#20
「少し不味い事になってそうですね」
「確かに」
ユーリ達が愛莉珠と一緒に隊商の近くまで来ると、殺せ!という言葉が飛び交う喧噪が聞こえてきた。
「急ぎますよ」
ユーリ達が早足で隊商に近づくと全容が見えてくる。襲われていた隊商は荷物を積んだ馬車が二台、檻が乗った大小様々な檻車は五台あった。一番大きな檻車にはピンク色の竜が入れられており、他にも変わった形の角をもった小型の竜、真っ白い大形の鳥、変わった模様が付いた牛などがそれぞれ1匹づつ檻に入れられていた。
「ナタリア!」
ピンク色の竜を見つけるとドナドーニは走って檻に近寄り、檻越しに竜を撫で始めた。竜の方も喉をゴロゴロならしてドナドーニに撫でられている。
「うっわー、名前付けてたんだ…」
話を一旦中断してドナドーニの方をみた仁が呟いた。
「あの男は何ですかな?」
「ヴェスビオの街であの竜の世話をしていたドナドーニって奴らしい」
「ふむ、その男が何故こんな所に…」
「大した話でもないんだが──」
仁が話している男は背が高く痩身で、白髪混じりの焦茶色をした短い髪を綺麗に刈り込んでいた。口調は丁寧だが、鋭い目つきで仁を睨むように見ており、大きな鷲鼻とその下に付いている整えられた髭が、目つきと合わせて厳めしさを醸し出している。だが、厳めしい表情とは対照的に、赤や黄色の派手な配色の燕尾服を着ていた。
「──と言うわけで、後を追いかけてきたらしい」
「あの男の件については分かりました。ですが、とりあえず売り物にべたべたと触られるのは御免被りたいですな。誰か、あの男を檻から引き離しなさい」
「はっ!」
周囲に居た男が二人ほどドナドーニの方に向かい、無理矢理檻から引き離した。
「おいっ、放してくれ、ナタリア──!」
男が竜の名を呼ぶと、竜が高い声でピーピーと鳴き、ガンガンと檻に体をぶつけ始める。勢いよく体を檻に打ち付けるたびに大きな金属音があがり、ぶつけられた檻車は左右に大きく揺れ、今にも倒れてしまいそうだ。ドナドーニを引き剥がした男達も、あまりの迫力に体が固まり、その場で硬直して揺れる檻車を見ていた。
「おいおい、あれちょっとやばいんじゃ無いの?」
「あ…貴方の連れがアレを怒らせたのですかな?万一アレが逃げ出した場合は貴方たちに損害賠償を請求致しますよ?」
「いや、単なる知り合いなので請求はアイツにしてくれ。ところであの竜、ドナドーニを離せって言って暴れてるから、とりあえずドナドーニを放してやれば大人しくなるんじゃ無いか?」
仁の台詞に男はぎょっとした表情を見せた。
「あんた!竜の言葉がわかるのか!」
「簡単な竜言語ならな。言っとくが、そのへんの普通の竜はギャーギャー鳴いてるだけだぞ」
「まあ、あの男を近づけるくらいで竜の気が静まるなら安い物です。おい、その男を放しておやりなさい」
鷲鼻の男の声は恐怖で固まっていた男達には聞こえていないのか、動きが無い。離れた場所に居た別の男が近づいて声を掛けると、気を取り直してドナドーニを開放した。放されるとドナドーニは肥満気味な体を揺らしながらどたどたと竜の檻に走っていく。
「ナタリア!!」
「ぴー!」
竜も大人しくなり、ドナドーニは檻越しに頭を擦り合わせている。
「お熱いこって」
仁は苦虫を嚙んだような表情で、口の端だけで笑っている。
