#2
「で、この方が奢ってくれた太っ腹な仕事の依頼主さんよ」
オルテンシアはそう言い、隣の席に座る男を紹介した。先ほどの騒ぎはすでに収まり、周囲で騒いでいた立ち客も今はそれぞれのテーブルについて飲み食いをしている。相変わらず客達の騒ぎ声が大きいが、会話ができないほどでもない。酒場の店内は壁に掛けられた数個のオイルランプだけで照らされており薄暗いが、近くにいる人の顔を判断するには問題無い明るさだ。
店内のテーブルの一つには、その依頼人と呼ばれた男と、オルテンシア、仁、愛莉珠の四人が席に着いていた。男は一度立ち上がり、礼儀を伴った挨拶をする。
「初めまして、ただいま紹介に上がりましたステルビッツォと申します。ステラと呼んで下さい」
「えーと…初めまして、私は愛莉珠、こちらが仁です」
料理を食べる事に必死な仁に代わって立ち上がり、答える愛莉珠。
テーブルには様々な肉料理が並んでいる。熱いステーキ皿に載せられジュウジュウと音を立てているのは、飴色に溶けたソースが掛けられた牛肉のステーキ。3色のソースが掛けられた草食竜のローストからは食欲を刺激する香りが漂う。その隣の赤いスープは、鶏肉、カボチャ、ジャガイモ、人参等が大きめに切られて入れられているトマト煮。さらにスライスされた豚肉を玉葱とあわせて香辛料で焼いたもの、他にも諸々とテーブル一杯に並んでいる。
そんな中、仁はフォークとナイフを駆使し、片っ端から料理を口に運んでいた。
「ちょっと仁、そんなにがっつかないでよ恥ずかしい」
「お前は…もぐもぐ…もう食ったから…もぐもぐ…そんな事が言えるんだよ」
「兄様、食べながら話さないで下さい」
「いえ、僕はかまわないので食べて下さい。仕事の話はその後でも構いません…」
そう話すステラは男と言うにはまだ若く、16歳くらいの少年にみえる。くるくると巻き癖のある赤茶色の短い髪を持ち、幼いながらも掘りの深い顔の造形は将来美形になる可能性が垣間見えるが、少年とも少女とも見える中性的な顔立ちだ。着ている服は一般的なジュストコールだが、服の仕立てや生地に高価な物が使われており、裕福な家庭か商家の者のように見える。戦闘用防具等は着けていないが、右腰には拳銃と、より長身の小銃を1丁づつ下げ、左腰には60㎝ほどの分厚い剣を下げている。
ステラの口調は丁寧だが、どこかオドオドとしており子犬を連想させた。隣に座っていたオルテンシアは、にへらと少し淫らな笑みを浮かべながら、あやすようにステラの頭を撫でた。
「ほらほら~、そんなにビクビクしないでも大丈夫だよ?仁は噛みついたりしないから」
「やっ…やめて下さい。子供扱いは!」
「あ~ん、可愛いっ!」
「ちょ……!オルテンシア様、やめて下さい!!」
オルテンシアはステラの顔を胸に抱くように両手で抱きしめ、そこから逃れようとステラは両手を振り回して抵抗している。仁は料理を口に入れたままオルテンシアをジト目で見つめた後、料理を飲み込んでから愛莉珠に話しかけた。
「…なぁ、アイツってあんな趣味だったんだな…」
「どうなのでしょう?確かにステラさんは可愛い感じではありますが」
「確かに絵に描いたような美少年って感じだよなー」
「へー、なにそれ…もしかしてヤキモチぃ?」
オルテンシアがステラに抱きついたまま顔だけを仁のほうに向ける。その顔はしてやったりという感じの得意満面な笑みを浮かべていた。
「…いや、お前に抱きつかれても凄く面倒な事になりそうな予感しかしねー…」
「そうなんだぁ、こんな風にして欲しくないんだぁ」
「オルテンシアさん、ちょっとやめて、苦しっ…むぎゅぅ…」
そう言ってオルテンシアはステラの顔を胸の間に埋めて窒息させるかのように、さらにぎゅっと抱きしめ、見せつけるかのように体の色々な部分を揺らす。その様子を見た仁は目を大きく開いて歯を食いしばった。
「お前っ…それは…ぐ…ぬ……ぐ…うらやましくなんか無い、うらやましくなんか無いぞ…」
「あんっ!ステラ君、そんなに動いたらくすぐったいよぉ」
「もご…だから息が…」
「ほらほら、どうだ羨ましいかー?」
「むきぃ───────!」
── ダンッ!
