#12
《幕間》
仁達三人はステラと分かれた後、買い物に行こうと商店が集まる地区の細い路地を歩いて商店を見回っていた。路地は狭くとも馬車が多く行き交い、人も多く、とても賑わっているようだった。
商店の多くは道路に面した部分を大きなガラス張りにして、中の商品や様子を窺えるようにしていた。オルテンシアが覗き込んでいたのはパン屋で、中に並べられたパンがよく見えるよう配置が工夫されていた。
「うーん、これ本当にガラスなんだよね?」
トントンと指先で叩いて感触を確かめる。
「透明で綺麗よねー。昔は色の付いたガラスしか無かったのに」
「私たちの本国だと、ガラスのコップとかも普通に出回ってますよ」
「へー、見てみたいかも」
「ここでも食器店やガラス細工の店を探せば見つかるだろう」
「よーし、探すか!」
オルテンシアが先頭を歩き出し、仁と愛莉珠が後ろをついて行く。先頭を歩くオルテンシアはキョロキョロと周囲の店を見ながら歩き、少し危なっかしい。
「あ、ぬいぐるみのお店がある。愛莉珠が好きそう」
「え?どこですか?」
「ほらほら、あそこ」
「わ~~!可愛い!」
オルテンシアが指差す方向には、ショーウィンドウ一杯に飾られた様々な種類のぬいぐるみが見えた。愛莉珠はダッシュで近づくと、ガラスに張り付くように見始める。
「いいな~。可愛いのばっかり」
そこにはフワフワした布地で出来た熊や兎等の動物のぬいぐるみが所狭しと並んでいた。
「愛莉珠はこういうの好きね」
「シアは色気より食い気だしな」
「誰、の、色気、が、無いって~?」
オルテンシアは仁を捕まえようと、両手を広げてじわじわとにじり寄る。
「お、おい、こんなところで止めろよ!謝るから勘弁してくれ」
「んじゃ、ちゃんと謝って」
いつも偉ぶる時に見せる姿勢── 目を瞑り、顎をを少し上げ、軽くそらした胸に開いた右手の指を宛てる ──で仁の返事を待つ。
「すまんかった」
「心が籠もってない」
「ごめんなさい」
「ちゃんと頭を下げて言う!」
「スミマセンでした!」
ガバッと頭を下げながら言う。
「次は土下座してっ!」
「阿呆かっ!」
「痛っ~~!」
ガツンと強めのチョップを入れられて頭を押さえるオルテンシア。
「なによ!ちょっと調子に乗ってみただけじゃない!これは酷すぎるわ!ねぇ、愛莉珠?あんたからも何か言ってやって!」
「……へ?あ、ごめんなさい、聞いてませんでした」
じっくりとガラス越しにぬいぐるみを見つめていた愛莉珠が振り返る。
「はぁ、どんだけ好きなのよ…で、どれか気に入ったの?」
「うーん、欲しいけど、流石に旅の間は荷物になるからなぁ…」
そう言ってまたぬいぐるみに見入る愛莉珠。
「国の愛莉珠の部屋はぬいぐるみで埋まって足の踏み場も無いんだよ」
「なにそれ?どうやって部屋に入るのよ」
「ダイブして、ぬいぐるみの海を泳いで渡るんだ」
「不便な部屋ね…」
「ほらそこの兄様、嘘を教えない嘘を」
愛莉珠は仁の耳を引っ張って懲らしめた。
「さて、ぬいぐるみにも満足したので次に行きましょう。服、買うんでしょう?」
「そうだった。新ったらしい服~♪」
オルテンシアは小躍りしながらまた歩き出し、仕立屋を探し始めた。
「いらっしゃい」
カランカランと音を上げるドアを開けると、店の奥でミシンを踏んでいた中年の女性が手を止め。仁達を出迎えた。
「わ~、古着屋じゃないのにできあがったのが置いてある」
見つけた仕立屋には店頭のショーウィンドウ以外にも、すでにできあがっている完成品を所狭しと店内に吊して並べていた。壁には仕立屋らしく布が大量に並べられている。
吊してある服を見始めたオルテンシアと愛莉珠を横目に、仁は店員に近づいて話し始める。
「吊るしも置いてる仕立屋なんてめずらしいな」
「あたしは時代にゃ逆らわない事にしてるんだよ。既製品のせいで仕事が無くなるなら、それを売って儲けりゃいいってね」
「なるほど、逞しいな」
「試着してみていいですか?」
そこへ手に何着かの衣服を持った愛莉珠がやってきた。オルテンシアも横に居る。
中年女性は愛莉珠とオルテンシアの格好をじっくりと見る。
