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世界樹の果実は、ほろ苦い  作者: Lei
幕間
36/36

#35

《幕間》

「ふむ…こんな所か」

 羽ペンを握るごつごつとした灰色の太い指が紙面の上を滑ると、その無骨な見た目とは対照的な美しい軌跡が紙に描かれていく。ペンを握っているのは大きな体を持つサイの獣人カーバーだ。

 カーバーは人間の体にサイの頭を乗せたような外見で、面長の頭部の鼻先には二本の立派な角が前後に並んでいる。椅子に座っているため判然としないが、体格はとても大きく立ち上がると三メートルは超えていそうな程だった。ゆったりとした服の間から見える肌はザラザラとした灰色で、堅そうではあるが産毛のようなものがびっしりと生えており、指も無骨ながら五本揃っている。

 カーバーは石造りで出来た執務室のような部屋でなにやら紙に文章を綴っていた。室内にあるのは書類が収められているような棚が二つと、大きく平たい机、椅子程度と物が無く、窓は鎧戸が上げられているだけで硝子も嵌まっていない。カーバーが物書きに使っている机も大きなものだが、人間よりも一回り大きい通常の獣人よりさらに二回りは大きい巨体が座っているので相対的に小さく、備え付けの椅子は小さすぎて使えないのか脇にどけられ、物入れの箱のような物に座り背中を丸めて縮こまるように座って文字を書いていた。

 シュッっと小気味の良い音を立てながら署名のような文字を最後に書くと、羽根ペンをペン立てに戻しインク壺に蓋をした。

「ふぅ…書いたは良いが気が重いな…」

 カーバーは疲れたように溜息をつき、肩の筋肉を揉みながら首を回す。

「安心しろ。口頭での報告は軽く聞いておるよ」

「ホルエムヘブ様!」

 扉の無い部屋の入り口から獅子頭の獣人が声をかけるとカーバーは慌てて椅子から降りて跪き頭を垂れた。

「わざわざ大元帥に足を運んで頂き申し訳ない」

「気にするな。お前が直接指揮したのにし損じたと言うので少し話を聞いてみたくなっただけだ」

 ホルエムヘブと呼ばれた獅子頭の獣人は白を基調とした法衣のようなゆったりとした服を着ていたが、その服は胸から腹にかけて大きく開かれており黒紅色の逞しいたてがみを髭のように揺らしていた。ホルエムヘブは両手に持っていた木製のコップの一つをテーブルの空いている所に置き、脇にどけてあった椅子に座ると手に残ったコップに口を付けた。

「誰もおらんし気楽にやろう。書類仕事は疲れるだろう、お前も座って飲んでくれ。酒でなくて悪いがな」

「はっ!」

 カーバーは再び椅子代わりの箱に座るとカップを持ち上げ、中の黒い液体に口を付ける。

「報告ではピブワンの王子を捉える際に数人の護衛に撃退されたと聞いたが…」

「はい、不意を突かれたとはいえワシを吹き飛ばす程の一撃を放つ者達でした」

 ホルエムヘブが楽しげに笑みを浮かべると、鈍く光る犬歯が見え隠れする。

「ははは、面白いでは無いか。噂には聞いていたが漆黒の魔王とやらはお前を退けるほどの強者であったか。お前を吹き飛ばせる者などこの国にもそうはおるまい。わしも噂の自称魔王と手合わせしてみたいものだ。無手にて戦う無敗の強者という噂がこの国にまで届くのだ、さぞかし屈強な男だったのだろう」

「それが…」

 カーバーは言い辛そうに目線を手元のコップに向け、一口飲んでから言葉を続けた。

「大変申し上げにくいのですが、ワシを吹き飛ばしたのは自称魔王ではなく人間の子供。しかも…女でした。」

「子供…だと?貴様、子供に吹き飛ばされおめおめ逃げ帰ってきたというのか?」

 笑みを消したホルエムヘブは眉間に深い皺を刻み、ぐるぐると低くうなり声を上げた。カーバーはその声に怯える様子も無く話を続ける。

「女子供とはいえワシは不意の一撃を食らい、数メートル宙を舞ったのは事実です。ワシを吹き飛ばした者が女、しかも腕の一振りで容易く背骨を折れそうな子供にしか見えなかったので我が目を疑いましたぞ。だが逆にそれが恐ろしかったのですよ。確かにワシを吹き飛ばしたはずなのに、華奢な体で膂力も無いように見え、(プラーナ)もそれほど強くは感じられない。ただ不意を突かれただけ、対峙してる今ならば正面から殴れば終わりよ。そうも考えたのですが、ワシの腰ほどまで背しかない女が悠然と槍を構えているのを見ると、その考えに自信を持てませんでした」

