ペガシス・レース
平成26年、あけましておめでとうございます。不定期更新になってしまいすみません。
今回は午年ということで、昔書いたものを引っ張り出してきました。
ストーリーは稚拙ですが、妙にキャラが気に入っています。
晴天の空の下、ファンファーレとともに虹色のコースが空中に浮かびあがった。
ペガシス・レース協会会長、ウンダモン氏が一年かけてコース設定を行った全長12エアハロンの難コースだ。コース管理は魔術祈祷協会、ハッタリン師が受け持っている。
「レディース、アンド、ジェントルメーン」
司会のメダッテンが右手を振り上げると青空に大きなスクリーンが出現した。
ハッタリン師得意の白魔術である。しかし、安い賃金に比例して魔術力をケチっているのか、巨大スクリーンはところどころに大きなゆがみと曇りが浮かぶ。
画面の右下にはこの天馬・レースの主催者、平たく言えば胴元であるセコイット王国の紋章があしらわれている。歴代国王が、国家財源が乏しくなるたびに開いたという由緒正しい空中競馬であるペガシス・レースは、民衆を興奮熱狂させ王国の金庫にがっぽりと金貨を摘むために、ルールはあって無きがごとし。常に流血沙汰、奸計がめぐらされる問答無用のレースが繰り広げられるのである。
しかしその過酷なレースを勝ち抜いた優勝者は、最強のペガシスの乗り手として認められ、民衆の尊敬を一手に集めることとなる。現にこのレースで一夜にしてヒーローになる者もあるくらいだ。
今回のレースは近年まれに見る盛り上がりを見せている。
なぜなら、今回はペガシスを駆り王国の治安を守る空中騎士団の隊長選考も兼ねているからだ。空中騎士隊の前任の隊長が亡くなって一年、隊長席は空席のままであったが、このレースの優勝者には国王の承認のもとに騎士隊長に就任する権利が与えられることになっている。
スクリーンに次々と会場に入るペガシスと腕に覚えのある騎手が大写しになるたびに会場ではあぶく銭を切望するファンが熱いどよめきを上げていた。
「見て、バトルドラゴンを一撃のうちに倒したミハエル様よ」
黒い長髪をなびかせた長身の青年が群集に手を振ると、いつもより高い声の叫びが会場に響きわたった。失神する者も出たらしい、慌てて救護班が駆け付けるその模様もちらりと巨大スクリーンに映しだされる。
青年は苦笑すると、さらりと長い髪を右手で払い、群集に投げキスをした。
会場が嬌声で揺れ、会場内を救護班が駆けずりまわるさわぎとなった。
「おっ、バートレーだ。奴は絶対狙っていくぞきっと」
一番人気、バートレーが黒光りした愛馬ダークスターに乗って出てきた。
手に持った剣を振り上げると会場は狂乱といったほうが良いほどの叫びに包まれて震えた。筋骨隆々とした鋭い目をした騎士は歴戦の勇者で、空中騎士隊の次期隊長の呼び声が高い。下馬評ではもし、今回のレースで勝利すればその地位は不動のものになると言われている。しかし、バートレーの数々の活躍の裏にはいつも黒い噂が飛び交うのも事実であり、エアナイトマスターと呼ばれる空中騎士隊長の就任には眉をひそめる者も多かった。
群集のどよめきが急に静まった。
空中に映し出されたのは、銀色の水玉模様を持つ貧相な白いペガシスにしがみ付くようにして乗っている若い娘だった。泥はねの付いたばら色の頬で、ふう、と大きく息をつくと彼女は額の汗を白い手で拭った。薄汚れた服を着ているが、そのちょっとした表情からどことなく気品が漂う。気を取り直すように頭を振った瞬間に、結い上げられた金髪が日の光できらきらと輝いた。
「ありゃあ、誰だ」
慌てて出走表を見直した人々が見つけたのは、他の出走馬より飛びぬけて人気薄の一頭だった。
