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黒鶺鴒  作者: 美紅
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再会(一)

「織史は居るか?」

 扉の向こうから突然龐公の声が届いた。

 それはいつものように、庭に面した茶室で一息ついていた時のことだった。

 華殿に来て六日目の昼下がりで、蝉舞の給仕で織史と薫水、そしてキツネの三人が茶卓を取り囲んでいた。

 そこへ響いた、廊下から自分を呼ぶ龐公の声。

 昨日の内に、霄雲から訪問の手紙が届いていたので、その件だと直ぐに察しが付いた。

 織史は立ち上がり、扉に近付こうとしたが、その腕をキツネが掴み、薫水の腕が行く手に差し出された。そして蝉舞が代わりに進み出て、静かに扉を開く。

 織史は室内の緊張した空気に触れ、自分の愚かさに気付いた。

 つい先日、自分が龐公と霄雲の声音に騙されて傷を負ったことを、すっかり忘れてしまっていたのだ。呂妓のお蔭で大事には至らなかったが、自分の甘さが招いた失態である。

――なんて馬鹿なんだろう、私は――

 肩を落として気を沈める自分を叱責し、織史は扉の方に眼を向ける。

「なんだ。居るのならさっさと開けぬか」

 少し苛立ちを含んだ声で姿を見せたのは、金髪碧眼の龐公である。

 部屋の様子を訝しげに見詰め、何やら口を開きかけたその時、織史の横を通り龐公の目の前に一陣の風が走る。

「……。貴様、喧嘩を売っているのか?」

 眉間に深く皺を刻み、顔の前に広げた扇の内から覇気と共に怒りに満ちた声が響く。その足元にカチリと音を立てて、一本の鉄長針が転がった。

「悪いな。これもそちらの姫君を護るためなのだ。仕方あるまい」

 答えたのは薫水だ。そして織史の前からその腕を下げ、再び茶卓に着く。

「何かあったのですか?」

 龐公の後ろから、心配そうに揺れる霄雲の声が聞こえる。それに答えたのはキツネだ。

「先日、そなたらの声音を真似た奴らが来おってな。声や姿だけでは信用がおけぬ」

「それは…っ。そ、それで、織史殿にお怪我は?」

「痛手を受けた。このことは我らの失態ゆえ、気が張って居ったのだ。そなたらを確かめるまではな」

 キツネはわざとらしいほどに大袈裟な物言いでそう述べると、織史を引き寄せて卓に着く。

「そなたらから預かった大切な姫君だ。ご理解頂きたい」

 言いながらその腕に織史を抱え、キツネは霄雲を顧みる。織史はキツネの行動に大分慣れてきたのか、気にも留めずに蝉舞が出してくれた椅子に腰掛けた。

 その様子から伏せるように視線を逸らし、霄雲は黙り込んでしまう。

 キツネは微かに咽を鳴らし、織史の肩に手を置いたまま、茶を口に運んだ。愉しげに茶を啜っているキツネを一瞥し、薫水は勧められた卓に着いた龐公に訊ねた。

「――で、一体何用か。問題が解決したようには見受けられぬ様相だが? それに、そちらは……」

 薫水は思わず言葉を詰まらせてしまった。

 何故なら、龐公たちに続いて入って来た緋色の眼をした童子が、唐突に織史に抱き付いたのである。

 続く二人の童子も織史に駆け寄り、抱き付く。そして瞬時に、織史の周りが光に包まれ、童子の姿は黒色の毛並みに覆われた獣へと変化した。

 腰の剣に手を掛けた薫水も、思わず呆気に取られてしまっている。

 織史は三頭の黒狻猊に見覚えがあった。

 艶のある漆黒の毛並みに手を伸ばすと、柔らかく、そして心地良い温もりが掌に広がる。紅玉の如き瞳はどこか潤んでいるが、喜色の眼差しを向けてくる。織史はその首に腕を回し、抱き締めた。

 回した腕に応えるように、三頭も織史に鼻を摺り寄せた。

 懐かしい朋友のようにも、そして我が子のようにも思われる。

「驚いた…。良くぞここまで、珍しい黒狻猊を捕らえ、手懐けたものだ」

 織史らの抱擁を目にして、薫水が感嘆の声を漏らした。

 薫水の言うとおり、黒狻猊は実に珍しい存在だ。以前に霄雲が話したように、黒色の狻猊と言うだけで貴重であり、それも緋色の眼となれば希少度が増す。

 しかしながら、その珍重な黒狻猊を薫水も抱えているのだが、それはまた別のようである。

「一つ聞きたいのだが、何故に人型であったのだ? 此処には特に人型でなくてはならない規定は無かった筈だぞ。それともこの仔らが人型をとれることを、見せ付けたかったのか?」

 怪訝に眉を寄せてキツネが訊ねると、霄雲は龐公に視線を向けて軽く溜息を吐いた。そして龐公はというと、愉しげに口許を綻ばせて蝉舞の淹れた茶を口にした。

「そのようなことはせぬ。黒狻猊の童子姿など、お前達の方が見慣れておろうが」

「では何故、わざわざ人型など取らせていたのだ。見ればまだ傷も癒えておらぬようではないか」

 キツネの言うように、黒狻猊たちはまだ腕や背中に裂傷が残っている。体調も本調子のようではなく、どこか苦しそうに見受けられた。

――この傷は、あの時の――

 織史は七日前の事を思い出した。まだ自分が霄雲の宮に居た時の事だ。

 刺客に襲われた折、応戦する中で彼らが身を挺して守ってくれたものだった。通常の狻猊であれば、傷はもう塞がっている筈だが、彼らは傷の回復よりも他に能力を遣っていたようだ。彼らに対する呪の効力も、まだ残っているのかもしれない。自分の声が戻らないように。

 織史は彼の背をそっと撫でる。

――迷惑を掛けて、ごめんなさい――

 織史は胸が締め付けられるような痛みを、感じていた。

 そんな織史を他所に、龐公が再び口を開く。

「――条件を出したんだ。主に会いたければ、五日間人型を取り、おとなしくして居よ・とな」

「悪趣味な奴だ」

 龐公の言葉に薫水が吐き捨てる。

 どうやらそれは、当人の耳には届かなかったようで、龐公は話を続けた。

「私も、始めは冗談のつもりであったのだ。人型をとれるとは思ってもいなかったしな。しかし、言った翌朝から人型で居るのには流石に驚いたぞ。それまでは鋼石をも砕くというその爪で、檻の壁を掻いていたのものたちが、言うとおりにおとなしく座っていたのだからな」

「それで仕方なく連れて来たというのか……」

「まぁ、それが無くとも霄雲が連れて行くことを考えていたようだが」

「当然です。この仔たちは織史殿に危害を加えることなど無いのですから。何よりも、織史殿も気に掛けていらっしゃいましたので……」

「と言う訳だ」

 霄雲は少し戸惑ったように言葉を口にして、織史の方に視線を向ける。しかしそこで織史と目が合うと、気恥ずかしそうに眼を逸らしてしまった。

 織史は霄雲の心遣いに感謝の思いを込めて、言葉を紡ぐ。

――ありがとう――

 いつも霄雲には助けてもらい、そして元気付けられている。織史はいつか必ず、霄雲への恩に報い、そして力になろうと思った。

「――さて、もう一人その娘に会わせる者が居る。霄雲」

 言うと龐公は霄雲を庭の外に向かわせた。

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