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紫陽花

 さすがに雨も降り飽きたと見え、雲の間から薄い陽がさし始めた。

 この数日照りつける太陽にしおれていた紫陽花(あじさい)が、おずおずと露をまとった顔をあげている。

 その姿はまるで、初めて自分の魅力に気がついて戸惑う少女のようだ。

 拓也は花壇から目を離すと、手すりに寄りかかりながら会場に通じる階段を上がって行った。

「まあゆっくり来なさい。生きていれば何かしら良いこともありますよ」

 そう言って亡くなった妻を見送って、もう10年になる。

「嘘をつけ」

 昔みたいに、うわべだけでも老人を大切にする風潮は無い。詐欺にあって無一文になった身寄りの無い拓也に対して、世間は冷たかった。

「潮時だな」

 会場の入り口には警備員が二人立ちはだかっている。その影に隠れるように看板があり、その表面には遠慮がちに「光の扉の会」と小さく書かれていた。

「IDカードをお見せください」

 警備員の言葉に、拓也は黙って社会福祉課から送ってきた虹色のカードを差し出した。

「どうぞ、奥に受付があります」

 警備員が恭しくお辞儀をした。

「河村拓也さんですね」

 受付の女性はもう一度カードを確認すると、拓也に順路図を渡した。

「壁に貼ってある矢印に従っていくとメイン会場に出ます。お席は決まっていません」

 女性は順路図の中の出口の部分にペンで赤い丸をつけた。

「退出はご自由ですからね」

 拓也は矢印を見ながら廊下を歩いて行った。

 その時、背後から誰かがぶつかってきた。

「すんません」

 そばかす顔の青年だった。

「飲んれきちゃって、危うくつまみ出されるところ。でも、コレあるし」

 手に持った虹色のカードを振ると、青年はにやあ、と笑った。

「君も?」

「そう、俺、英雄なんら……」

 崩れ落ちそうになる青年を抱えようとして、拓也の腰に激痛が走った。よろめいて二人揃って倒れる……寸前。

「これじゃあ共倒れですよ」

 がっしりとした男が、二人を抱きとめた。

 どこかで見た顔、である。しげしげと拓也がその男の顔を覗き込んだ時、

「ああっ、グレイス沢木さんだあ」

 青年が男の手を握るとぴょんぴょん跳ね始めた。

 グレイス沢木は15年位前に勇猛果敢なファイトで一世を風靡したプロレスラーだった。年のせいもあるかもしれないが、以前よりめっきり痩せて黒っぽい顔になっている。

「さ、行きましょうか」

 沢木は二人を促して先頭に立って会場に入っていった。

 会場の中にはいくつかの丸テーブルが置かれていた。三人ともなんとなく同じテーブルに腰掛ける。テーブルの上には、軽食やささやかなつまみ、酒やソフトドリンクが並べられていた。

 ステージに司会者と思しき男が出てきて、しゃべり始めた。

「皆さん、光の扉の会にようこそ。ここは現世に別れを告げる場所でもあり、また現世に再び希望を見つける場所でもあります」

「早くして欲しいよな、酔いが醒めちまう」

 青年が口を尖らせた。

「俺の病気さ、末期なんだよ。ホスピスを勧められたけど、だらだら逝くよりこっちでぱあっと行きたいと思ってさ、死亡許可証を申請したの」

 聞かれもしないのに青年はしゃべり続けた。

「それでは、皆様『光の扉』の使用法をご説明します」

 人々のざわめきが突然静まった。

「ここが、光の扉です。希望者はここに立ってお持ちになっているカードをこの読み取り装置に差し込んでください」

 手の届くところにある四角い装置に説明用のカードを入れる司会者の姿が前方のスクリーンに大写しになった。

「いいですか、入れてから1秒後に装置が作動して、この位置に分解光線が照射されます。分解は一瞬ですから、じっとしていれば何も感じることなく皆さんは光の扉を開けることができます」

「光の扉を開けるなんて言わずにはっきり死ぬって言えよ」

 青年が酒に口をつけながら毒づいた。

 溢れかえる高齢者を若者が支えきれなくなった社会では、老人の自殺を認めるこの制度は必要悪なのかも知れない。人権団体は糾弾や妨害を続けているが、この会は各地をひっそりと巡回して早8年目となる。

