#26
「あれか…」
暫く跡を追うと森が切れて岩肌が現れ、岩山のくぼみの一つで丸まっているピンク色の物体が見えた。
「ドナドーニさんが見えませんね」
「途中で落っことしてなけりゃいいけど」
仁とユーリは不用意に近寄らず、森の近くの茂みから様子を伺っていた。
「朝まで待ちますか?」
「そうだな、ドナドーニも寝てるみたいだし、あいつが起きてた方が話が早そうだ」
「夜だとやはり警戒されますしね」
仁達は交代で朝まで休み、ドナドーニが起き出すのを見張っていた。
東の空が瑠璃色がゆっくりと薄まってきたかと思うと、徐々に曙色に染まりだす。周囲が明るくなると竜が目を覚まし、丸くなっていた首を起こして伸びをすると、首を丸めていた位置に丸まっている人のような物が見えた。竜は伸びをしてから再び首を曲げると、抱き抱えた人影の頭をぺろぺろと舐め始める。人間の男が驚くような声と、ぴーぴーという甲高い鳴き声が聞こえてきた頃にはすでに日が昇り、辺りはかなり明るくなっていた。
「さて、とりあえず俺だけで話しかけてみるか。愛莉珠とシアは逃げ出した時、止められるように岩場の向こう側に移動しておいてくれ」
「はい」
「ふぁあ~~い」
オルテンシアは寝起きでまだ眠いのか、目をぎりぎりまで細めてあくびをしている。
「ほらシアさん。行きますよ?」
「ふぁあ~~い」
愛莉珠に引っ張られていくオルテンシアの足取りはかなり危なっかしかった。
「あれはまだ寝てるな…」
「寝てますね…」
仁の呟きにルーが同意する。
「急ぐ予定だったし、シアは置いてきた方がよかったかなぁ?」
ルーが尻尾をピンと立て、真面目な表情をする。
「無理矢理連れてきたわけじゃないので、オルテンシアさんも付いてきたかったんだと思いますよ。頑張って歩いてましたし」
「確かに結構頑張ってたな」
「何もできなくて、大切人が困っている時に側にいて手助け出来ないっていうのは辛いと思います…」
そう言うとルーはユーリの方を横目で見た。
「ねえ、ユーリ様?」
「おっと、飛び火してきましたね。ルーは一人でも信頼して任せられる仕事が多くて、ついつい甘えてしまうのですよ。申し訳ありません」
「そっ、そんな、信頼だなんて~」
ルーは真っ赤になった頬を抑え、腰をくねらせながら太い尻尾をぶんぶんと振り回す。
「あーもうはいはい、んじゃ俺は行くから」
仁はうんざりした表情で荒々しい音を立てて茂みから出た。そのまま歩みを進め、岩場をガツガツとした足音を立てながら歩く。
「ドナドーニ!そこにいるか?」
竜が休んでいる所まで距離があるため仁が大声で呼びかけると、竜の警戒する声と、人間の男の慌てたような声が聞こえてきた。
「その声はジンさんですか?」
竜の懐からもそもそと出てきたのはドナドーニだった。
「ああ、そうだ!迎えに来たぞ」
「よかった、これで──」
── グルゥウウルルルルゥ!