「馬はシルバースポット、騎士は…」
「マリー・ナイト」
「おい、この娘」
国中で、名前にナイトを許されているのは唯一つの家柄しかない。一年前に亡くなったエアナイト・マスター、バージェス・ナイトの直系にしかその名を名乗ることは許されないはずだ。バージェスはペガサスを駆る空中騎士団エアナイトの創設者で、ここまでエアナイトを鍛え上げてきた功労者だった。しかし彼の突然の死には謀殺の噂がまとわりついて離れない。
「バージェスの娘か……」
マリーは愛馬から滑り落ちるようにして、地面に降り立った。そのとたん、バランスを崩しころりと転んで派手なしりもちをつく。その振動で、こぼれ落ちそうな大きな胸が上下に揺れた。
「あの娘、素人じゃないか」
会場が、とくにそのオッズに惹かれて馬券を買った人々は、不安そうにどよめいた。
「マリー何してるんだ、こんなところで」
ミハエルが駆け寄って来た。
「お嬢様の君に、何でもありのこのレースは無理だ、あきらめろ」
「大きなお世話よ、ミハエル」
鐙の泥を払いながらマリーは面倒くさそうに答えた。
「僕は没落した家からいなくなった君を探していたんだ。多額の負債なんか気にしなくても、いくらでも金持ちの貰い手がいたのに……」
「冗談じゃない、女の幸せは結婚だけじゃないわ」
「かくいう僕だって、君を貰ってあげる気だったんだぞ」
「けっこうよ。私、お父様の敵を討って、エアナイト・マスターになるの。そのために武者修行してたんだから。売られた喧嘩は皆買って、血祭りにあげてやるわ」
「一年くらいの付け焼刃の修行がなんになる。君は美人なんだから大人しく家で、花嫁修業でも……」
「これ以上私を侮辱しないで、この優男っ」
彼女はミハエルを睨みながら、腰に下げた名剣スカイアイを引き抜くと、勢い良く振り上げた。その重さで彼女がよろめいた瞬間、切っ先は主人のコントロールを離れ、ミハエルの首をあわや跳ね上げそうな軌道を描き地に刺さった。
「お、幼馴染から血祭りに上げるつもりか、マリー」
へっぴり腰のミハエルが震えた声をあげた。
「旦那、こんな女放っておきましょ」
ミハエルの牡馬、人の言葉をしゃべるポリーが首を振りながら言った。
「お嬢さん、女はお家で大人しくしていたほうが身のためよ」
「おだまり、おかま馬」
「まあ、なんてお下品な小娘なのっ」
ポリーとマリーは鼻をつき合わせて睨み合った。
「人も馬も口出し無用よっ」
マリーは言い捨てると、ところどころ毛が剥げた愛馬を引いてゲートに向かった。
マリーの愛馬、シルバースポットは人の言うことはわかるが、しゃべることができない。昔のシルバースポットは、快活で良くしゃべる仔馬だったのだが。
あの日までは……。
群集の興奮は最高潮。
会長のウンダモン氏の挨拶など誰も聞いていない。早く、出走しろとばかりに足踏みが始まって安普請の会場が揺れる。。
ペガシスと騎手はハッタリンの作った炎のロープの内側にいる。気の早い馬が炎に顔を突っ込み、前髪を焦がしていなないている。
ウンダモン氏の号令とともに、ファンファーレが鳴り、ハッタリンの作った炎のロープが一瞬で消えた。
一斉に天空に飛び立つペガシス達。
すぐさま隣どうしで剣を交える者、そしてただひたすら逃げる者、最後尾からじっくり戦況を見据える者。
マリーはペガシスと騎乗者、両方の問題で最後尾にいた。
何しろ彼女は一年前までペガサスに騎乗さえできない箱入り娘だったのだから、それほどスピードは出せない。
そして、シルバースポットはまだ2歳、経験も体力も哀しくなるほど乏しかった。
