#4
夜には喧噪に包まれる酒場の店内も朝の時間帯は人も少なく、カチャカチャと食器がぶつかる音だけが聞こえてくる。
「いつつっ」
「あんた、また何かやったのね」
朝から頭痛がするかの様に額を抑える仁にオルテンシアが苦笑する。
「俺だって、たまには具合くらい悪くなるさ」
「そうね、主に愛莉珠に叱られた時とか」
「あー、やっぱり旅の楽しみの一つは食事だよな~」
「図星か…」
そう言った仁達の目の前には、大皿1つの上に丸いパンが一つ、パンをスライスしたものに、野菜のペーストを載せたような物が2つと、珈琲が入れられたカップが載っていた。
「では、いただきます」
手を合わせて頂きますを言う仁と愛莉珠を、オルテンシアは呆れた表情で眺めている。
「相変わらずその変な挨拶を入れてから食べるのね?」
「まあ、家庭の風習ってやつだよ。気にするな」
一足先にパンを頬張っていたオルテンシアの台詞に答える仁。
「仮にも神様なんだから、神の間でのマナーとかなかったのか?」
「ご飯は…もぐもぐ…美味しく食べるのが一番よ。まあ、食事会とか宴会では一応あったけど」
「美味しく食べる。ですか。ある意味真理ですよね」
「そうだな…お、このペーストが載ったヤツ美味いな」
「そうですね、これは何でしょうか…?」
二人がもぐもぐと味わいながら素材を考えていると、オルテンシアは両方のパンを少しかじり、味わってから、得意げな表情を二人に向ける。
「こっちの赤いのは魚肉とチーズのパテで、こっちの茶色っぽいのは鳥レバーと野菜っぽいわね。丸い方のパンは小麦だけ、スライスしてある方には少しライ麦が入ってるわ」
二人はオルテンシアの台詞に驚き、まじまじと彼女を見つめる。
「凄いですシアさん、よくわかりますね!」
手を合わせながら喜ぶ愛莉珠。仁は冷や汗を流しながら首をギギギとオルテンシアのほうに向け問いかける。
「……お前、もしかして料理できるのか?」
ふふんっ、とオルテンシアは胸を張る。
「あったりまえでしょ!私は家庭の守護者でもあるんだからっ」
「!?」
「なによ?」
驚愕の表情で固まっている仁にオルテンシアが問いかけた。
「おどろいた……人間…いやこの場合は神か。まあそこはどうでもいいが、一つくらいは取り柄がある物なんだな…」
「はぁ?なに言ってるのよあんた。喧嘩売ってる?」
「いや素直に褒めてるわけだが」
「だーかーらー!」
「まあまあシアさん落ち着いて。そうそう、料理が得意なら今度教えて頂けませんか?」
「いやよ面倒くさい」
「!?」
今度は愛莉珠が固まる。
「なんつーか、料理が全く出来ない俺が言うのも何だけど…出来るならちょっとくらい手伝ってやれば?」
「愛莉珠の料理は美味しいから私が手伝わなくても大丈夫っ!なのでこれからも私に美味しいご飯をよろしくねっ♡」
ハートマークを浮かべてニコニコとポーズを決めるオルテンシア。
「気が向いたらおねがいしますね」
「ま、それがお前らしいよな」
「そうねー、何かの記念とかに気が向いたら作ってあげるわ」
暫くの後三人ともパンを食べ終わり、ご馳走様をすませて珈琲を飲み始めたところで、仁が真面目な表情をして話を切り出す。
「シアにはまだ話してないが、昨日の狩りの依頼。受けることになったんだが構わないか?」
「ん~~、私としては別に構わないけど、決めるのが早かったわね。愛莉珠に説得された?」
「いや、昨日の夜にステラの家庭教師ってのが来て、そいつと話してたんだが、ちょっと成り行きでそういうことになってな」
「それで、仁は大丈夫なの?」
「どうだろ…実際に目にしてみないとなんとも…ってところかな?」
「兄様、あまり無理をなさらないように…」
「ふーん、仁もちょっとは真人間になるように頑張ってるのね」
「…まあな」
からかいに対して真面目に答えられて驚いたオルテンシアは、仁をじっと見つめる。仁は目をそらし、あらぬ方向に視線を向けている。
「ごめん、ちょっとからかいすぎた…」
「ん、大丈夫。気にするな」
