#9
「ん…」
仁が目を覚まして最初に見えたのは、心配そうに上から自分の顔を覗き込んでいる愛莉珠の顔だった。
「愛莉珠…」
「気分はどうですか?」
そう言って愛莉珠は仁の額に手を当て熱を確かめ、そのまま頬を撫でる。
「ん…またやっちまったみたいだな…すまない」
「いえ、シアさんを助けるためでしたし。それに……いざという時にはちゃんと動けたんだから、凄いですよ」
「そうだな…それが怖かった…」
仁が寝たまま周囲を見渡すと、どこかの遺跡の壁から斜めに張られたタープの下で、乾いた地面には厚手の布が敷かれている。雨が止んだのか外は明るく、雨音の代わりに鳥や虫の声が聞こえてくる。
「……そういえばシアは?」
「元気にしてますよ。今は外で…あ…その…」
「解体してるのか」
「……はい、お兄ちゃんが仕留めた竜が結構と大きくて、皆さんで奮闘していますよ」
「そっか」
愛莉珠はあやすように仁の髪を撫でる。
「もう少しお休みになりますか?」
「そうだな…」
「おっ、仁!気がついたのね」
「うわっと!」
シアが突然現れ、仁は素早く飛び起きた。
「はあぁ~?なに驚いてるのよ?ははーん、そっかー。お年頃だもんね」
「馬鹿!そんなんじゃねーよ!」
反論する仁の顔は赤く染まっている。
「そうですね、兄様にもそろそろ起きて頂かないと。私の膝枕が恋しくなって、また倒れられても厄介なので」
「するかっての!」
「じゃあ、愛莉珠の膝枕は気持ちよくなかったの?」
「へ?」
「残念です兄様。私の脚は硬すぎて耐えがたい物だったのですね…」
およよ。と大げさに泣き真似をする愛莉珠。
「はぁ…お前らなあ…」
「ぷくくっ」
仁があきれ果てて脱力すると、ツボに入ったのかオルテンシアが吹き出す。
「そんなに俺をからかって楽しいか?」
「楽しいわよ」
「楽しいですね」
「!」
即答されて絶句する仁。
「いやー、凄くからかい甲斐のあるリアクションしてくれるしさー」
「ライフワークにしたいくらいです」
やり返そうと、今度は仁が泣き真似をする。
「ひどいっ!俺はお前らの玩具じゃない!」
「へ?違ったの?」
「玩具と言うより、愛玩動物ではないでしょうか?」
オルテンシアが手をぽんと叩いて納得する。
「あー、それ言い得て妙ねー」
「お前らなあ!」
「キャー!仁が怒ったぁ!」
楽しそうな悲鳴を上げると、オルテンシアは逃げていった。
「ふぅ…」
「さて、では私もそろそろ作業に戻ります」
そう言うと愛莉珠は立ち上がると服を整え、脱いでいたブーツを履き始める。その姿を見ながら、仁は何か考えているようだ。
「俺も、行くよ」
「!」
愛莉珠は驚いて仁の方を向いた。
「俺が…その…殺しちゃった訳だし。どうなるのか見届けたいんだ」
仁の瞳を愛莉珠は無言で見つめている。
「ふぅ…そうですね、お兄ちゃんが頑張るというのなら、私がとやかく言う問題でもないし…。ただ、心配はあまり掛けさせないでくださいね」
「ああ、見てるだけにするよ」
「はい」
愛莉珠の同意を得た仁は自分も敷布の脇で干されていたブーツを手に取る。
「あれ?」
ブーツはまだ酷く濡れていて冷たかった。自分の服や髪に手を当て、濡れているか確認する。髪は少し湿っているが、服は乾いていた。そのままブーツに脚を突っ込んで手早く紐で縛り、待っていた愛莉珠と並んで歩き出す。
晴れ上がった空には雲一つ無く、暖かい空気で満ちていた。軽く吹いている風が雨上がりの匂いを運んでくる。地面はまだ泥濘んでいるが、軽い歩調で二人は歩いている。
「着替えさせてくれたんだな」
「はい、シアさんにも手伝って頂きました」
にたにたと笑みを浮かべる愛莉珠に仁は苦渋に満ちた表情を返す。
「で?」
「で?とは?」
「見たな?」
「見たな、と言われましても…何の事でしょう?」
あくまで明確に言わせようととぼける愛莉珠に、仁は攻め方を変えた。
「下穿きも変えたのかって聞いてるんだよ」
