#22
翌朝、宿の一階にある食堂で仁がドナドーニと一緒に朝食を食べていた。
仁は普段どおりの象牙色のシュミーズの上に黒いベスト、ジュストコールとズボンという格好で、黒い短めの髪の毛は相変わらず所々跳ねていた。
ちょこんと椅子に座ったように見えるドナドーニはかなり太った体型で、ボサボサした濃い茶色の髪は暫く切っていないのか、肩に届くぐらいまで伸びている。服装はシュミーズの上に茶色のベストとズボンに鳶色のコートを着ていたが、どれも大きさが合わないのか、はち切れんそうにピンと延びていた。
二人はリボリータという豆の煮物に、パンを浸して食べている。そこへオルテンシアと愛莉珠がやってきた。
「おはよう、仁、ドナドーニさん」
「お早う御座います」
オルテンシアは珍しく黒いスカート付きのシュミーズを着て、白いショールで肩を隠していた。歩くたびに揺れる薄桜色の長い髪は前髪だけ左右分けて編んであり、カチューシャのように耳の後ろから後ろ髪の中に消えている。前髪が上げられているので綺麗な額が惜しげも無く晒されていた。
愛莉珠もワンピース形式の長いスカートが付いた象牙色のシュミーズを着ており、こちらは黒いショールで肩を隠していた。胡桃色の髪は後ろ髪を全て纏めてアップにして露草色のバレッタで止め、両耳の後ろ辺りのいくつかの房は束ねずに垂らされ、肩から前にでて胸の辺りまで伸びている。
「ああ、おはよう」
「お…おはようごじます」
二人がテーブルに着いて持っていた荷物を置くと、私服にエプロンを付けただけの小柄な少年のウェイターが素早く注文を聞きに来る。
「私はパスタで良いわ。辛い奴があればそれで」
「パンのセットでお願いします」
注文を復唱した少年は厨房に戻っていった。
「今日は二人ともめかし込んでるな」
「今日明日くらいはこの町にいるだろうし、旅装じゃなくてもいいだろうってシアさんが…」
愛莉珠は少し恥ずかしそうに黒いショールの位置を手で調整している。
「どうよー、今日は二人で揃えてみたのよ」
オルテンシアも自分の白いショールをバサバサを見せびらかすように動かす。持ち上げる度にちらちらと白い胸元がみえるので、仁とドナドーニは口元を緩めて凝視してしまう。
「兄様」
口をすこし尖らせた愛莉珠に呼ばれて仁は表情を引き戻す。
「ああ、二人ともよく似合ってるよ。そういうお揃いの格好してると本当に姉妹みたいに見える」
「有り難う御座います。でも、次こそは聞かれる前に言って欲しいですね」
「叱られてやんのー」
「うっさい。さてドナドーニ。全員揃ったことだし、あの鷲鼻に着いていくか、俺達に協力してくれるか、もう決めてるなら教えてくれるか?」
「まだ聞いてなかったのね」
「焦らすこともないしな」
仁達ドナドーニの方を見た。彼は暫く黙って考えていたが、決意を込めた表情を見せると話し始める。
「色々考えたんですが、あのまだだと、どこかの好事家に売られてしまって、よくて一生檻暮らし、悪かったら見世物小屋だと思うんですよね」
「そうですね。あの色ですから」
「僕としても、彼女にはできるだけ自由でいて欲しいので、ジンさん達がいってる引き渡し先の事をもう少し詳しく教えて頂けますか?そちらの方が彼女にとって良い環境であるなら、ジンさん達のお手伝いをしたいと思います。」
「そうか。俺達があの竜を連れていくのは元々あの竜が住んでいた所で、そこの元保護者曰く『人の世界に憧れて家出した』とか言ってたよ。悪いがそこでの処遇に不満があったのかどうかまでは聞いてない。あの竜に直接聞いてみれば分かるんだが…」
「え?もしかしてジンさんは下位竜言語を話せるのですか?」
「ああ、しかしよく知ってるなそんな単語」
「教えて下さい!」
椅子を鳴らすほど大きく体を動かして仁の右肩を掴んで懇願する。
「前から勉強しようとは思っていたのですが、教本が高すぎて、とても手が出なかったんです!」
「ま…まあ、ちょっとくらいならいいけど…協力してくれるならな」
