Mysterious doll
今回、この話で文芸イベント「かきあげ!」イベントテーマ「謎」に参加しました。文字数制限でかきあげ!に出した話はかなりコンパクトになっています。(ちょっとこの話と雰囲気が違うかも)
かきあげ!第2回イベントは「謎」をテーマにした読み応えのある作品が多く集まっております。是非ご来場のほどを!
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マンハッタンにひときわ高く突き出たビル、それも最上階からの眺めはさぞかしと思っていたが、実際は想像を軽く超えていた。
雨後の竹の子のように、21世紀になっても競うように伸び続けたビル群のため、下界からの眺望はまるでジャングルの中のように薄暗くなってしまったが、ここには昔の摩天楼からの景色がそのまま残されている。乱立するビル群のてっぺんを眼下に眺めながら、ロングビーチの彼方を臨むとまるで北大西洋を丸ごと独り占めしたかのような気分だ。
「お気に召しましたか?」
傍らの老婦人の言葉に、私は慌てて我に返った。
「え、ええ。もちろんですとも。それに、こんな豪華な旅行は今まで経験した事がありません」
経験した事が無い、というよりも一生の内でよもやこんな体験ができるなんて想像すらしていなかったというほうが正しい。なにしろ自分一人のためにチャーター機が日本に差し向けられ、座席というよりスイートルームのような部屋に、どこのモデルかと思うような美女が高級そうな酒をぎっしりと乗せたワゴンを押してくるのだ。私の狼狽は半端なものでは無かった。
その上山盛りの大粒キャビアや、削りたての白トリュフで覆い尽くされた料理が運ばれてくるに至っては、取り返しのつかない犯罪に巻き込まれるのではないかと妄想し、せめて単純な人違いであってくれと、身に覚えのない幸運に冷や汗を流し続けた。
空港に出迎えに来たこの老夫人の柔和な顔を見るまでは……。
「驚かせてしまったかもしれませんね、お許しください」
アースカラーのシンプルなロングドレスにふわりと春色のシルクのスカーフを纏わせた品の良い老婦人は私に豪華なソファーを勧めた。そしておもむろに傍らの箱から古ぼけた人型のロボットを取り出した。
「これは、あなたのひいお祖父様の作られたものですね」
そっと渡された人形は、乾電池で動くブリキのロボットだった。確かにこれは曽祖父の工場で作られていたものだ。もっともその工場は祖父の時代で閉めてしまって、私の手にも残っていない代物だが、工場の記録にはこのロボットの設計図が残されている。
手渡されたロボットは磨き立てられているが、経年劣化は免れず、各所にひっかき傷やへこみが目立つ。そして背部の乾電池を入れる部分の蓋は無くなっていた。
「探し続けましたよ、私達の恩人であるこの人形を作られた方の血縁を」
唖然として顔を上げた私の目の前に、壁に飾られた額に描かれたこの企業のロゴマークが目に入った。そしてもう一度視線を下げる。ロゴマークはまさにこの人形であった。
私が気が付いたことを察知したのだろう、老婦人は青い目でかすかに微笑むと私に古ぼけた日誌を差し出した。
「祖父があの人形の奇跡を書き残しております、是非これをお読みになってください。あなたは英語が堪能だとお伺いしておりましてよ」
「英語の教師をしておりますが、なにぶん田舎なので実践する機会も殆どなく……」
汗をかきかき、付箋の貼られたページに目を通す。
黄ばんだページには、この財閥の当主であった彼女の祖父とこの人形の因縁が丁寧な筆跡で書かれてあった。
この話は身内の恥を暴露するものでもあり、書き残そうか否か自分でも長年逡巡してきた。しかし、なぜ私が会社のロゴマークに使うくらいこのロボット人形に特別な思いを寄せているか、我が子孫に伝えておく義務があると考えペンを取ることに決めた。
