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世界樹の果実は、ほろ苦い  作者: Lei
第二章 触りたくもない神に祟り有り
31/36

#30

 オルテンシアとユーリ、ルーが疲れ切ったかのように地面に座り込み俯いている。

「ふぅ…完全に消えたようですね」

 しばらくして気配が無くなったのを察したのか愛莉珠(アリス)が恐る恐る目を開いて周囲を確認する。愛莉珠(アリス)が周囲を見渡していると、他の全員安堵の溜息をついた。

「ふぅ…本物の神とは…またとんでもないのが出てきましたね…最初は普通の半獣人かと思いましたが、最後のあれはまさしくこの世のものではありませんでした…」

「私もれっきとした女神なんだけどね」

 オルテンシアの抗議の声は疲れ切っている為か弱い。

「いえ、言いにくい話なんですが…確かにすごい魔法を使える人だとは思っていましたが…アレが現れるまでは本当に神だとは思ってませんでした…」

「何よそれ。酷っ…」

「今のシアは力のほとんどを封じられて、見た目も雰囲気もまるっきり人間だしなぁ」

「だからとっとと力を取り戻したいのよぉ!」

 オルテンシアはうがーと両手を挙げて叫ぶと、脱力していたルーが驚いてびくりと躯を震わせる。そして目を見開くと即座にユーリに対して跪き頭を垂れた。京緋色の短い髪がサラサラと綺麗なうなじを流れていく。

「ユーリ様、先ほどは本当に申し訳御座いませんでした。この失態、命をもって償う覚悟です!どうぞ首をお取り下さい」

「またですかルー。本物の神が相手では致し方ないでしょう」

「ですがっ!私は自分が許せません!」

 座り込んであぐらをかいていたユーリは立ち上がり、ルーの肩に優しく手を置いた。

「それにもし償いたいと言うのであれば、命を絶つのでは無く今後も私の仕事を手伝って下さい。不出来な私には出来ない事が沢山あるのでルーが居てくれないと困ります。そんなに私を困らせたいのですか?」

「いえっ、いえっ、そんな事はありません!」

 ルーは俯いたまま首を振って否定する。ユーリはそんなルーの前に膝を突くと髪を優しく撫でる。

「では、これからも私に仕えてくれますね?」

「はっ!」

 震えるような声で返事をするルー。俯いたままなので表情は分からないが、ぽたり、ぽたりと地面に水滴が落ちる音が聞こえてきた。

「ひゅーひゅー。あついねごりょうにん」

「感動的ですね…」

「どっかの騎士と王様かよ」

「なっ、見世物じゃありません!」

 ばっと勢いよく立ち上がり、手のひらで何度も目を擦るルーをユーリは優しい目で見つめている。

「ははは、元気になったようで何よりだ。もう大丈夫ですか?」

「はい、ユーリ様。取り乱してしまい申し訳有りませんでした」

「さて!」

 場を仕切り直すかのように(ジン)が明るい声を出した。

「これからどうするかだ。さっさとここで封印を解いてみるか?シア」

「そうね…とっとと試してみたい気はするけど、あの変態が消えたって事はここに常世(とこよ)への道があるんだと思う。気が変わってまた現れる前に場所を変えた方が良さそう…」

「常世への道?なんだそれは?」

「私たち神族が人間から見て突然現れたり消えたりするのって別に姿を消してる訳じゃ無くて常世(とこよ)に隠れてるだけなの。でも好き勝手に現世(うつしよ)常世(とこよ)を行ったり来たりできるわけじゃなくて、常世(とこよ)から現世(うつしよ)に出入りできるのは常世(とこよ)と強く繋がった場所だけなのよ。その場所を道って呼んでるの」