激しい音が酒場全体に響き渡った瞬間、あれほど騒がしかった店内を静寂が支配した。
「二人ともいい加減にして下さい。話が進みません。あと、はしたないですよシアさん」
「「はい…」」
愛莉珠が手にしていた槍を再び椅子に立てかけると、コソコソと二人は小声で話す。
「怒られちまったじゃねーか」
「なによ、私のせいにするつもりー!?」
「…兄様」
「あ…なんだっけかー、そうだ仕事の話だよ。仕事は大切だよな。うんうん」
「うんうん、大事だよねー」
「はぁ…死ぬかと思いました…」
愛莉珠から再度発せられた低い声に怯えるように、仁とオルテンシアは話を進めようとする。オルテンシアから解放され、大きく深呼吸をしているステラの頬は少し赤くなっていた。その表情を見た仁は少し顔をほころばせて話し始める。
「それで、どんな話なんだ?」
「ふぅ、助かった…えーと、オルテンシア様?」
「あ、話は仁として貰って良いわよ。そうね…雑事をやってる…マネージャーみたいなものかしら?」
誰がマネージャーか。という台詞が小声で聞こえてくるが、再度言い合いになる前にステラは話を進める事にした。
「そ…そうですか…それで、お願いしたいのは竜狩りの手伝いなんです」
「手伝い?竜か…竜と言っても色々いるが、どの竜かによって難易度が変わってくるな」
「小型でもいいのですが、虫竜の一本角か二本角あたりを1体以上です」
「その程度なら問題は無さそうだが…そうか、狩か…」
腕を組んで考え込む仁。そんな仁を少し困った表情で見つめる愛莉珠。
「…なにか問題が?」
「うーん、そうだな。これは個人的な主義なんだが、無闇に生き物を殺したくなくてな。もちろん、食事とか生活の為とかならかまわないんだが……最近は儲け優先で全て狩り尽くすような所が多くて、そういうのはちょっと好きじゃないんだ」
「また仁の博愛主義が始まったー」
テーブルの上にだらんと上半身を載せて呆れるオルテンシア。愛莉珠は嬉しいような、困ったような、複雑な表情で仁を見つめる。
ステラは少し驚き、困った表情を見せた。
「そうですか……確かに僕の実家も狩猟を主な生業としていて、そういった乱獲をしている同業者が多いのは存じています」
言葉を切り、少し緊張して話を続ける。
「少々言い訳がましく聞こえるかもしれませんが、うちの領内では狩りすぎて数を減らさないよう気をつけています。父は乱獲しても儲かるのは一時期だけと考えているようです」
「領内?金持ちだとは思ってたけど領地持ちだったのか」
「はい、小さい領地ですが父はビエッラ地方の一部を治めています。地味がよくない土地であまり作物が取れなくて、狩猟を主な産業としているんです」
「それと…今回は厳密に言うと商売では無いんですよね」
「と、言うと?」
「なんと言ったら良いのか…うちの伝統というかそういったもので、人を雇って、獲物を狩り、それを売って利益を出す。という基本をこなせるかの試験なんです」
「そいつはまた、変わった伝統だな…あんたも狩りに参加するのか?」
「はい。それで、まずは狩りの手伝いをしてくれる人を探して何件か酒場を回ったのですが、あまり腕の立ちそうな人が見つからず、今日は諦めようと思っていた所、何やら騒がしいお店があるので最後にと寄ってみた所がここだったのです。カニボールア鉱山の竜を退治した方なら力量に心配もなく、是非手伝って頂きたいのですが…」
「ふーん、修行みたいなもんかぁ…」
「はい、我が家ではこの試験をクリアしないと一人前扱いされないので、本格的に父の仕事が手伝えないんです…ぜひお願いします!」
ステラは立ち上がり、頭を下げながら懇願する。仁は腕を組んで考え込んだ表情のままステラを見つめている。
「…いくつか確認したい事があるが、いいか?」
「はい」
「まずは狩り場なんだが、虫竜って事は南側の遺跡で探すって事だよな?」
「はい、その為にこの街で狩猟者を集めようと思いましたし」
「流れの狩猟者を集めるのは始めてか?」
「いえ、今回で2度目です」
「そうか…次に、コイツが竜退治したって話を聞いて声を掛けたそうだが…強そうに見えるか?」
親指で指さされたオルテンシアはサッと明後日の方を向くと、下手な口笛をひゅるひゅると吹き始める。全員が呆れた視線を向けるが、本人はあまり気にしていないようだ。
「うーん、魔法使いの強さは見た目には出ないと聞きますので、こういうものなのかな…と」
「強そうに見えないのに、竜を退治出来たって信じたのか?」
「ええ、新聞に載っていた情報と、名前や見た目が一致してますし、なにより人を騙すような方には見えないですから」
「…載ってたのか…というか名前まで…」
頭を抱える仁。