「なんであなたまでここに居るのよ」
最後尾、並走して飛ぶミハエルにマリーは叫んだ。
「君と、おんなじさ。力は温存しなきゃね」
最有力候補バートレーにやられたのであろう、手負いの騎士が次々に脱落していくのが見える。
「バートレーが力を使い果たしたころを見計らって…おっ」
二人の眼前で血みどろの騎士と天馬が空中を漂うように落ちていった。
「すごいぞバークレー、残りは僕たちを除いてあと2騎」
「まあ、ミハエルはバークレーが倒すのを待っているのね。全く勇敢な騎士様だこと」
マリーは両眉をつり上げた。
「さあシルバー、お父様の仇を討つわよ」
愛馬にささやきが伝わったのか、シルバースポットの瞳が輝いた。
「お父様を守れなかったあなたが、心に深い傷を負ったのを私は知ってる」
名馬シルバースポットが父の遺体を載せ、半死半生で家にたどり着いたときのことをマリーは思い出した。父親が討たれた場所には、父が騎乗していた牡馬が息を引き取っていた。その牡馬こそシルバースポットの父馬である。証拠は一つとして残されていなかった。
シルバースポットはショックで言葉を失ったため、犯人は誰かという証言ができなかった。彼は犯人を見ていたのに……。
そのときからシルバースポットと、馬に乗れなかったマリーの旅が始まった。すべてはこの日のために。
速力を上げるシルバースポット。振り落とされまいと必死でしがみつくマリー。
雲間から、筋肉が盛り上がっている騎士の後姿とたくましい馬の後ろ脚が見えた。
「お父様の仇っ」
「お嬢ちゃんと腰抜け馬か」
「黙れっ」
マリーは、鋭い突きで懐に飛び込んだ。父の血を引いた娘は人並みはずれた敏捷性を持っている。不意をつかれたバートレー。だが、歴戦の勇者はマリーの剣をがっちりと受け止めた。
もつれる人と人、ペガサス達も回転しながら主人を落とすまいと激しく互いの身体を擦り付けあい、揉み合った。
しかしそれもつかの間、バートレーがマリーを弾き飛ばした。
騎士の顔についた一本の傷から赤い血が流れ落ちる。
「さすがに血は争えんな、良い太刀筋だ。小娘と思って情をかけたのがわしの甘さよ。父親の後を追って、あの世に行くがいい」
「気の弱いお前に、私は斬れないわ」
「ふふ、甘いなお嬢ちゃん。もう昔の私とは違うのだ」
バートレーは刀を眼前に構え、禁じられている闇の言葉を唱え始めた。
残念ながらハッタリンの作った解像度の悪い巨大スクリーンでは、騎士の周囲に立ち込める薄い黒色の霧は見ることができないだろう。
「正体を現したわね、バートレー」
「なんとでも言え、私は権力が欲しかった、栄光が欲しかった、お前の父が独り占めしていたものがすべてな。だが、生来意気地の無い私がアイツに勝つためにはあの力を借りるしかなかった」
「あの力……もしや黒魔術」
マリーが思わず息を飲む。白魔術に比べて何十倍も強く、最後には使い手さえも闇の世界に飲み込んでしまう危険な魔術。
最強の空中騎士と言われた父が殺されるなんて、正直誰も予想していなかった。だが、黒魔術の力が関与しているのならば、それもうなづける。
マリーは両手で愛剣を握り締めた。しかし彼女には黒魔術をさえぎる術はない。ナイト家の令嬢として育った彼女に使えるのはわずかな癒しの術のみだ。
「わが身を委ねた闇の存在よ、我と我がしもべをその霊光で、強力で邪悪なる存在に変えよ」
バートレーと彼の馬が一瞬、黒い光に包まれた。
「死ねっ、小娘」
「逃げろ、マリーっ」
遠くからミハエルの声がする。だが、助けに来る気配は微塵もない。