「さて…私も気が動転していたので…どうだったか…良く覚えていません」
「嘘付けっ!」
頬に指を当て、眉根を寄せて思い出そうというそぶりを見せる愛莉珠に突っ込む仁。愛莉珠は笑いながら横目で仁を見て続ける。
「ただ、何かこう、記憶の中で立派な物を見たよう…な?」
「やっぱ見てんじゃねーか!貸しだからな!」
「まあ!人に看病させておいて、貸しとは酷いですよお兄ちゃん。うふふっ、でも大丈夫。嘘ですから」
愛莉珠そう言うと軽く駆け出して前に出る。
「ふぅ…なんだ嘘か」
一旦振り返り、可愛く舌を出す。
「覚えてないというのが、嘘でした」
「愛莉珠っ!」
「あははっ」
仁も愛莉珠の後を追って駆け出した。
・
少し離れた水辺に荷車が横付けされ、近くでは離された牽引竜が座って休んでいる。荷車の梁からは牛ほどの大きさの虫竜が吊されてタチアナが解体処理をしており、その向こうには荷車の四倍ほどの大きな物体が横たわっていた。
「あれか、ちゃんと見てなかったけど、やたらでかいな」
「気分は大丈夫ですか?」
「ん…正直少し悪いが、大丈夫そうだ」
「ジン!気がついたんですね」
こちらに気がついたステラが作業の手を止め持っていた短刀をしまうと、血で汚れた両手を布で拭きながら駆け寄ってくる。
「では、私も解体作業に加わってきますね」
「おい!」
愛莉珠が横たわっている竜の方に歩いて行くと、入れ替わりにステラが抱きつくように仁に飛びつき──
「ぶっっ!」
仁の右手で顔を掴まれ、ステラの目的は達せられなかった。
「ひぼいですよジンざん、ぜっかくのざいかいをごごろがらわがちあおうと…」
「すまん、気持ちだけ受け取っておくよ」
そう言って手を離すと、痛かったのかステラは顔をさすっている。
「ふぅ。痛かった。でも、嬉しいです──」
「ああ、もう大丈夫だ。頑丈なだけが取り柄だしな」
「──僕の気持ちを受け取って頂けるなんて。でもできれば体の方も…」
「そっちか!?いや違うし!その気持ちは受け取らない!」
もじもじと照れながら話すステラに体全体で否定の感情を表す仁。
「はぁ…なんだって俺の周囲はこう話を聞いてくれない奴が多いのか…ぶつぶつ」
疲れ切ってしゃがみ込み、ひとしきり愚痴をこぼす。
「いや、まあいい。ところで、あれからどうなった?」
「あれからですか?ジンが倒れたあと、アリスとオルテンシア様がジンを濡れない場所に運んで看病しているようでした。その間に我々は獲物の下処理をしていたのですが、大きな方が動かせなくて…そうです!聞いて下さい」
「な…なんだ?」
仁は、また何か良からぬ方に話が進むのかと警戒気味だ。
「あの大きい方、四本角だったんですよ四本角の巨大な水棲竜!数年に一度捕れるかって種類なんです!」
「へえ、それは…吹き飛ばしちまって悪いことをしたな」
「バラバラ砕けたのはアゴ付近だけで、後は集められましたよ。上顎の牙は大方が駄目でしたが。でもやっぱり凄いですね。あの大きさの竜を一撃で仕留めるなんて。しかも素手で!誰でも惚れてしまいますよ!」
「いや、普通は男は男に惚れんだろ…で、結局は牽引竜を使って引き上げたのか?」
「最初はそうしようと思ったのですが、重さも重さですし、地面も泥濘んでいて上手く引けなかったのです。仕方が無いので水中でそのままバラそうかとタチアナと相談していたところで、戻ってきたアリスが引っ張り出してくれました。いやー、あれも我が目を疑いましたね。どう考えても無理だ!って私もやる前は言いましたし」
「やっぱそっかー。なあ、さっきの愛莉珠の話や、俺が一撃で大型の竜を倒したって話、出来ればあまり言いふらさないで欲しいんだが…」
「へ…何故です?」
キョトンとした表情で尋ねる。
「いや、ちょっと事情があってな。あまり目立ちたくないんだ。新聞に載ったって件だけでも頭が痛いってのに…」
「事情…ですか。ジン達の実力なら高い名声が得られそうなのに、勿体ないです。ですが、そういう事情であれば言いふらさないようにします。そう、僕だけの英雄だと思えば…ふふ」