 拓也自身はこの制度に嫌悪感は無い。

 苦痛の無い死があるならば、これも一つの選択であると思う。老境に入り自分の意思で人生に終止符を打つのも悪いことではない。

 あの青年のように、若くても余命が短いと見込まれるものには参加許可証が発行される。実際この制度で苦痛から救われた人間もずいぶんいるのではないだろうか。

 拓也がぼんやりと考え事をしている間に、説明は済んでしまったようだった。

 ぞくぞくと人がステージに上り、消えていく。何かパーフォーマンスをやる者、そのままそっと消えていく者。中には暴れる輩もいたが、屈強なガードマンに引きずられて退場させられていった。

 混乱を避けるために家族や知人の同伴は認められていない。皆、入り口で別れを済ませることになっている。そのせいか、消滅は淡々と進んでいき、時折ぱちぱちと見送るかのようなまばらな拍手が聞こえるだけだ。

 徐々に会場は閑散としだした。

「怖いよう」

 青年が涙と鼻汁でぐちゃぐちゃになりながら呻いた。

「じゃあ、やめるか?」

 沢木が優しく尋ねる。

「俺、次にこの会が開催される時には間に合わないよ」

 突然、沢木が青年を無理やり羽交い絞めにした。

「まだ若いんだ、死ぬな」

「よ、よせっ」

 ずるずると出口に引きずられる青年。警備員が数人駆け寄って来る。

 その時、青年はプロレスラーを突き飛ばし、人を押しのけてステージに駆け上がった。

「俺は、恐怖にのたうってまで生きたくない」

 そう叫ぶと青年は消えていった。

 沢木は警備員に両腕を掴まれた。

「暴力行為で死亡許可証は没収です。今後再発行はできません」

「許可を貰わなくともどうせ余命いくばくも無いんだからな」

 沢木はため息をついた。

「違う、この人はあの青年のためにわざと」

 拓也は警備員の腕を掴んだ。

「いいんですよ、やっぱりこれは死ぬまで戦えという天からの啓示かもしれません」

 警備員とともに沢木は出口に歩いていった。

 ああ、そろそろ自分も決心をつけなければ。

 拓也も重い腰を上げ、装置に向かう列に並んだ。

 前に並ぶ初老の男ががたがたと大きく震えている。

「やめられたらどうですか」

 見かねて拓也は声をかけた。

「博打の借金取りが出口にいる。出れば生命保険金の代わりに臓器が……」

 男の順番が来た。

 カードを入れた次の瞬間。

 心を決めかねたのか、男は光線から逃れようと大きく身体を曲げた。

 どしゃっ。

 光線の範囲を超えた上半身が、ステージに転げ落ちる。

 拓也の目の前で男は壮絶な苦悶の形相をして息絶えた。

 会場内が悲鳴に包まれる。

 拓也は呆然と立ちすくんだ。

 全身ががくがくと揺れる。

 記憶は、そこでぷっつりと途切れた。


 拓也が我に帰ったのは会場の外だった。

「まだ中に誰かいましたか?」

 目を腫らした女性が尋ねてきた。

「さあ、よく覚えていないんです」

 うなだれる女性を後に拓也はとぼとぼと歩き出した。

 階段を下りようとした時、しょんぼりとうずくまるようにして腰掛けている老女に気がついた。そういえばさっき会場で見かけた顔である。やはり自分と同じに出てきてしまったのであろうか、何とはなしに彼は声をかけた。

「どうされました」

「いえ……」

「日が暮れますな」

「ええ」

「歳をとって勇気まで干からびておったようです。情けないもんですな」

「私も……」

 小声で呟き、老女はふと拓也を見上げた。

 その瞳が存外に可憐で、拓也は来る時に見た紫陽花を思い出した。

 生きていれば何かしら良いこともありますよ。

 耳元で妻の声がした。

「さ、いきましょうか」

「ええ」

 拓也は若い頃のように手を差し出した。その上にそっと老女が皺の寄った手を載せる。

「これも何かのご縁です。あなた、お名前は」

「樹里」

 誰もいなくなった夕暮れの道、二人の老人の影が重なりながらゆっくりと小さくなって行った。


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