竜がドナドーニを隠すように長い尻尾で抱え込み、首を高く上げると仁を鋭い目つきで睨み付けてうなり声を上げた。
『よう、お嬢さん、俺は仁ってんだ。俺はそこのドナドーニの友人なんだ。わかるか?ドナドーニ』
『あ、あんた私たちの言葉が分かるのっ?』
うなり声のような竜の言葉で話しかける仁に竜が言葉を返した。驚いた竜は尻尾を強く握りしめ、抱えられていたドナドーニが悲鳴を上げた。
仁は歩いて近づきながら再び大声で呼びかける。
『このまま大声で話し続けるのも疲れるから、降りてきてくれないか?』
『それ以上近づかないで!貴方達人間は信用できないわ!』
『大丈夫。ほら、武器も持ってない』
仁は足を止め、両手を大きく広げて見せたが、竜は眉間の皺をさらに深く刻み、いらだたしげに前足で激しく地面を叩いた。
『どうせその皮の下に隠し持っているんでしょう?さっさと帰って』
「まいったなぁ。ドナドーニ、お前からもなんとか言ってやってくれ」
「は…はい、やってみます」
言葉が通じないなりにドナドーニが必死に説明すると、顔を向けて聞き入っていた竜は何度か頷いたあと、仁の方に向き直る。
『どうやら彼は貴方の話を聞けって言ってるみたいね。いいわ、持っている物を全て置いて武器を持ってないって証明したら話を聞いてあげる』
『わかったよ』
仁は厚手の外套を脱ぎ去った。武器は下げていないが、腰ベルトも外して地面に置いた。
『ほら、これでいいか?』
『はぁ?何言ってんの、まだ皮を被ってるじゃない。全部置きなさい。全部』
竜は前足で地面をドスンドスンと叩いて睨むように目を細める。
『全部脱げるかっ!変態じゃあるまいし!』
そう言いながらも仁は上着とベストを脱ぎ始めた。
「馬鹿兄がまた何か馬鹿なことを始めたみたいですね…」
「ふぁ…寝不足で変なスイッチでも入っちゃったのかなぁ…むにゃ」
竜の逃走を防ぐために岩場の反対側に回り込んでいた愛莉珠とオルテンシアだが、二人が隠れている茂みからも仁が服を脱いでいるのが見えた。
「どんな話の流れになれば服を脱ぐんでしょうかね…?」
「ふぁあ…さぁ…?」
仁の方を凝視している愛莉珠と対照的に、眠そうに船を漕いでいたオルテンシアはあくび混じりの返事をした。
『ほら、これでいいか?』
仁はシュミーズも脱ぎ、引き締まった上半身を寒気にさらしている。晩冬とはいえ夜が明けたばかりでまだ寒いが、表情からはなんら寒さを感じさせなかった。
『まだ半分黒いじゃないの。分かってるわよ、それも脱げるんでしょ?そこに武器を隠してるのね?』
『はいはい、下も脱ぐのね…ぶつぶつ』
文句を言いながらもブーツを脱いで裸足で立つと、ズボンも脱ぎ男性用下着のみを身につけた状態になった。男性用のドロワーズは体に密着した薄手の物で、膝下までの長さがある。
『ほらほら、後1枚よ。がんばって』
『はぁ?流石にこれは脱げねーよ。これでいいだろ?こんな下着じゃ武器の隠しようが無いだろ?』
『そんな事どうでもいいのよ!ほらあと一枚!あと一枚!あと一枚!』
竜は鼻息を荒くして言いながら、声の調子に合わせて足でどんどんと地面を叩いている。仁は竜の様子を見て眉を顰めて半眼で睨んだ。
『どこの酔っ払いだよ…お前…実は裸が見たいだけなんじゃないのか??』
竜はついと顔をそらせた。
『りっ…竜が人間の裸になんて興味あるわけないじゃい…』
『よし、それじゃさっさと話を終わらせよう、俺はお前の曾祖父に頼まれて連れ戻しに来たんだ。もう人間の世界にはうんざりだろう?さっさと帰ろうぜ』
竜は全身の鱗をぞわりと動かし、眉根を寄せて不機嫌そうな表情を作った。
『え~~~、大おじいちゃんの回し者~?人間が?』
仁は荷物の中から焦茶色の丸い鱗を取りだして見せた。
『ほら、これがその爺さんの鱗だ。これを持って念じれば場所が伝わるらしい』
