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《幕間》
「フゥゥ…」
吐き出す息と供に紫煙が部屋に広がり、そして薄まり消えていった。
薄暗い室内は、開けられた鎧戸や半解放なスイングドアが付いている入り口付近から差し込む淡い山吹色に、時間を追うごとに徐々に浸食されつつある。
「フゥ…フー」
再度吐き出された紫煙は山吹色の浸食に抵抗するかのように広がって抵抗を試みるが、山吹色の軍勢の物量の前には抵抗も空しく、飲み込まれて再び紫煙は消えていった。
室内はそれなりの広さで、テーブルが幾つかとカウンターがあり、そこではサイズが合わないチョッキから色々な物をはみ出させている恰幅の良い男が暇そうに新聞を読んでいる。
未だに紫煙がその存在意義を主張するかのように佇む場所の中央には、水煙草の器具を乗せたテーブルと、紫煙の創造主らしき女がだらしなく椅子に座っていた。
スイングドアがぎぃぎぃと言う音で新たな来訪者を知らせてくるが、その音は利用者に対して文句を付けているかのように聞こえる。だが女はそんな音を気にした風もなく、再度パイプから紫煙を吸い、山吹色の世界の浸食を試みる。
カウンターに居た男が新聞を置きつつ入り口に目をむけると、年の頃18くらいの短髪の若い男が入ってくるのが見えた。
「いらっしゃい、何にするね?」
話しかけられた若い男は店内を一通り見渡した後で店員の方に目を向け、ちょっと待ってと言うように手の平をカウンターにいる男の方に向けると、そのまま女の方に歩み寄る。
「やあ、お姉さん。待ち人は来たかい?」
お姉さんと呼ばれた女は20代後半に見える美女で、波打った長い黄蘗色の金髪に飾りをいくつもつけ、大きな胸元を惜しげも無くさらした派手な色の服を着ていた。その女は相も変わらず煙草を肺に吸い込むと、若い男に向かってゆっくりと紫煙を吐き出した。
「フゥ~~~」
若い男は紫煙を吹きかけられても特に反応は見せず、肩を軽く上下に動かしてから口を開いた。
「お気に召さなかったかな?ではストレートに。一杯付き合って頂けませんか?」
女は少し驚いたような表情をしつつ口を開く
「おや、子供と思ったが煙草くらいは平気なようだね」
女は改めて男に視線をむけると、舐めるように下から上に視線を這わせた。若い男はピンピンと跳ねている黒っぽい短髪、服はほぼ黒づくめだが、服自体は一般的な上着で、どこにでも居そうな男に見えた。だが、若いわりには少し不思議な雰囲気を醸し出している。
「俺が若いのは認めるが、そうだな……」
一旦考えるように顎先に親指をあててから女の方を見て
「若いのは若いなりに色々良いところがあると思うんだが、確認してみるってのはどうだ?」
「ハハッ。面白いことを言うねアンタ」
女は手にしていた煙管をテーブルに置き腕を組む。同時に行き場を無くした豊かな胸が、激しく不満を主張かのように膨らんだ。
「おおっ!?」
若い男の反応に気をよくしたのか次は足を大きく組み直し、スリットの入ったスカートから覗く足を惜しげも無く曝け出す。
「おおおおっ!!??」
若い男の食い入るような視線に、女は少し苦みを含むような微笑を見せ
「やっぱり若いね、でもまぁ、たまには若いのも悪か無いね…商売でなら付き合ってやるけど、どうさね?」
若い男は腕を組み、体を少し傾けて一旦女性から目を逸らす。
「うーん、商売ってのは少し寂しい始まりかも知れないけど…」
逸らしていた目を戻し、女の目を見つめながら続ける。
「美しい女性と一時を過ごすための投資と思えば安いものかもね」
「ハッ、ちょっとキザ過ぎる気もするけど…まあいいさ、座んな」
成果を得られた若い男は相好をくずし、トロンとにやけた顔になり
「え、そうっすかー?マジ?ラッキー!」
突然砕けた口調になってはしゃぐ若い男を見て、女は苦笑する。
「とりあえずお座りよ」
若い男はニコリと笑うと、椅子に手を掛けて引く。
「では遠慮なく……」
「何やってんの馬鹿ぁあああぁにぃぃぃ!!!!」
── ガッ!ド ─────────── ン!!!!!