「…まあそれでもだ、こういう目立つことをやって耳目を集めるのは騙りの常套だ。あまり信用しないほうがいい」
「なによー。それじゃ私が詐欺師みたいじゃない!」
「当たらずとも遠からず。と言ったところじゃないか?特に後半のほう」
「ぐ…聞いてたのね…」
「途中からですけどね」
仁達の会話に驚いた様子を見せるステラ。
「えっと…それでは、あの話は真実では無い…という事ですか?」
「いやまあ、俺たちが竜を追い払ったのは事実なんだが…ちょっと話が盛られててな。美化しすぎというか」
「良いじゃない、あっちのほうが客受けするんだからー」
「女神がそんな事でいいんですかシアさん…」
「あんたはまだ騙されやすそうだからな。人を雇うなら、もう少し嘘を見分ける力を付けた方が良い」
「…わかりました」
「あと2つ。仕留めた竜はどうするのかと、期間と報酬は?って所だな」
「実家に証拠として爪か角を持ち帰る必要があるので、そこは僕の買い取りで、それ以外はこの街で解体して売却する予定です。期間としては2週間ほどの予定で、その期間は竜が見付からなくても日当を50リーブラ支払いますが、竜を狩れた場合は経費を引いた利益の分配時に日当を差し引きます。売り上げの分配方法については、諸経費を除いた分を基本は山分けで歩合が増減2割くらいを考えています」
「その辺は普通だな。俺たち以外にも声を掛けてるのか?」
「いえ、8人くらいは集めようと思っていますが、まだ此処だけです。オルテンシアさんから3人組だと聞いていましたが、仁さんと、もう1人はどなたでしょう?」
「へ?」
よく意味が分からない、という声を上げる仁。少し困ったような表情をした愛莉珠がそっと手を挙げるのを見て、ステラはぎょっとする。
「えっ?」
ステラはオルテンシアと仁に交互に何度か目を向けた後、愛莉珠をじっくりと見た。
「いや…これは失礼しました。可愛らしい方でしたので、まさか狩りに参加なさるとは…」
「はい、微力ながらお手伝いさせて頂いてます」
「微力ながら…ねぇ」
オルテンシアはジト目で愛莉珠のほうを見やる。
「それで、どうでしょうか?力を貸して頂けますか?」
「うーん…どうしたものかな…狩りかぁ」
「無駄に殺すわけでもないし、ちょっとくらい良いじゃない。だいたい、竜狩りでもすれば楽に稼げるのに、あんたのその博愛主義のせいで、できる仕事が少なすぎるのよっ」
「路銀のほうも心配ですよ。兄様」
「たしかに金もないんだよなあ…」
「お願いします。家族の為に働く父を、もっと手伝えるようになりたいんです!」
再び考え込み始めていた仁にステラは再度立ち上がって礼をして懇願した。
「…父親のこと、好きなんだな」
「はいっ、父はとても強くて厳しい人なんですが、上手く出来ると褒めてくれますし、そのときのご褒美はそれはもう……でも罰は罰でありかも…ゴホンッ…いえ、信賞必罰がよくできる父でとても尊敬しています」
「ん?そうか。よく出来た親父なんだな。父親の為か…」
何か思うところがあるのか、先ほどまでの悩み顔とは違った遠い目をして少し天井を見やる仁。
「どうせ今日明日出発するわけでも無いだろうし、一晩考えさせてくれるか?」
「ええ。もちろんです。返事は早いほうが良いですが、こちらも馬車の手配などに2~3日はかかりますので、その間に決めて頂ければ問題ありません」
「え~~。即答でいいじゃない面倒くさい」
「自分を納得させる時間が必要なんだよ」
「面倒くさい男ね~そんなだからモテないのよ」
「お前に言われたくないわっ」
また言い争いを始める仁とアルテンシアを横目に、ステラは帰り支度を始める。
「では、僕はこれで失礼させて頂きますね。色よい返事を期待して、明日また伺わせていただきます」
「ああ、夕方以降はこの店に誰かいると思う。念のためそっちの宿も聞いといていいか?」
「僕は大通りにある、釣り合う天秤という所を宿にしています。それではこれで」
ステラは軽く礼をすると、テーブルを離れて店を出て行った。仁は改めてテーブルの上に並ぶ食材を見渡す。
「さぁて、仕事の話は後でするとして、とりあえず食うか。冷めちまったが、愛莉珠も食うだろ」
「はい、頂きます」
「よーし、私も飲み直すぞー!おねぇさん、こっちにビール1つ!」
「まだ飲むのかいっ」
「シアさん、ほどほどにお願いしますよ」
3人は思い思いに食事を再開する。
仁は美味しそうなソースがかけられた草食竜のローストを分厚く切り取り、フォークを刺して食べようと持ち上げ、口を開けた。だが、口に入る寸前で手を止め、フォークに刺さった肉をじっと見つめる。
「兄様?どうかしましたか?」
「…なんでもないさ…」
訝しむ妹に返事をしてから仁は肉を口に運ぶと、味わうように暫く咀嚼し、ごくりと飲み込んだ。