── パンッ!っと愛莉珠が邪気を払うような柏手を打つ。
「はいっ、この話はここまでっ。それで今日はどうするんですか?」
「愛莉珠…そうだな、今日はステラへの返事をして、南部遺跡の情報集めかな」
「後は必要な装備をステラさんに確認して、買い出しですかね?」
「それもやらないとな」
仁と愛莉珠が話し合っている横でオルテンシアはうんうんと聞いている。
「シアさんも手伝って下さいね?」
「えっ!?」
意外なことを言われたという風に驚くオルテンシア。
「いや、そろそろお前もこの手の仕事を覚えろよ」
「う~~~ん」
うなりながら悩み出すオルテンシアだが、暫くして仁の方を見て何か考えている。
「仕方ない、私もやるわ…やったことないけど」
「大丈夫。ちゃんと色々教えてあげますよ」
「お願いね…」
「俺も色々と教えてやるよ」
「仁はいらないっ。やらしい事されそうだしっ!」
にひひと嫌らしい笑みを浮かべながら仁が言うと、オルテンシアは即座に拒絶して椅子ごと愛莉珠の方に退避する。
「はいはい、それじゃ支度してから、まずはステラさんの所ですね」
「いくか」
「は~い」
そう言うと3人はそろって席を立った。
・
支度をして宿を出た三人はステラが宿泊しているという釣り合う天秤亭へ向かっていた。
前を歩きながらチラチラと愛莉珠とオルテンシアの方を気にしている仁に気がついた愛莉珠は、ん?と小首をかしげた。
「なによチラチラ見て。なんかやらしいわよそれ」
「やらしかねーよ。いや、なんかちょっと雰囲気が昨日と違うなって思ってな」
そう言って仁はまた前を向く。
愛莉珠は昨日とは違い、象牙色のシュミーズのスカートは足下まで覆う長い物で、その上にいつものボディスを着けていた。胡桃色の髪もツーサイドアップではなく、後頭部で綺麗に結い上げたアップスタイルになっている。纏めた髪がふわりと少しだけ広がる様が女の子らしく可愛らしい感じだ。槍は格好に似合わないせいか仁が担がされ、代わりに小さなショルダーバッグを持っている。
オルテンシアの方に目を向けると、普段は小さな編み髪をいくつか作っていただけの薄桜色の長い髪を今日は全てまとめて三つ編みにして、首の後ろから背中に降ろされて歩みにあわせて揺れていた。シュミーズは相変わらず白磁ベースの長いワンピースだが、足の両側面にスリットが入っている物を着ていた。黒く長いタイツを履いているが、歩くたびに白い太ももがチラチラと見えている。そして左右の腰から交わるように、円状の飾り紐をつけており、それには4~6cmくらいの石で出来たような光沢を持つ球がいくつも繋がれていた。また、別に腰ベルトをしており、小物入れのようなポーチと、腰の後ろには50cmほどの布に包まれた棒状の物が括り付けられていた。
そして仁は昨日と違──わず、相変わらずの黒一色だ。
「んっ」
かけ声を掛けたオルテンシアは仁を追い越して前に出ると、見せつけるようにクルリと回ると、その動きを追うように三つ編みもふわりと舞う。
「女の子なんだから、ちゃんとオシャレしないとね~」
「お前の髪はどうせ愛莉珠任せだろうに」
「いいんですよ、私が好きでやってるんですから」
オルテンシアは回るのをやめると腰に左手をおき、右手でピシリと仁を指さす。
「それよりどう?今日の私もバッチリでしょ?」
「はいはい、今日もシアは可愛いよ」
「ぶー、言い方が投げやりー」
「私はどうですか?全部アップとかあんまりした事ないから…」
愛莉珠は少し不安げに自分の後頭部で団子になっている髪に手を当て、ふさふさとした感触を確かめている。
「そうだな、あんまりアップなんて……いやまて、アップか。もしかして昨日の──」
「あー!あー!あー!」
珍しく慌てて顔を真っ赤にした愛莉珠が、背後から仁の口を塞ぐ。
「何々?昨日なんかあったの?」
「もごぐがー」
口を押さえられたまま喋ろうとする仁をぽかりと叩いて黙らせると、愛莉珠は先を急いで歩き出した。
「何でもありませんっ!ほら、下らないこと話してないで急ぎますよ!」
「おい、待てよ愛莉珠。はぐれるぞ」