『たしかに大おじいちゃんの色と同じだけど…ちょっと貸して』
仁が素直に手渡すと、竜は前足の二本の指で器用に受け取り、両面をよく見てたり、匂いを嗅いだりする。
『大おじいちゃんのかは分からないけど、匂いからすると私たち一族の物ね』
竜は受け取った鱗を仁に返した。
『でだ、帰る気があるならすぐにでも爺を呼ぶんだが…』
『そうねえ…もっとゆっくりと町中を歩いてみたい気もするけど…」
『なんだよ、あんな目にあったのに帰りたくないのか?』
『閉じ込められるのは嫌だけど、食べ物もくれるし、人間にも悪い人がいるって分かったから次からは気をつけるわよ。でも、一番の目的を果たせたから一度帰ってもいいかなぁ…』
仁は少し唖然とした表情を見せて目を大きく見開いた。右手を指差す形でゆっくりと上げていく。
『ま…まさか目的ってのは…それか?』
『そう、そうよ~。私の旦那様~』
「こら、ナタリア、くすぐったいって」
竜は捕まえているドナドーニの頭をくちばしでくわえ込み、舌でぺろぺろと舐め始めるとドナドーニが笑いながら抗議した。仁は呆れた表情でそれを見ている。
『それじゃ、帰るって事でいいか?あとそいつも連れて行くんだよな?』
『当たり前じゃ無い』
竜は咥えていたドナドーニを開放し、そっと地面に降ろした。ドナドーニはじゃれつく尻尾を愛おしそうに撫でている。
『竜の里に連れて行くって…ドナドーニの意思は確認したのか?』
『何言ってんのよ、当たり前じゃない。彼と私は心で繋がっているのよ?あ、でも一応聞いてみてくれる?』
仁は呆れきった表情を見せたが、気を取り直してドナドーニに話しかけた。
「ドナドーニ、お前はナタリアと一生離れたくないよな?」
「当たり前じゃないですか!」
「よしノープロだ」
『彼はなんて?』
仁はにやりと笑みを浮かべて親指をぐっと突き出した。
『これからは一分一秒たりとも側を離れない。だって』
『やーもードナドーニったら照れるわーアヒャヒャヒャヒャ』
「うわっ!」
竜は前足で器用にドナドーニを抱え込むと仰向けになり、首や尻尾をバンバンと振り回して喜びを表現している。大きな尻尾が当たる度に周囲の岩が崩れていく。
『お楽しみの所悪いが、爺さんを呼んじまうな。あと、離れた所に俺の仲間が居るんだが、そいつらもここに呼んでいいか?』
『いいわよ~~、楽しいから何でも許しちゃう。アヒャヒャヒャヒャ』
「ナタリア、危ないっ、危ないって!」
竜の腹の上で抱えられたドナドーニが暴れて脱出しようとしているが、がっしりと抱えられていて逃げ出せないようだ。その間も興奮した竜は周囲の岩に殴打を咥えている。それを見た仁は満足そうにうなずくと、ユーリや愛莉珠の方に向かって大声を上げた。
「話をつけた。もう敵意は無さそうだし出てきて大丈夫だぞ」
声を掛けると、近くにいたユーリとルーが茂みから出て仁の方に向かってきた。ユーリはにこにこと満面の 笑みを浮かべている。ユーリの後ろにはルーが居るが、仁の方向を見ないように顔を背けたまま付いてきている。
「ジンさん、お疲れ様です。色々大変だったようですね、脱ぎ始めたときは一体何事かと思いましたよ」
「ま、会話さえ出来ればそんなにたいしたことじゃないさ。そうだ、上手く話もまとまって、この竜も帰ってくれる気になったんだ。これも跡を追跡してくれたルーさんのおかげだよ。ありがとう」
仁がルーに近づいて右手を差し出すと、仁の方を横目で少し見て体をびくりと動かし、真っ赤な顔をしてユーリの背後にしがみついて隠れてしまった。
「ちぇっ、握手くらいでそこまで引かれると、僕なんだか傷ついちゃうなー。あ?もしかして照れてる?」
「いえ、違います!私も別に握手くらいは別に構わないのですが…」
