え~見るくらいいいじゃないの~。せっかく褒めてくれてるんだし」
中年男の呼び込みにフラフラと引き寄せられ、店頭に向かうオルテンシアを愛莉珠が呼び止める。
愛莉珠も象牙色のシュミーズにいつもの赤錆色のボディスを着け、山吹色のベストを羽織っていた。動きやすさのためかスカート部分は短くなっており、裾からはふわふわしたペチコートが見えている。足下は膝下までのブーツに、太ももまでの長い黒タイツを履いてた。蜜柑色の髪は捻って纏めてポニーテール風に垂らされており、両耳付近に細い三つ編みを作って下げている。
背中には小さな体格に対しては大きめの背嚢を背負い、その上に肩紐を着けた槍を斜めがけに背負っていた。
「おっ、そっちの娘も可愛いねえ。美人さんばかりだ。干し野菜とかもあるんだ。野菜も食べなきゃせっかくの綺麗なお肌が荒れちゃうよ~」
「あ…じゃあ、少しだけ…」
「おいおい、お前までひっかかってどうするよ」
呆れた表情でそう言った仁は、シュミーズの上に皮製のチョッキをつけ、腰までの短い皮製のジャケットに革手袋、ズボン、膝丈のブーツという格好で、体にフィットした服はすらりとしたイメージが感じられる。ネクタイも着けずにだらしなく首元が開いたシュミーズは象牙色だが、あとは全て漆黒に染められていた。
仁も大きな背嚢を背負い、三人分の外套等の防寒用具も丸めて背負っていた。腰ベルトにはいくつかのポーチが付いており、左腰には刃渡り30㎝ほどの短剣を下げている。
二人が店先を覗き始めたので仁も仕方なく後ろからのぞき込むと、色々な商品が並んでいた。天幕の柱からは様々な種類の干し肉、燻製や生のソーセージがぶら下げられ、地面に置かれたいくつかの篭には大量の干し野菜が種類ごとに分けて山積みされていた。
「ほら、こっちに干し果物もある。甘いよ~」
店の親父は40歳くらいの太った男で、ニコニコと愛想の良い笑顔を振りまき、篭を一つ一つ指差しながら説明していく。
「こいつがオリーブ、こっちがブドウ、オレンジ、イチジク、ラズベリー、ブルーベリー、トマト──」
親父の説明を聞きながら、オルテンシアと愛莉珠は二人であれがいい、これがいいと話し合っている。
「お、缶詰もあるのか。珍しいな」
野菜の奥の棚に缶詰が幾つか並べられていた。
「ちょっと高いが、調理済みで手軽に食べられるってんで結構でるよ。牛肉と竜肉がある。いるかい?」
「いや、流石に缶詰が必要なほどの長旅じゃないよ」
結局、そこで干し野菜と果物、燻製ソーセージを幾つか購入し、露店が並ぶ広場を抜けてさらに通りを南に向かう。
「ちょっと無駄遣いだったな」
「なによ、仁だってお肉買ってたじゃない」
南に向かって通りをさらに進むと、建物がまばらになり、だんだんと風景が街から草原という感じになってくる。建物がかなり減った頃、前方に柵で囲まれた広場が見えてきた。そこには何種かの牽引用と見られる動物と、荷車や馬車が並んでいる。
「この辺にいるって話だったが…あれかな?」
「ジン様!こちらです」
仁に気がついたステラが大きく手を振っている。隣には荷車のような物があり、タチアナが具合を確認していた。三人は呼ばれた方に歩いて行く。ステラは前回出会ったときと同じように、拳銃と長身の小銃、厚めの剣で武装して皮製の鎧を着ていた。
「すまん、ちょっと遅くなった」
「いえ、構いませんよ。ジン様」
近くに来て声を掛けた仁に、ステラは握手をしようと手を差し出す。うっと一瞬躊躇した仁は、恐る恐る手を握り返す。
「その仁様っての、そろそろ止めないか?仁でいいよ」
「そうですよ。若様は雇い主なんですから、もう少し威厳も持って頂かないと」
ステラはすこし悩んだ表情をしてから、考えを決めたのか握っていた仁の手をさらにぎゅっと握り、少し頬を染めて言った。
「では…ジン…と呼ばせて頂きますね」
「あ…ああ、それでいいよ」
悪寒を感じた仁はそう言うと急いで手を離すと、ステラは残念そうな表情を浮かべた。
「私のことも愛莉珠でいいですよ」
「私は様付けがいいな~」
「先日言っていた、もう一人の狩猟者の姿が見えませんが、お断りできたんですね」
「ええ、特にゴネたりはされたりしませんでした。凄腕の財宝探検家でしたよ」