「ちょっと、昨日のって何よ。教えなさいよー!」
逃げるように走り出した愛莉珠に追いつこうと、二人も足を速めて追いかけて行った。
・
「居ませんでしたね」
「無駄足だったわね」
「ま、タチアナらしい女がステラと一緒にいるって事は確認できたが」
大通りに面した釣り合う天秤亭から出てきた三人が店の入り口脇で話している。昼前とはいえ通りは多くの人が行き来しているので、邪魔にならないよう壁際にもたれ掛かるように立っていた。
「なに?昨日の夜にきた女だっけ?疑ってたのね」
「はいそーですか。って信じられるほど幸福な人生を歩みたかったなぁ…」
遠い目をして明後日の方向を見やる仁。
「おそらく他の狩猟者を集めているのでしょう。夕方には私たちの宿に顔を出すと言ってましたので、それまでは情報集めですかね?」
「そうだな、そうするか。まずは遺跡の情報集めからだな」
「ではシアさん、こういった状況では、まずどこに行って何をしますか?」
「え?え?いきなりね…」
突然問いかけられたオルテンシアは腕を組んで考え出す。
「うーん、そうね、狩猟者が集まる場所に行って話を聞く?とか?」
「半分正解。昼間はもう狩りに行ったりしてるから、そういう所は早朝か夜だね」
「んじゃ、夜まで待つ?」
「ぶぶー」
「痛っ」
仁は駄目出ししながらオルテンシアの頭にチョップを入れた。
「時間は有効に使わないと駄目だって。狩猟者に必要な物は狩猟者が集まる場所にある。って考え方は良いんだ。」
「そうですね、例えば私たちが今から遺跡に狩りに行くとします。でも危険な場所なので色々と準備しないといけません」
「そうね、まずは食料とかを…ってそうか!市場とかお店!」
「正解です。狩猟者が使ってるお店とかはちょっと分からないので、まずは中央市場の方に行ってみましょうか」
「うんうん、行ってみよー!」
「おいおい、場所わかってんのか?」
「シアさん待って下さい。はぐれてしまいますよー」
嬉しそうに駆け出すオルテンシアに釣られたのか、二人とも微笑を浮かべて追いかけて追いかけた。
・
太陽が低い位置で一旦空を昇りきり、西に向かって降下を始めた頃、昼時の喧噪が過ぎて比較的人通りが少ない通りを三人が並んで歩いていた。
「獲物が居る範囲が記された地図も手に入ったし、なかなかの収穫よね」
厚手の紙を両手で広げて眺めながら、オルテンシアは先頭を歩いている。
「初めてにしてはなかなかだな」
「ふふーん、次からの情報収集は私にお任せねっ♪」
「ええ、次はシアさんにお任せしますか」
情報収集が上手くいったためか茶化すこと無く肯定したので、オルテンシアは機嫌良く、歩きながらくるくる回り始める
「そうね~私はやっぱり出来る女だし~」
「ふふっ、そうですね。シアさんは凄い女性です」
「そうだな、いろんな意味で凄い女だよな」
「ふふん、もっと褒めていいのよ~」
くるくると前で回り続けるオルテンシアの上、遠くの空に飛んでいる物が見えた。
「あ、空鯨ですよ」
愛莉珠は前方の空を指差す。その指先の遠くの空には、大きな鯨の周りを小さな鯨が寄り添うように、二匹が西の方向に向かい飛んでいた。位置的には南方の遺跡のほうだ。
「虚鯨か、結構でかいな」
「可愛いね~」
「可愛いって……距離的にあれ多分、子供の方でも100m越えてるぞ…」
「いいんですよ可愛いんだからっ」
ぶーと膨れて文句を言う愛莉珠。オルテンシアも鯨を見上げている。
「そういえば昔はもっと飛んでたけど、今はあんまり居ないのね」
「昔はもっと居たのか、どんな光景か興味あるな」
「今でも聖帝国の方には一杯いるらしいですよ」
「へー、そのうち行ってみたいな」
「なに、その聖帝国って?」
「この国の西にある、すげー広い国さ」
仁は両手を大きく広げながら話す。
「あんた達の国より大きいの?」
「ああ、数倍じゃ効かんね」
「あとでこの周辺の国だけでも説明しましょうか?」
「そうね、よろしく~」
会話しながら宿に向かって歩いていると、前方の路地から見知った人が顔を出した。
