#24
山中にあるサリトーの町は冬の終わりの時期とはいえまだ少し肌寒く、よく晴れた空に上っている太陽が暖かく気持ち良い光を投げかけている。太陽の位置はまだ午前中である事を示しており、これから気温はまだまだ上昇するぞと言うかのように光と熱を周囲にまき散らしていた。仁とユーリが居るのはそんな太陽がよく見える開けた大きな広場だったが、広場の中は台風が来た直後のように多くの物が散乱している。
「三人とも無事で何よりだ」
「ルーも無事なようですね」
仁とユーリは愛莉珠達が立っている場所まで近づくと、歩みを緩めて声を掛けた。
「兄様」
愛莉珠は顔だけを向けたが、オルテンシアは体ごと向き直ると左手を腰に当て、右手で仁を指差すとしたり顔で話し始める。
「仁、あんた来るの遅いわよ!愛莉珠なんて泣かされちゃったんだから」
「泣いてません!それとシアさん、それは内緒って言ったでしょ!」
愛莉珠はオルテンシアの袖を掴むと、顔を赤らめながらも柳眉をつり上げて抗議した。
「はぁ?愛莉珠を泣かせるなんて、うちの母親以外には無理だろ?」
全く信じてないという反応を示す仁だが、オルテンシアはさして気にする事もなく嫌らしい笑みを浮かべた。
「いや、それがさぁ…」
「あー!あー!あー!」
話を続けようとすると、顔を真っ赤にした愛莉珠が両手を振り回してオルテンシアに抱きついて口を塞ぐ。
「ばなしなばいよー」
「いや、そこはもういいから何があったのか教えてくれよ…」
口を押さえられたまま、もごもごと愛莉珠に抗議するオルテンシアを見ていた仁は、疲れ切った表情で額に手を当てた。
「ユーリ様、本日は申し訳ありませんでした」
ルーはユーリが近づくと即座に片膝をつき頭を垂れ、謝罪の言葉を口にする。
「部下としてあるまじき失態です。どうか相応の処分を…」
「いいんですよルー、ほら、急にかしこまるから皆さん驚いてますよ?」
「え?」
ルーが顔を上げて周囲を見渡すと、仁達三人は好奇の目線で跪いた姿勢のルーを凝視していた。ルーは少し頬をそめながら勢いよく立ち上がった。
「こっ、これは失礼を」
「上司と部下の間柄だったんですね…ん~!定番の設定ですよね!?」
「どんな関係かとは思ってたけど…ふむふむ」
「ちっ、違うんです。誤解ですよ?」
「で、どんなお仕事なんですか?やっぱりお役人?」
「美人に傅かれるとかユーリはいいご身分だよなぁ」
ルーはそれらを無視すると、ごほんと咳払いをしてユーリに向かって話始めた。
「えー、それでですね、私の方から状況を説明させて頂きますと──」
「「「あ、逃げた」」」
ルーは竜が倒れたという情報でドナドーニが連れ出された事、ドナドーニだけが天幕の中に引き込まれ、後を追おうとすると、おそらくティバルディが手配した警察官に邪魔された事、そして突然発生したつむじ風によって天幕が吹き飛んだ事を説明した。
「つむじ風ですか…この時期にこんな山奥で?」
「はい、どう見ても自然のものでした。万が一、人為的な物としても、このような規模の魔法を使える人間がたまたま通りかかったなんて、誰にも信じて貰えませんよ」
「ふぅん、たまたまねぇ…」
「あははー」
ユーリと仁はへらへらと笑って頭を掻いているオルテンシアを見て苦笑する。
「怪我人は出なかったのか?」
「多少出たかも知れませんが、死人は出ていないと聞いています。一番の重傷者はあいつらでしょうね」
ルーが指し示した方向には天幕に使われていた布を被った建物があり、よく見ると傾斜の付いた屋根から滑り落ちないように布にしがみついている男が何人か見えた。屋根裏の窓から何人か出てきて救助している様子も見て取れる。
「なんだあれ?」
「えーと、竜巻で天幕と一緒に飛んでいったというか…」
ルーが口ごもると仁はオルテンシアに呆れた目を向ける。
「やっ…!違うのアレは!愛莉珠を虐めたからちょっと懲らしめたというか、ちゃんと死なないように降ろし…違う、落ちたみたいだし!」
厄介な視線を向けられたオルテンシアは、あたふたと手を体の前で大きく振りながら弁解した。
「ふぅ…」
仁は大きく天を仰ぎ、右手で目を覆う。
「まあ、結構大変だったみたいだし、その場に居なかった俺が言えた義理じゃないか…」
