#25
公証人役場にで仁達は契約書の作成と署名を依頼した。契約内容について、要約すると以下のような内容であった。
ティバルディが所有している桃色の竜(登録番号:VSP0321)をビアージョ・ドナドーニの所有とする。その対価として、ティバルディにはアネモス銀行の銀行券十五万リーブラが支払われた。ただし契約日以前に竜にて発生した損害── 主にサリトーの街壁の破壊 ──に関してはティバルディの債務とする。
「まったく、最後まで色々仕掛けてきやがって。ほら、これで縁切りだ」
仁は公証人の証書にサインを入れる。
「ふんっ、まっことお前は疫病神よ。あの山賊すらもお前の手引きではなかったのか?殺さなかったのがいい証拠よ」
ティバルディも毒づきながら契約書三枚全てにサインを入れ、最後に公証人が内容を確認し、自らのサインを入れた。机上に置かれていた十五万リーブラ分の銀行券と契約書の1枚がティバルディに渡され、契約書の残り二枚のうち、一枚は竜の所有者を記した書類と友の仁へ、最後の一枚は公証役場で保管される。
仁は契約書の内容を再度見直すと、公証人に礼を述べてから筒状の容器に仕舞って席を立ち、ユーリと一緒に部屋を出る。
「二度とお前に会わないことを祈っとるよ」
席に着いたままのティバルディが渋面を作り、忌々しげな口調で別れの挨拶をしたが、仁は答えること無く右手を挙げて部屋を出ていった。
仁達は良く晴れて雲もまばらなサリトーの通りを歩いている。日はやや傾き始めたが、まだまだ高い位置から町を照らしていた。
「ふぅ、これでやっと一段落か」
んーと両手を組んで伸びをする仁。
「まあ色々あったが、なんとかなりそうだな」
「そうですね。十五万リーブラもしましたが」
「大金ですね」
ニコニコと笑顔で話すユーリとルーに少し嫌そうな顔をするが、仁は分かってるとばかりに手を振って答えた。
「わ~ってるよ。ちゃんと仕事すりゃいんだろ。それよりも借用書とか作らなくていいのか?」
「ええ、構いません。仁さんが踏み倒すとは思えませんので」
「利子とかはどうするんだよ?」
ユーリはきょとんとした表情を見せる。
「そういえばそんなのもありましたね。お望みながらお付けしますが」
「いや、いらんいらん。無利子がお望みだよ」
「そうですか。ではそれで」
仁は胡散臭そうな横目でユーリを見るが、当人は特に気にせずに付いてきていた。
「ところで、どこへ向かってるんですか?」
「へ…?あ、そうか。なんか一段落付いて気が抜けちまってたのかな」
仁の隣を歩いていた愛莉珠が得意げな笑みを浮かべて指を立てる。
「まだ気を抜いちゃだめですよ兄様。駆け落ちしたドナドーニさんを連れ戻しにいかないと」
「だから駆け落ちじゃないっつーの…」
「どちらにしても、移動の痕跡が消えてしまう前に追う必要があります。雨でも降られると厄介です」
ユーリの斜め後ろにいたルーが少し言葉を強めて注意してきた。
「頼りにしてるよ、ルーさん」
「はい」
「ですが中断してきた警察の事情聴取もお願いしたいのですが…」
少し困った様子で頼み込むユーリに、仁片手をひらひらと振って答えた。
「ああ、それじゃ俺はそっちに行くか。愛莉珠達はその間に食料とか必要な物を用意しておいてくれ。二、三日分もあれば十分だろう」
「はい、兄様。では集合は町の東側の門付近で。1時間後くらいでしょうか?」
「どうだろ。聴取にかかる時間がわかんないけど、できる限り間に合うようにするよ」
「はい」
「では急ぎましょう」
ユーリと仁は愛莉珠達と別れ、再度警察署へ向かった。
それから一時間を少し超えた頃に開放された仁は、集合場所である東門の前に向かった。東門は大きな街道に面していないせいか大きな荷馬車は数が少なかったが、それでも馬車や人が休み無く行き来していた。
「いや~、遅れて悪い。取調官が中々納得してくれなくて時間がかかってさぁ」
「兄様、お勤めご苦労様でした」
「娑婆の空気はどうよ?仁」
「捕まってねぇっーの。あれ、二人とも着替えたんだ?」
オルテンシアの冗談に疲れた様な表情を見せた仁だが、今度は残念そうな溜息をついた。
