#19
仁達が宿を引き払って戻ってくると、待っていたユーリらとブラートラに向けて馬車で出発した。馬車は八人乗りの二頭立てで、硝子窓付きの籠と、天井の上にも簡易的なベンチが付いた二階建て形式になっている。出入り口は右側中央にあり、内部は両側の窓に沿うよう四人がけの長椅子が設置されていて、右側の椅子の一部はドアの裏側に付いていた。左側の椅子には仁達三人が座り、右側にはユーリ、ルー、ドナドーニが座っている。車内は狭く、両側に座ると足が当たり、天井も腰を伸ばして立てない程低いが、定員一杯ではないのですこしだけ余裕がある。
がたがたと激しく揺れる馬車の乗り心地はかなり悪く、ドナドーニとオルテンシアは座席で丸くなって吐き気を堪えている。オルテンシアは愛莉珠に背中を撫でて貰っていたが、トナドーニは一人で苦しみに耐えている。走り出してからは皆無言であったが、しばらくすると仁がユーリに話かけた。
「わざわざ用意して貰って悪いが、こんな高い馬車の料金、払う余裕無いぜ。普通の幌馬車で良かったのに」
「なぁに、籠の料金は負けて貰ったので、料金は特別便と同じですよ」
「それはそれは、優しい駅馬車屋に感謝しねーとな」
「いやいや、そこは交渉した私に感謝して頂きたいのですが」
困ったような表情を浮かべるユーリを突っぱねるように仁は半眼で睨む。
「頼んでねーし、これ以上あんたに貸しを作ると何を頼まれるか分かったもんじゃない。金はちゃんと高くても人数分払うよ」
そう言われたユーリは悲しそうに俯き、視線を逸らせた。
「おやおや、これだけ尽くしてもまだジンさんの信頼を得られないとは悲しいです」
「言ってろ」
「お金に困って居なさそうなジンさんは竜を買い戻し資金もお持ちなんですよね?」
ここでユーリは顔を上げ、にこにことした表情で、
「もしかしてと思い資金を用意しておいたのですが、これはとんだ失礼をしてしまいました。お許しください」
「ぐっ!」
仁はくぐもった声を上げた。その後、嫌そうな表情を浮かべる。
「お前、やっぱり嫌な奴って言われるだろ」
「ユーリ様はこの通りお優しい方なので、そんな事を仰られるのはジンさん位ですよ」
ルーは眉根を寄せ、頭の狐耳をぴょこぴょこさせて抗議する。
「良いのです、ルー。これも私の人徳の致しなさが招いたものです。ここは更に精進する事に致しましょう」
「お労しやユーリ様」
およよ。と軽く泣き真似をしてみせるユーリ。目だけでチラッと仁の顔を一度見ると、再びおよよとわざとらしい泣き真似を始めた。それを見た仁は心底嫌そうな顔をする。
「分かった分かった。必要になったら考えてやるから、そのうっとおしい泣き真似を止めてくれ」
仁が諦めたように手をしっしと振って答えると、ユーリは表情をころりと変えて笑顔を作る。
「そう言って頂けると思っていました。貸し付けると言っても、利子のほうは安心して頂けると思いますよ」
「借りると決めたわけじゃないが、一応聞いておいてやるよ。そもそも高利貸し並だったら借りたが最後返せないからな」
「はい、以前アリスさんにもご提案頂いたように、ここは一つジンさんの躯で──」
「ぜってー借りねえ!」
「やだなぁジンさん。軽い冗談じゃないですか」
ぷいと横を向いて拒絶の意思を表す仁に、手を振って冗談だと弁明するユーリ。
「えー!冗談なんですか?」
「いえ、アリスさん。冗談というかまあ、この先幾つかお頼みしたい事が出来そうなので、そう言った頼み事を優先的に受けて頂きたいな。という提案なんですが」
「借金を形に無料働きってやつか」
「あ、もちろん仕事料は別途お支払いしますよ?それで返済されるもよし、先延ばしにするもよしです」