「う…ああ、タチアナさんにもよろしく言っておいてくれ。あと、解体作業を見たいんだが、いいか?」
「……?もちろん構いませんが…大丈夫ですか?」
「ああ、多分」
「気分が悪くなったらすぐ休んで下さいね」
仁達はそこで話を切り上げ、作業しているみんなの所へ歩いて行った。
・
仁が近くに行くと、地面に上げられた大きな竜の全体が見えてきた。全長は10m位で、1.5mほどの頭と、全長の半分ほの長さの縦に平べったい尻尾を持っている。体色は葡萄色と深緑が混ざった様な色をしており、トゲの付いた大きな鱗で覆われていた。
大きな頭は横に平べったく、頭の右側が吹き飛んでおり、四本あると聞いていた角は頭の左側に二本揃って前に長く延びているが、右側の2本は吹き飛んだのか見当たらなかった。
すでに三分の一以上の皮は剥ぎ取られ、所々に血の混じった肉はピンク色をしてテラテラと光っている。
仁は凄惨な状況を見て、顔をしかめて口を手で押さえる
「あら、仁。見に来たの?珍しいわね」
「…ああ、邪魔だったら言ってくれ」
「ふふん、しっかり私の手元を見て勉強する事ね」
オルテンシアは手早く短刀を使って竜の皮を剥いでいく。愛莉珠は体の反対側の皮を剥いでいるようで、声だけ聞こえてきた。
「兄様、逢い引きはもうおしまいですか?」
「逢い引きだなんて…そんな…」
「おまえなあ…」
仁は言いかけてから少し考え、言い直した。
「いやー、俺、男より女の子が好きだしー。どうせならー、愛莉珠みたいな可愛い女の子とデートしたいなー」
「んにゃ!」
可愛い悲鳴を上げた愛莉珠はそこで黙り込んでしまう。
「うっしゃ!」
「なに一本取ったみたいな顔してるのよあんたは…」
ガッツポーズを取る仁を他の二人は冷めた目で見つめていた。
「では、私も頭の方からやっていきますね。分からないところがあったら聞いて下さい」
「ええ」
そう言うと、ステラは竜の頭の方に向かい、肉や骨を切り分け始めた。オルテンシアと愛莉珠が皮を剥ぎ終わると、大きな刃物を使い、3人で協力して体の解体を始めた。
仁は少し離れた場所に座り、切り分けられて少しずつ小さくなっていく竜の姿を最後まで見ていた。
・
「いやー終わった終わった」
「流石に疲れましたね」
「そうですね。普通の何体分あったか…しばらくはやりたくないです」
薄紅色に染まり始めた太陽に照らされながら、オルテンシア、ステラ、タチアナは、それぞれ感想を述べた。
三人の前には切り分けられ、布に包まれた肉が部位ごとに区分され積み上げられており、骨も乾燥させるため一カ所に纏めて置かれていた。爪、角など、高価な物だけは綺麗にして荷車に積み込み済みだった。
内臓類は陶器製の壺で塩漬けにされているが、容器が足りないので残りは乾燥させる予定で別に分けてある。
「正に捨てるところ無し!って感じね」
「荷台に載りきるのかが少し心配なくらいですね…」
少し離れた場所で座って見ていた仁が立ち上がろうとしたところに、愛莉珠が近づいてきてきて、手を差し出す。
「お疲れ様です。兄様」
「いや、俺は見てただけさ。そっちこそお疲れ様」
差し出された手をとり、仁は立ち上がる。
「兄様も頑張ったと思いますよ。凄い進歩です」
「ん…そうだな。そうだといいが…」
「愛莉珠ー!タチアナさんと体洗いに行くけどあんたも来るー?」
「はい、行きます」
解体作業をしていた四人は全員汗だくで、服は多量の血で汚れていた。
「覗くなよー」
「誰がっ!」
女達三人が、着替えらしき荷物を持って歩いて行く。
「ではジン、僕たちも行きましょうか」
「やだ」
「そんなっ、ジンも疲れてるだろうし、そんなジンを癒やしてあげたい…」
「ぜってー嫌。体を洗うなら一人で行ってこい」
走って逃げ出した仁をステラは見つめていた。
「ジン…」
・
日が暮れてから始まったその日の夕食は豪勢な物で、新鮮な竜の肉を焼き、ワインも振る舞われ、各自ブリキ製のカップを持っている。
