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 リーシャ・レイフォード。それが今世での俺の名前だ。

 歳は今年で18になる。レイフォード伯爵家の一人娘で、つまるところお貴族様んちの御令嬢だ。

前世ではスラム街で生まれ、団長に拾われて以降泥臭い傭兵業をしてきた俺が、お嬢様って……何度考えても笑えてくる。


 そんな肝心のお嬢様の生活だが、はっきり言って苦行そのものだった。

経済学、政治学に、史学、語学等の一般教養、ダンスや刺繍、詩の朗詠といった貴婦人としての振る舞いや礼儀作法をそれぞれ専属の家庭教師にスパルタ同然に叩き込まれ、茶会や舞踏会が開かれれば無駄にヒラヒラしたドレスを着せられ香水臭い御令嬢の中へと放り込まれた。

 前世では生まれてからというもの勉強なんてしたことがなかったし、ダンスや礼儀作法はもってのほか。騒々しい下街の酒場で汗臭い男達と酒を煽っては酔っ払ってそこらで乱闘を繰り広げていた俺に、お上品な社交ダンスやお食事会なんて、ドブネズミにお貴族様の愛玩動物になってみろと言うようなもんだ。

 また家庭教師や社交界のお嬢様方の怖いこと怖いこと。一応お貴族様たるもの暴力に走ることはなかったが、薄っぺらい笑顔を貼り付けてその水面下で行われる心理戦はそりゃもう恐ろしいものだった。むしろ力技に出てくれたほうがまだやり易いくらいだ。


 しかし俺も前世での歳を足したら伊達に長年生きてきない。

年の功と血生臭い傭兵業での経験を生かして、なんとかこの18年で表面上は立派な令嬢の仮面を作り上げた。教師達のスパルタに耐え、お嬢様と笑顔の裏で言葉の刃を交え、慣れないヒールで足をくじくこともなくなった。

ドブネズミだって毛並みを繕えばそれなりに見れるものになってしまうのだ。



 けどあれは、やっちまったなぁー……。



 片手に残った生クリームを見つめ、溜息を吐く。


 我がレイフォード家はそれなりに力のある家柄だし、俺も外見上は年頃の女だ。自分で言うのもなんだけど容姿も……そう、悪くないと思う。

故に昨今他貴族の息子達からの求婚が耐えなかった。うちのハゲオヤジ――もとい、レイフォード伯ことお父様も、手の掛かる一人娘をまだ容姿が見れるものである若いうちに、と、俺の見合い話しを積極的に持ちかけてくる。

 けれど見た目がどうあれ、中身は前世での記憶と性格が引き継がれたままの、男傭兵なのだ。体が女になったからといって、趣味嗜好も変わるというわけではない。

同性である男と恋愛とか、ましてや結婚なんてできるはずがなかった。俺にそんな趣味はない。


 そんなこんなで見合いの席に出向いては相手のお坊ちゃんに迫られると、時には塀を乗り越え、時には窓を飛び抜け、お嬢様どころか女らしからぬ勢いで逃亡する俺に、とうとううちのハゲオヤジがぶちギレた。

普段から俺に対して容赦の無いオヤジだが、あの時はやばかった。スキンヘッドの剥げ頭に浮かんだ青筋が、言葉の如くブチ切れるかと思ったもんね。

 とにかく次顔合わせを穏便に済ませることが出来なかったら、今度こそ親子の縁を切ると凄まれたものだから、俺はただ従うしかなかった。あの顔はマジでやりかねない。


 まぁ結果は見ての通り。

 今日は逃げるどころか、顔面ケーキのおまけまで添えてきてしまった。相手はうちと同じ爵位持ちの伯爵家だっただけに地位的な問題はなんとか大丈夫だと思うが、俺の明日は大問題だ。

あああどうしよう、今度こそ本当に勘当される。

追い出されてからどうやって生計を立てよう。どこか住み込みで働かせてくれる場所はあるだろうか。それとも傭兵業に返り咲くか? 案外体……じゃなくて、魂が覚えていていけるかもしれない。元貴族の女傭兵リーシャ――うん、いいじゃねーか悪くない。



 などと現実逃避をしていると、いつの間にか貴族街を離れ、下街まで来てしまっていた。

 一般市民が多く行き交うこの通りは行商人達の露店がそこかしこに櫛比し、酒場やちょっと怪しげな店が軒を重ねる。中心街ほどではないがそれなりに活気のある場所だ。

 スラム街生まれだった俺は、小綺麗に整備された貴族街よりも埃っぽい混沌としたこの通りの方が実は好きだったりする。脱走でもしない限り、滅多に来る事はできないんだけど。