「ハッ!にわかには信じられんな、その様な体たらくでは魔王とやらもそれ相応か」

 ホルエムヘブは不機嫌そうに鼻を鳴らすとコップをぐいと煽り飲み干すと、ガツンと音を立てる勢いでテーブルに置いた。

「自称魔王と思わしき人物はシャードンに相手をさせたのですが、こちらは両者決め手に欠き引き分けに終わったようです。魔王はあのシャードンと互角に渡り合い、小娘は魔王の関係者と言う事でした」

「あのシャードンと互角…か…」

 ホルエムヘブの声は少し怒りの調子を落としていたが、顔中に刻まれた深い皺は消えていない。そんなホルエムヘブと正面から目を合わせてカーバーは言葉を続ける。

「性格は破綻しているが奴は個として強い。あの(むすめ)が居なければワシとて奴を従える事は出来まい。すると魔王の関係者と言う小娘がワシを吹き飛ばしたのも偶然とは思えず、死傷者も出ており不利と判断して撤退したのです」

「死者だと!?聞いておらんぞ、何名ほどだ?」

「その時点では二十四人中、七名が倒れておりました。他にも戦闘継続不能なほどの重傷者が六名以上。後方の待機組以外は全滅の様相でしたよ。所詮は人間と侮って部下達に任せたのが裏目にでました。言い開きのしようもない失態です。イノーデラ関与の可能性も出てきた為、ワシ自らが報告と謝罪のため一度戻った次第です」

 カーバーは椅子から立ち上がると再び跪き、頭を垂れ、首を晒した。

「たった五人の人間に七名も殺されたというのか…」

 ホルエムヘブは天を仰いでふぅ大きな溜息をついた。それからテーブル上のコップに手を伸ばし、中身が空なのに気がついて苛立たしげにテーブルにガツンと戻す。

「状況はご理解頂けたでしょうか?」

「ああ、悪かった。お前の部隊でなければ部下が弱すぎると切って捨てる所ではあるがな……では王子拉致の話は一端置くとして、イノーデラ介入の件についてはお前はどう考える?」

「たしかに魔王を宣するジンはイノーデラの有力議員の家系ではありますが、今だ公職についた記録は無いはずです。そこを突いて密使に使われた可能性は否定できませんが、ピブワンの王子めが自らイノーデラの名を高言するあたり、十中八九我々に対するブラフでしょうが…」

「だが裏は取らねばならない、か。大国であるイノーデラが絡んでくると戦略を練り直す必要があるからな。イノーデラの調査とはこちらでやろう。お前の所は魔王とやらの動向を監視してくれ。ピブワンから離れてもな」

「はっ!」

 ホルエムヘブは椅子から立ち上がるが、カーバーは跪いて頭をたれたまま動かない。

「すまん、雑談をしに来たつもりだったが、いつの間にか形式張ってしまったな。仕事の邪魔をして悪かった」

「とんでもございません、ホルエムヘブ様」

「他になにか報告する事はあるか?」

「一つ、今回の件で装備に関するしきたりの改善を提案したいのですが…」

「申してみよ」

「報告書にも書きましたが、今回は銃で三名が殺害されました。私やホルエムヘブ様の脅威とはならない銃器であっても、一般的な強さの兵に関しては致命傷となり得ます。我が国では銃器なぞ貧弱な人間が使う惰弱な道具だ、道具に溺れて自らの強さを鍛える事を忘れてしまうと嫌われておりますが、やはり有益な道具であるのは事実です。どうか軍装備に関する銃器の使用禁止条項を廃止して頂きたく─」

「またそれか…わかったわかった、また爺どもを説得してみる」

 ホルエムヘブは疲れた表情で溜息をつくと目を瞑りこめかみを指でマッサージしている。

「有り難う御座います。ワシに手伝える事があれば何なりとお言いつけ下さい」

「ああ、根回しでも手伝ってもらうさ。話は以上だな?」

「はっ!」

「では私も仕事に戻るとしよう。邪魔をして悪かった。魔王の監視の件は定期報告と一緒でかまわん」

「承知致しました」

 ホルエムヘブは軽く手を振りながら部屋を出て行った。部屋から遠ざかる足音が聞こえなくなってからカーバーは立ち上がると、テーブルの上の報告書のインクが乾いているのを確認し一纏めにしていく。