食事前にステラが立ったまま話し出す。
「さて、色々有りましたがジンのおかげで大物を仕留める事ができました。もう荷も一杯なので、明日からは帰路に付きたいと思います。」
「帰るのは構わないが、肝心のステラの試験とやらのほうは大丈夫なのか?1匹しか仕留めてないが」
ステラの第一声から早速の突っ込みに、ステラはタチアナの方を見る。
「ええ、若様がしっかりと一匹は倒してらっしゃいますし、手を貸せなかったとはいえ、四本角を仕留めて帰ったとあれば文句は出ないと思います。ジン様もどうなる事かと思いましたが、流石でした」
「最後が締まらなかったけどな」
フッっと苦笑して仁が答える。
「えー、それでですね、持ち帰れないほどの量の肉も捕れましたので、お祝いも兼ねて好きなだけ食べて下さい!」
「おー!」
「お、おー!」
ノリのいいオルテンシアが答え、合わせるように残り二人も唱和する。
「残念ながら夜番もあるのでワインは各自2杯までとなりますが、乾杯しましょう。乾杯!」
「「「乾杯!」」」
唱和をし、全員がワインで唇を湿らせる。焚火の上では肉の固まりが焼かれており、ナイフで切り取って各自食べていく。肉以外には乾燥野菜のスープと、雑穀を煮込んだリゾットのような物が振る舞われている。
早速ワインをがぶ飲みしながら肉を切って食べているオルテンシアを横目に、愛莉珠はスープとリゾットを木皿にとりわけ、仁に渡す。
「どうぞ、兄様」
「ん、ありがと」
「食べられそうですか?」
「正直、食欲はないが…」
そう言いながら、スープを匙ですくって口に運んで飲み込む。
「なんとか食えそうだ」
「よかった」
愛莉珠は深く安心したような息を吐いた。
「このワイン、結構おいしいですね。」
「そうだな」
安心してワインを飲み始めた愛莉珠に合わせて仁もコップを手に取り少し飲む。
「ほらそこ!いつもいつもイチャイチャして!」
「へ?」
「はひっ?」
座って食べている二人の側へ来たのはステラだった。
「ジン、ちょっとは僕の気持ちも考えて下さいよぉ」
「危なっ」
仁は倒れ込むステラに持っている食材をぶちまけないよう、両手で食器を持ち上げた。その隙にステラは倒れ込むように胴に抱きつき、腹に頬ずりをする。
「ああぁ~ジンの匂いだ~。くんくん」
「ひううぅう、ねえ取って、これ取って!」
おぞましさに鳥肌を立てながら頼み込むが、愛莉珠は瞳に星を浮かべながらワクワクと期待した眼差しを向けている。
「あぁ!兄様!こんなに間近で本物のBLが見られるなんて!」
「愛莉珠も正気に戻れぇぇええ!」
「あらあら、楽しそうね仁」
「若様、またそのような事を!」
ぞろぞろと全員が集まってくる。
「酔ってんだろステラ?こらっ、離れろよ!」
両手の皿を地面に置き、力ずくでステラを引き離そうとするが、両手を後ろから愛莉珠に掴まれてしまう。
「へ?」
「兄様、駄目です。兄様は総受けなんですから抵抗しちゃ駄目なんです」
「へ?なに言ってんの愛莉珠?総受けって何?」
「大丈夫です。僕、お父様にいつも慰めて貰っているから、慰め方はよくわかってます」
「それは慰めるの意味がちがう──!」
「ぷっははは、あんた達何やってんの?受ける~」
抱腹絶倒とばかりにお腹を抱えて笑い転げるオルテンシア。
「総受けっていうのはですね~」
「いや愛莉珠、説明はいいから離せっ!お前も酔っ払ってるだろ。お前ら酔うの早すぎっ!」
ほわほわした感じでしゃべり出す愛莉珠に突っ込む仁。その間にもステラはガチャガチャとズボンのベルトを外しだす。仁は暴れているが、愛莉珠に押さえ込まれてステラを振りほどけないようだ。
「この中にジンの大切なモノが…」
「やめてー!」
「あぁ…私にもとうとう可愛い義理弟が出来てしまいますのね」
「はははっ、ぷっ…苦しっ…ぐふっ」
ベルトがストンと地面に落とされ、ズボンに手を掛けたステラは一気に──
── パシンッ!