 ……ちょっと遊んでっちゃおうかな。


 看板に描かれた色鮮やかな麦酒の絵を見て、思わずゴクリと喉が鳴る。

ちょうど下街の安っぽい味の酒が恋しくなってきた頃だ。屋敷で出される高級葡萄酒も悪くないが、なんか飲んだ気がしねーんだよな。

 それにどうせ遅かれ早かれ俺は屋敷に連れ戻される身。ならば一時の自由な時間、少しくらいハメを外したって罰は当たるまい。


 よし、そうと決まれば酒場を探そう。これだけ店があるんだ。探せばどっか昼でも空いてるところもあるだろう。


 周囲の視線がやけに俺に集まっている気がするが、気にしたら負けだ。

 俺は今、若草色の鮮やかなシフォンドレスを着たお嬢様ではない。ただ単純に酒を煽りたい一人のしがない傭兵なのだ。


 いそいそと人波を掻き分け、営業中の札が下がった店を探す。準備中、準備中、休業中、準備中――くそっ、一つも開いてる店ないじゃねーか!


 「おい、お嬢ちゃん。こんなところで一人で何やってるんだ?」


 なんだ?

 唐突に掛けられた声に振り返ると、見るからに柄の悪そうな男が3人、下卑た笑みを浮かべて立っていた。


 ……あー、なるほどね。

 俺今女だったな。女が、しかも高価なドレスを身に纏ったガキが一人でこんなとこにいれば、そりゃこうもなるわな。


 にやにやとこちらを値踏みするように見下ろしてくる男どもに、内心溜息を吐く。


 しかしこのかんじ懐かしいな。

ごろつきが闊歩する下街では盗み、暴行、強姦――あらゆる悪行が尽くされていることも珍しくない。実際俺が生まれたスラム街はかなり荒れていたし、すぐそこで乱闘が起こっても道行く人は見て見ぬ振りだった。

 今だってそうだ。俺が男どもに絡まれているにも関わらず、通りを歩く奴らは目を逸らし、近くの露天商は素知らぬ顔で商いを続けている。

いつの時代になっても人の性は変わらねーもんなんだなー。


 「ええと、私、侍従の者とはぐれてしまいまして、彼らを探していたところですの。急いでいますので、失礼しますね」


 笑顔で告げるとくるりと踵を返して元来た道を戻る。

 こういうのは関わらないのが一番だ。相手は大の男三人だし、多勢に無勢だ。もし揉め事にでもなったら女である自分が敵うはずがない。


 数歩進んだところで、ぐい、と片手に引力を覚える。


 「まあそんな連れないこと言わないでさ、お嬢ちゃん見たところ良いとこの子みたいだし、ここら初めてだろ?」

 「付き添いの人探しがてら、おれらが楽しいとこに案内してあげるるよ」


 そのにやにや笑い、絶対健全な楽しいとこじゃねーだろ。てかこの手なんだよ離せよ。


 「結構です。はなしてください!」


 手を振り払おうともがくが、叶わず。

 やはりいくら中身は記憶を引き継いでいると言っても、筋肉量の多い男の力には敵わない。逆に男達は歩き出そうとする。額から嫌な汗が滴り落ちた。


 まずいまずい。これはまずいぞ俺! こういう時女はどうするんだ!?


 そう言えば昔食糧調達に立ち寄った街で、あいつが絡まれてたのを見たことがあったな。

 ゆるいウェーブのかかった栗色の髪をフードに隠し、キョロキョロと不安げに辺りを見回していた彼女。付き添ってたやつが一瞬目を離した隙にはぐれやがって、俺が見つけた時には数人の柄の悪い男達に囲まれていた。

 あれからどうしたんだっけ。あいつはどうやってあの状況を脱したんだ……?