バートレーがゆっくりと近づいて来た。あまりの殺気に気おされマリーは動けない。バートレーは舌なめずりをしながら近づくと、大きく振りかぶった刀をマリーの頭の上に振り下ろした。金髪の結びめが切られ、ぱらりと金髪が宙を舞う。
その時。
ヒヒヒーンっ。急にバートレーの馬が大きく羽ばたき、勢い良く跳ね上がった。
「ど、どうした、ダークスターっ」
闇の騎士の必死の手綱捌きにもかかわらず、愛馬は狂ったように全身をくねらせて悶え始めた。
紙一重で切っ先から逃れると、今度はマリーが愛馬のコントロールを失ったバートレーに、スカイアイで切り込んだ。甲冑に当たったのか、手がしびれるような反動が返る。バートレーの体勢が大きく崩れダークスターの悲痛ないななきが聞こえた。
次の瞬間、闇の騎士は勢い良く虚空に投げ出されていた。この高さでは命は助かっても、騎士としての寿命は絶えたも同然だ。騎士の姿は豆粒のようになり、地上に消えていった。
「大丈夫か、マリー」
いかにもころあいを見計らっていたような間合いでミハエルが駆け寄る。
「まあね」
息を弾ませながら、マリーは冷たく頷いた。
「いったいどうし…」
「さあ。それはいいとして、ミハエル、あの子には罪は無いわ。あんなに暴れていてはあたしの技術じゃ無理。連れてきて頂戴」
マリーが指差したのは、理性を失い狂ったように空中を乱舞するダークスターだった。
「まさか、僕が連れてきているうちに一人でゴールする魂胆じゃないだろうな」
ミハエルがちらりとマリーを見た。ポリーまでもがマリーを疑いの目で見ている。
「見損なわないで、ちゃんと勝負するわよ。あの子を連れてくるまで待ってるわ」
愛馬を駆ってダークスターを迎えにいくミハエルの後姿をマリーはにんまりと笑って見送った。あの暴れようは、初めて見たわけじゃない。シルバースポットも最初はそうだった、可愛そうに大切に育てられたペガサスだったものね。
荒れているダークスターと揉み合いながら何とか捕まえ、満面の笑顔でマリーの方に駆け寄ってくるミハエル。マリーとの一騎打ちに負けるはずはないと思っているのか、余裕たっぷりに手まで振っている。
「相変わらず、間抜けねえ…」
苦労した日々に思いを馳せる。借金を逃れ、川原で、あばら家で、マリーとシルバースポットは野宿を重ねてきた。辛い目や悲しい目にいっぱいあった。だが、あの歳月は無駄ではなかった。
「マリー、つれてきたぞ」
マリーは手でミハエルに離れるように合図すると、ダークスターに癒しの術を施した。黒い馬は静まると、なんともいえない目の色をして静かに地上に舞い降りて行った。
「さ、勝負だ。マリー…うっ」
ミハエルの声が止まると同時に、ポリーが暴れ始めた。
「しまった、やられたっ。あの馬を捕まえる時に……」
「はっ、甘いわねミハエル。あたしは昔のお嬢様じゃないのよ。さあ、約束は守ったわ。今から勝負よ」
高らかな笑い声とともにマリーは、今では蚤くらい平気になった愛馬とともに金髪をなびかせて、宙を駆けていった。
後には、邪悪の術のとばっちりで凶暴化した蚤たちに襲われ、きりきり舞をする一人と一匹の姿があった。
「っひー、かゆい、かゆいっ」
「だから言ったでしょう、あの女は危険だって。旦那は女に見境がないのが致命傷ですよっ」
「だまれっ、馬の分際でっ」
「きーっ、馬だって愚痴を言いたいことがあるんですっ」
ポリーが痒みのあまりギャロップしながら叫ぶ。制御できないミハエルは落ちないようにポリーにしがみ付くのがやっとだ。
言い争う一人と一匹の眼下に白いはずれ馬券の紙ふぶきが見える。
空に広がるスクリーンにはエアナイトマスターの肩章をいただくマリーと鼻高々のシルバースポットの姿がくっきりと浮かび上がっていた。