「痛っ!」
乾いた音がしたかと思うとステラが悲鳴を上げて仁の上から転がり落ちた。
「いい加減にして下さい若様。いくら親方様の影響とはいえ、そんな世界は間違っています!」
タチアナは鞭を右手に持ち、鞭の中程を持った左手で引っ張ってピシピシという音を立てている。窮地を脱した仁は脱力して愛莉珠にもたれ掛かっていた。
「ふぅ…助かった…ありがとうタチアナさん。頼れるのはタチアナさんだけだよ」
「今度という今度は我慢出来ません。私が若様を普通の世界に戻してあげます。この鞭を使って!ハァ、ハァ…」
「…アンタモカヨ…」
「さぁ、若様っ!そんな腐りきった世界は捨てて、こちらの世界にいらっしゃい!」
「痛いっ、あっ、あっ、駄目っ!タチアナ、キツイよっ!」
鞭打つ音と共にステラの悲鳴が聞こえてくるが、仁はあえてそちらを見ないようにしている。
はぁと深く呆れたため息をついた仁が顔を上げると、さっきまではしゃいでいたオルテンシアが顔を赤らめてあらぬ方向を向いていた。
「どうした?」
「ん~、まあ昼間も見ちゃったんだけど、こういった所で見せられるとまた違った感じというか…」
「昼間?」
どうしたのかと後ろの愛莉珠のほうに顔を向けるが、愛莉珠も少し赤くなって横を向いていた。
「?」
「ほら、それ」
横を向いたまま仁の股間を指差すオルテンシア。仁のズボンは膝下まで降ろされて下穿きがあらわになっていた。
「あははっ、いや、スマン」
愛莉珠に掴まれていた手を軽く引き抜くと、仁は慌ててズボンを上げた。
「いや、俺のせいじゃないし。違うよな?」
「そうですね、不可抗力でしょうか?」
「まったく…恥ずかしいモノ見せないでよね」
「駄目っ、タチアナ、恥ずかしいし、痛いよっ!」
「ほーら若様、痛いだけじゃないでしょう。素直に言いな…さいっ!」
まだタチアナの鞭による矯正は続いていた。
「あっ、あっ、ジン、助けて。怖いよ僕。変な世界につれてかれちゃう!」
仁達三人は少し遠巻きにタチアナとステラを胡乱な目で眺めていた。
「ほら、呼んでるわよ。助けてあげなさいよ。仁」
「やだよ、俺もタチアナの言うまともな世界に連れてかれたらどうするんだよ」
おーほっほっほと高笑いを上げながら鞭を振るっているタチアナを見て、愛莉珠は何かを思い出したかのように話し出した。
「そういえば、兄様は仕事の後でタチアナさんとお楽しみがあるんでしたよね。これはとても楽しみになりそうです」
「あー、そうねえ。そんな事になったらきっと仁もあっちの世界の住人になっちゃうんだろうなぁ…」
「いや、さすがにアレはちょっと…いや、だがあのおっぱいは捨てがたい…むむ…難しい問題だ…」
「はぁ…」
可愛そうな人。という視線を仁に向ける二人。
「あっ、僕いっちゃう!違う世界にいっちゃうよー」
「ほら、若様!あと一息です」
ピシピシと鞭を打ち続けるタチアナ。
「これ、いつ終わるんだ?」
「さぁ……」
「まったく、なんで俺の周囲の人間はこう…」
「やっぱりあれじゃないの、仁。類はナントカを呼ぶって」
「俺はあんな奴らの友じゃないっ!」
「あっ、あああぁああ~~」
ステラの艶めかしい悲鳴が響き続けた。
・
暗闇の中、焚火がパチパチと音を立てて燃えている。周囲を照らすには心許ない勢いの火で、そこには小さな鍋が掛けられオルテンシアが中身の様子を確認していた。蓋を開けると美味しそうなソースの匂いが広がる。
