#27
上空をゆったりと旋回している巨大な古代竜は下から見上げていると真っ白に見えた。だが上空から見下ろすと、焦茶色の鱗が太陽の光をきらきらと綺麗に反射させている。背中に二枚の翼を付けた四足の竜で、今はその巨大な翼を羽ばたかせる事無く滑空している。
「相変わらずでっかいわねぇ」
「ですねー。躯もキラキラしてて綺麗です」
オルテンシアと愛莉珠はあまり緊張する事無く竜を見上げて話している。恐怖に怯え、震えながらユーリにしがみついているルーは呑気そうに話している二人を困惑顔で見つめていた。
「お、お二人ともよく平気ですね…あれだけ巨大な竜が怖くないんですか?」
「ん~、私たちも初回は警戒してたけど、むやみに襲ってくるような竜じゃないようだったし」
上空からゆっくりと旋回しながら徐々に下降している古代竜は特に何かをしているようには見えないが気配のようなものが強烈に拡散しており、周囲の森からは鳥たちが一斉に飛び上がり古代竜から遠ざかる方向に飛んで逃げている。
「襲ってこないにしても、私はあの竜から感じる、い、威圧感だけで、このままじゃどうにかなってしまいそうです…」
「私も結構ギリギリですね…」
涙を浮かべた両目を瞑り、躯を震えさせながらユーリにしがみついているルーは耳も垂れ、大きな尻尾も足の間に挟んでぎゅっと縮こまっていた。ルーにしがみつかれているユーリにも表情に余裕はなく、汗を大量に浮かべながらかろうじて立っていた。ドナドーニはナタリアに抱かれた状態で丸くなって震えている。
「これ以上近づかれるとヤバイか…。シア、三人の周囲にあの気の威圧から守る防御壁とか作れるか?」
「ごめん、ムリ。私ってそういう精神系のはどうも苦手で…」
仁の問いかけにオルテンシアは謝りながら、小さく舌をだして自分の頭をコツンと叩いた。仁は可愛く誤魔化そうとするオルテンシアを見て呆れた様子を浮かべると、苛立たしげに自分の髪をくしゃっと書いた。
「あ~もう、いざという時使えねぇなぁ」
「なによ!じゃああんたがなんとかして見せなさいよ!」
「はいはい、じゃあちょっとやってみるか」
仁はユーリとルーの前に移動すると向かい合うように立った。
「よし、じゃあ今から軽いおまじないをする。気が楽になったらラッキー程度だが」
「おまじないとは、また古風ですね」
「やっぱりあんたも出来ないんじゃ無い」
「いえ、す、少しでも楽になるなら、ぜひお、お願いします…」
おまじないと聞いたユーリとオルテンシアは胡散臭い表情で仁を見ていたが、限界まで追い込まれているルーにそんな余裕は無かった。
「ま、病は気からともいうし、こういうのも意外と効くんだよ」
『ナタリア、ドナドーニのその震えを止めたかったら、こっちに近寄ってきてくれ』
『うん…』
心配そうにドナドーニの顔を舐めていたナタリアがドナドーニを尻尾で抱きかかえたまま、仁の近くにやってきた。
「ドナドーニ、目は開けるか?」
「は…い、なんとか…」
ぐったりとしているドナドーニは、うっすらと片方の目だけを開けた。
「んじゃ、三人とも暫く俺の顔を見てて」
仁はユーリとユーリにしがみついてるルーの正面30㎝程の距離に立っている。
「はい」
「ち…近いですね」
「いやー、泣いているルーさんの可愛い表情を近くで見たいなーなんて」
「こんなっ、と、時に冗談は止めて下さい」
怒る気力も無いのか、困ったような表情を浮かべるルー。
「仁に近づかれて震えが強まったんじゃ無い?」
「兄様、ふざけてないで手早くお願いします。竜もすぐに降りてきてしまいますよ?」
「はいはい…」
外野からの圧力に屈したのか、仁は面倒くさそうな表情をして一歩下がった。
「んじゃ仕切り直しだ、三人とも、俺の顔の方を見て」
「はい」
「見てます」
「はい」
「よしよし、じゃあ3つ数えたらおまじないをするから、そのまましっかりと俺の顔を見ていてくれ。集中して見てるほど効果が上がるぞ」
「わ…分かりました…」
ルーはごくりと唾を飲み込むと、震えながらも目を開き、じっと仁を見つめる。ユーリが少し好奇心を持った表情で仁が何をするのかを待っていると、仁がゆっくりと数を数え始めた。
「ひとーつ」
仁が数える間に少し間を置くと、ルーが再び唾をごくりと飲み込む音が周囲に響いた。
「ふたー」
── パァァン!