「やっぱり俺達に有利過ぎるんだよなーそれ。信用が無い俺達に金を貸しても返ってくるかどうか分からないってのに。うまい話にゃ裏があるってもんだ」
座席に座って寛いでいた仁は、少し前屈みになって真面目な表情をしてユーリを鋭い目つきで見つめる。
「ユーリ、あんた一体何を企んでる?」
ユーリも真面目な表情だが、笑顔を浮かべたまま返答した。
「お気づきの通り私にも色々と思惑がありますが、我々はジンさん達を傷つけるつもりもありませんし、敵対するつもりもありません。仲良くなりたいとは思っていますので、信じて頂くしかありませんね」
仁は前屈みになっていた体勢を元に戻し、椅子に背をつけて両手を頭の後ろで組んだ。
「ふーん。まあ、素直に目的を話すようには見えないからなぁ」
ユーリは少し苦笑した。
「ふっ…そうですね。我ながらかなり胡散臭い連中では無いかと思っています。ですがまあ、今はお互いをまだ良く知りませんし、詳細はお互いの仲を深めてからという事で」
「仲ねぇ。金の件も有り難いっちゃ有り難いが、例の神関連の物探しができるって人を紹介してくれたら、そりゃもー凄く感謝するんだがなぁ」
「いえ、アレは…流石にすぐには無理ですね。色々と面倒かも知れませんが、準備が整えば紹介しますよ。約束します」
「ぶっちゃけその人の探知能力が凄けりゃ、あの竜は割とどうでもいいんだが…」
「うぷ…それは…私が、困ります!」
仁の呟きにドナドーニが反対の声を上げる。
「分かってる分かってる。先はどうなるか分からんが、とりあえず竜の所までは一緒に来るといいさ」
「う…お願いします」
ドナドーニはそう言うと、また吐き気を我慢するように押し黙った。
「ところで、彼は世話係をしていたとおっしゃってましたが、何故ここまで付いてきているのですか?」
「なんでもあの竜と添い遂げたいらしいぞ」
「竜と!」
「へー」
ユーリとルーは驚きの声を上げる。ユーリは好奇の視線を、ルーはそれよりは少し真面目な視線でドナドーニの方をみる。
「それは…また…面白い趣味の方と知り合いになられましたね」
「そうだなぁ、無利子で大金を貸してやるから友達になろうとかいう趣味を持った奴と、どちらが面白い人間か少し考えてみたくなるくらい面白い奴かもな?」
「ふふ、言いますねジンさん…」
そう言って半眼で睨み合う二人。
「あのー、私からも、一つ質問をして宜しいでしょうか?」
オルテンシアの世話をしていた愛莉珠が声を上げると、ユーリは再びにこりと笑みを浮かべて愛莉珠の方を向いた。
「どうぞ、アリスさん」
「有り難う御座います。少し聞き辛い事なのですが…」
愛莉珠は少し顔を赤らめ、目を逸らしたり戻したりと言いよどんでいる。
「お気軽にどうぞ。美しい女性からの質問であれば、何でもお答え致しますよ」
「差別かよ」
「有り難う御座います。それでですね…ユーリさん…」
「はい」
恥ずかしがってもったいぶる愛莉珠に、ユーリ以外の全員が何を聞くのかと固唾をのんで見守っている。
「先ほどの利子の支払いに関してなのですが、仕事の代わりに兄様が躯を売るとしたら、一晩お幾ら位になるのでしょうか!?」
「「「は?」」」
一瞬固まる他の面子をよそに、恥ずかしそうにしていた愛莉珠は、言い切ったことで照れが無くなったのか、ワクワクとした表情でユーリの返事を待っている。
「それを聞いてどうするつもりなんだよ!」
「いえ、万が一高給なようであればそれも選択肢のうちの一つに入るかと…」
「ねーよ!つーかそれお前の願望だろ!」
「私もちょっと興味ありますね」
「あー、私も聞いてみたい」
「お前らはあああぁああ!」
女性陣の賛同にがぁぁと頭を掻き毟る仁。
「そうですね…私はノーマルなので必要ないですが、ジンさんほどの実力者であれば好事家が喜んでお金を払いそうですし…えーと…」