「珍しい、料理か?」
「ええ、出来るって言ってたでしょ?」
仁が暗闇から歩いてきて、火の側にある座席代わりの石に腰掛ける。オルテンシアは鍋の様子を見ながら会話を続けた。
「ちょっとは寝られた?」
「ああ、どっからかステラが現れるかと思うとビクビクものだったけどな」
「あははっ、タチアナさんが縛り上げとくって言ってたじゃない」
「どんな縛り方とか、考えたくもないけどな…」
「なにそれ?縛り方?」
「いや、知らないならいい…」
振り返って問いかけたオルテンシアに手を振って答える仁。
「ふーん」
オルテンシアは気のない返事を返すと、焚火の横に置いてあった葉で包んだ肉を取り出し、薄切りにして皿に載せた。多少の野菜も切って盛り付ける。
「ホントはソースは別で出すんだけど…まあいっか」
少し悩んでから鍋の中身を掬い、とろ身のある濃い茶色の液体を皿の肉に掛けると、鍋を火から下ろした。
「さ、出来たわよ」
そう言うと、皿を持ってきて仁の右隣に座る。
「まだ食うのか。よく入るなぁ」
「なに言ってんの。あんたのに決まってるじゃない」
「………は?」
仁は予想外の事を言われたのか呆けた返事を返した。
「あんた、晩ご飯のスープには手を着けてたけど、お肉は食べてなかったでしょ?」
肉の載った皿とフォークを仁に渡そうとする。
「ほーら、仁が大好きなお肉。しかも私が腕によりを掛けて作った竜肉のローストよ。うーん、ちょっと香辛料が足りなかったけど、十分美味しく出来たから、食べてみて。ほら!」
オルテンシアはさらに皿を突き出すが、仁は視線を逸らしてじわりじわりと後退する。
「う…、いや…ちょっと、その肉は…」
「はぁ~~~、やっぱり……自分が殺した竜の肉だからか、肉全部がだめなのか…」
「どっちだろ…わかんね…」
頭を抱えるオルテンシアに、落ち込み気味に答える仁。
「じゃあ、これを見て美味しそうだと思える?」
「ああ、美味しそうには見えるが、食欲が無いというか、口の前まで持って行くと口が開かなくなるっていうか…まあ、野菜は食えるから肉は食えなくても大丈夫かなーって」
「いいえ、駄目よ。これは仁が奪った命なの。命を大切にしたいなら食べてあげなさい。そうしないと仁が嫌っている金儲けのために殺す連中と同じになってしまうわよ?」
オルテンシアの言葉に仁は驚いた表情を見せる。
「それは…確かに…そのとおりなんだが…」
仁は暫く皿を難しい顔で睨み付けていたが、受け取る気配は無い。
「はぁ~~~ホントにガキねあんた。仕方ない…」
「なんだよガキって!そりゃ何千年も生きてるお前からしたら──」
仁の逆ギレを聞き流し、オルテンシアは一旦皿を置くと、外套のボタンを外してパサリと後ろに落とす。
「へ?」
「ふふん、どうせこんな事になるだろうと思って準備しておいたの」
外套の下は扇情的な薄手のシュミーズで、胸元がV字に大きく開いていてたわわな膨らみが揺れているのが見える。スカートも膝上丈しかなく、両足脇のスリットは腰まで開いていた。
仁は一度しっかりと上から下まで見てから、はっと慌てて目をつぶる。
「お前っ!やばいって。また呪いが!」
「だいじょーぶだいじょーぶ、見えなきゃ平気だって」