ルーはユーリの背中に顔を押しつけたまま仁にもごもごと話しかけた。ルーの盾になっているユーリは、にこにこと楽しそうな笑みを崩さずに仁とルーを交互に見ていた。
「その…なんというか…ジンさんの格好が…ですね」
「へ?格好?」
仁は何を言われているか分からない。というような表情を浮かべ、普段から着ている一張羅の黒いジレを付けた胸元を確認──
「へ───?あ…はははは、こいつぁー参った──」
「いやー、ジンさんにそういった趣味があるとは思いませんでしたよ。いえいえ、人それぞれ好みというのはありますから、決して私も止めようなどとは…」
「ユーリ!趣味じゃねぇっての!」
仁は慌てて衣服を拾い着始める。
「この、ド外道、兄ぃぃいいい──────!!」
「──ふべっ!」 愛莉珠の膝蹴りを受けて真横に吹っ飛んだ仁は岩肌でバウンドし、錐揉みしながら大きく空へ跳ね上がる。
「ふ…服…着るの…忘れてた…」
錐揉みしながら上空に飛ばされていく仁がそっと目を閉じると、流した涙が宙を舞った。
「それで、なんで俺は正座させられてるんだ?」
右目の周りが赤く腫れた仁は地面の上に裸足で正座をしていた。服はすでに着ていたが、急いで着た為か服装が整っておらず、ズボンの裾からシュミーズが出ていたり、ジレのボタンを掛け間違えたりしている。
「理由が分からない。と言うんですね兄様は」
正座している仁の前に、愛莉珠は腕を組んで仁王立ちしていた。仁は上半身だけで身振り手振りを咥えて弁解している。
「だからさあ、裸になったのはれっきとした理由があってだな──」
「言い訳はいいですから、これでさっさとアレを呼んで下さい」
「言い分くらい聞いてくれたっていいじゃんか」
仁は受け取った鱗を手に持ち、集中するように目を閉じた。
「なんだこれ?こっちの念が伝わった感じはするけど、向こうからの返事が無いな」
「来てくれそうな感じですか?」
「どうだろ、わかんね。来られるなら昼くらいまでには来られそうな距離だし、それまでは待つか」
正座している仁の周囲には竜を含めた一同が集まっており、四つん這いで大人しくしている竜を間近で観察したり、光沢があるピンク色の鱗をなでたりしている。
竜の頭を抱えて顎の下を撫でていたオルテンシアが仁に問いかけた。
「ねえ、この子って名前なんていうの?」
「ん?ナタリアじゃねーの?」
オルテンシアは腰に手をあて、少し頬を膨らませる。
「ちがうわよ、それはドナドーニが付けた名前でしょ。彼女本来の名前の事を聞いてるの」
「ああ、そういえば聞いてなかったな」
『最初に言ったかもしれないが俺は仁ってんだが、ナタリアってのはドナドーニが付けた名前だろ?あんたの本当の名前を教えてくれるか?』
『私はココよ。でもまあ、ドナドーニが付けてくれたナタリアって名前も気に入ってるから、ココ=ナタリアにでもしようかしら?』
急に口を動かし始めたので、竜の頭を抱えていたオルテンシアは驚いて手を離した。
『分かった。あと、爺さんの名前も教えてくれるか?』
『あなたそんな事も知らずに私を連れ戻しに来たの?まぁいいわ。教えたげる。大おじいちゃんの名前はノエセスよ』
『ありがとう。色々と驚きの連続で聞きそびれてたんだよなぁ…』
「で、なんだって?」
「本当の名前はココだって。ナタリアも気に入ってるからココ=ナタリアにするとか言ってるよ」
「ココって言うのか~私はオルテンシア。よろしくね」
そういうとオルテンシアは再びガシガシと竜の鱗をなで始めた。そこへ一通り観察し終えたユーリが近づいてくる。
「色々有りましたが、やっと捕まえられましたね。特殊性癖所持者さん」
「誰が特殊性癖か。だが、ユーリやルーには助けられたよ。有り難う」
「どういたしまして。ですが、この件に関して一段落するまではご一緒させて頂くと言う約束をお忘れ無く。ああ、でもあの趣味は出来れば控えて下さないね」