「それで、あの壁はどうしたのですか?あれもつむじ風で?」
ユーリは大きく破壊された町の街壁を見ている。煉瓦造りとはいえ厚みは30㎝ほどあり、馬車がぶつかった位では壊れそうに無い頑丈さだ。その壁が10mほどの範囲で大きく損傷し、町の外の草地とその向こうの森が見えた。
「あれは、その…竜が逃げ出す際に壊していきました」
「ふぅ…逃げ出す前に引き取れたら楽だったんですがね」
「だな。とうとう逃げ出したかぁ。それで、ティバルディとドナドーニはどこに?」
「ティバルディはあそこですね」
仁が問いかけると、ルーは広場の中央付近を見ながら答えた。そこに10人ほどの男達が疲れ切った表情で座り込んでいる。その中に特徴的な鷲鼻の男も見えた。
「ドナドーニは?」
ルーは首を数度横に振る。
「あのピンク色の竜が咥えて、連れて行ってしまいました」
「はぁ?」
「駆け落ちってやつよ!愛の逃避行?羨ましい~!」
オルテンシアは自分の体を抱きしめ、楽しそうにくるくると回る。
「う…羨ましいか?そもそも誘拐じゃないのかそれ?」
愛莉珠も少し目を輝かせ、胸の前で手を組んでいる。
「おとぎ話みたいですよね」
「いやいや、おとぎ話で竜に攫われるのは王女様とかだろ?あれはないわー」
「う…そうですね…もうちょっと見た目をなんとか…」
脱線しがちな会話に絶えかねたのか、ユーリが口を挟む。
「おとぎ話はいいですから。それで、竜は誰かに追わせたのですか?」
「いえ、竜が森の中に入っていくのが見えましたが、森に入れるような装備を持った者が急には見つからなかったもので。ですが──」
ルーが今度は近くの地面を指差す。
「──重たい生き物なので、跡を追うのは容易だと思います」
地面には5本爪の形をした足跡のようなくぼみが大量にあり、壁の方へ向かっているのがはっきりと分かった。
「分かりました。跡を追うときは頼みます。さて、ジンさん。どうしますか?」
「そうだな。まずはティバルディとの交渉だが…」
言いよどむ仁をユーリは不思議そうに小首をかしげて見ると、仁もユーリの目をじっと見つめていた。
「その前にユーリ、さっき部下と上司っぽい事を言ってたが、やっぱりお前らはどっかの組織に所属してるのか?」
「そうですね…」
ユーリは少し困ったような表情で少し思考を巡らせてから、話を続けた。
「あまり隠しているつもりもありませんでしたが、組織といえば組織みたいな所に属してます」
「そうか。それで、俺達に手を貸してくれてる本当の目的は一体なんなんだ?」
「以前にもお話しましたが、貸しの分だけ仕事をして頂きたいと考えていますよ?」
真剣に問いかける仁に対して、ユーリは気楽な口調で答え続けている。
「それはどんな仕事なんだ?やっかいなのは御免だぜ?」
「そうですね。今のところは…人への連絡、物運びとかですかね……あ、子守もお願いするかも知れません。健全な仕事ばかりでしょう?」
「子守!?乳母でも雇えばいいだろ」
「どれもジンさんにしか頼めない、大変なお仕事なんですよ?」
おどけた口調で話すユーリに仁は呆れた表情を見せた。
「あー、もうその話はもう分かった。最後に一つだけ質問だ。俺を巻き込もうと考えたのはあんたの所のボスか?」
「いえ、ジンさんに手伝って貰おうと決めたのは私です」
ユーリの言葉に仁が目を細めた。
「なんで俺に手伝わせようと思った?」
「直接的には、この国で便利屋みたいな仕事をしているのを見かけたからです。実力の方は確かめるまでも無く知っていましたよ。本国では有名な方ですから。それで仕事を手伝って頂こうと思いました。まあ、今となっては回りくどい事をしてしまったかなとも思いますが…」
「ちっ、やっぱり最初から俺の事を知ってやがったか…」
「あのー、私のこと事もご存じだったんですか?」
愛莉珠がおずおずと手を挙げた。
「はい、お名前と槍を使える。といった程度しか知らなかったので、実力を見て凄く驚きましたよ」
「ふむ」
軽く愛莉珠が相づちを打つと、オルテンシアが次は自分の番とばかりに笑顔で話す。
「ねね、私は私は?」
「すみません、オルテンシアさんは旅の途中でお知り合いになられたようなので、何も知りませんでした」
「がーん!」
オルテンシアは大げさに俯き肩を落とす。