「きゃうっ!」
「うわっ」
「ひっ!」
「キャッ!」
何かが目の前を横切り目の前で大きな音がしたのに驚いたルーは、両目を瞑ってさらに強くユーリにしがみつく。しがみつかれたユーリも驚いて少しよろけてしまった。
驚いて目を瞑ったルーが、ふわっとした風が顔に当たるのを感じて目を開けると、両手を猫騙しのように撃ち合わせた仁が得意そうな笑みを浮かべているのが見えた。ルーはユーリにしがみついていた手を離すと仁を指差して大声を上げる。
「いっ、いきなり何するんですか!ビックリしちゃったじゃないですか!」
「まじないが効いたようだな。もう大丈夫そうだ」
「へ…あれ?本当だ」
ルーは周囲をきょろきょろと見回してから上空の古代竜を見上げるが、先ほどまでのような恐怖に怯えた様子は見せない。
「なぜか先ほどまでのような威圧感を感じませんね」
「ええ、私も随分楽になりました。ジンさん、有り難う御座います」
「可愛い女の子が怖がってるのを放っておけないしね。ほらほら、もっと感謝してくれてもいいんだよ?」
「ア・リ・ガ・ト・ウ・ゴ・ザ・イ・マ・ス。全く、いつも一言余計ですね。ジンさんは」
「うわっ、もう大丈夫だから、ナタリアちょ…やめっ!」
ドナドーニも震えが止まり、喜んだナタリアによって顔をよだれまみれにされている。
「なーにがおまじないだか…無駄に驚かせてくれちゃって」
急に吹き始めたそよ風に薄桜色の髪を揺らされていたオルテンシアは、ルーの頭の少し上辺りを睨み付けている。
「ええ、兄様はいつも驚かせておまじないをかけるんですよ」
オルテンシアは愛莉珠の方を見ると、耳に顔を近づけて小声で話す。
「あんた、アレが見えてるの?」
「いいえ、見えてはいませんが、気配は分かります」
愛莉珠も小声で返事をすると、顔を離したオルテンシアは呆れた様子を見せた。
「まったく、あんたら二人ときたら…」
「さーて、ラスボスのお出ましだ」
竜の高度が周囲の森の木々と同じぐらいまで下がってきていた。竜は最後に一度軽く翼をはためかせると、音も無く岩山の頂上に捕まるような形でふわりと舞い降りた。
「ルーさん、大丈夫かい?」
「ええ、やはり少し怖いです。ですが、先ほどより随分楽です」
「そりゃー良かった」
仁のにこやかな笑みにルーが少し迷惑そうに苦笑する。
竜が舞い降りた岩山は高さが10m程度の小さな物なので全身が乗るわけも無く、岩山を取り巻くようにぐるりと躯と長い尾を巻き付けるような体勢だった。その竜は窮屈そうな体勢で顔をしかめると、低いうなり声を出した。
『息災であったようだな。神と強き神の子らよ。見知らぬ顔が居るようだが、そなたらの知り合いか?』
竜は頭を低くし、仁達の近くでユーリ達を睨み付けた。ルーは短い悲鳴をあげてユーリの背中に隠れ、ドナドーニはナタリアの影に逃げ込んだ。
『ああ、この三人は今回の救出を手伝ってくれた人間だ』
『そうなのか。驚かせて悪かったな。言葉を伝えられぬ故、謝罪していたと伝えてくれ」
仁が竜に悪意が無く、謝罪していることをルーとドナドーニに伝える。
『しかし、わしを呼び出すのであればもう少し開けた場所にしてほしかったな。木々をなぎ倒して降りるわけにもいかんのでな…』
『すみません、そこまで気が回りませんでした。お孫さんを確保したので一刻も早く伝えようと急いでいたのです』