若い男が一瞬で消え、建物に激しく何かがぶつかった音がしたと思うと、若い男が居た場所には少女がトンッと軽い音を立てて床に足を付けたところだった。
女は展開に驚いたのか、二、三度瞬きをし、少女を見て、同じように驚いている店員と視線を合わせてから、店員と二人で音がした方の壁を見た。そこには何かがぶつかったような跡と、その手前の床には先ほどの若い男がうつ伏せに倒れてピクピクと痙攣していた。
「ふぅ…」
突然現れた少女は軽く息を吐きながら、パンパンッと服の埃を落とすような仕草をしている。女性と呼ぶには若すぎる少女は背が低く、とても若そうだ。濃い胡桃色の髪をツーサイドアップでまとめ、蜜柑色の華やかな服装で、短めのスカートといった活発的な服装をしたいた。
何より目立つのは、背中に背負っている身長よりも高い棒状のもので、先の方には布状の覆いが付いており、そこから二本の飾り紐のような物が伸びていた。
「兄様がご迷惑をおかけして申し訳ありません」
少女は女の方にペコリとお辞儀をした。
「連れて帰りますので、なにとぞご容赦頂けますよう…」
「あ、いいや、特に迷惑はしてなかったんだけど…」
女は椅子に座ったままだったが、少女の突飛な行動のためか少し引き気味の姿勢になっていた。
「いえいえ、うちの兄様ったら女性関連の問題ばかり起こして困るんですよね…ほら兄様、謝って」
そう言われた女と店員は、倒れている男の方を見てみるが、すで気を失っているのかぴくりとも動かなくなっていた。
「ノーバウンドで壁まで吹っ飛んだみたいだな…」
店員の男が独りごちたように、若い男が飛ばされた経路のテーブルや椅子が倒れておらず、相当な勢いで飛んで行ったようだ。床に伸びて動かなくなった若い男を見ながら店員は呟いた。
「生きてるのか…あいつ?」
「さあ…」
「あのくらいで兄様が再起不能になったら苦労はしませんね」
少し心配気味に話す二人をよそに、少女は明るい声でそう言い、倒れている若い男のそばまで歩を進める。
「ほら、兄様。いつまでも寝たふりをしているから心配されていますよ?」
声を掛けられた若い男から返事は返らない。店員はカウンターから出てこようとする。
「やっぱり気を失ってるんじゃねぇか?何だったら目が覚めるまで、そこの長椅子にでも寝かしといていいが」
「ありがとうございます。ですが兄様は狸寝入りをしているだけなので大丈夫ですよ。見ていて下さい?」
少女は右手を背中のある棒状の物に手をかけ、くるくると軽く回してから ── 広くはない室内、しかも周囲にはテーブルや家具もあるが、どこにもぶつけずに ── 体の前で垂直に棒を持つと、金属製の石突きのような物が付いている端を下に向け軽く持ち上げた。
フッと短く息を吐き、石突きを若い男に向かって目にも止まらぬ勢いで落とす。
「おいっ!?」
「ヒッ!」
「死ぬわー!!」
ダン!!という石突きが床を激しく叩いた音と同時に、少女以外の三者の悲鳴が上がる。
「お前は俺を殺す気か!!!?」
いつの間にか若い男は少し離れた壁際に張り付くように立ち、警戒するように腰を落としている。その顔には吹っ飛ばされたときに蹴られたのか、ブーツのかかとのような跡が二カ所に付いていた。
「死んだフリなんかしてる兄様が悪いんですよ。ほら行きますよ」
少女は槍を回して背中に背負い直すと、若い男の上着の裾を掴み、引っ張って歩き出す。
「ちょ…引っ張るなよ。ちゃんと歩けるから離せって」
「離すとまた逃げ出すからダメです」
店員と女は、背の低い少女に引っ張られていく若い男という滑稽なシーンを、二人で呆然と眺めている。
「あ、そうだ」
入り口まで行ったところで少女は女の方に振り返った。
「お騒がせしてすみませんでした。ほら、兄様も謝って」
「えー、俺のせいじゃない──」
── ゴスッ
「ぐ……すみませんでした…」
鈍い音がした後、若い男が謝罪する。
「それでは、失礼しますね。」
少女と引っ張られて歩く若い男がドアの向こうに消えると、スイングドアが利用者に対して再び文句を言うかのように鈍い音をたてた。
「なんだっていうのさね・・・あいつらは」
「意味不明だったな」
気がつくと入り口から差し込む優しい光で、室内全体が山吹色に染め上げられていた。