汗は夢のしずく、垢は希望のかけら
自分の身体を自分がどうしようが勝手じゃないか。なにしろ俺には山のような借金とそれを知らない美しい恋人がいる。この方法しかないんだ。三田は自分にそう言い聞かせながらチャイムを鳴らした。
「あのう、実験ボランティアに応募した三田ですけど」
「ああ、お待ちしてました」
ヨレヨレの白衣を着た中年男が三田を出迎えた。
「人体実験に参加すれば即金でくれるって本当?」
男は三田をいきなり部屋の中へ引っ張り込んだ。
「しいっ、静かに。嘘は申しません。お金は差し上げますが、無条件でこの液を飲んでいただきます」
男は透明な液の入った試験管を差し出した。
「これがメールにあった夢の新薬って奴かい」
「はい。この液の中のウイルスに感染すると、身体中の分泌液が薬効を持つようになります。各消化液には抗癌作用のある消化管運動調整剤が。あなたの涙は老化阻止薬、唾液は免疫強化剤に…」
「待てよ。そんなふうに遺伝子を変化させたら、かえって免疫のバランスが崩れて身体に悪いんじゃないのか?」
三田の言葉に中年男は無言で目をそらした。
「ま、いいさ。どうせ金を工面できなきゃ借金取りに命を取られちまうんだし」
恋人の事を考えながら三田は試験管の中の液体を飲み干した。
数年後、妻となった恋人を満足そうに眺めながら三田はソファに寝そべっていた。
心配した健康被害も今のところ起こっていない。
風呂上がりの妻は美白液を顔にほんの少し塗り付けた、ただでさえ白い妻の肌がますます輝くように白く透き通る。
三田の視線を感じ彼女は少し恥じらった顔をした。
「これ、すごくいいのよ。高いけど」
三田は昨日の中年男との会話を思い出した。
奴も今では研究所長となりピンと張った白衣で風を切って歩いている。
「でも三田さんに感染したウイルスがあんなに変異するなんてねえ」
「全くだね。俺はびっくりしたよ。俺の汗がかかった婆さんの肌がみるみるうちに真っ白になるんだからな」
「あなたから分泌される老廃物だけが化粧品になるなんて……。他にも何人か試したんですが化粧品はおろか、薬にもならない。結局成功したのはあなただけでした」
「これを成功というのかね。しかし俺の汗から精製したものを妻が顔に塗りつけてると思うと複雑だよ」
「昔から女性はきれいになるためならうぐいすの糞だって塗りたくりますからね。汗くらいなんでもありませんよ」
ここで所長は急に真面目な顔になった。
「ところで、あなたの爪の垢をまた採取したいのですが」
「いいけど、何か効用があるの?」
「巨万の富の種です。実は、増毛効果が見つかったんです」
彼は薄くなりかけた頭に手をやって苦笑いした。
「男は、他人の爪の垢だって飲むんですよ、髪の毛のためならね」