「分かりました。彼女と暫く会えないのは辛いですが…買い受け出来た場合に彼女の所有権を私に譲ってくれる件と、下位竜言語を教えてくれるのであれば協力します!」
「お待たせしましたー」
少年ウェイターが両手一杯に皿を抱えて運んできた。
「ペンネアラビアータとサンドウィッチ、セットのアクアコッタです。お飲み物はつきませんが、如何致しますか?」
「私は要らないわ」
「私は紅茶をお願いします」
「かしこまりました」
ウェイターは礼をして厨房に戻ろうとする。
「ありがと、可愛いボーヤ」
「ぼ、坊やじゃありません!」
オルテンシアがからかうと、赤い顔をして抗議の声を上げた後、逃げるように厨房に走って行った。オルテンシアはひらひらと逃げていくウェイターに手を振る。
「あんまり子供をからかうなよ…」
「あんたも子供だけどね~」
「ちっ、またそれかよ。えーとそれでなんだっけか、こちらの条件としては、元保護者の所にあの竜を連れていくよう、竜を説得するのを手伝って貰う事と、俺達が買い受けできるように協力して貰うことが条件だが、構わないな?」
「はい!あ…その元保護者さん?の所に連れて行ったら、彼女の法的な所有権はどうなるのでしょう?」
「そうだな、そこには多分警察とか居ないから、その元保護者も所有権とかどうでもいいんじゃないかなぁ。あんたが口やかましく所有権とかいっても多分聞かないだろうし、縛るつもりが無いならその辺は気にしなくて良いって約束できるよ」
「彼女と僕が自由に暮らせるようになれたら良いんですが…」
「ま、その辺はその元保護者と話してくれとしか言いようがないなぁ。口添えくらいはしてやれるが
「あの竜も一緒に頼んでくれるだろうし、大丈夫じゃない?」
「だといいですが…」
その後、食後のお茶を飲みながら今後の対応をドナドーニに講義していると、ドアベルががらんがらんと大きな音を立てた。店内に居た大勢の客が入り口の方を見ると、一人の男がドアを乱暴に開けて入ってくるのが見えた。その男は服装や風貌は三十歳くらいの普通の男に見えたが、腰に拳銃を下げていたので店内に居た客達は皆、男の方を注視して目を離さなかった。
男は店内を見渡して仁達を見つけると、小走りにテーブルに近づき両手を大きく広げて声を掛けてきた。
「ドナドーニさん、こんな所で何やってんだよ。来てくれないと困るじゃ無いか」
「え?僕?」
「ああ、またあの竜が暴れて大変なんだ、すぐ来てくれ」
その男はドナドーニの手を掴もうとするが、仁は左手で男の手首を掴んでドナドーニには触れさせない。
「話の前に、あんた誰だ?あの鷲鼻んとこの従業員か?」
「その黒ずくめ…あんたは昨日助けてくれたジンか。ちゃんと礼を言ってなかったな。感謝してる、有り難う。俺はティバルディさんのところで動物の世話係をやってるズッコーニってんだ」
「そうか、よろしく、ズッコーニさん。それでどうしたって?」
仁がズッコーニの右手を放すと、痛かったのか左手で手首をさすりだす。乱闘騒ぎにならないと判断したのか、乱入者に注目していた他の客達も興味を失い、自分達の会話を再開していった。
「さっきも言ったとおり、あの竜がまた暴れ出したんだよ。まだ檻は壊れてないが、ガンガン体当たりして見てるこっちがヒヤヒヤさせられてるよ。それで、うちのボスがドナドーニさんを呼んでこいって言ってるんだ。なあ、昨日みたいに上手いことあいつを宥めてくれよ。頼むっ」
ズッコーニは両手の指を胸の前で握り、軽く頭を下げた。
「だってさ、どうする、ドナドーニ?」
ドナドーニは瞳を大きく広げ、ズッコーニと仁の顔を交互に見てから、視線を床に落とした。座って両太ももに置いていた手で、ズボンをぎゅっと強く握る。
「いっ、行きません!」
返事を聞いたズッコーニは眉根を寄せてドナドーニに近づいた。
「はぁ?なんでだよ?昨日はあんなに一生懸命世話してたじゃないか。頼むよ」