「いいよ、ただし汚したら買い取って貰うからね。そこの隅を使っとくれ」
部屋の隅にカーテンが掛けられた一角があり、そちらを指差した。
「はい、気をつけます。ほら行くよシアさん」
「うわっ、なにこの大きな鏡!」
「あ、これもお借りします」
そう言って姿見用の大きな鏡もカーテン裏に運び込んだ。薄いカーテンの向こうからきゃっきゃとした会話が聞こえてくる。
「あんたは何も買わないのかい?彼女らがあれだけお洒落さんなんだから、ちっとはあんたもピシっとした格好したらどうだい」
仁は相変わらず、だらしなく着たシュミーズに黒ずくめ、ネクタイ無しのだらっとした格好だった。
「いや、どうにも面倒くさくてな…」
そう言いながらカーテンの方をじっと見つめる仁。
「あんた……あんまりじっと見てたら失礼だよ。ほら、こっちを見な」
女性はそう言うと、カウンターから服のデザイン絵が描かれた束を取り出すと、パラパラとめくっていく。
「これなんか似合いそうだよ。色も黒だし。あんたが好きそうだ」
「そうだなぁ」
仁は見本を見る振りをしながらもチラチラとカーテンの方を見ている。
「じゃーん!」
「ちょっと、シアさん!」
そこから掛け声と共にオルテンシアが飛び出してきて、仁の前でくるっと回ると、長い象牙色のスカートと薄桜色の髪がふわりと広がった。
「どうよどうよ~」
ピタリと回転をやめ、服のあちこちを引っ張ってアピールする。オルテンシアが着ているのはシンプルな長袖のシュミーズでスカートも長いワンピースタイプだった。
「似合ってるよ」
「すごくお似合いですよ」
「ふふ~ん、でしょでしょ~私ってば何着ても似合うし~」
「あ…あの、私はどうですか、兄様」
カーテンからおずおずと出てきた愛莉珠も訪ねる。愛莉珠も同じデザインでサイズが違うシュミーズを着ていたが裾が床に付きそうだ。ツーサイドアップにしていた胡桃色の髪も下ろしてオルテンシアとお揃いにしていた。
「まあ、可愛らしい!お揃いで着てると姉妹にしか見えません!」
「愛莉珠も似合ってるよ。そういう可愛らしい服を着てると良いとこのお嬢様みたいだ」
「なんですかそれ?普段は可愛らしくなくて悪かったですね」
そう言って拗ねたかのようにぷいと横を向いた愛莉珠に、仁は慌てて弁明を述べる。
「いやいや、そういう意味じゃ無くてだな、普段は元気な可愛さで、今日のは深窓の令嬢っぽい可愛さというか…」
「ふふっ、分かってますよ兄様」
機嫌を直して笑っている愛莉珠を見て、仁はふぅとため息をつく。
「でも、ちょっとこれだと胸の所が苦しいかなぁ」
オルテンシアは自分の胸の辺りを触っている。胸の部分がしめつけられるのか、膨らみでパツパツになっている。
「ご馳走様です」
「私のはちょっと裾が長すぎますかね」
愛莉珠の服は胸の部分がだぶついているのと、裾が長すぎて気をつけていないと地面についてしまいそうだ。
「そのくらいなら手直しできますよ。もちろん、手間賃は頂きますが」
「お願いしようかな…あと、仕立物もデザイン画があれば見せて頂けますか?」
「ええ、もちろんありますよ」
その後、一旦元の服に着替え、仕立て服を選ぶのにまた時間をかけ、注文と前金の支払いを済ませてから店を出た。
「既製品が2つで900リーブラ、仕立物が3つで4500リーブラか。いきなり散財だな」
「また稼げばいいじゃない」
「気軽に言うなぁ…」
「すこしお腹が空いたので、遅いけどあそこでお昼にしませんか?」
「私もお腹空いたー」
表通りにあるのはどこも清潔そうな店で、三人が入った店もクロスこそ掛けられて居ないが、店内は比較的綺麗に清掃されていた。昼間は数種類のランチのみということで、3人とも好みのものを注文し、暫くすると注文した料理が運ばれてくる。
「またアラビアータですか…辛いの好きですよね」
「美味しいわよ?一口どう?」
「いいえ!要りません!」
「はは、愛莉珠は辛いの駄目だしな」
オルテンシアの目の前には赤い唐辛子がまるまる一つ乗ったスパゲティが置かれている。仁は普通のトマトソース。愛莉珠はカルボナーラだ。
オルテンシアはフォークで唐辛子を刺すと、愛莉珠の目の前に持ち上げる。
