砂漠の魔法使い
砂漠の魔法使い
広がる砂漠に空っ風が吹きすさぶ。
ベイリーは砂からむき出しになっている手頃な岩を見つけると腰を下ろした。
身体を覆う砂色のマントから半身を出すと、肩にさげた革袋をもどかしそうに探って水の入った小さな筒を取り出す。
蓋を取って口をつけると、不眠不休の長い追跡に疲れ切った身体に喉を通して冷たい衝撃がぐいぐいと伝わってきた。
この仕事だけはやり遂げなければ。ベイリーは唇をかみしめる。
彼にとって、これは自分を育ててくれた教団へのせめてもの恩返しのつもりだった。
一息つくと、彼は教団に伝わる両眼の遠眼鏡を取り出してゆっくりと周囲を見回し始めた。
「奴だ」
赤銅色の肌、刀傷。
三日前、教団の秘術を盗み砂漠に逃げたラグーンの密偵に違いない。
この男のために沢山の罪もない人々が命を失ったのだ。
ベイリーは光の矢の出る杖をそっと握って立ち上がった。
教団から授けられた武器はこの一本の杖だけだった。追跡中に返り討ちにされた場合、魔法が他国に漏れるのを恐れ、教団は必要最小限の武器しか携帯を許さなかったのだ。
ベイリー達の国キュセルと、隣国のラグーン。
両国間のいびつな文化の差が、そのままこの二国の仲の悪さにつながっている。
砂漠に囲まれた小さなオアシスの町から発展したキュセルと、大河を中心にした肥沃な土壌を持つラグーン。
しかし資源を持たない小国のキュセルを、近隣諸国は羨望の目で見ていた。
なぜなら、キュセルには彼ら『砂漠の魔法使い』がいるからである。
教団に所属し、奇跡を行う者、そして失われた文明を保持する者。
教団は閉鎖的で、神殿のあるキュセル以外には決してその魔法の恩恵を授けようとはしなかった。教団の存在は、他国の垂涎の的であり、特に大国である隣のラグーンは隙あらばキュセルを攻め滅ぼし、魔法教団の叡知を得ようと狙っていた。
ベイリーは岩陰に身を隠しながら徐々に男に向かって近づいて行った。かなり近づいているにも関わらず、男は砂色のマントで身を隠しながら移動している追跡者に気がつかないようだ。
ベイリーはもうひとつ近づいた所にある大きい岩の陰から光の矢を射ようと、身体をかがめて岩から飛び出した。
その瞬間、男が振り向き素早く弓を引いた。
ベイリーが岩陰に隠れるよりも早く、放たれた矢が彼の右足を捕らえる。
倒れた拍子に手から離れた杖が勢いよく砂の上を転がっていった。
「おまえが、教団の追っ手か」
手に剣を持って近づいてきた男は追跡者の若さに驚いたようであった。
ベイリーは右足に突き刺さった矢に手をかけて砂の上に物も言えずにうずくまっている。
幸いにして激痛はすぐに感じなくなったが、そのかわりに彼の右足はまるで他人の足のように無感覚になってしまった。右足だけではない、徐々にその痺れは全身に広がっている。
長年の経験で何かを感じたのだろうか、男は足下に転がっている杖に気がつくや否や取り上げると無造作にへし折った。
思うように身体の動かせないベイリーは為すすべもなく唯一の武器が壊されるのを黙って見ていた。
「どうした、魔法使い」
男は動けないのを確かめるかのようにベイリーの腹を蹴っ飛ばした。
彼が仰向けに転がると同時に肩にかけた革袋から大人の握りこぶしくらいの球が転がり出た。
「これが、魔法使いの証。叡知の球か」
そっと透明な黄色の球体を拾い上げると、男は物珍しそうにそれをのぞき込んだ。中には虫が封じ込められている。
風がやみ中天には太陽が照り始めた。
その薄い冬の陽に透け、男の手の中で球はきらきら輝いた。
試練を突破した魔法使いしか持てないという叡知の球。
男はしばらくそれをしげしげと眺めていたが、やがて無抵抗のベイリーをあざ笑うかのように余裕の笑みを浮かべながら言った。
「若いの、お前を殺すのは簡単だ。でも一つ選択肢をやろう」