「ぼっ、僕はあの人の所の従業員でも無いし、てっ…手伝う義理は無いと思います!」
「んなっ!?」
視線は床に向けたまま勢いよく話したドナドーニの足元からはカタカタという音が聞こえてくる。
ズッコーニは声の調子に驚いて半歩ほど後ずさり目を大きく見開いたが、首を左右に振ると、険しい表情をしてドナドーニに掴みかかろうとする。
「もういいから一緒に来い!」
「ひっ!」
「おっと、そこまでだ」
手で掴める距離まで近づいていた二人の間にすっと入り込んだ仁は、ズッコーニの胸に軽く右手を当てて突進を止めた。
「じゃ…邪魔するなよ、ジン」
ズッコーニは顔を仁から背け、目だけでちらちらと仁の顔色を伺う。それを見た仁は困ったような表情で笑顔を浮かべ、胸に当てていた手を放し、ぽんぽんと軽く左肩を叩いてやる。
「嫌がってるのに無理矢理連れて行く事ぁねえだろ。それじゃ、どっかの野盗と大差無いぜ?」
ズッコーニはゆっくりと後退し、仁との距離を取ると、汗をかいたのか袖口で顎や顔を擦った。
「あ…ああ、そうだな。悪かったな、ドナドーニさん」
「い、いえ。構いません」
「そうか、そりゃ良かった。ドナドーニさんが来てくれないなら俺はもう戻るわ。気が変わったらいつでも来てくれ。それじゃあな」
「はい」
ズッコーニが踵を返して店の入り口の方へ歩き出しても、ドナドーニの視線はまだ床を向いてた。ズボンを強く握りしめた手は少し白くなっている。
「あ、ズッコーニさん、あの鷲鼻によろしく言っといてくれ」
ズッコーニは振り返ること無く、右手を軽く挙げて同意を示すと足早に店を出て行き、ドアベルが再度がらんという音を立てた。
「ふぅ~~~」
ドナドーニは長いため息を吐き、脱力して大きな上体をテーブルの上にドサリと載せた。
「よく頑張ったわねー。えらいえらい」
オルテンシアはドナドーニのボサボサに伸ばされた髪を撫でた。ドナドーニは触れられた瞬間、体を跳ねさせテーブルと椅子が大きな音を立てた。
「あ、ありがとうございます」
ドナドーニは少し頬を赤くすると、再び脱力してテーブルに突っ伏した。両手はだらんとテーブルの下に垂れている。
「本当にこれで良かったのでしょうか…」
「大丈夫大丈夫、ここで助けておかないと変な好事家に買われて一生閉じ込められちゃうかも知れないわよ?」
「そうですね、それだけはなんとかしないと…」
・
ズッコーニが町の壁近くにある隊商のキャンプ地に戻ってくると、急いでティバルディの姿を探し、ドナドーニを連れてこられなかった経緯を説明した。
「ふむ、あのジンという男が邪魔をしてきましたか、小賢しいことです。あの男は竜を手に入れたがっていましたからなあ…」
ティバルディは鷲鼻の下にある、手入れされた小さな髭を右手で何度かなぞる。
「彼はあの実力です。力づくは中々難しいでしょうな。ですがまあ、あのおデブさんさえ引き込んでしまえばなんとでもなるでしょう。そちらはそちらで進めるとして、おデブさんが来ないとなると、あの暴れている竜をどうするかですねぇ」
今も檻車が並んでいるほうから、ぴーぴーという鳴き声と、檻に体をぶつける金属音が聞こえてきている。
「とりあえず檻車が倒れないように支えを追加する予定です。あと、飯をやると暫く大人しくなるようなので、なんとかそれでごまかしていきますよ」
「分かりました。そちらは任せます。私はあのおデブさんを引き込む算段でもいたしますかな」
ティバルディは再び小さな髭を右手で何度かなぞると、目を細めて口の端を上げた。
・
その後も隊商の人間が何度かドナドーニの勧誘に来たが、全て徒労に終わった。正式に飼育係に採用するとの話もされたが、ドナドーニは迷うこと無く拒否していた。夜、宿屋にルーがやって来て、明日は警察で山賊討伐の調書を取るので仁に来て欲しいと伝えた。仁は承諾し、後は特に何も無く就寝を迎える。
翌日、朝食を済ませてから食堂のテーブルで寛いでいると、ユーリとルーが二人で仁を迎えに来た。