「だからくどいっての。俺だって好きで裸になったわけじゃないっつーの」
「いつぞやは私がやられましたので、出来る時に仕返しをですね…」
にこにことした笑顔を浮かべるユーリに眉根を寄せて不機嫌そうな仁が声をあらげて対応している。
「特殊性癖保持者ですか…残念な兄様の新たな二つ名誕生ですね」
愛莉珠は再度ポーチから手帳を取り出して頁を開くと鉛筆を走らせる。仁が疲れ切った表情で長々と文章を書いている愛莉珠見つめていると、オルテンシアが寄ってきて手帳を横から覗き込んだ。
「うわぁ〜、いい感じで罵られてるわ〜」
「駄目ですよシアさん。人の手帳をのぞき見るなんて」
書き終わったのか、パタンと手帳を閉じながら言う愛莉珠にオルテンシアは「はいはい」と適当な返事を返す。
「確かに仁って裸になるのが趣味かもしれないわね〜」
オルテンシアは笑みを浮かべた目を細めながら手で口元を隠す。
「町中を素っ裸で走り回ったりするから困ったものよ」
「んな事やってねぇよ」
オルテンシアは「処置無しだ」というように手のひらを上に上げて首を振ってから仁に顔を近づけ、鼻先をちょんと指で突いた。
「本当に?一回も?した覚えが無い?」
「うっ…ぐっ…いや…あれは、元を正せばお前の呪いが原因じゃないか」
「先日に言っていたオルテンシアさんの呪いですか?裸になっちゃうんですか?」
「裸になる呪いじゃ無くてど──」
「だー!もうその話は止め止め!」
ユーリがオルテンシアに問いかけたが、仁が絶叫して話を中断させた。
「とりあえず飯にしないか?腹が減ったよ」
「そうしましょうか」
「はい」
ユーリとルーが荷物を纏めて置いてある方に向かった。
「よし、じゃあ俺もー」
「いえ、兄様はいいですからそこで反省していて下さい」
「はい…」
立ち上がろうと片膝を付いた仁は、渋々と膝を畳んで正座の体勢に入ると、背筋を伸ばして目を閉じた。
流石に竜の分の食事は用意出来なかったが、持ってきていた保存食で簡単な食事を済ませた。
「ここで依頼人を待つんですか?」
「ああ、さっき呼びかけたから、通じてりゃ昼くらいまでには着くと思うよ」
ユーリの問いかけに正座から開放された仁が足を伸ばしながら答えた。
「念話ですか?ジンさんが使えるんですか?凄いですね…魔法まで」
「いや、使えるのは俺じゃなくてやっこさんだ。しかも残念ながら念話とまでは行かないようで、位置を伝えるくらいが精一杯のようだった。伝わってない可能性もあるから、昼まで間って来ないようならヴェスビオまで徒歩で戻るしか無いな」
「どこにお住まいなのか分かりませんが、半日でここまで来られるとは凄いですね」
「ああ、おそらく念話が伝わったらぶっ飛んで来るよ」
仁が含みを持たせてにやりと笑いながら告げると、ユーリもにやりと微笑みを返した。
「そうですね、きっと矢のようなスピードで飛んで来るのでしょう」
変に含みを持たせた言い方をするユーリを訝しげな視線で見つめる仁。そして、両手を頭の後ろで組んでごろんと寝転がった。
「あーあ、折角ビックリさせてやろうと思ってたのに、知ってやがったか…」
「ええ、お楽しみを邪魔してしまい申し訳ありません。実際に見たわけではありませんが、話は聞いています」
「まあ、実際に目の前に現れてもその澄ました笑顔でいられるかは見物だな」
「ジンさんに楽しんでいただけるよう努力しますよ」
「ふんっ」
仁はそのまま横を向くと目を瞑った。
・
眠っていた仁は目を突然開くと急いで立ち上がり、西の空を見た。だが、鬱蒼と茂る木々が覆っていて直上以外の空はほとんど見えない。太陽はほぼ真上にあり十二時前後くらいのようだ。
「愛莉珠!来るぞ、全員起こせ!」
「はいはい。寝てたのは兄様とシアさんだけですけどね」