鷲鼻の男は、ドナドーニを監視しておくよう数人に指示をだすと、再び仁に話しかける。
「あっちは暫くあれで良いでしょう。問題はこちらですなぁ」
「ですなぁ」
仁達が向き直った方には手足を縛られて動かない男が十人ほど転がっており、少し離れた所には二人の男が地面に横たえられていた。横たえられているのは旅装束の男と傭兵風の皮鎧を身につけた男の二名で腹部と胸部の衣服が赤く染まっている。その周りには何人かの男が寄り添っていた。
「兄様、お怪我はありませんでしたか?」
「ああ、俺の方は大丈夫だったんだが…」
駆けてきた愛莉珠に、仁は視線で地面に横たわっている男の方を伝える。
「残念でしたね…」
愛莉珠は横たわった男の方を見ると、悲しそうな表情を浮かべて左手でそっと仁の腕に触れる。仁は寂しそうに笑うと、触れている愛莉珠の手を逆の手で覆うように握った。
「兄様は一生懸命やりましたよ」
「全く、愛莉珠は仁に甘いんだから」
オルテンシアやユーリ達がゆっくりと歩いて近づいてくると、愛莉珠は慌てて仁に掴まれていた手を抜いて背中に隠した。
「わっ…私がいつ兄様を甘やかしたって言うんです!い、いつも厳しく躾けてますよ?」
顔を赤らめて明後日の方向を見ながら言う愛莉珠に、オルテンシアはぴしゃりと言い渡す。
「常日頃から甘いわ。甘々よもう。蜂蜜入りのパンケーキにメープルシロップと粉砂糖とキャラメルソースをかけたくらい!」
「いや、それはすでに食い物じゃないだろ…」
「それで、どうしたんですか?」
ユーリが状況を確認しようと話に割って入った。
「ああ、隊商のほうにも死人が出で、一部が生き残ったやつも殺せって騒いでてな…」
「普通は野盗を生け捕りになんて出来ませんからね。撃ち合って殺すか、相手が逃げ出すか、です」
「あんたも殺しちまった方が手っ取り早いと考えるクチだろ?」
「正直に言うとそう思いますね。ジンさんが人の命を大事にしているのは良い事だと思いますが…私にはとても実践できそうにないですよ」
ユーリは困ったような表情を浮かべ、横たえられた遺体と寄り添って泣いている男達の方を見ている。
「私もジンさんは甘いと思います。生かしておいても感謝されるはずもなく、逆に命を狙われるかもしれません。貴方はお強いですから良いのでしょうが、アリスさんやシアさんが狙われたらどうするのですか?」
「ははっ、耳が痛いや」
ルーにまでお説教をされ、仁は気まずそうに苦笑いを浮かべて頭をぼりぼりと掻いた。
「ルー、そのくらいで」
「はい、差し出がましく口を挟んでしまい、申し訳ありません」
「だからヴィンチを殺った奴らなんて皆殺しで良いって言ってるだろ!」
遺体の方から怒鳴り声が聞こえたのでそちらの方を改めて見ると、四十代くらいの傭兵風の男と鷲鼻の男が言い争っていた。周囲にはもう一人だけ傭兵風の重装備の男がいるが、残り数名は拳銃を持っている程度で服装は一般的な旅装だ。
「まあまあ、殺されてしまった事は残念だと思うが、だからといってあっちに寝転がっている無抵抗の人間を殺してしまうのも寝覚めが悪いですよ。十人以上いるんですよ?」
「あんたらが殺れないってんなら俺が全部殺ってやるよ!」
傭兵風の男の一人が興奮気味にそう言うと、腰からレバーアクションの小銃を抜き、薬室を空けてガチャガチャと弾を込め始めた。それを見ていた鷲鼻の男も諦めたように呟く。