「ふぅん、この辺の妙な淵源(エーテル)の偏りがそれかな…よくわかんないが…シアはわかるのか?その道が」

 オルテンシアは残念そうに首を横に振る。

「前は簡単に分かったんだけどね…力を奪われたせいか全然分かんないわ」

「戻れるか試してみるか?」

「そうね、ちょっとやってみるわ」

 オルテンシアはキムズズメーダが消えた辺りに移動してしばらく立っていたが特に変化は起こらない。

「やっぱり駄目みたい。現世(うつしよ)より深い世界が感じられないから移れない…」

「力を取り戻せば戻れるようになりますよ」

 悲しそうに呟くオルテンシアを励ますかのように愛莉珠(アリス)は声をかけた。

「そうね。それに戻るだけだったらママを呼べば連れて行ってくれるし」

「トレーフィアさんかぁ…また会いたいいででででで痛てぇよ!」

 (ジン)が頬を思いっきり(つね)っていたオルテンシアの手を振り払う。

「あらご免なさい。ちょっと鼻の下が伸びてたから戻してあげようと思ったんだけど」

 オルテンシアはオホホと口元を抑えて笑い声を上げる中、(ジン)は思いきりひねられて腫れている頬をさすりオルテンシアを半眼で睨み付ける。

「ったく、実の母親に嫉妬すんなよな」

「誰が誰に嫉妬してるですって!」

「お前が!今!トレーフィアさんに!」

「ハイハイ、二人ともここで痴話喧嘩は止めて下さい」

「「痴話喧嘩じゃない!!」」

 二人は制止する愛莉珠(アリス)に声を揃えて抗議する。

「そうですね。まだまだ聞きたいことは色々と有りますが、さすがにアレが現れた場所に長居はしたくないものです」

「聞きたいことがあるのはこっちもだが…そうだな、とりあえず外に出るか」

 ユーリの台詞に(ジン)が同意し、全員が放り出していた荷物を担いで戻る準備をし始める。

「ちょっと待って」

 オルテンシアはそう言い泉の神像の元まで行くと先ほど女神象を拭うのに使った布を水で洗い、ヴェールのように神像の頭に被せて像に語りかける。

「あんまり綺麗じゃないけど砂埃を被るよりはマシよね。次に人が来るのがいつになるか分からないけど。それまで元気でね」

 その様子を見て全員の表情が和らぐ。オルテンシアはくるりと振り向いた。

「さ、良いわよ。行きましょう」


 (ジン)達一同は再び狭い地下通路を歩いて戻る。侵入する際は探索しながら移動したので時間が掛かったが普通に歩けば数分の距離だ。

「先ほどシアさんは女神像に語りかけるように話してましたが、あれってやっぱり─」

「ナルシストなんだろ」

「もぅ、兄様も分かってる癖に話の腰を折らないで下さい」

「あんた達も気づいてた?あの女神像には少しだけ意思のようなものが芽生えていたのよ」

 オルテンシアが得意げにふふんと鼻を鳴らし指を立てて説明し始めるとユーリが怪訝な表情を浮かべた。

「意思…ですか?それはオルテンシアさんの思念が残っている…という事ですか?」

「いいえ、あの象に宿ったのは私とは関係が無い意識体よ。命の無いモノでも多くの他の意識や念を受けて十分な淵源(エーテル)が集まると意識が芽生えることがあるの。ああいった神像みたいに大勢の人に祈りを捧げられているとままある現象ね。でもそれで普通の人と意思疎通出切るようになるには途方もない時間が掛かるみたいだけど…」