「なんでそこでショックなんだよ…」
「ですね…」
「噂によると、美しい女神とか、美しい大魔法使いとか聞いてましたが、実際の所どうなのですか?」
その台詞にオルテンシアは顔をあげ、ぱぁと明るい表情で笑顔を見せた。
「そう、そうなのよ、何を隠そう私こそめぐわぅ─」
言葉の途中で仁に口を塞がれるオルテンシア。塞がれた腕をどかそうと抵抗しながら仁を睨み付ける。
「んん~~!!」
「だからポロポロバラすなって言ってんだろいつも」
「まぁ、この次点で隠し切れて無いですけどね…」
ユーリは呆れた表情で頬を掻いている。
「はぁ、まだお前らが怪しいことに変わりはないが、協力してくれるうちは信用してやるよ」
「ええ、怪しいながらも信頼して頂けるよう、こちらもがんばって行きますよ。末永くよろしくお願いします」
ユーリはそう言って右手を握手の形で差し出した。仁は数度瞬きしてから、握手をしようと右手を動かした。
「ぷはぁ!いつまで抑えてんのよこの…エロ阿呆っ!」
「ぐひぃ!」
開放されたオルテンシアが放った右肘の打ち上げが見事に仁の顎を捉え、軽く飛ばされるように仰向けに倒れ込む。
「痛ぅ~、いきなり何すんだよこの駄女神!」
「あんたこそ人の体をベタベタ触るんじゃ無いわよ!あ~やらしい。あ、今のでニンシンさせられちゃったかも」
「するかっ!」
倒れたまま言い争いを続ける仁とオルテンシアを見ながら右手を前に出した状態で固まっていたユーリは、助けを求めるような表情で愛莉珠の方を見た。愛莉珠も仁達の方を呆れた表情で見ていたが、ユーリの視線に気がつくと、目を瞑って首を何度か左右に振った。その後、困ったような笑顔をユーリに返した。
ユーリが仕方なくといった感じで差し出していた右手を戻すと、自分の方を見ていたルーと目が合う。冷ややかな笑顔を浮かべた彼女は右手の親指を立てて首元に持ち上げると、首を刈る様に横に動かした。
「はは、はははっ」
仁とオルテンシアの口汚い罵り合いが続く中、ユーリは満面の笑みを浮かべ、お腹を抱えて笑い出した。大笑いするユーリを見たルーは不思議そうな表情で見つめている。
「ユーリ様?」
「いやー、貴方たちと過ごす時間は本当に楽しい!」
「「楽しくないっ!!」」
激しく言い争っていた二人の声が、その台詞だけぴたりと一致した。
・
「いやー、大変なことになったねティバルディさん」
仁はティバルディに満面の笑みを浮かべながら片手を挙げて挨拶した。
「ふんっ、黒ずくめか…よくもぬけぬけと顔を出せたな」
ティバルディは商会の従業員らしき男達四人と木箱に腰掛けていた。仁に声を掛けられると会話を中断して立ち上がり、苦々しげに仁を睨み付ける。
「お前の所のドナドーニがうちの大切な竜をさらって逃げやがったんだぞ!出るとこに出て賠償して貰うから覚悟しておけ!」
ティバルディは仁に顔を近づけて唾を飛ばし、人差し指で仁の胸の辺りを突くような動作を繰り返した。その台詞に仁は目を丸くし、視線を逸らせたが、すぐにニタリとした笑みを浮かべる。
「はぁん、そう来るのか。だが俺は奴の保護者でも無ければ後見人でもねぇ、好きにやってくれ。今日はそういうのじゃなくて、派手にやらかしちまったティバルディさんが不憫に思えたので、俺達になにか手伝えることは無いかなーと思って相談に来たのさ」
仁は得意げな笑みを浮かべると、両腕を広げて『ばっちこい』とばかりに手の平を何度も自分の方に動かす。ティバルディはペッと地面に唾を吐くと横目で仁を睨む。
「お前の手なぞ借りる物か」
「あの竜、どうすんの?捕まえに行くなら雇われてやるよ?こんな辺鄙な宿場町じゃ、狩猟者も雇えないだろうし」
「うるさい!わかっとるわ!」
気さくに身振りを入れて話す仁にティバルディはあくまで冷たくあしらった。
「雇う気はなし…か。んじゃ次だ、アレ ──仁は顎で壊れた壁を示す── の修理費もどうせ請求される。近々に用入りだろう。今ならまだ買ってやるぜ?」
「ぐぬ…」
渋面を浮かべていたティバルディはさらに皺を刻み、その場でぐるぐると歩き回り始めた。歩きながら鷲鼻の下に付いた髭をせわしなく撫でている。
「社長、ありゃ疫病神だ。アレを買ってからろくな事がねぇ…」