『確かに、ココが無事で何よりじゃ。お主らには感謝しておるよ。ココ、もう満足したか?プルーニーが心配しておる。帰るぞ?』
叱られると思ってか、しゅんと地面に頭を垂れていたナタリアは驚いて頭を上げた。
『お母さんが?心配?まっさかー』
『……まあ、里に戻ってみれば分かる。厳しい罰が待っていると思え』
『はぁい…』
『さて、わしのひ孫を取り戻してくれたからには、わしも約束を守らんとな』
「そうか、もうなんかすっかり本来の目的を忘れそうだが神殿の場所だ」
『場所はもちろん覚えておるが、わしが出張って案内するのも面倒じゃて、また幻像で伝えよう』
暫く待つと仁達の前に大きな神殿風の建物が突然現れ、仁以外が驚いて声を上げた。
「これは…幻影魔法…ですか?」
ユーリは警戒しながらも建物をよく見ようと近づいていく。
「ええ、この竜の魔法だと思います。以前も見ましたし。これは…探している物の場所でしょうか?」
「ああ、俺達の捜し物がある場所を移してくれているらしいが…こんな綺麗な建物は無かったよな?」
『これは神殿が崩れる前の状態だ。今はこうなっておる。場所が分かるか?』
竜の言葉と共に建物が崩れた映像に切り替わる。壮麗だった神殿が一瞬で廃墟に変わり一同は驚くが、幻影と分かっているために2度目の驚きは少ないようだった。
「今はこうなっているらしい。誰かこの建物を覚えてるか?」
仁が問いかけるが首を縦に振る者は居ない。
『すみません、これだけじゃ誰も位置が分からないようです。周囲の様子も出して頂けますか?』
『ふむ、よかろう』
正面の残骸以外も周囲に幻像が次々と浮かび上がる。
「あ、これ私が印付けた奴だ」
オルテンシアが現れた建物の残骸の一つを指さした。そこは丁度神殿跡の反対側で赤いチョークでハートマークが描かれていた。それを見た仁は軽く溜息をついた。
「おし、それで何処だったか分かるか?」
「あはは、おっぼえてるわけ無いじゃん」
何馬鹿なことを聞いているんだと言わんばかりに手を振りながら笑い飛ばすオルテンシア。
「お前の記憶力を期待した俺が馬鹿だったよ…」
「でも、こんなの描ける余裕があるから結構最初の方じゃないでしょうか?」
「あー、そうかも。探索に飽きてからはもっと適当な線を引いてた気がするしなぁ」
「ふむ」
仁は自分でも幻影に近づき、ハート以外にも確認のために色々と付けられた印を確認していく。
「お、あったあった。確かに最初の方に探したところだな」
「何があったんですか?」
「これさ」
集まってきた愛莉珠やユーリ達が見たのは、黒いチョークで書かれた7という
数字だった。
「あっ、これは…通し番号でしたっけ?」
「そうだ。最初に円周上に回っていた時に付けていた数字だな」
「七番目の場所って事ですね」
ユーリが関心した声を上げる。
「さすがジンさん、何事にも先手を打って置かれますね」
「マメよねーマメ仁ね」
「その言い方は止めるよ…まあ、これで大体の位置が分かった」
『場所は分かったか?』
『ええ、大体の位置は分かりました。分からなかったまたお呼びしても宜しいですか?』
『わしの鱗は貸してやっただけで、くれてやった覚えはないんじゃが…まあよい、今暫く貸して置いてやろう。これも何かの縁じゃて』
『有り難う御座います』
『ではココ、戻るか』
竜はそう言うとココの方に右の前足をのばした。
『あ、大お爺ちゃんちょっと待って、この人間も連れて帰りたいの』