「二人とも似合ってたのに」
「これから町の外に行くのにあの服は嫌よ。汚れるし」
呆れたような表情で言ったオルテンシアの格好は、普段良く見る白色系のシュミーズに若苗色の厚手の外套だった。
「そうですよ。あれ高かったんですから」
愛莉珠も普段着ている蜜柑色系の服で、スカートも膝上丈の物を着て、その上に珊瑚朱色の外套を外套を着ている。仁の視線が気になったのか、愛莉珠はスカートの裾を手で直す。
「最近、長いスカートを履くとろくな目に遭わない気がします」
「あー、お二人ともいい感じで捲れてましたからね…」
そういうルーはスカートではなくパンツを履いており、上下揃えた赤系の服の上に赤茶色の軽装皮鎧を着けていた。
「竜巻の風か?それは見たかったなぁ…」
仁が腕を組んで顎に手をやり、鼻の下を伸ばしながら想像の翼を広げているとゴスッっという鈍い音が聞こえた。
「ぐ…おう…」
「そ…想像禁止です!」
左脇腹を押さえてしゃがみ込む仁の近くに、肘を振り上げて顔を真っ赤に染めた愛莉珠が立っている。その様子を見ていたルーが腕を組み、難しそうな顔で問いかける。
「でも、今みたいに短い方が捲れやすいんじゃ無いですか?」
「こっ、これはペチコートで中が見えないようになってるんです!」
「ふぅん?」
愛莉珠は慌ててスカートの前後を抑えて恥ずかしそうな表情で抗議したが、ルーはまだ疑わしげな表情をしていた。
「さて、ジンさんの体調が宜しくないようなので、我々は先に向かいましょうか」
「おう、言う用になったじゃねーかユーリ…」
仁は脇腹を押さえながら、ふらふらと立ち上がる。
「追跡はルーに任せてよろしいですか?」
「ああ、ルーさん、よろしく頼む」
仁が右手を差し出すとルーはピンと尻尾を立てて驚いたが、おずおずと差し出された手を握り返した。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
ルーは一瞬握るとすぐに手を離した。
「ちぇっ、そこまで嫌わなくてもいいのに…」
「兄様の普段の行動が悪いからですよ」
「えー、そうかぁ~?」
「こほん。ではまず町の外側から壁が壊れたところに行きましょう」
ルーは話を遮るように大きく咳払いをしてから号令をかけ、荷物を持ち上げて歩き出した。
「はい」
「行きますか」
仁達もルー先導に付いて歩いて行く。壁が破壊された付近まで来るとすでに壊れた壁の前に簡単な木製の柵が付けられていた。ルーは壁の方には注意を払わずに地面を凝視している。地面には深い足跡がまだ鮮明に残っていてよく見えた。
「これだけハッキリしてると誰でも分かりますよね。さくさく行きましょうか」
足跡は壁から20m程離れた場所にある森に消えている。ルーはそのまま足跡を追って森の方へ向かい、密集して木々が生えている森を見て溜息をついた。
「はぁ~~」
「どうしました?ルー」
「足跡が消えちゃってた?」
ユーリとオルテンシアが問いかけると、ルーは疲れた表情で森の入り口付近を指差した。
「いえ、これはもう誰でも後を追えそうですよ」
ルーが示した先を見ると、下生えや小さな木が大量に押し倒され、誰が見ても何かが通ったと分かるような状態になっている。
「思ったより木が密集していて助かりましたね」
「これじゃ、張り切って先導してる私が馬鹿みたいじゃないですか…」
ユーリの言葉にルーは消沈し、耳と尻尾をしゅんと下げた。
「素人判断も怖いから、このままルーさんに先導を任せるよ。そういった技術を持ってるんだろ?」
「はぁ…分かりました」
ルーは肩を落としたが、しっかりと周囲を確認しながら先頭を歩き出す。逃げたピンク色の竜は馬より一回りほど大きい程度だが横幅は馬よりも大きく、2mほどの幅で草木が押し倒されており、木の幅が狭いところは避けて通っているようだった。
移動の痕跡は沢や森が開けた場所等で途切れがちであったが、ルーは見失う事無く追跡を続けた。途中で猪や小型の二足竜も何度か見かけるが襲いかかってくる者は無く、順調に歩を進めていく。