「ほら、あーんして」
「食べません!」
断固として拒否する愛莉珠は顔を逸らした。
「残念」
オルテンシアはそう言うと唐辛子を自分のスパゲティに戻し、ぐるぐるとかき混ぜてから食べ始めた。
食事が終わって食器が下げられると、飲み物とデザートの小さいケーキが運ばれてくる。
「甘~い」
ケーキにかぶりつく愛莉珠は紅茶、他の二人は珈琲を頼んでいる。
「流石に俺にはちょっと甘すぎるな…珈琲には合うが」
「そう?確かにちょっと甘いけど、美味しいわよ」
愛莉珠とオルテンシアはそうそうに平らげてしまうが、仁は一口食べて先が進まない。
「食べないならもーらったっと♪」
「あっ!」
オルテンシアが仁のケーキを突き刺して奪うと、愛莉珠が小さな声を上げる。
「は…はしたないですよシアさん」
「ん?愛莉珠もほしかった?んじゃ半分あげる」
そういって手元のケーキを切り分け、半分愛莉珠の皿に移す。
「もぅ、仕方ないですねえ」
「ま、残すよりいいから気にせず食ってくれ」
文句を言いつつも、愛莉珠は置かれたケーキを早速食べ始める。
「甘いねー。こんな甘い物が日常的に食べられるって、素敵な時代になったものねー」
「昔は無かったんですか?」
「砂糖なんて普通は高くて手に入らなかったわよ。甘い物は果物だけってのが常識だったわ」
「私は今に産まれて良かったぁ」
三人は食事をすませると、次は中央市場の方へ移動した。空が開けて見える広場では上空に浮く船が見えた。
「あ、飛行船が飛んでる。一回乗ってみたいなあ」
オルテンシアが指差す方向には、船のようなものが空に浮かんで、フワフワと滑るように移動していた。
「この街だと遊覧船とかは無いだろうからちょっと無理かなあ?」
「観光地だと遊覧船が出てたりしますよね」
「じゃあ次は観光地に行こう!温泉とか有るところ!」
「そうですねー、ちょっと休憩してそれも良いかもしれませんね」
「路銀にもっと余裕があったらな」
「そもそも、あれどうやって浮かんでるのよ?」
「あれは浮き石って言うのを使ってるらしいですよ」
「浮き石って、あの空に浮かんでる石?」
「ああ、多分それだ。一定の高度に浮かんでいて、その高さより下には下がらないやつ」
「へー、アレかぁ。何でも利用するのは流石人間ね。あ、美味しそうなもの売ってる!」
「まだ食べるんですか…」
オルテンシアは露店売りしている、羊の串焼き肉を買ってきてかぶりつく。
「あー、美味しい」
かぶりつくと肉汁がぽたぽたと地面にこぼれ落ち、周囲に美味しそうな匂いが広がった。
「むむ、美味そうだ…」
「兄様まで」
「仁も食べる?」
そう言って肉の付いた串を差し出すと、仁は食べようと口を近づける。
「あーん、!?」
口を開いて肉を嚙もうとした瞬間、仁は何かに気がついたのか左の方向を急に向き、そちらの方向の気配を探るようにじっと見つめていた。
「どうしたの?」
「いや、つけられてる感じがしたんだが…愛莉珠はなにか感じたか?」
「私も一瞬だけ見られている感じはしましたが…今は感じませんね」
愛莉珠は不自然では無いように、ゆっくりと周囲を見渡している。
「少し気になるな」
「まあ、気にしても始まらないわよ。ほら、あーんして」
「あっ!ちょっとシアさん、こんな往来ではしたないことしないで下さい!」
「串焼きを食べるくらいで何言ってるのよ愛莉珠。ははーん。わかった。実は愛莉珠も食べたいんだ?」
「そんな事じゃありません!」
赤くなって抗議する愛莉珠を横目に、まだ仁は不審な人物が居ないか周囲を見渡していた。
「ほら仁っ!食えっ!」
「ぶっっっ!」
愛莉珠と言い争いをしていたオルテンシアが手に持っていた串焼きを仁の国の中に突っ込む。肉が嚙まれた手応えを感じてから串が引かれ、固まりが一つ仁の口の中に残って串は引き抜かれた。
「痛てぇーよ!口に刺さったぞ今!」
「口の中の傷は治りが早いから大丈夫よ」
「そういう問題じゃねぇ─────!」
露店が広がる中央広場に仁の絶叫が響き渡る。
その後も楽しそうに話しながらオルテンシアが満足するまで市場を見て回ってから、三人宿に帰った。