深いしわの入った顔がかすかに上気している。
「この石を使った魔法を教えろ。そうすれば命は助けてやる」
ラグーンにとっては喉から手が出るほど欲しい教団の魔法を一つでも得ようとして男はにやりと笑った。
「それは、神の石だ。お前の望むような力を持つ石ではない」
ベイリーがつぶやいた。
「いや、わしは子供の頃一回だがそれを使った魔法を見たことがある。夜市でその石を持ったはぐれ魔法使いが羽や紙切れを自在に操っていた。彼はすぐ追っ手に消されたけどな」
「魔術は使い方だけ解っても、何の役にもたたないぞ」
「嘘をつけ。この爆発する水も、今回お前らの教団から盗んだものだ。これを使えば今後我が国は他国より数段上の軍事力を得ることができるだろう」
男は右腰につけた半分口の開いた小さな袋を指さした。
不安定な『爆発する水』を持ち運ぶため、特殊な土に吸収させて安定性を高めてはいるのだが、しかしこのような布袋にそのまま入れた状態では危険きわまりない。
このようなずさんな管理をするならば、うまく秘密を得たとしてもラグーンでは爆発事故が頻繁に起こることだろう。
生半可な知識ほど危ないものはないのだ。ベイリーは眉をひそめた。
「ようし、早く使い方を教えるんだ。その石では子供だましの術はできるが、人に害を及ぼすことはできないと夜市の魔法使いは言っていた。だが、少しでも変なまねをすれば命は無いぞ」
男は魔法使いの喉元に剣を突きつけた。刃先が当たり喉元から赤い血が流れる。
「わかった、教えよう。その袋に入っている布で神の石を磨け。そうすればおまえは風に乗り宙に浮くことが出来る」
「本当だろうな」男はじっとベイリーの方を見つめた。
ベイリーはやっと動くようになった両手をぎこちなく広げて肩をすくめて見せた。
「この痺れた足じゃ、逃げも隠れもできない」
男は傍らの地面に剣を突き刺すと、布で石を覆うようにして磨き始めた。
ベイリーは少し力の戻ってきた手と左足を使ってゆっくりと後ずさった。成功率の低い賭だが今はこれしか方法はない。
「もっと、力を入れて、もっと速く」
腰を折り、腹に握り込んで男はありったけの力で石を磨いた。
「今だっ、布をとれ」
男が右手で布をはがした瞬間。
男の腰の爆薬が炸裂した。
虫を封じ込めた黄色の透明な石、『琥珀 』は摩擦によって静電気を起こすことから神の石と呼ばれている。
ちょうど、今日みたいに乾燥した日、毛皮や、古代から伝わる人造の布でこすると静電気を発生することが教団の古くからの知恵として伝えられてきた。
奴はその火花によって引火した爆薬で消し飛んでしまった。
「別に魔法でもなんでもない。この世に不思議などないんだ。すべての事象は決められた自然の理の中で整然と動いているにすぎない」
教団の理念をつぶやきながらベイリーはゆっくりと立ち上がった。
教団から支給されたマントが作るバリアーのおかげで爆発から身を守ることができた。
先人達の知恵がいかに高度だったかが身にしみてわかる。
しかし高い知識をもっていた先の文明は滅び、無知な我々だけが残された。
教団は、進んだ文化が文明を滅ぼすとの考えからその知識を広めようとも、深めようともせず、ただ厳重に封印しているだけだ。
ベイリーはそんな狭量な教団に戻るつもりは無い。
故国に仇をなすラグーンの間者を亡き者にした後は、キュセルを去ることをすでに心に決めていた。 知識の拡散を恐れる教団から、早晩彼には追っ手がかかるだろうことは覚悟の上で。
彼の望みはたったひとつ。教団の手を放れ、他国に眠る過去の知識を見つけだし創世の謎を解明することであった。
知ることはすなわち、滅びに向かうこと。かもしれない。
「でも、求めずにはいられない。僕は、理 に仕える者。魔法使いではないのだから」
ベイリーは痺れの残る足をゆっくりと引きずりながら砂漠を歩き始めた。