あの人形を私の両親が買ったのは、第二次世界大戦後10年もたったころだろうか。奇跡の復興を遂げた国を肌で感じに行こうと、日本に旅行した際に買ったものだと聞いている。製造業で成功していた両親はこの精巧な造りと、丁寧な仕事に感じ入った様子で、まだ幼かった私にこれを渡し、このロボットのような物を作りだせる人間になれと幾度となく語りかけたものだ。
しかし私は両親の訓示など上の空で、そのエキゾチックな異国のロボットをひたすら眺めていた。スイッチを入れると目を光らせて、手を上げ、足の下に埋め込まれた浅い溝の付いた車輪を回転させながら動く。表面のデザインの緻密さとその動きの滑らかさに心を奪われた私はその日から片時もそのロボットを離さずに過ごしたものだ。
悲しいことにそのロボットは私の両親がくれた最後のプレゼントになってしまった。ひと月後、彼らは自動車事故でこの世を去ってしまったのだ。
父の会社は私が成人するまで叔父がひとまず引き継ぎ、遺品となったロボットとともに私は叔父夫婦に引き取られることになった。と、言っても私はすでに全寮制の学校に入っていたためほとんどが寮での生活であったが、学校は魅力的であり代々引き継がれてきた財残のおかげで何不自由の無い裕福な生活を送ることができた。
たまの休みに帰省する叔父夫婦の家は快適で、特に母の妹であるジェニーは私に何くれとなく世話を焼いてくれた。だから、私はよもやあのようなことが計画されているとは思いもよらなかったのである。
私が17歳になる年、叔父が夏休みに私といろいろ話したいことがあるとクルージングに誘ってきた。翌年から形だけではあるが会社の経営に参加することが決まっていた私も内情など叔父に尋ねたいことがあり、二つ返事で誘いを受けた。
ニューヨークを出てから3日。私達はフロリダの美しい海を満喫していた。魚釣りをしたり、デッキでのんびりと日光浴をしたり。なにも考えず無為に過ごす日々は、年配者にはいいかもしれないが若い私には少々退屈であった。
その船には小間使いの少年がのっていた。彼はジャックと言い、私とは年も近いせいか良く話をした。彼は利発な子で、何を言いつけてもそつなくこなしてくれた。
待てど暮らせど叔父からは何の話も無く、日々は淡々と過ぎて行った。私から会社の経営などについて水を向けても、叔父からはお茶を濁されるばかり。私には鬱積が貯まり始めていた。
ある日、私は冗談のつもりで叔父に話しかけた。
「このクルーザーは豪華だね。会社のお金で買ったんじゃないの?」
その時の叔父の表情は、これまでに見たことの無いものだった。顔色はまるで北極海の氷のような鈍色になり、感情の抜け落ちた視線でこちらを凝視していた。
背筋に冷たい物が走った。
まさか。
突然のクルージングの誘い。そして、何かよそよそしい叔父の態度。もともと叔父は浪費家であった。しっかりものの叔母とは違い、お洒落で派手好き、車の種類も次々に変わっていた。
私は何か開いてはいけない禍々しい扉を開けてしまったように感じ、慌てて口をつぐんだ。
その夜、私は何か強い胸騒ぎを感じ枕元にあのロボットを置いて寝ていた。このロボットを持っておくと両親が助けてくれるように思ったのである。
この洋上には叔父の使用人が数人と自分だけ。唯一、ジャックだけにはなぜだか身の危険を感じることを話し、笛の音が聞こえたら救命ボートを海に下ろすように話しておいた。
厚着をして首から笛を下げた状態で、私はまんじりともせず、掛け布団をかぶって寝たふりをしていた。
果たして夜中、カギをかけていたはずのドアがそっと開き暗い大きな影が室内に入ってきた。影はまっすぐに私のベッドに近づく。月明かりに照らされ、何かが鈍く光った。とっさに身をかわし、逃げようとしたが、大きな手に肩を鷲掴みにされ、刃物が首に振り下ろされた。
しかし、無意識のうちに掴んだロボットがそれを受け止めた。乾電池の蓋がはじけ飛ぶガシャリという音がした。
懸命に逃げる私は無我夢中で笛を吹く。従業員たちは誰も起きてこない。
船尾に出た私は追ってきた叔父ともみ合い、肩に激しい痛みを感じた。思わずひるむ私を抱えて叔父は暗い海に投げ入れた。
しかし、私は海に落ちる直前、薄い月明かりの中で救命ボートが浮いているのに気が付いた。