「長年愛用した道具には魂が籠もる。みたいな感じですか?」

「そうね、考え方としては合ってるわ。その魂と呼べるものがどの程度の意思を持つかは込められた念の強さによるっぽいんだけど──」

「シッ!」

 突然、先頭を歩いていた(ジン)が歩みを止め、声を上げて会話も止めさせると親指を立てた腕で上を指差すように上下に動かした。

「どうもお客さんがいらしたようだ」

「ほう…」

 ユーリの口端が少し上がる。

「流石ですね。私には何も感じられない。何人ぐらいか分かりますか?」

「20…いや24人かな。人じゃなくて獣っぽい感じがするから獣人かな」

「どうやらジンさん達と居ると襲撃されやすいようですね」

「まー上がってみないとどっちの客かは分からないけどな。俺達に狙われる理由は無くても向こうには目的があるんだろう。どうする?」

「どうせ出口はそこしかないのです、野盗の類いなら追い払う、私たちのどちらかを狙っているなら捕まえて目的を聞く。という所ですか」

「上の連中も待ち構えてるみたいで去りそうにないし、こそこそ隠れてるのも気分が悪い。そうするか」

 愛莉珠(アリス)、オルテンシアにも同意を取ると(ジン)を先頭に入り口の階段近くまで戻ってきた。外はまだ雨が降っているのか薄暗い外光が照らす中、雨がポツポツと階段の下にまで落ちてきている。

「俺だけが出て全員取り押さえるか?」

 (ジン)の提案にユーリは首を振る。

「いえ、どちらが狙われているのか分かりませんし、ジンさんだけに負担をかけるのも申し訳ないです。我々も出ますよ」

「そうか、まぁ無理はしないでくれ」

 (ジン)はそう言うと愛莉珠(アリス)に視線を向けた。目があった愛莉珠(アリス)がしっかりと頷くのを見た(ジン)は、気負いの無い動作で外へ向かう階段を上っていった。


 外はまだ小雨が降り続いており、びゅうびゅうと音がするほど風も強くなっていた。完全に日は落ちていないが雨雲のため周囲はかなりうす暗く、(ジン)の横に浮かぶ魔法の光が周囲を明るく照らしている。(ジン)は地下から警戒した風もなく出てくると風でばさばさと動く自分の髪を手で押さえると辺りを見回すが、見える範囲に特に人影は見えない。

「とりあえず大丈夫そうだ。上がってきてくれ」

「わかりました」

 (ジン)の呼び声に応えるユーリ。

「私とルーは出ますが、お二人は如何しますか?」

「私たちも出ましょうか、シアさん」

「勿論よ!待ち伏せして襲ってくるような連中なんて返り討ちよ!」

 愛莉珠(アリス)は困ったような引きつった笑みを浮かべる。

「あはは…外にいる人たち、手強そうなのでみなさん無理はしないで下さいね」

「分かるのですか?」

「ええ、普通の人間より大きな(プラーナ)を感じます。とくに二人ほど飛び抜けて強い人が」

「ふむ…それはジンさんや貴方たちでも苦戦するという事でしょうか?」

 愛莉珠(アリス)はゆっくりと首を何度か左右に振る。

「兄様と私なら問題はないですが、シアさんは接近されたらもう駄目ですし…ユーリさんでも危ないかもしれません」

「そうですか…ですが先ほども言ったとおり任せっぱなしというのも悪いですから、できるだけ頑張ってみますよ」

 ユーリは荷物を降ろし、ザックの中から50㎝ほどの細身の剣を取り出すと、左腰に銃と一緒に吊した。ルーもポンプアクションの小銃を取り出すとパーツを確認し、ガチャガチャと銃床の根元から弾を補充して新しいベルトで左腰に下げた。

「これで私たちも以前よりは多少ましになるでしょう」

「二刀が使えるのですか?」

「ええ、ですが危なくなれば退避させて頂きます。その際にはオルテンシアさんが以前に使われていた防御陣のような魔法をお願いしたいのですが…」

「分かったわ。と言っても私も銃なんかで撃たれたらとても避けきれないから自分の為にとっとと障壁は貼るけどね。出入りは自由な様に調整しておくから」

「有り難う御座います。では…行きますか、ルー」

「はいっ!お供致します!」

 ユーリとルーが上っていった後、愛莉珠(アリス)もオルテンシアに手を貸しながら階段を上っていく。オルテンシアが外に出ると強い風で髪がばさばさと音を立てて大きく流され、慌てて手で押さえる。