「へえー」
そう話しながら他の二人とも握手していく。ステラから距離をとった仁はタチアナがいる荷車のほうに小走りで移動する。タチアナは小銃を右腰に下げ、左腰には鞭のような物を束ねて下げていて、服装も以前とは違い、狩りに適した上衣にズボンという格好をしており、あまり色気が無い。
仁はがっかりした表情で話しかけた。
「牽引竜を用意したのか」
「ええ、馬だと頭数が多くなって面倒なので」
屋根の無い大きな荷車は解体用の櫓が着けられているだけで屋根は無く、牛が4頭ほど乗せられそうな大きさをした四輪のものだった。荷台には食料や燃料らしき物が積み込まれており、貨車の左右には樽が1つずつと、布に包まれた大量の干し草のような物がぶらさげられている。荷車からは1本の引棒が前に突き出ており、引棒と繋がる横長のくびきに二頭の背が低い爬虫類が繋げられている。
繋がれていた動物の全長は1.6mほとで体高は60㎝ほど。胴体は太く、足は体の両側に左右2本づつあり、ずんぐりとした体を支えていた。首と尻尾が短く、少し愛嬌のある顔をしていて、タチアナが頭を撫でるとゴロゴロと喉を鳴らして目を細めた。
「これはエルマーキオという種で、馬の二倍の荷を引けます」
「でも、その分足が遅いんだよな?」
「ええ、ですがヴェスビオの遺跡は湿地が多く、馬にしても速度がでないので」
「そういえばそんな話だったな…初めての土地なんで知らない事が多い。頼りにしてるよ」
側にまで近づいてきて話す仁にタチアナは苦笑して答える。
「いえ、これは試験なので、どうぞ若様をお頼り下さい」
「いやー、俺はタチアナさんに色々教えてほしいなぁ」
「こらこらそこ、イチャイチャしない。うわっ、なにこれでっかいトカゲ!」
ステラとの挨拶を終えたオルテンシアと愛莉珠が馬車のほうにやってきたので仁は諦めたのかタチアナから少し離れる。
「可愛いですねー」
そういって愛莉珠は竜の頭や喉をなで始める。
「お前はなんでも可愛いって言うよな」
「そうですか?可愛い物にしか言ってないと思いますけど」
そこにステラもやってきて、手を叩いて号令をかける。
「さて皆さん、挨拶も終わりましたし、出発しましょう。行程は狩り場までの往復で四日、現地周辺での狩りを最大で4日の予定です。できれば荷車に乗るだけ狩ります。食料と水は二週間分を人数分用意していますが、他になにか確認しておきたいことはありますか?」
「私たちも乗って良いの?」
「獲物が捕れるまでは乗って貰って構いません。獲物の重さにもよりますが、帰りは歩いて頂く事になります」
「ま、狩猟に関しては俺たちよりそっちの方がプロだろうし。まかせるよ」
「分かりました。質問は以上のようですので出発しましょう。長い旅ですので、問題を起こさないよう、仲良くお願いしますね」
「おう」
「はい」
「は~い」
「では行きましょう!」
そう言ってステラとタチアナは御者台に上る。他の三人も御者台にあるステップを使って荷台に載ったのを確認すると、ステラは手綱を握り軽く振ると、竜は素直に指示された方向へ歩き出した。
荷車はガラガラと車輪の音を立てながら、人が歩くよりも少し早いくらいのペースで進む。
「結構揺れるわね」
干し草の上に座ったオルテンシアは揺れで話しにくそうだ。
「そりゃまあ、荷馬車だし、舗装もしてないし…下手に喋ってて、急に揺れたら舌を噛んだりするぞ」
そう言われたオルテンシアは黙っていることにしたのか、隣に座る愛莉珠と一緒に、流れていく風景を眺め始めた。仁も荷物を置き、荷車の縁部分に腰掛けて風景を眺めている。
貸馬屋より南に広がる草原に道は無いが、大勢の狩人が馬車で通ったような轍や、細い道のような物がいくつも見える。荷車はそんな道の一つを南の方にむかって進んでいく。
草原と言っても一面草地で埋まっておらず、そういった見通しの良い場所には飛べない鳥や兎、狐などの動物などが見えることがあり、オルテンシアは我慢出来ずに愛莉珠にあれこれと聞いている。
少し強めの風が吹き、仁の黒い髪を大きく揺らして乱した。仁は乱れた髪を手ぐしで髪を撫でつける。
「さあて、少し頑張ってみるかな」
風が吹いてきた南、向かう先を見ながら、仁はそう呟いた。