あそこまで泳ぎ切れば。
幸い泳ぎは得意である、50メートルくらいは何とかなるであろう。緊張の余り肩の痛みもそれほど感じない。
その時、水の上を三角のひれが近づいてくるのに気が付いた。血の匂いに誘われて鮫がやって来たのだ。それもかなり大きい。ふと見ると1匹ではない、数匹の鮫が近づいていた。
叔父はここが鮫の多い海域だと知っていたのだろう。船は猛スピードで視界から消えて行った。
正面から鮫が突進してきた。
もう、だめだ。
私は壊れたロボットを握りしめた。
その時。
鮫どもはいきなり頭を反転させると逃げ去ったのだ。
まるでロボットを恐れるかのように。
私は急いで、近づいて来た救命ボートに乗った。
そこにはジャックが居て、布で手早く私の肩を縛ってくれた。
叔母が差し向けてくれた救助隊のおかげで私達は数日の後に救助された。叔父から何があっても使用人は部屋で待機するように命じられていたが、ジャックはそれに従わず助けてくれたのだった。
叔父は会社の金を使い込んでおり、それが公になることを恐れて私を殺害しようとしたらしい。私が助かったと知った後で彼は自らの命を絶った。命運が尽きたと思ったようだ。
私は叔父に殺されかけた件を叔母には結局告げなかった。一族の恥を公にしたくなかったし、なにより叔母をこれ以上悲しませたくなかったからだ。
叔父の乱れた経営と使い込みで会社は潰れかけていたが、叔母と私で何とか再建を果たした。そして私の心強い片腕となってくれたのがジャックであった。
道は平坦ではなかった。辛い時に私はいつもこのロボットを見た。このような物を作れるようになりたいと。私を鮫から救ってくれたこのロボットには、何か不思議なものが宿っている気がして、これを見るたびに私の胸には力が沸いて来た。
このロボットをロゴマークにしたのはそういう訳だ。
いつかこれを読む子孫たちよ、忘れないで欲しい。誠実に丁寧に仕事をしていれば、そして奇跡を信じる敬虔さがあれば、事は成し遂げられると。
私は溜息をついた。
両親の加護と思っている彼女のお祖父さんには悪いが、私には鮫が逃げた理由がすぐ分かったからだ。鮫の頭部にはロレンチーニ器官という微弱な電流を察知する器官がある。ロボットに入っていた乾電池の放電は通常鮫たちが感じるよりもずっと強い物であったため驚いた彼らは逃げ去ってしまったのだ。
このロボットには単1電池が使われていた。放電は約1分近く続いたに違いない。
鮫の被害に遭わないように、最近ではスキューバダイビングを行う時には強すぎる電界を忌避する性質を利用した鮫避け装置を装着することが常識となっている。
「失礼ですが、貴女は海でのレジャーをされたことはありますか? 例えばダイビングとか」
「いいえ、祖父からの家訓で私達は海でのレジャーはしないことになっておりますの」
老婦人は笑いながら答えた。
「それが、どうかなさって?」
「いえ……」
今後もこの御婦人が真相を知ることはないだろう。
もちろん私もこの御婦人に鮫のロレンチーニ器官について話す気はない。お祖父さんを守った、不思議なロボット人形。そのほうが夢があるではないか。この御婦人には鮫が逃げた謎の答えなど必要は無いのだ。
時として、謎は謎のままで置いておく方が良いのだ。その方が謎はより美しく、そして鮮やかに輝き続けるのだから。
「それで、おこがましいのだけれど……、何かあなたの御望みをかなえることはできないかしら。祖父のせめてもの御恩返しに」
老婦人が遠慮がちに私に問いかけた
相手は世界有数の大金持ちである。もし私がこのビルを欲しいとでも言えば、くれるかもしれない。頭の中が欲望ではちきれそうになり、喉がカラカラになった。
でも……。
私は今読んだ日記を思い出した。
欲を出して身の丈に合わない世界を知ってしまうことは、自分にとっての幸せにつながる事とは思えない。
しばしの葛藤のあと、私は口を開いた。
「私のお願いですが……」
「ええ、なんなりと」
私はかすれた声で言った。
「帰りの便は、エコノミー席で」