「あー、うっとうしい風ね」

「そうですね」

 サイドアップにしている愛莉珠(アリス)の髪も風で流されているが本人は気にした様子も無く周囲の様子を伺っている。肩まで金髪を伸ばしているユーリも風で髪をもみくちゃにされていたが、布を取り出すと邪魔にならないように首後ろで髪をまとめて括った。

 鬱陶しげに髪を抑えていたオルテンシアは手を離すと髪を風になびかせたまま立ち、腰に幾つも下げている珠玉から一つを手に取ると額に近づけ精神を集中する。数秒後、額に上げていた手を降ろし風に煽られてたなびいている外套の裾を左右の手で掴んで持ち上げ、淑女が礼をするように軽く膝を曲げた。

「ご機嫌よう」

 オルテンシアが言葉を発すると共に吹きつけていた強風が徐々に弱まり、最後にはそよ風ほどになった。だが風が収まったのは(ジン)達がいる周囲10m程の範囲だけでその外側ではまだ強風で木々が激しく揺さぶられている。風が弱まる境界はドーム状になっており、その境目は陽炎のようにゆらゆらと空気が揺れて向こうの景色が少し歪んで見えた。

「風は発動キーが恥ずかしいのよね。(ジン)!これも後で変えて貰うからね!」

 オルテンシアは風で縺れた髪を手櫛で整える。

「分かってる分かってる。いやー、初めて使う所を見たが見てる方も恥ずかしいなこれ」

「ならやらせるなっての!あーもー解けない!」

 絡まった髪を上手く解けなかったオルテンシアは苛立たしげに自分の髪をばさりと放り投げた。

愛莉珠(アリス)ー。あとでコレお願い」

「はいはい、落ち着いてからですよ」

 周囲を見渡していたユーリが(ジン)に近づく。

「数までは分かりませんが、確かに囲まれていますね…」

 周囲は建物の壁らしき残骸が数多く散らばっていたが、地下への入り口があった周辺は広間か広場だったのか大きく開けており剣を振るうには問題がなさそうだ。だが周囲にある崩れた建物や壁の石材は大きく、姿を隠す場所には苦労しそうも無かった。

「移動するのも面倒だしここで始めるか…おい!取り囲んでいる連中!交渉するつもりがあるなら誰か出てこい!」

「隠れているのは分かっています!もう不意打ちにはなりませんよ!」

 (ジン)とユーリが隠れている者達にむけて大声を上げるが、隠れている者達に動きは無い。

「出てきませんね」

「カマ掛けてると思われてるのかもな」

 (ジン)は足下に落ちていた拳大の石を拾い、重さを確認するように数回軽く宙に投げて受け止めた。

「ちゃんと避けろよ!」

 そう言いながら大きく振りかぶると、前方にある比較的大きな壁─ 建物の残骸 ─に向かって投げつける。

── ドガァン!!

 投げたと思った瞬間には岩が落石したような大きな音が聞こえ、先ほどまで見えていた壁の一部が大きく弾け飛んだのか消失していた。一瞬後、穴が開いた壁の上部が支えを失いガラガラと音を立てて崩れ始めると、その周囲で揺れ動く人影が何人か見えた。

「ほぉら、やっぱり居るじゃねぇか」

「…無茶苦茶ですね…」

 再び石を拾って手の中で弄んでいる(ジン)を見てユーリがあきれた表情を見せると、(ジン)は困ったように苦笑いしてみせた。

「シアの魔法で全員吹き飛ばすよりましだろ…おっ」

 ピィと短く鳥の鳴き声のような甲高い笛の音が聞こえると、周囲の瓦礫に隠れていた人陰が続々と姿を現す。襲撃者はかなり離れた場所を取り囲むような位置取りをしており、多くが標準的な人間よりは二回りほど大柄で体格で衣服越しに見える体は男のようだった。そして一様に黒いゆったりとした外套を着て目深にフードを被っていたが、フードから少しだけ見える顔は動物のような毛が生えており普通の人間では無いのが見て取れた。

