プロローグ
男達の怒号が、すぐそこまで迫っている。
けたたましく響く金属音、無情に上がり続ける断末魔。戦況の優劣は明白だった。敵軍がここまで到達するのも、時間の問題だろう。
石造りの閑散とした部屋にいる奴らが皆一様に、何かを悟ったような顔をしていた。覚悟を決めたのだ。手に持つ武器を握り直すと、今となってはこいつらの中で最も立場が上となってしまった俺に視線を向けてきた。
この傭兵団には本当に悩まされた。
ガサツな乱暴者ばかりで、参謀である俺の言うことなんてほとんど聞きやしない。けれど気のいい、本当の家族のようなあったかい連中だった。
今まさに外でしんがりを務めているだろう団長と副団長も、孤児であった俺を実の子のように可愛がってくれた。彼らがいなかったら、俺はあっという間に路頭で野垂れ死んでいただろう。
強くて温かい、最高の仲間達。
しかし一国を担う騎士様達には敵わなかったようだ。
強面揃いの男達の中、部屋の奥で異様な彩りを放つ人物を振り返る。
「ごめんな、姫さん。約束したのに、逃がしてやれなかった」
彼女の家臣と約束したのに。殉死を遂げて行った彼らの分も、彼女を守ると心に決めたのに。
「良いのです。私の方こそ、祖国を同じにする者とは言えこのような戦場の渦中へ巻き込んでしまい、本当に申し訳ありませんでした」
そう言って力無く微笑む彼女の姿に、胸が締め付けられるような気分になる。
そんなんじゃない。
俺達は皆誇りに思っていた。
一介の傭兵なんぞが、祖国の姫君に手を貸してやれることに。
主を持たない俺達が、この心臓を捧げても良いと思える相手に出会えたことに。
そう言おうとした矢先、部屋に轟音が響き渡った。
破城槌で扉を破壊せんとしているらしい。二度、三度と同じような音が扉から鳴り響く。ミシリ、ミシリ、と扉が音を立ててその身にヒビを刻む。
俺達は互いに顔を見合わせると、扉を囲んで今度こそ臨戦態勢に入った。
俺達は、恐らくこのまま死ぬのだろう。
ここまで敵軍がやって来たということは、即ち団長達もやられてしまった事を指し示す。彼らが敵わなかった相手だ。俺達が敵うはずがない。
傭兵業をやっている傍ら、死とは常に隣り合わせの生活だ。覚悟ができていないわけじゃない。
ただ一つ心残りなのは――
ちらりと後ろを振り返り、青ざめた顔をしている質素なドレスを身に纏った少女を見やる。
彼女を自由にしてやりたかった。
同盟国へ逃がしてやりさえすれば、あとは反旗を翻すなり亡命したまま名を変えてひっそりと暮らすなり、なんらかの未来は見出せたはずだ。
だが、死んでしまったら何も無い。そこで終わりなんだ。
重厚な木製の扉が破壊され、敵兵が雪崩れ込む。たちまち室内は戦場と化し、悲鳴と血飛沫が空間を支配した。
数も質も遥かに下回る俺達が出来ることは、せいぜい死への時間を引き延ばすことくらいだ。
団長達が死に、仲間が死に、団も壊滅状態に陥っている今、国に対する忠誠等微塵も無い一介の傭兵である俺の存在意義は、少女を守ることだけだった。
彼女を背後に庇い、襲い来る敵を凪ぎ倒す。
まだだ、まだ死ねない。無力な彼女を残して、死ぬわけにはいかない。
周囲では一人、また一人と仲間達が敵の凶刃に倒れて行く。
背後から少女の悲鳴が上がった。
しまった。
背後を任せていた仲間が倒れ、隙が出来てしまった。敵の一人が、少女に剣を振り下ろそうとしている。
気付くと少女は俺の腕の中にいた。
じわりと腹部に広がる赤い染み。自分が少女を庇い、敵の剣にその身を貫かれたと理解する時には、俺は少女諸共その場へ倒れこんでいた。
ポタリと少女の白い頬に滴り落ちた赤い雫は、俺の口から溢れたものだろうか。折角綺麗な顔なのにごめんなぁと、震える手でそれを拭った。
生き残っている奴らが、悲鳴にも似た声で俺の名を呼ぶ。俺の下敷きになっている少女も、震える声で何度も俺の名を呼ぶ。
けれど痛みと共に意識が混濁して、やがてそれも聞こえなくなる。
少女と体を重ねているからだろうか。こんな状況下にも関わらず、何故かとても穏やかな気持ちになった。
こんな世界で出会わなきゃ、もっと違う未来があったのかもしれない。
けれどこんな世界じゃなきゃ、俺達が出会うことはなかった。
涙に塗れた少女の頬を、己の無骨な手で撫でる。
「もし生まれ変わって、またこうして出会えたら……その時は、絶対にあんたを守るから」
呟き、微笑むと、少女の反応を見る間もなく、そのまま俺はこの生涯を終えた。