『なんじゃそのちっこいのは?喰らうなら今、喰うてしまえばよいではないか』
ナタリアはドナドーニを両前足でぎゅっと抱え込んだ。大事そうに抱えられたドナドーニに視線が集まる。
『ちがうの、大お爺ちゃん。わたし、この人と結婚するの!』
竜は目を大きく見開き口をぽかんと開ける。暫く後、少し考えるような表情を見せてから再びナタリアに話しかけた。
『すまぬ、よく聞こえなかったようじゃ、もう一度言ってくれるか?』
『なによ?もうボケたの大お爺ちゃん?わたし、この人と結婚するのよ』
『あほかぁあああぁぁあ!!!』
「うわっ」
「ひっ」
「きゃっ」
突然大きく吠えたてた竜に仁達は驚きの声を上げて後ずさる。オルテンシアは驚きながら興味津々に仁に話しかけた。
「なになに?どうしたの?」
「大体分かると思うけど、ナタリアがドナドーニと結婚するって話してるトコ」
「へー、山場なんだー。手助け出来ないのが残念だなぁ」
楽しそうな表情でうきうきとしているオルテンシアを横目に見ながら、仁は疲れた表情でいうと腰を下ろしてあぐらをかいて座り込んだ。
『神の子よ、これは一体どういう事だ?』
『なんでも、今回の家出は旦那探しが目的だったらしくて…』
『そうなのよ。もう彼にお嫁に行けない躯にされちゃったから、結婚するしかないの!』
ドナドーニを抱きしめて楽しそうにかたるナタリアの台詞に、仁と竜はそろって苦虫をかみつぶしたような表情を見せ、話が分からず大人しくしているドナドーニを呆れた様子で見つめた。
「おいドナドーニ…ナタリアがお前に傷物にされたって言ってるけど…もうヤったのか?」
仁の質問にドナドーニ以外の全員が驚き、ドナドーニの答えを待った。
「は?なにをやるんですか?」
質問の内容が分からず、首をかしげるドナドーニ。仁は面倒くさそうに言い直す。
「だから、もうおまん痛っ───つぅ!」
がんっ!っという強い音がしたと思うと、仁は軽く吹っ飛んで地面を何度か転がり、回転が止まると次は頭を抱えて痛みを堪えるためにごろごろと自らのたうち回った。
「痛!痛───っ!痛てぇ───!」
「兄様、何か今とんでもなく下品な言葉を使おうとしましたね?」
仁の左側には槍を握り、昏い微笑みを浮かべた愛莉珠が仁王立ちしていた。背後に黒いオーラのような陽炎を立ち上らせているような気がする。
「いつっ…いや、違うぞ愛莉珠。あれはだなー、おまー、おまー、そう、おまんじゅう食ったのかって言おうとだなー痛っ」
愛莉珠が再び槍の石突きで上から仁の頭を軽く叩く。
「そんな子供みたいな言い訳は良いですから、そこで正座して反省して下さい」
「えぇ~またぁ~?」
「反省の色無しですか…仕方がありませんね」
愛莉珠は腰のポーチから小さな手帳を取り出すが、それは普段何かを書き込んでいる物とは違い古びて色あせ、破れた箇所が所々補修されていた。それを見た仁はぎょっとした表情を浮かべ、即座に正座をする。
「すみませんでしたお許し下さい反省しております」
正座の状態から頭を下げ、べたりと地面に両手をついて謝る仁。それを見た愛莉珠は目を閉じ、開いていた手帳をパタンと閉じた。
「はい、そこで暫く正座して自分の行いを深く省みて下さい」
古びた手帳を大事そうにポーチに仕舞う愛莉珠をオルテンシアは興味深そうに見つめている。
「ねね、さっきの古そうな手帳には何が書いてあるの?」