「やっとおでましか。で、誰が話をしてくれるんだ?」

 (ジン)の問いかけに応じてか、破壊した壁付近からさらに一人の人物がゆっくりと姿を現した。その人物は周囲に立っている大柄の獣人よりもさらに頭一つ分以上大きく、がっしりとした体格でさながら巨人のようだ。その男は鼻の部分にはフードから飛び出すほど大きな大小二本の角がサイのように並んで生えていた。

「ピブワン王国第四王子だな。武器を捨て大人しく従うなら危害は加えない。逆らうのであれば死体となってもらおう」

 その巨人の声は訛りもあってかひゅうひゅうとした高い声で、体躯から想像する声とはかなりかけ離れていた。

「え───!?」

 大きな驚きの声を上げたのはオルテンシアだ。

(ジン)ってば王子様だったの?アレで王子とかないわ〜」

「はぁ!?違うっての!そもそも俺達はイノーデラから来たって言ったろ?」

「あれ?そうだっけ?って事は…」

「俺以外に男がもう一人居るだろ」

「あー、ユーリなら王子様って言われても納得できる」

 (ジン)は眉根を寄せてオルテンシアを半眼で見てからユーリに視線を移した。

「そこはまぁ突っ込みたい所だが、そういう事だよな、カミーユ・ボローレ・ブルジェ・カヴァニュー・ピブワン・ドヌーブ様」

「長っ!」

「……」

 オルテンシアは声を上げるが、愛莉珠(アリス)は横目でユーリを見るだけで声は上げない。視線に気がついてかユーリは愛莉珠(アリス)、オルテンシアと視線を合わせ、最後に(ジン)と視線を交わす。

「やはり気付いていましたか…」

「名前が出なけりゃ確定は出来なかったけどな」

 (ジン)はそうでも無いさというように両手を上に上げて広げる。

「今みたいに最初から二刀を下げてればもっと早く分かったのにな。金髪で細剣の二刀使いなんて一発だ」

「わざわざ偽名を使っているのにそんな分かりやすい事しませんよ…」

「無駄話はそこまでだ。投降するか死ぬか選べ」

 正面に立つサイ男が再び大声で脅しをかけると(ジン)はユーリに任せたとばかりに手を振った。

「そうですね、こちらには女性も多いので、あなたたちのような無頼漢に身を任せる訳には行きません」

 ユーリはそこで言葉を句切ると(ジン)達全員を見回してから正面の男をにらみつけ、細剣を両腰からすらりと抜いて構えた。

「ですので貴方たちから黒幕の情報を得ようと思います」

「そうか、投降したくなったらいつでも言え」

『かかれ!手はずを忘れるな、目標は殺すなよ!』

 首領格らしい男の声は後半から別の言葉に変わり、その掛け声で周囲を取り囲んでいた男たちが一斉に動き出した。だがオルテンシアが展開している障壁を警戒してか障壁から10メートル程度の位置で十人ほどが取り囲んだと思うと、その外側にももう一重の包囲網が敷かれておりその内の一人がまた別の言葉で呪文のようなものを唱え始めた。

『新しき契約に則り我は火を生み出す。火よ集まりてその強大なる力を解き放ち、風を纏いて業火と化せ!』

 呪文を唱え終わるとその男の頭上に30㎝程の火の玉が出現した。

『行け』

 火の玉は命令に従い動き出すがその速度は人が歩く程度のものだ。

「ははっ、何それ失敗?かっこ悪〜」

 全員がまだオルテンシアが張った障壁の内側から様子を窺っている。のろのろと進む火の玉だが、もう障壁にぶつかりそうだ。

「これはちょっとヤバイかもな…」

「へ?」

──ドオォォン!