「いやソコも真面目に答えなくていいから!黙れええええぇ!」
試算を始めたユーリを止めようと、席を立った仁はユーリの両肩を捕まえて激しく揺さぶった。ユーリは揺さぶられながらも言葉を続ける。
「よ…予そ…予想値ではあり…ますがー」
「はい」
ゴクリを唾を飲み込んで聞き入る愛莉珠。
「きっとじゅ…」
「聞きたくない─────────!!!」
仁の絶叫は疾走する馬車から街道の遠くまで響き渡った。
・
ヴェスビオの街から来るとピブワン王国とアネモス王国王都への分岐点となる街、ビアンケ。ヴェスビオの街を昼前に出発し、途中の宿場町で三度馬を交換して4時間ほどで着き、まだ日は高かった。
ユーリの話を信じれば竜を連れた隊商は今朝までブラートラという街におり、その街はビアンケから駅馬車で2時間ほどであったが、仁達は予定通り情報を確認してから明日出発する事にし、宿を押さえて街の要所で情報を集めた。
結果としてユーリの情報は正しかったらしく、翌日、一行は早朝から王都アネモスへ向かう街道を再び駅馬車で進み始めた。昨日と違うのは今回の駅馬車は定期便で、仁達6人以外にも3人の客が同乗していた。
重い荷を引いている隊商は徒歩の速度と変わりないため、今朝の時点では2日ほど先行した地点にいると予想できたが、仁達が乗った馬車は当日中にサリトーという街に着くことになっており、おそらくその街に今日の日没時点は居るだろうという予想を立てていた。
その日の旅は特に何事も無く過ぎていき、宿場町で馬を交換しながらブラートラを過ぎ、その次の大きな宿場町であるクルティッセレも通過した。目的地であるサリトーはクルティッセレから徒歩で1日程度の距離にある山間の宿場町で、日没前後くらいには到着する予定だ。
馬車の揺れにも慣れたのかオルテンシアとドナドーニも昨日よりは幾分顔色が良く、がたがたと激しく揺られるだけの退屈な馬車の旅が続いていたが、山間を進み始めた日暮れ時に馬車が急停止した。
「追いついたのでしょうか?」
「どうだろ。わざわざ止まるとは思えないが…」
途中で追い抜いた際に気がつくよう、仁達は窓の外をある程度見ていたが、窓からでは前方や後方の様子が見えない。馬車の中で御者台近くに座っている男が、御者との会話用の窓を開けて御者に話しかけた。
「どうした?」
「いや、どうも街道の先で野党に襲われている奴らがいそうなんだ。引き返すのに異論があれば外に出て確認して見てくれ」
そう言われ、念のためという感じか全員が一度馬車の外に出た。山道にさしかかっていて周囲は森になっているが、街道の両側はある程度木が刈られていて見通しが良かった。400mほど先で道が大きく左に曲がっており、その付近で何やら争っているような人影がみえる。
屋根の上に乗っていた二人はすでに確認していたようで、篭の中に居た仁達とあと一人の男が御者に手渡された単眼の望遠鏡で前方の様子を確認していく。
「どうもビンゴっぽいな」
仁が街道の前方をじっと見つめて呟いた。ユーリは御者から受け取った望遠鏡で前方を見ている。
「そのようですね。例の竜が乗った檻車が見えます」
「本当ですかっ?貸して、貸して下さいっ!!おお、本当だ!彼女がいる!」
確認が終わったユーリは望遠鏡をドナドーニに手渡した。それから順に仁達も確認していると、御者が疑わしげな声を掛けてきた。
「なんだよビンゴって、あんたらまさかあの野党を追いかけてたのか?」
「違う違う、俺達が追いかけてたのは襲われてる方。サリトーで追いつく予定だったんだが…さて、とりあえず俺が急いで助けてくるから、愛莉珠は荷物を頼む」
「ちょっと、兄様!」