「仕方有りませんね…見えない所でやって下さいよ」
「おいおい、止めろよマルツィオ。無抵抗の人間を殺しちまうと後味が悪いぜ」
「だからって、ヴィンチを殺した連中がのうのうと生きてるなんて許せるかよ!」
マルツィオと呼ばれた男は最後の弾を込め終えたのか、ガシャンとレバーを引き戻して小銃を持ち上げた。
「ちょっとやばそうな雰囲気ですね。ジンさん、どうします?」
「どうすっかなぁ…とりあえず話して来るわ」
少し考えたあと、仁は野盗達が倒れている方に向かって歩いているマルツィオに近づいて話しかけた。
「おい、そこのあんた!」
「ん、お前はさっき助けてくれた黒ずくめか」
仁が後ろから声を掛けると、マルツィオは足を止めて振り返った。
「ああ、仁ってんだ。よろしく」
「マルツィオだ。助けてくれたのは感謝してるが、お前も俺を止めに来たのか?」
「まあ、そんなところだ。なんであんたはあいつらを殺したいんだ?」
「そんなの決まってる!仲間が殺られたら敵を取る。傭兵ってのはそういうもんだろ?あんたも傭兵だったら止めるなよ」
仁は困ったように頬を掻く。
「警察に突き出すだけじゃ駄目なのか?」
「強盗殺人だ、確かに警察に突き出しても死刑にはなるだろう、だが俺はこの手で奴の敵をとってやりたいんだよ!」
「わざわざ殺さなかったのに、それを目の前で殺される俺の身にもなってくれよ」
「じゃあお前は!あそこに居るお前の知り合いが殺されてもそう言っていられるのか!」
マルツィオは勢いよく愛莉珠やオルテンシアがいる方向を指差すと、仁も釣られてそちらの方を見やり、憎々しげな表情を見せた。
「……」
「どうなんだよ?」
押し黙る仁に、マルツィオは畳みかけるように問いかけた。
「お前も友人を殺されたら流石にやり返すだろ?分かったならもう止めるな。じゃあな」
マルツィオはそう言うと、仁に背中を見せて再び縛られた野盗達の方に歩き出した。仁はオルテンシア達が居る方向を見たまま何も言わずに居た。
そのまま野盗達が縛られて倒れている当たりまで来ると、マルツィオは薬室の中に弾が入っている事を確認してから、一番手前の男に銃口を向けた。
「死ね」
── パン!
薄暗くなってきた周囲の森に小銃の甲高い音が響き渡り、寝床に戻ってきていた鳥たちが一斉に羽音を立てて飛び立った。鳴きながら逃げていく山鳥達の声が徐々に小さくなり、やがて鳴き声も聞こえなくなった。
「邪魔すんなよ兄ちゃん」
マルツィオが倒れている男に向けて構えていた小銃は、仁の右手で持ち上げられ、暗い空に向けられていた。
「なんだ?実力行使か?流石にそう来られると俺も抵抗させて──」
「……ぇよ」
仁は俯いたまま何かを呟いている。
「はぁ?なんだ?」
ここで仁は顔をあげ、マルツィオの目を見た。仁の目は冷たく冷え切っており、マルツィオは悪寒が走ったかのように体を震わせた。
「殺さねえよ。つったんだ」
「こ…殺させないって事か?」
「いや、友人を殺されても殺さない。だ」
マルツィオは仁の視線に冷や汗を流しながらも、うすら笑いを浮かべた。
「はは、や…やっぱりあんたは甘ちゃんって事か」
マルツィオの問いかけに、仁は死神のような鋭い目つきで睨み付け、低い
声音で話し始めた。
「あんたは死が一番悲惨な事だと考えているようだが、俺はそうは思わないね」
「ひっ」
── ガシャン!