 着弾と同時に火炎球は激しく爆発し、その炎は瞬時に半円形の風の障壁を包み込むように広がり視界が全て炎で埋まった。激しく燃えている炎は障壁が作り出す風の力によって綺麗な半球形の壁のように見え、炎は半球の世界を浸食しようと更に激しい炎を上げ燃え上がる。炎の侵攻を数秒間は完全に受け止めていた風の障壁であったが、所々で内側に食い込み始め境界面が揺らぎ始めている。

「ほらほら、対障壁用の魔法ですよ。ヤバいんじゃないですかシアさん」

「うっさいわね、分かってるわよ」

 (ジン)は油断無く障壁の状況を見ながらからかうと、オルテンシアは両腕を広げて目を瞑り神経を集中する。すると程なくして不安定だった結界の境界が安定し、風が巻き上がり炎が天頂部分に集められて上空に飛ばされていく。上空に飛ばされた炎は数度瞬いた後、消えていった。

「ふぅ…」

 オルテンシアが右手で額の冷や汗を拭っていると、今度は三方から同じような炎の弾が飛んできた。

「げっ!」

「しゃーねーな。愛莉珠(アリス)、後ろの魔術師を頼む」

「はい、兄様」

 (ジン)は前方から来る2つの火球の右側に向かい、愛莉珠(アリス)は後方から来る火球に向かって走り出して風の障壁から飛び出る。障壁を抜けた(ジン)が走りながら手にしていた石をもう一つの火球に投げつけると、勢いよく飛んだ石は火球を難なく貫き火球は即座に爆発炎上した。爆音が響く中、(ジン)は放物線を描いて飛んでくる正面の火球に向かって軽く跳躍したかと思うと払うように手背で下から火球を殴りつけた。殴られた火球は爆発すること無く上空に向かって勢いよく飛んで行く。

 ほぼ同じタイミングで後方の火球に近づいた愛莉珠(アリス)は両手で構えた槍を上段に振りかぶったが、穂先を見た愛莉珠(アリス)はそこから槍を回して石突きを先に持ち替え下から火球を突いた。突かれた火球は吹き消されたかのように炎を(なび)かせて消えていく。包囲している獣人達に動揺が走ったような乱れが見える中、愛莉珠(アリス)はそのまま魔法を放った魔術師に向かってさらに加速して走る。だが内側の包囲網にいた獣人が行く手を塞ぐように移動してきた。

 走っている愛莉珠(アリス)の前に立ち塞がった二人の獣人はフードに隠れて動物の種類までは分からないが、右側が灰色、左側が茶色の毛並みで二人とも体格が大きく、身長が低い愛莉珠(アリス)の1.5倍ほどの大きさだった。獣人は二人とも黒いフード付きの外套を着て両手に短刀を逆手に持っていたが、体格が大きいため短刀に見えるだけで刃渡りは40㎝ほどあった。

 二人の獣人は石突きを前に構えて走り寄る愛莉珠(アリス)を挟撃しようと左右から迫る。その動作は余裕を感じさせるようにゆったりとした動作で、口元にも笑みを浮かべていた。

『ぐっ』

『がふっ』

 槍の間合いに入った瞬間、鈍い音がしたと思うと二人同時に弾かれたように勢いよく空中に飛ばされる。苦悶の声をあげながら飛ばされた獣人だが、空中で体を捻ると足から着地し勢いを殺した。

「面倒ですねぇ…」

 愛莉珠(アリス)は疲れたように愚痴をこぼしながら、早くも逃げ出した魔術師に追いつこうと速度を上げた。


 火球を弾き飛ばした(ジン)もそのままの勢いで前方右側の魔術師に向かって走るが、やはりこちらも同じ装備の獣人が二人襲いかかってきた。左右から微妙にタイミングをずらして斬りかかってくる短刀を直進したまま体を捻って躱して獣人の間をすり抜ける。すり抜けざまに両手を使って左右の獣人の首筋に手刀を入れるが、踏鞴を踏んだ程度で獣人達はすぐに振り返って走り抜けた(ジン)の背後を追いかけてきた。