「いやー、すみませんねジンさん。今回はティバルディさんが損害賠償請求をしてまして、ちゃんとした調書を作らないといけないらしくて。お手数を取らせて申し訳ない」
「俺が逮捕でもされない限りは構わないさ。とっとと行って終わらすか」
「はい。では、仁さんには及びませんがルーをこちらに置いて、私が案内致しますね」
「え~、ルーさんが案内してくれないの?」
仁がだらしなく椅子にもたれ掛かり、ずるずると下にずり落ちていく。
「へっ?あ、そうですね。私がこちらに残ってもいいですが…構いませんか?」
ユーリは愛莉珠とルーの顔を交互に見ながら訪ねた。
「いえ、私は構いませんが…アリスさんが…」
ルーはそう言い、ユーリと二人で愛莉珠の方を見る。見つめられた愛莉珠は少し眉を曇らせながら、指でテーブルをコツコツと叩く。
「そこでどうして私に確認を取るんですか?」
「どうしてって、確認しておく必要があると思いましたので…」
「ですよねー」
愛莉珠はテーブルを叩いていた指の動きを止めると、半眼で仁の方を見やる。
「私は別に兄様がルーさんに迷惑を掛けないなら構いませんよ?ええ、どうぞお二人でお出かけ下さい」
普段とは違った低い声にユーリと仁はぶるりと体を震わせた。
「や、やっぱり私がジンさんを連れて行きますね、ほら、ジンさんも早く早く」
「ああ、んじゃ行ってくるよ」
二人が転がるように食堂を出て行くと、それを見ていた愛莉珠は頬を膨らませる。オルテンシアは何かが面白かったのか、テーブルを叩いて笑っていた。
「なんですかあの逃げるような態度。なんとなくイラっとします」
「まあまあ、アリスさん。今日はお二人ともずいぶんお洒落してますが、ジンさんに褒めて貰えなかったから不機嫌なのですか?」
ルーはそう言うと先ほどまで仁がいた席に座ると、珈琲を注文した。
「いえ、それは一応褒めて貰ったんですが、相変わらず鈍いというか…」
「あの唐変木じゃねえ…気配りとか期待できそうに無いですね…」
「で、ルーとしてはどうなのよ?仁と一緒に行きたかった?」
オルテンシアがテーブルに身をぐいと乗り出し目を輝かせて問いただすと、ルーは目を大きく開いて何度か瞬きをした。
「へ?へ?あー、えーと、私は前も言ったけど、ユーリ様一筋なので…」
目を逸らし、慌てて両手を体の前で振るルーを見て愛莉珠は目を細め、オルテンシアは笑みを広げた。振っている手に合わせて左右に揺れていた尻尾が突然ピンと立つ。
「だ…大体あの人、妙に呑気というか、何も考えて居なさそうで、たまにイラっとするんですよね!」
ルーは真面目な表情でテーブルをドンと叩いて力説するが、少し顔が赤くなっていた。オルテンシアはテーブルに両肘を付いて枕を作ると、にやにやと嫌らしい笑顔を浮かべた頭を乗せ、斜めにルーを見た。
「へー、流石によく見てるねぇ」
「だ、だから違うんですって!そりゃ、ちょっとはいいかなーって思ったりもしますが、ユーリ様とは比ぶべきも無いですよ!」
「へー、ルーさんは兄様をそんな目で見てたんですね。へー」
「嫌ー!どうしてこんな状況に陥ったの私!?」
さらに細められる愛莉珠の視線に耐えられなくなったルーが赤い髪をかきむしって悲鳴を上げる。ドナドーニも同席していたが、被弾しないように大きな体を小さく見せるよう努力しながら聞こえないふりをしていた。
── バタン!
「ドナドーニさんはいるか!?」
昨日と同じように勢いよくドアを開く音がすると同時に聞き覚えがある声がした。がらんがらんとドアベルが鳴る方を見ると、昨日の朝に来たズッコーニがはぁはぁと荒い息をつき、膝に手を当てて立っていた。
「また貴方ですか…今日はなんですか?」
ズッコーニは冷え切った声て呟く愛莉珠を見て一瞬驚いたが、気を取り直して話し出す。
「あの竜が倒れたんだ!ぐったりして動かなくなってかなりやばそうなんだよ!」
ズッコーニの台詞の直後に、ガタッ!と激しく椅子を蹴る音が聞こえた。