鼻歌を歌いながら楽しそうに皿をとると、目をつぶったまま動けない仁に皿を持った左手を回して逃げられないようにした。正面から抱きつくような格好だ。
「お前っ!近い近い、体が当たるって!」
「はい、あーんして」
「……」
右手のフォークに刺した肉を仁の口元に持って行くが、途端に口を閉じる仁。
「手強いわね…じゃあちょっとだけ目を開けてみようかー。ほらほら、仁の大好きなおっぱいが揺れてるわよ~」
ゆさゆさと体を揺らすと、前屈みになっているので大きな胸がぷるんぷるんと揺れる。その揺れに合わせて仁も反応を示す。
「…!……!!」
その様子をみたオルテンシアは呆れきった様子で呟く。
「…目ぇ瞑ったまま反応できるって、あんたどんだけエロいのよ…」
「悪かったな!」
「あ!」
仁が反射的に答えた際に目を開けてしまう。
「ほーら、もう目を閉じれない」
「は…計りやがったな…」
仁の目はゆらゆら揺れて、開いたり閉じたりする谷間に釘付けになっている。
「また…呪いにかかったらどうするんだよ」
「大丈夫よ。しょっちゅうかかってるじゃない。ほら、あーんして」
「……」
再度口を閉ざす仁。仁の口が閉じられるとオルテンシアも胸を揺らすのを止める。
「…!!」
絶望的な表情をする仁。
「口をちょーっとだけ開いてくれたら、また揺らしてあげるよ?」
「……………!…あ…」
耐えきれなくなったのか、物が入らない程度に口を開く仁。それに併せて少しだけ胸を揺らす。
「ほらほら、もっと開けてくれたもっと揺れるよ~?」
「………ぅ……!…あ……あ!」
胸の揺れに合わせてどんどん口を開いていく。
「えいっ!」
口の中に肉を入れられても口を開けたままだ。
「ほーら、次はちゃんと嚙んで」
胸の揺れに合わせてくちゅくちゅを肉を噛み始める。
「はい、最後に飲み込む」
仁は揺れる両胸を凝視しながら、ゴクリと肉を飲み込んだ。
「ほら、ちゃんと食べられるじゃない」
「ハッ!俺は一体今何を!」
「ほい、もう一枚、あーんして」
「いやだから肉は!」
「今食べてたじゃない!あーもー面倒くさいわね!」
面倒になったオルテンシアは仁の口に無理矢理肉を突っ込んだ。
「んっぐ」
「気持ち悪い?」
少し考えてから首を左右に振る仁。
「んじゃ、ちゃんと嚙んで飲み込んで」
素直にもぐもぐと咀嚼し、ゴクリと飲み込んだ。
「美味しい?」
「……よくわからない…」
「じゃあ、残りを自分で食べて、味を思い出しなさい」
そう言って皿とフォークを仁に渡して立ち上がる。受け取った仁は暫く皿の肉を眺めていて、なかなか手を出そうとしない。
一時経ってから、一切れだけフォークで持ち上げ、おそるおそる口に運び、そっと口の中に入れ、ゆっくりと噛み始めた。
時間を掛けて口の中でかみ続けると、仁の表情が少しずつ驚きの表情に変わっていく。
「そうか…肉の味ってこんなだったな…忘れてたよ」
「私が作ったんだもの。今回のは特に美味しいはずよ」
「ああ、美味しいよ」
仁がまた肉を口に入れ、長い間味を確かめるように嚙んでいると、両目からほろりと涙がこぼれ落ちた。
「あれ…?」
「泣いてるの?やっぱりまだまだ子供ね…」
そういってオルテンシアは立ったまま仁の頭を自分の体に寄せ、優しく撫でる。
「ああ、俺はまだまだ馬鹿なガキだな…」
目を閉じ涙を流す仁は、オルテンシアが優しく撫でてくれる手のぬくもりを感じながら長い時間抱きしめられていた。