「そうですね、この手帳には兄様の輝かしい過去の功績を皆に教えてあげようと記録していた物なんです。残念ながら奥ゆかしい兄様は過去の偉業で自慢するような事はしたくないようで、私が読み上げようとするといつも止めるんですよ?」
まだ土下座を続ける仁がピクリと反応して体をすこし揺らしたが、そのまま土下座を続けている。
「あー、それ私も読んでみたい。貸して?ね?」
「シアさんはそうおっしゃってますが、見せて─」
「絶っってー駄目」
土下座のままドスの効いた低い声で拒否する仁。
「え~、ケチねぇ。まあいいや、仁に内緒で見せて貰うし」
「絶っってー駄目」
ルーとユーリは疲れた様子で仁達の会話を聞いていた。
「ジンさんって、いつもアリスさんにあの座り方させられてますよね。なんなのでしょう?というか尻に敷かれすぎですよね」
「拷問の座らせ方に少し似ていますが…いや、それよりもなんの話でしたっけ?まったくあの人達が居ると話が進まない…そうだ、ドナドーニさん、貴方がそのピンク色の竜と肉体関係を持ったのか?と仁さんは聞きたかったのですよ」
「へ?いや、肉体関係と言われても…できるんですか?どうやって?」
ナタリアに抱かれたドナドーニは、目の前にあるナタリアの顔を見つめながら不思議そうな表情で聞き返す。
「どうやってと言われても…確かに体格的に無理ですかね?というわけなので、ジンさん、竜達にドナドーニさんの発言を伝えてあげて下さい」
仁はまだ土下座を続けていたが、顔をそっと上げて愛莉珠の顔色を伺った。そんな仁の様子を見ていた愛莉珠は疲れた表情で深い溜息をつく。
「ふぅ~、そんな卑屈な態度を見せる兄様は嫌いです。もういいですから、答えてあげて下さい」
「あ、ああ…」
拗ねたような口調で言って背を向けた愛莉珠に仁は少し戸惑った返事を返しながら上体を起こした。まだ正座はしたままだ。仁達が無益な会話をしている間もナタリアと古代竜は会話を続けているのかうなり声を上げていた。
『じゃから、別に初めての男に操を捧げなくても新しい男とだなー』
『だから、私はこの人間が良いって何度もー』
『話の腰を折ってすまん、ドナドーニ─ そこの男の事だが ─が言うには、肉体関係は無いって言ってるぞ?』
『ほれ見てみい、お前がそんなちっこいのと交われるはずがないじゃろ』
『そりゃ、本番はまだだけど、彼ったら私の体の隅々まで調べてから、私の恥ずかしい部分を無理矢理…キャ──、これ以上は言えない───!キャ───!」
感極まったナタリアはドナドーニを抱えたままゴロゴロと転がって奇声をを上げ続ける。再び疲れきった表情でそれを見つめる竜と仁。
『のう神の子よ…』
『なんだい爺さん』
『いつから神の子はこんな変態に─』
『変態はその男だけだ』
仁は言葉の途中に割り込みピシャリと言い切った。
『……そうか。それでそこの男はココの連れ合いになりたいと申して折るのか?』
『ああ、困ったことに当人もついて行く気まんまんさ』
竜は溜息のように長く息を吐き出した。
『そうか、ならもう連れて行ってしまおう。後はプルーニーに押しつければいいじゃろう』
『いいのか?人間なんか連れて行って?』
『わしの里にも多少の人間は出入りしておる。人間の言葉を話せる竜も何頭かいるでな。その男、ガーリカ語は話せるか?』
『ああ、問題ない』
『よし、ではココ、その男も連れて行って良いから帰るぞ』
『え?大お爺ちゃんホント?ヤッター!』