「あ、オルテンシア様」
「お~~!ステラ君。良いところに!」
「はい、ちょうどそちらに向かおうと思っている所でした」
ステラの後ろにはタチアナが付き従っていた。
「お、そちらの美人さんはどなたかな?」
「そういえば紹介がまだでした。こちらは僕の家庭教師のタチアナと申します。今回の試験の立会人になります」
「初めまして。皆様。話は若様より伺っております。なかなかの傑物揃いだそうで」
そう言いながら握手を求めて手を差し出すタチアナ。三者はそれぞれ握手を仕返す。
「いやー、そんな事も無いわよ~」
「初めまして、タチアナさん」
「美人はいつでも大歓迎さ」
「立ち話もなんですから、とりあえずお三方の宿に向かいましょうか?」
そう言い、とりあえず全員で宿に向かうこととなった。
・
五人は仁達の宿宿、宿り木亭に戻ってくるとテーブルを囲んで話を始めた。ステラの奢りで全員の前には飲み物が並んでいる。一つだけアルコールだ。
「あの…急かすつもりは無いのですが、どうでしょうか?」
テーブルに置かれた瞬間に飲み始めた一人を残念そうに見ながら、ステラは問いかけた。仁も呆れたようにその一人を見ていたが、ステラの方に顔を向けてから答える。
「ああ、まあなんというか、色々あって受けることにしたよ」
「ホントですか!?有り難う御座います!」
椅子をガタッとならして立ち上がり、テーブル越しに仁の手を両手で握って礼を言う。
「あ、ああ…」
「オルテンシア様も、アリス様も、ジン様も有り難う御座います。これで狩りも容易くなる事でしょう!」
感謝を込めてジンの手を握り、握り、握るステラ。
「えーと…」
「あっ…ごめんなさい。ご迷惑だったでしょうか?」
「いや…問題無いが」
「よかった…」
手を離し、少し顔を赤くして謝るステラに仁は困惑しながら答えと、ステラは安心したように吐息を履いた。幾つかのいぶかしげな表情が見守る中、仁が会話を続ける。
「そ…それでだな、受けるに当たって幾つか頼みたいことがあるんだが」
「頼み、ですか。可能な限りは検討しますが──」
仁は指を立て、一つずつ語っていく。
「まず一つ目は俺たち三人以外は雇わない事、二つ目は獲物の解体を手伝わない事。いや、解体を手伝えないのは俺だけか?二人はできるよな?」
「私は別にやっても構わないわよ。知らない動物だと裁き方は教えて貰わないといけないけど」
「兄様の分もやらせて頂きます」
予想外の条件だったのか、ステラは困ったような表情をしている。
「二つ目に関しては大丈夫ですが。一つ目の三人だけというのは…そうですね…どうしましょうか…」
ステラは仁の話した条件について考え込み、タチアナのほうをチラチラと見る。タチアナは苦々しい表情をしているが、発言する気は無いようで黙ったままだ。
「人数に関しては、俺に言わせれば三人どころか俺か愛莉珠のどちらか片方が居れば十分なんだが」
「は!?私がなんでそこに入ってないのよ!?」
オルテンシアの言葉を聞かなかったことにして、仁は話を続ける。
「どっちにしろ実力は試すんだろ?実力不明じゃ雇えないだろうし」
「そうですね、うちも流れのハンターを雇う場合は実力を見るようににしています。近接戦闘か、銃、もしくは弓の腕前がある程度無いと、話になりませんので」
「それで判断して貰うしかないかな…で、何をやれば良いんだ?」
「父は手合わせして判断したりするんですが…僕はそれほど自信が無いので、何か実力を示して頂こうかと思ってます」
「そっか、それじゃ、ここじゃ狭いから中庭に行くか」
「はい」
全員、席を立って宿の裏手の方に向かおうとする。
「よーし!私の魔法でみんな吹き飛ばしてあげるわ!」
「えっと…それはちょっと勘弁して下さいねシアさん」
「冗談に決まってるじゃない」
「お前の場合は冗談に聞こえないからな…物は壊すなよ?」
「うっさいわね、分かってるわよ!」
ステラは軽口を叩きながら前を歩く三人に呆れ、軽い疑いの目を向けながら苦笑して後を追った。