「あの小娘の監視か…一筋縄では行きそうに無いが…」

 呟きながら用紙を集めるカーバーの目が報告書の一節で止まった。カーバーがなんとなしに書かれていた文章を読み上げる。

「部下の報告では、ジン・オナーグル・ヒイラギとその仲間と思わしき人間の子供には此方(こちら)を殺害する意図がないのか、戦闘不能にするだけで(とど)めを刺さなかった。その余力が無かったわけでも無く、意図的に殺害を回避する様子であったという…か…」

 書類を一纏めにし終わると、カーバーは廊下に出てすぐ隣の部屋に入る。こちらの部屋にも扉は無い。

「おや、カーバー様、ホルエムヘブ様とのお話は終わったの?」

 その部屋には犬科の獣人がおり、書類にせっせと文字を書き込んでいた手を止めてカーバーの方を見た。

「ああ、人間の小娘にやられたワシに大層ご立腹だったよ。アジーボ、この書類の提出を頼む」

「それはそれは、とんだ災難ね」

 アジーボと呼ばれた犬の獣人はうす茶色に黒い筋模様が入った毛並みで、ゆったりとした布で作られた小ぎれいな貫頭衣を着ており、人間の女性と同じように胸の部分が膨らんでいる。アジーボは書類を受け取ると中身にすばやく目を通し始めた。

「そうだな。あと例の魔王に監視を付けるように言われたよ」

「そう。一応監視は付けてあるはずだから継続して──」

「いや、メリネチェルのチームを付けてくれ」

「メリネ?あれは落ちこぼれよ?またなんでこんな重要な仕事に…」

 アジーボは話しながらも受け取った書類に目を通し、所々赤いインクを使ったペンで書き込みをしていく。その様子を見るカーバーの顔は少し疲れた表情をしていた。

「報告によると、奴らはワシら獣人を何かしらの理由で殺せない可能性があるらしい」

 アジーボは怪訝そうな表情で少し考え、得心がいったのか右側の口端を少し上げた。

「ははぁ、失敗した場合、情に訴える作戦ね。人間基準では可愛いらしいからね。私には分からないけど。まあ殺されても痛くないからってのもー」

「失敗しても殺される可能性が少ないから行かせて経験を積ませるのだろうが。邪推するな」

「そう?ごめんなさい。ではそっちの手配はしておくわね」

 アジーボは赤入れした報告書を壁際に置いてある書類乾燥用の棚に一枚ずつ入れていく。

「この書類は清書してから出しておくわ」

「いつもすまんな、間違いが多くて」

「いえいえいえ、これも私の仕事ですから。カーバー様の字、綺麗で読みやすいから助かってるわよ」

「だが間違いが多くては意味があるまい。後で見直すからいつもの様に赤入れしたのを届けてくれ」

「清書が終わったらね。ああ忙しい」

 アジーボは机に戻ると、先ほど書いていた書類の続きを書き始めた。そして手を動かしながら口も動かす。

「私たちがこんなに忙しいのもさっさと人間が我々に降伏しないせいよね。弱いくせに獣人を蔑む人間なんてとっとと滅んじゃえば良いのに」

「弱い…か」

 カーバーは自分の右脇腹を服の上から押さえると、少し唇を歪めて眉根に皺を刻んだ。書類に目を向けているアジーボはカーバーの様子に気がつかない。

「そうよ。弱いでしょ?私でも結構やれそうなんだからカーバー様なんて無敵でしょ。そりゃ今回はちょっと油断しちゃったようだけど、次はやってくれるよね?」

「強者が弱者を支配するのは当然の権利だと思うが…」

「期待してるわよ」

「……ああ」

 そう答えたカーバーは部屋を出た。廊下に明かりは灯されていないため、廊下に通じる部屋から入る明かりだけが細々と廊下を照らしている。カーバーは廊下を足早に歩き、先ほどの自身の執務室には入らずに廊下を歩き続けた。その表情は爽快とは遠く苦悩に満ちるように深く皺を刻んでいた。

「強者が弱者を支配するなら、ワシはあの小娘に従わねばならんのか…?」

 独り言を呟きながら、カーバーはがつがつと大きな足音を立てて石畳の通路を進む。

「フッ、阿呆くさい。ワシはより強大なスメンクカーラー皇帝とニンフェア神に仕えているのだ。あの小娘が神より強くでも無い限り従う謂われはあるまい」

 そう言ったカーバーの足音は先ほどよりも弱くなり、その姿は暗い廊下の奥へと消えていった。


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