「そうだよ、あんな目立つのが居なけりゃ、野盗にも襲われなかったさ!」
散々な目にあった部下がここぞとばかりに不満を口にした。周囲に座っていた部下達は見るからに疲れ切っていた。
「ぐぬ…」
ティバルディは撫でていた髭を強く掴むと引き抜くかのように引っ張り、ブチブチという音を立てた。その痛みを気にする事も無くディバルディはがなり立てる。
「ああ、分かった!この疫病神が…!もう損切りだ。仕入れ値でよければ手を打とう!」
仁はにこりと微笑み、両手をパンとあわせた。
「そうこなくっちゃ!で、仕入れ値は幾らだ?」
「三十万リーブラだ」
合わせていた手をだらんと垂らし、両肩をぐったり落とす仁。
「はぁ、おっさん、ここまで来てもそれか。俺達が仕入れ値を知らないとでも思ってるのか?」
「ぐぬ…」
「色々迷惑もかけちまったから、仕入れ値くらいは払ってやろうとか思ってたが、やっぱり一万リーブラだな」
「馬鹿な、それでは売る意味が全く無いわ!二十万だ!」
「あー、そうだな。さすがに一万じゃあの壁は直せないよなー。五万」
「お前は悪徳商人か!十九万!」
ティバルディと仁は顔を近づけ睨み合いながら、お互いに唾を飛ばし合っていた。愛莉珠達は少し離れた場所で集まってその様子を眺めている。
ユーリは少し目を細めて微笑ましそうに仁を見ていた。
「ジンさん、結構やりますねえ」
「そうですね、ああいう交渉ごと全般は兄様が得意なので」
「面白い方ですね」
「ま、見ていてなかなか飽きないのは確かね」
そう呟くオルテンシアは近くの空き箱を持ってきてそれに座っていた。
「ははっ、確かに。情熱的なようで、理知的で、理知的なようで、不安定で…とても興味を引かれます」
愛莉珠はぴくんと体を震わせると、慌ててユーリの方を向き、両手で握り拳を作った。
「ユ=リさん!」
「ん?あ、はい。なんでしょう?」
愛莉珠の真剣な物言いに少し戸惑った表情をみせ、心配そうな表情を見せるユーリ。愛莉珠は握っていた両腕を胸の前で合わせる。
「兄様は総受けなので、ユーリさんは攻めでお願いします!」
「は…攻め?攻めですか…?なんだろう…」
「いえ、ユーリ様、それは私から後で説明しますので…」
顎に指を当てて考え込むユーリにルーは頼み込むような口調で話すと、ユーリは笑顔をルーに向けて賞賛した。
「すごいですねルー。今の隠語の意味がわかるんですね」
「隠語というか、その…ユーリ様にはあまり関係の無い世界の話というか…」
「あははっ、あんた達も十分面白いわよ?ははっ」
酷く慌てた様子でいいわけするルーを見ていたオルテンシアが笑い出した。その笑い声につられユーリとルーも頬を緩ませた。
「十三万!お前ぇ普通の人間がこれだけ稼ぐのに何年かかると思ってるんだ?5年はかかるぞこの強突くが!」
「そんな一般労働者の年収なぞ知るものですか。十五万です。ただし支払いは現金か銀行券の即日払いのみだ!」
「良し買った!」
「…………は?」
ティバルディは目を見開いてぱちぱちさせている。
「有るのか?現金が?」
「銀行券だがな。ユーリ、来てくれ!」
仁が離れた場所にいるユーリに大声で呼びかけると、雑談を止めて仁達の方に歩いてきた。
「商談はまとまりましたか?」
「ああ、結局十五万になっちまったよ。とりあえず支払い能力確認の為に見せてやってくれないか?」
「いいですよ」
ユーリは腰のポーチから筒状の入れ物を取り出し、そこから3枚の紙片を取り出して見せる。
「アネモス銀行の持参人払い銀行券です。支店でも支払いを受けられますよ」
「確かに…まっとうな銀行券に見えるな」
ティバルディはユーリの手にある手形を隅々まで確認した。
「そんじゃ、あの竜はやるからコイツは頂くぜ」
そう言ってユーリの手にある紙片を奪おうとするが、ユーリはすっと手をあげて取られないようにする。
「所有権移行の契約書を作ってからですよ。もちろん公証人サイン入りの」
「ちっ」
「ホントおめー、人を騙すことしか考えてないよな…」
仁は不快感もあらわに眉根を八の字に寄せてティバルディを睨んだ。
「ほら、公証人役場に行くぞ」
「仕方有りませんね…」
諦めたかのようにがっくりと肩を落とすティバルディを連れ、仁達は公証人役場に向かった。