 ……俺が助けたんだった。



 そうだよ、あれからやたら俺の後を付いて回るようになりやがったんだよあいつ。

ガキ――しかも女は苦手だって言ったのに、いくらぶっきらぼうに当たってもにこにこ笑って話しかけて来て……。



 『――様!』



 陽だまりのような笑顔を浮かべ、以前の俺の名を呼ぶ少女が蘇る。


 あいつが今の俺の姿を見たら、どう思うかな。情けねぇって笑うだろうか。

 今の俺にはあいつを守る剣も、力も、何もない。こんな男どもにも敵わない、軟弱極まりないただの女へと成り下がってしまった。

 今更ながらあいつが俺と同じように転生していて、こんな情けない姿を見ることがなくてよかったと安堵した。



「失礼。そこの御三方、少しお話を伺っても宜しいでしょうか」



 唐突に降ってきた涼やかな声。

 俺の腕を握る男の手には、いつの間にか皮の手袋をはめた新たな手が添えられていた。

 恐る恐るその手の主を見上げ、唖然とする。



 うわ、すっげー美形。



 絹糸のように繊細に艶めくシルバーブロンドの短髪、すっと通った鼻梁に陶器のような白い肌、長い睫毛に縁取られたアイスブルーの切れ長の瞳はそれこそ氷のように冷たい視線を放っている。

 新たに現れたその男は、男の俺でも見惚れてしまうほど(実際は女だけども)美しい容姿をしていた。

そして注目すべきはその服装。


 「て、帝国騎士様……!」


 息を呑み、慌てて男どもは俺たちから飛び退いた。

 そう。銀髪の男は薄暗い通りでも尚光沢を放つ、漆黒の鎧を身に付けていた。この国――武力国家バルバディエ帝国誇る帝国騎士の証の鎧だ。

紫のマントを羽織っているということは……この男、師団長クラスか。

 先程から注がれていた周囲の好機の視線が、ますます俺達の元へと集中する。


 突然の帝国騎士の、それも上から数えた方が遥かに早い地位におわすお方の登場に、男どものさっきまでの威勢はどこへやら。顔面蒼白を通り越して最早真っ青になった男どもは、すみませんでしたー! と叫びながらどこかへ走り去ってしまった。


 「……私はただ話を伺いたいと言っただけなのですが……」


 顎に手を添え、目を細めながら男達の後ろ姿を見送る師団長さん。心なしかその口端は持ち上がっている。

 ……絶対これ、この人の計画通りだ。


 「今後この通りにはもっと見回りの数を増やさねばなりませんね。……大丈夫ですか?」


 独り言を呟いているかと思いきや、突然声を掛けられて驚いた。

 頭一つ分はでかい師団長さんが顔を覗き込んでくるが、まじでやめて頂きたい。いくら男に興味は無い俺とて羞恥心はあるのだ。至近距離の美形は破壊力が尋常じゃない。


 「え、ええ……。危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございました」


 改めて礼を言い、微笑む。

 男に助けられたのは何だか癪だが、彼が来てくれなければあの男どもになにをされていたか分かったもんじゃない。今後脱走する時は何か武器を携帯しておこう……。


 「リーシャさまー!?」

 「げ」


 侍女のハルアの声だ。

 すっかり忘れていた。俺はお茶会を放り出し、只今絶賛逃亡中だったんだ。

もうこんなところまで追手が来やがったか。下街の入口の方角から聞こえたから、距離はそう遠くない。


 「そ、それでは私はこれで失礼しますね! 本当に本当にありがとうございました!」


 これ以上ここにたむろしていられない。じゃっ! と華麗に手を掲げ、走り出す。


 「あ、待って! 貴女どこかの家の御令嬢では――」

 「ぎゃっ!?」


 突然後ろから腕を強く掴まれ、あまりの勢いに身体ごと後方へと引き戻された。

 師団長さんよ、力加減というものを考えてくれ。

 俺の腕を掴んだ張本人もさぞ驚いたらしい。突如自分の胸に倒れ込んで来た俺諸共、師団長さんは後方へ倒れ込んだ。


 「あだだだ……おい! 突然なにしやが――」


 師団長さんの漆黒の鎧に強かに顔面を打ち付けた俺は、お嬢様の仮面を貼り付けるのも忘れて飛び起きた。は、いいものの、あまりの距離の近さに硬直してしまう。

 俺に組み敷かれるようになっている師団長さんはというと、瞳孔が開き、これでもかというほど瞠目して俺を見上げていた。いやいや、驚きたいのはこっちのほうだっつーの。


 「あ、リーシャ様! みつけましたよ!!」

 「うげ!」


 人波の向こうに立つハルアと、数名の私兵達と視線がかち合った。

 こうしちゃいられん!

 慌てて立ち上がり、地面に座り込んで何故か呆然とした顔をしている師団長さんを一度振り返る。ぺこりと頭を下げると、今度こそ俺はハルア達が迫っている方角とは反対方向へ走り出した。



「――アレン様……?」



後方で以前の俺の名を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、そんなはずはない。


この世でその名を知る人間は、この俺ただ一人なのだから。

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