仰向けの状態で動きを止め、またゲヒャゲヒャと奇声を上げて喜び始めたナタリアを右手でドナドーニごと掴む。
「兄様、話はまとまりましたか?」
「ああ、大体な。ドナドーニ、なんとか連れて行って貰える事になったよ」
「本当ですか?有り難う御座います。ジンさん。皆さんも有り難う御座いました」
「元気でな」
「大変でしょうけど、頑張って下さい」
「子供が出来たら見に行くから教えてね」
「いえ…それはちょっと無理じゃないでしょうか…」
オルテンシアの別れの挨拶に全員が苦笑する。
「お元気で」
「他種族の所で暮らすのは大変だと思うけど、頑張って」
ユーリの挨拶はさっぱりしたものだが、ルーは情を込めた言葉を贈った。
「はい、皆さん、重ね重ね有り難う御座います」
翼が広げられ、軽く羽ばたいた。翼が起こした風が仁達の頬を撫でる。
『挨拶は済んだか?では壮健でな、神と強き神の子らよ』
古代竜は大きく翼を動かして一息に数十メートル上空まで浮き上がる。激しく羽ばたきで強い風が産まれ、仁達は転倒しないよう身をかがめながら上昇していく古代竜を見つめていた。古代竜は別れを告げるかのように上空で一度円を描くと、ゆったりとした速度で西に向かって飛んでいった。
森の切れ目から見える空は晴れ渡り、所々に浮かんでいる雲がしっかりとした影を地上に落としていた。頂点を過ぎた日差しはとても暖かいが、竜が残した物か、ゆったりとした風が吹いていて心地よかった。
「なんだか、道中は長かったのに最後はあっという間でしたね」
ユーリが風で揺れている髪を抑えながら呟く。
「まあ、俺達はかなり遠回りして、やっと本命かよって感じだけどな」
そういう仁も少し達成感のある表情で西の空を見上げている。そんな仁を見ていたルーが溜息をついた。
「ふぅ…ジンさん…」
「なんだい、ルーさん?俺の格好良さに惚れた?」
「……いえ、そんな座り方しながら格好付けても滑稽なだけですよ?」
まだ正座を続けている仁をルーは胡乱な者を見る目つきで見つめていた。
「しょうがないじゃん!だって正座してないと愛莉珠の折檻がだなー」
「私の、折檻が、ですか?兄様」
オルテンシアと何かを話していた愛莉珠が仁のほうに振り向いた。
「大体兄様がいけないのですよ?あんな恥ずかしい言葉を使おうとするから」
愛莉珠は怒った表情でぷいと横を向く。
「そんな事言ってるけど、本当はなんて言おうとしてたか知らないんじゃ無いの?」
「そんな安っぽい誘導には引っかかりまーせーんー!」
「ちぇ、別にいいじゃんおまんごふぅ!」
正座していた仁の顔面に正面から飛んできた踵がめり込み、そのまま一直線に飛ばされて岩壁にドンと叩き付けられる。
「ぐらい………言ったっ…て…」
岩壁に張り付いたままそこまで言い終えた仁は、くたりと崩れ落ちるように地面に落ち、ピクピクと痙攣しはじめた。
後ろ回し蹴りを決めた愛莉珠は空中で綺麗に一回転すると地面に降り立ち、手で軽くスカートを撫でつけて乱れを直した。
ルーは納得いったとばかりに胸の前でぽんと手を打った。
「あーそっか、前に言ってた吹き飛ばされるって、これのことなんですね」
「くくく、今日だけで何回吹っ飛ばされたか。まったく懲りないガキよね~」
「さて皆さん、あんなのは放って置いて帰りましょう」
「あはは。そうね、アレはここに捨てて行きましょう!」
愛莉珠とオルテンシアは纏めて置いてある荷物を取りに向かう。