「やっぱ無理か。獣人相手とか力加減がわかんねーよ」

『新しき契約に則り我は火を生み出す。火よ集まりて標的を撃ち抜け!』

 (ジン)の正面に居る魔術師の正面に炎の矢が複数生じたと思うと、先ほどの火球とは比べものにならない速度で(ジン)めがけて飛んでくる。

(わり)ぃが」

 (ジン)は走る速度を落とさず正面から炎の矢の雨に突っ込むと、体を捻り、または素早いステップで躱してやり過ごすと魔術師らしき男の前に立つ護衛役の獣人に肉薄した。その獣人は逆手に持った右の短剣で斬りかかったが(ジン)はほぼ水平に振られた短剣を姿勢を低くして躱して男の懐に入り込み、軽く握った右拳で男の鳩尾(みぞおち)に触れた。近づいた状態で触れられ、その男はびくり震えて一瞬動きが止まる。(ジン)は動きをとめた獣人のフードの奥にある黒いを見た。

「ちょっと痛いかもしれん」

『──ぅっ!?』

 (ジン)が強く拳を握り絞めながら男に軽く拳を押し当てると、その獣人は声にならない声を上げ、脱力したかのようにその場にぐしゃりと落下するかのように倒れた。その様子を確認すると、ふむと頷いた(ジン)は逃げ出した魔術師を追いかけようと再び走り出した。


「では我々も出ますよ、ルー。くれぐれも魔法には気をつけて下さい」

「はいっ!」

 展開の早さにあっけにとられていたユーリだが、(ジン)が獣人を何体かを倒すのを見てルーを伴い障壁から出た。向かう先は残った魔術師の一人だ。

「あーもう。狙われてる人が飛び出しちゃって危なっかしいったら…」

 オルテンシアは呆れて呟くと白緑(びゃくりょく)色の石を掴み上げて精神を集中させようと目を閉じた。


 ユーリも(ジン)たちと同じく内側の包囲網を敷いていた二人組に足止めされて直接魔術師の元へはたどり着けなかった。右手に長い細剣、左手に短い細剣を持ったユーリは待ち構える二人のうち、右側の獣人の胸めがけてを右手の細剣で突いた。獣人は軽い身のこなしで突きを左に避け、同時に左手の短剣でユーリの右腕を切りつけようとする。だがユーリは左手の細剣で相手の左二の腕を刺し貫いて防ぎ、そのまま右向きに回転しながら右手の細剣で獣人の首を切りつける。獣人は躱そうとするが剣先は通り、首を覆う衣服の一部が切り裂けると同時に赤い血が大量に噴き出して黒い外套を真っ赤に染めていく。

『ボゥゥゥ!』

 獣人は低く響き渡るような悲鳴を上げて自分の首を手で押さえるが、ユーリが踏み込んで振るった左手の細剣に腕ごと首の半ばまでを切断されると、首からヒュウヒュウという音を立て血の泡を飛ばしながら獣人はうつ伏せに倒れこんだ。だがすぐに右手の方から近づいてきた獣人に切り込まれてユーリは剣劇を再開した。


 ルーもユーリと同時に左側の獣人を狙って曲剣を振り下ろす。だが曲剣は易々と獣人の左手の短剣で受け止められガキンと高い音がした。ルーはそのまま力を込めて押し切ろうとするがびくりとも動かず、獣人はフードから覗く犬科の動物の口をあざ笑うように歪めた。

『半端もんか…本物の獣人の力にかなうわきゃねえ』

『そうかしら?そう言いながらみんな死んでいくのよ』

 ルーが獣人達が話している言語で返事を返すと男は口を開いてだらりと赤黒い舌を伸ばす。口から飛び出た舌からは大量の唾液がポタポタと地面に落ち続ける。

『俺達の言葉が分かるのか…丁度良い、最近は意味不明な叫び声しか聞けなくて楽しめてなかったんだ。お前も殺さずに生かして置いてやるよ』

『お断りよ』

 ルーは左手で腰に下げたままの小銃を目の前の獣人に向けて引き金を引く。獣人はルーが銃に手をかけた瞬間から避けようと動いたが、パンと軽い音がすると獣人の上半身の外套に数カ所の穴が空き撃たれた反動か二,三歩後ずさった。