鬱蒼と葉が生い茂る森の中を延々と竜の後を追っていると、葉の間から差し込む光が段々と弱くなり空の色も紺碧から茜色に変わりつつあった。
「どうしましょう?暗くなっても追跡は出来るとは思いますが…」
先導するルーが足をとめ、後ろにいる一行に声を掛けた。
「しくったなあ、日暮れまでには追いつけると思ってたんだが意外と足が速いようだ。どうせ道を開いてくれてるんだから馬にでも乗ってくりゃ良かったかな?」
「こんな足場の悪い森の中を馬で走るのは、あまり気が進みませんよ」
「そっか。まあ無い物ねだりをしても始まんねぇ。どうせ俺達は後発組だ、休憩を入れながら朝までは──」
「え~~、私もう歩けない!つ~か~れ~た~」
倒木に腰掛けて休んでいたオルテンシアは口を尖らせ、手足をバタバタさせている。
仁は困ったような表情で軽く溜息をついた。
「どうしんたんだ?前の狩りの時も結構歩いてたじゃないか?」
「今日は森の中を結構な強行軍でしたからね。はい、シアさん」
愛莉珠が水の入った革袋の栓を抜いて手渡すと、オルテンシアは呷るようにごくごくと飲み始めた。
「ぷはぁー、生き返った。あんたら、今日はペースが早すぎるのよ。頑張って付いてきたけどもーだめ」
そのままパタリと横に倒れ込んで目を閉じた。
「おやおや、困りましたね」
「どっちにしろシアは夜通し歩けないだろうし俺が背負って行くさ」
愛莉珠は額に手をやって首を左右に振り、哀れみの目で仁を見つめた。
「ふぅ、兄様。私は止めませんが、シアさんを背負ってまた醜態をさらしたいのですか?」
「へっ?あ、そうだったそうだった。あぶねぇ…愛莉珠、頼むわ。荷物は俺が持つから」
「はい」
少し焦った様子で冷や汗を拭う仁をユーリは不思議そうに見ている。
「オルテンシアさんを背負うと、何か不味いのですか?」
「呪われちまうんだよ。シアの力で」
「アリスさんはよろしいのですか?」
「ああ、女は大丈夫。いや…大丈夫なのか…?うーん、女でも駄目な奴はいそうだが、とりあえず愛莉珠は問題ない」
「はぁ…」
要領を得ない仁の回答にユーリは困り顔だ。
「さて、軽く飯を食ってから出るか」
仁達は保存食を軽く食べ、水分補給を済ませると再び歩き出す。空が茜色に染まると木の傘に覆われた地面は暗くなり、仁達はカンテラに火を入れた。オルテンシアを背負って両手が塞がっている愛莉珠以外は全員一つづつ手に持って歩き出す。
森を空から見下ろすと、暗くなった森の中をゆらゆらと揺れる四つの明かりが行進していくのが見える。時折その場で激しく動いたり、暫く止まったりはしていたが、明かりの群れは着実に森の奥へ向かっていた。
天を見上げると曇りがちな空に二つの月が浮かんでいる。七割ほど照らされた白い月が先行しており、一回り小さい金色の月は満月で、白い月を追いぬけとばかりに進むが、その距離は縮まること無く天を駆けていく。
金色の月が中天にさしかかった頃、森の中を移動していた明かりが停止した。
「近そうですね」
ルーはカンテラで周囲の地面を照らし、指で触れながら様子を見ている。暫くこの場所に留まったのか、周囲の草が一面押し倒されて寝床のような物があり、どこへ進んだのか一目では分からない状態だった。
ユーリは側で両足を軽く揉んでいる。
「あと少しですか。流石に私も疲れてきましたよ」
「ここらで見つからなかったら朝まで休憩にするか」
「そうですね」
仁と愛莉珠は疲れた様子も無く立っていた。背負われたオルテンシアはすでに寝息を立てている。
「まったく、気楽なもんだな」
仁は手を伸ばすと、愛莉珠の背で寝ているオルテンシアの鼻を摘まむ。
「ふぬっ、ふがっ!」
「こら、悪戯しないっ!」
愛莉珠が仁から離れると手が離れ、オルテンシアは再び一定のリズムで寝息を立て始めた。
「起きないな…」
「起きませんね…」
呆れ顔でオルテンシアを見つめる二人だが、暫く見ていると二人とも自然と笑みを浮かべていた。
「わかりました、こちらの方向です」
ルーの呼ぶ声がする。
「行くか」
「はい」
二人は呼び声がした方向に向かった。