「え?え?」
ルーはどうしたものかと倒れた仁と荷物を持ち上げる愛莉珠を交互に見る。
「ふぅ、まあいいでしょうルー。アレならきっと素っ裸にして放置しても町まで戻ってきますよ」
「ユーリ様、そんな裸なんて…って、それもそうですね。私が心配するだけ損でした」
ユーリとルーも荷物を持ち、全員が出発支度を済ませると、岩場の方から小さな声が聞こえてきた。そちらの方を見るとなにやら黒い物体が転がっていて、震える手のような物を挙げながら声を出していた。
「ま…待って…置いてかないで…」
「そこの黒いの~、次は誰か優しい人に拾って貰いなさいよ~」
「んな…阿呆…な…」
オルテンシアが声を掛けると、力尽きたのか手がパタリと地面に落ち、声も止んだ。
「さて、行こっか」
オルテンシアが声を出し、先頭を切って歩き出したので全員後をついて歩き出した。
「あ、シアさん待って下さい、さっきの言い方だと私が優しくないみたいじゃないですか!」
「それじゃ愛莉珠はいつも仁に優しくしてるの?」
「えぇ!?や、優しくなんてしてません!いつも厳しく躾けてますとも。ええ」
オルテンシアの逆質問に愛莉珠は顔を赤くし、慌てて否定した。
「いえいえいえ、ちょっと待って下さい。そもそもそれだとアリスさんがジンさんを飼ってる事になりませんか?」
ルーの質問に愛莉珠とオルテンシアはお互い目を合わせて、首をこくりとかしげる。
「そうですね、いつもいつも手が掛かって大変です」
「まだまだ子供だから保護者が必要なのよ。保護者が」
「飼ってるのは前提事項なんですね…」
ルーが呆れて溜息をついていると、背後の方から、ドーン、ガラガラと岩が崩れる大きな音が聞こえてきた。愛莉珠達はすでに森の中を歩いており、岩山はすでに見えなくなっていた。
「お前らどこだぁー!」
背後から仁が大声をあげ、どどどと大きな足音が聞こえてきた。
「ちぇー、早くも復活したかぁ。よし、逃げよう!」
オルテンシアはそう言うと駆け足で進み出す。
「ほら、お二人も早く」
愛莉珠に言われてユーリとルーもオルテンシアのペースに合わせて駆け足で進む。後ろから追ってくる轟音と奇声はすぐにでも追いつきそうだ。
「でも、こんなスピードじゃすぐに追いつかれてしまいますよ?」
「ははは、良いんですよルー。これが彼らの遊びなんでしょう」
「遊び?確かにお二人とも、笑ってますけど…」
「ルーももう少し慣れたら、この雰囲気で笑えるかもしれませんよ?」
ユーリはそう言うとルーの手を取り、にっこりと笑いかける。
「ユーリ様…」
後ろから聞こえていた轟音が突然止んだと思うと、先頭を走るオルテンシアの少し前方に空から真っ黒い人のような物体が降ってきて、全員の行く手を塞いだ。
その物体はどしゃりと音を立てて着地すると、オルテンシアのほうに背中を向けた状態で膝を突き、はぁはぁと荒い息をしている。
「は、早かったわね…」
「はぁ、はぁ、さっきはあんなのとか黒いのとか散々言ってくれたなぁ、お前ら」
オルテンシアが声を掛けると、黒い人物は立ち上がりながら振り向いてこちらに顔を向け、怯えて立ちすくむオルテンシアの手首を掴んだ。
「きゃ──!、なんかはぁはぁ言ってる黒いのに犯される──!」
「黒いのじゃねぇ──!」
午後の暖かい日差しが降り注ぐ晴れ渡った空に、オルテンシアの楽しそうな悲鳴と仁の絶叫が響き渡った。