『がっ…!豆鉄砲が…効きゃしねえよ!』

 男が踏鞴を踏んでいる間にルはホルスターから銃を抜き頭に狙いを付けると、引き金を引いたまま小銃の前床に付いた金具に剣の鍔を引っかけて引いた。ガシャリと音がして薬室が開き薬莢が横に飛び出す。今度は前床を前まで押し戻す。

『ぎゃうんっ!』

  前床を戻すと同時に軽い発射音が鳴り、獣人の男が犬のような悲鳴を上げて大きくのけぞり体勢を崩すが、ぎりぎりのところで倒れずに踏みとどまった。獣人は顔から流れる血を左手で拭いながらルーの方を振り返り右手の短剣を大きく振りかぶった。

『この女ァ!付け上がりやがって!』

『消えろ』

 すでに最装填を終えて接近していたルーが至近距離から獣人の顔に向けて散弾を撃ち込む。乾いた音と共に頭部の大半が吹き飛び、獣人は振りかぶった勢いのままどさりと倒れ込んだ。ルーは倒れた男に視線も向けずに銃身に剣をひっかけると、ユーリと斬り合っている獣人を凝視したまま右手でホルスターから弾を抜いて素早く抜いて装填していく。


『ちっ』

 首領格らしいサイ角を持った大きな獣人が舌打ちする。

『総崩れではないか。皇帝陛下になんと申し上げれば良いのか…仕方が無いシャードン。お前はあの黒いのを殺れ。俺は王子を捕まえる』

『いいのかカーバー?やったぜ!あの無手のは強そうだ!』

『暴走するなよ』

『分かってる分かってる』

 シャードンと呼ばれた男は両腰から短刀を抜いた。それは血錆びのような汚れが付いている短刀で、背の部分は他の者が持つ短刀と違い背の部分に櫛状の刃受けが付いていた。シャードンは右手の短刀の刃を舌でべろりと舐め上げる。その際にフードから見えた口元は動物の毛に覆われていたが、他の襲撃者が全員動物の頭部を持つのに対してこの男の顎や口の形は人間と同じに見えた。

『その男は俺の獲物だ!』

 シャードンは叫びながら左方向で獣人数名と争っている(ジン)がいる方向に走り出す。

『ふんっ!ふぅぅぅ…』

 シャードンが走り出した後、カーバーと呼ばれたサイ男が気合いを込めるように力を入れると筋肉が膨らみ巨大な体がさらに一回り大きくなる。カーバーは腰のベルトから大きな短刀を抜き両手に持つと、両腕をだらりと下げたままユーリに向かって走り出した。その速度もさることながら、3mに達しようかという巨体で足音をほとんど立てずに疾走していく。


── キィィィン!

 甲高い金属同士がぶつかる音がした。ルーを狙った短剣をユーリが細剣をつかって流し受けた。

「ハァ、ハァ…有り…難う御座います」

「いえ、いいです。まだ大丈夫ですか?」

 ユーリとルーは三人の獣人に囲まれ、互いに背を合わせるように戦っていた。ユーリもルーも軽い皮製の鎧は着けていたが、鎧の隙間や顔などを狙われたのか、服の数カ所が血でにじんでいた。背中を合わせて敵との間合いを計りながら二人が息を整えていると、周囲を囲む獣人の隙間から炎の矢が数本飛んできた。

「むうぅ!?」

 ユーリとルーは体勢を崩しながらも全ての矢を躱し、追撃を警戒してなんとか体勢を立て直そうと足に力を入れた。だが周囲に視線を巡らせたユーリに見えたのは壁のような巨体が音も無く迫ってくる様子だった。

「ユーリ様っ!?」


どっ、と軽い音がしたと思うと、ルーの視界には空中に弾き飛ばされた人影が見えた。

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