愛莉珠が声を掛けるが勢いよく走り出した仁は止まること無く全力疾走のようなスピードで道を駆けていった。
「あ、私も行きます!」
「貴方はだめですよ」
仁の後を追って駆け出そうとしたドナトーニの服を愛莉珠が捕まえて止める。
「そんなっ?離して下さいよ」
「貴方が言っても怪我をしてしまうだけです。大人しくしていて下さい」
「それは…確かにそうですが…」
「もう、面倒な事ばかり押し付けるんですから。ほら、荷物を降ろすので手伝って下さい」
「御者さん、私たちはここで降りますので前の宿場町まで引き返して頂いて構いません。ですが、あと数分も待てばあの野党は全滅すると思いますが、如何いたしますか?」
「あんたらが降りるのは構わねぇが数分が命取りになる事もある。他に降りたい奴が居ないなら引き返させてもらうよ。悪いことは言わねえ、あの無謀な男は放っておいて、あんたらも一緒に乗って戻った方が良い」
会話をしている間に愛莉珠達が全員分の荷物を馬車から引っ張り出して一カ所に集めた。
「そういう訳にもいかないのですよ。では、帰りの道もお気を付けて」
「分かった。無理にとは言わねえ。町に戻ったら警邏の人間には伝えておくから気をつけてな」
そういうと御者は他の乗客を乗せてから方向転換すると、来た道を飛ばし気味に戻っていった。
「さて、我々も行きますか。荷物は私たちが運びますのでアリスさんは先に行って貰って構いませんよ?」
「シアさんの護衛もありますし、自分達で運びます」
愛莉珠が答えると、ユーリは苦笑いを浮かべる。
「まだまだ信用が足りないという事ですか」
「そういう訳でもないんですが、兄様が離れた時は私がシアさんの側に居るようにしてるんですよ、習慣というか…」
愛莉珠は困ったような表情でそう言ってから、自分の背嚢を背負い右手に槍を持つ。仁とオルテンシアの分の背嚢を空いている左手で担ぐと、仁の方に向かってゆっくりと歩き出した。
「行きますよ。シアさん」
「あ、愛莉珠、荷物ありがとう」
「馬車に揺られていたのでまだお疲れでしょうし、今日は私が持ちますよ」
「なんかまだ地面が揺れてる気がするわ…」
「私も行きます!」
ドナドーニも自分の荷物を持つと、歩き出した二人の後ろに着いていった。オルテンシアとドナドーニは馬車から降りた直後のためか、足取りが少し怪しい。そんな三人をユーリとルーは暫く見つめていた。少し距離が空いてから、ユーリが自分の荷物を持ち上げた。
「我々も行きますか」
「荷物を押しつけるようで失礼ですが、私だけでも先行してジンさんを手伝った方が良いのではないでしょうか?」
「いえ、その必要は無いでしょう」
「ここは少しでも恩を売っておいた方が──」
ユーリが腕を上げ前方を指差したので、ルーは言葉を止めてそちらの方を見た。
「もう終わってるようですし」
「へっ!?」
ルーが改めて街道の先を見ると、確かに争っているような慌てた人の動きは止んでいた。
「もうですかっ!」
「隊商が全滅してから野党を倒せばそのまま竜を連れ去れるというのに…きっと馬鹿正直に助けたのでしょう」
「まったく、馬鹿な男ですね」
「そうですね、馬鹿な男です。ですが、好感は持てます」
ルーは突然声を荒げ、
「正直者は馬鹿を見るだけだと言うのに!」
そう言うと、険しい表情をして仁がいる付近を睨み付ける。
「我々もああいう生き方が出来ればよかったのですが…」
疲れたような声で話すユーリに、ルーは慌てて表情を戻した。
「ユーリ様…いえ、ユーリ様は立派に責を果たしていらっしゃいます!」
「ありがとう、ルー。さあ、話してばかりいないで我々も後を追いましょう」
「……はい」
ルーも自分の荷物を担ぐと、愛莉珠達に追いつこうとユーリと一緒に足早に駆け出した。