恐ろしげな気配に驚いたマルツィオは小銃を地面に落としてしまう。
仁は目を血走らせ、凄惨な表情を浮かべながらマルツィオの両肩を捕まえた。そして顔を近づけて睨みつけ、話を続ける。
「俺ならそんな奴らの死への逃亡は許さない。生きたまま苦しめてやる。開放などしてやるか。永遠の命を与えてでも世界が消滅するまで地獄の苦しみを味合わせてやる」
マルツィオは肩を掴まれている仁の手を掴んで引き剥がそうと暴れるが、強く掴まれている訳でもないのにピクリとも動かなかった。
「どうせ奴らはすぐに処刑だ。ここで殺す必要はないだろう?」
「や、分かった、分かったから放してくれ!」
「そうか、分かってくれたか。ありがとう」
マルツィオが肯定すると、仁はすぐに手を放してにこにこと笑顔を浮かべ、ばんばんと掴んでいた手で両肩を叩いた。
「大丈夫、あそこにいる俺の知り合いが役人にコネがあるらしくてな。話せば重い罰則にしてくれるさ」
そう言ってユーリの方を指差す仁。マルツィオは吹き出した汗を手の甲で拭う。
「わ…分かった。アイツに話してくるよ」
「俺が紹介してやるよ」
マルツィオは落とした小銃を拾って安全装置をかけると、仁と共にユーリ達が固まって立っている方に向かった。
「ユーリ、彼はマルツィオだ。少し話を聞いてやってくれ」
仁が紹介すると、マルツィオは手を差し出して挨拶した。
「マルツィオ・セルヴァッジだ。よろしく」
「はい、私はユーリ・デリザです。よろしくお願いします」
握手の後、マルツィオが話し出す。
「やつらを警察に突き出したら、あんたが奴らを絞首刑にしてくれるって聞いたんだが本当か?」
「ん?…絞首刑?ですか?」
ユーリは不思議な表情をして、マルツィオの斜め後ろに居る仁の方に目をやった。そこには手を口の所でパクパクと動かしたり、うなずくように首を上下に振ったり、両手を合わせて頼み込むような動作を繰り返す仁が見えた。
「え…ええ、そうですね。絞首刑が可能かは分かりませんが、ある程度の便宜は図れると思います」
「良かった。ありがてえ。できるだけ重い量刑にしてやってくれ。そうすれば死んだヴィンチも報われる」
「分かりました。願いに添えるか分かりませんが口添え致します」
「よろしく頼むぜ」
マルツィオはそう言ったあと、そそくさと急いでその場を離れて仲間の傭兵の元へ小走りで向かった。
「色々と聞きたい事はありますが、ジンさんが最初から私に頼るとは珍しいですね」
「そうかー?今までも頼りにしてたよユーリたん」
「何さらっと惚けた事を言ってるんです。これも貸しですからね。あとなんですかユーリたんって?」
「おう、借りた分はちゃんと返すよー。ユーリたん」
そう言うと仁は右腕でユーリと肩を組んだ。それを見た愛莉珠はきゃっと短い歓声を上げて喜んでいる。
「だから竜の買い付け資金もよろしくな?」
「いえ、あ、それは構いませんが…どうしたんですか急に?」
ユーリはさりげなく仁の手から抜け出した。
「つれないなあ、ユーリたんは。ところで、ティバルディさんだっけか?」
「何ですかな?」
「あのピンク色の竜の件で少し相談があるんだが」
「それは構いませんが、もう日も暮れてきました。この辺りは夜になると狼や二足竜も出るので、とりあえずサリトーに向かいたいですな」
「そうだな、ここからサリトーまでどの位かかるんだ?」
仁は西の空を見るが、すでに太陽は山脈の向こうに沈んでおり、空はすでに紫紺に染まりつつあった。暗い夜空に茜色に染まった山の稜線が浮かんでいた。
「あと1時間くらいですかな?」
「分かった。暗くなると厄介だ。街に行ってから話をさせてくれ」
「あの野盗どもはどうするのですか?」
「運べそうも無いし、とりあえず放置かなぁ?ユーリ、どう思う?」
「街に着いたら警官に連絡して回収して貰うしか無いでしょう」
「まあ、その位なら獣に襲われることも無いかもな…」
「わかりました、おい、みんな!出発するぞ!遺体を馬車に乗せて、馬具と檻を確認しろ!」
仲間の遺体を馬車の一つに乗せ、隊商は沢山の馬車を引いて進み出した。仁達は徒士だったが、馬車の速度は歩く速度と大差無いので苦も無くついて行ける。一応護衛も兼ねてという事で、仁達三人は隊の先頭を、ユーリとルーは後方を歩いていた。
すでに周囲は暗くなっており、馬車にはランタンが吊されている。列の最後方ではルーがランタンを持って歩いていた。
「さっきのジンさん、少し変でしたね」
「そうですね、あの男も説得したというより脅して言うことを聞かせたようでしたし…」
「感情の揺れ幅が大きそうな人ですから、あの傭兵が何か怒らせることでも言ったんじゃないでしょうか?」
「かも知れませんね。我々も彼らを怒らせないよう、気をつけないといけませんね」
「はい。あの傭兵に向けた殺気にも似た、気配は空恐ろしいものでしたよ…」
「そうだな…」
その後は何事も無く、仁達と隊商はサリトーの街に着いた。