愛莉珠は手に持っていたブリキのコップを置くと、隣で寝ているシアの肩を揺する。
「来るとは、例のアレですか?見えないのによく分かりますね」
「でかい気配を垂れ流してるからな。あんたらでもあと数分もすりゃ何か感じるだろうさ。町の近くを飛んできてなけりゃいいが…」
「ふむ…」
『なに?大おじいちゃんが来るの?』
『ああ、お迎えだ』
『これで楽しかった旅も終わりかあ…』
ドナドーニを尻尾で抱え込んでいるナタリアはふぅと大きな溜息をついた。
『あれだけ人間に色々された割には懲りて無いんだな』
『まあ確かに閉じ込められたりはしたけど、色々やってる人間を見るのは楽しかったし、食事も待ってるだけで持ってきてくれたしね。拘束さえされなけりゃ良い旅だったわ。ドナドーニにも出会えたし』
ナタリアは愛おしそうにドナドーニに顔をこすりつけた。仁はそれを見て微笑する。
『あんたもあの爺さんみたいな大物になりそうだ』
「ジンさん!なんですかアレは!なんだかとても不味そうな気配がするんですが…」
ルーはガクガクと震え、尻尾を足の間に挟んで耳を垂らしている。
「確かに…これは…本当に大丈夫なのですか?」
ユーリもかろうじて逃げ出すのを我慢しているようで、顔から血の気が引いていた。
「気配はすごいが、以前会った時も敵対的じゃ無かったから何とかなるさ。万が一襲ってきたら俺と愛莉珠がフォローするから逃げてくれ。あ、あと武器は仕舞っておいてくれ」
「そ…そうですよね、ご免なさい」
反射的に武器を手に持ち構えていたルーは曲刀と銃を仕舞う。
「ユーリとルーはシアと一緒に俺と愛莉珠の後ろへ!」
「私が前に出た方が早そうですね」
愛莉珠は槍を手に持ち仁の横に並んだ。その背後のオルテンシアら三人を守るような配置だ。
「あの…私はどうすれば…」
「もーすぐコイツの保護者がくる、あんたはその竜に抱かれてりゃ多分安心だ。来るぞっ!」
森の中にある開けた岩場の縁付近に立っていた仁達だが、晴れていたはずの太陽が突如遮られて暗くなった。
── バサバサバサッ!
天を覆われ、暗くなったとほぼ同時に激しい風と、風に叩かれた木々が立てる音が聞こえてきた。突風に煽られたルーとオルテンシアが悲鳴を上げるが、暗闇も風も一瞬で通り過ぎて静寂が戻る。
ユーリとルーは通り過ぎたと思って背後の空を見るが、影を作った巨大な物体は影も形も無い。慌てて周囲の空をぐるりと見渡すが、それでも何も見つけられなかった。
「そんなっ、確かに通り過ぎたのにどこへ?」
恐怖にガクガクと震えているルーは悲鳴のような声を上げる。怯えているルーの肩に、そっと優しく手が置かれた。
「そんなに怖がらなくても大丈夫。上だよ上」
オルテンシアが指差したのは真上で、かなり上空でゆったりと旋回する竜のような影が見えた。ユーリも教えられて気がついたのか真上を見ている。
「あ…本当だ。有り難う御座います。オルテンシアさん」
「しかし、あれは報告より大きそうですね…」
「へ…?」
── ギャオォオオオォオン!
竜が咆吼を上げると、遙か上空にいるはずなのにその声は地上まで届き、周囲の岩や木、体の芯までぶるぶると震わせるように響き渡る。
「きゃうっ」
「おっと」
腰を抜かして座り込みそうになったルーを、ユーリが横から支える。
「大丈夫ですかルー?」
「ご免なさい、私…もう駄目そうです…ユーリ様を守るのが私の仕事なのに…」
ルーはガクガクと震えながら、涙目でユーリの手に必死にしがみついている。だが、支えているユーリの顔色もさらに血の気が引いていた。
「あまり無理はしないように。ですが…あれが…」
ユーリは再度仁達が見上げている上空を見上げ、旋回している竜を見た。
「そう、あれが古代竜と呼ばれる竜だ」
ユーリの言葉の続きを仁が楽しそうに続けると、それに合わせたかのように再び竜が強大な咆吼を上げた。