花嫁の物語
世界観とかその他諸々・・・。
説明的部分で、ダラダラっとしてしまいましたが、
少々お付き合いください。
翌朝、織史は微熱を含んだ面持ちで、心配した蝉舞は自室で休むように勧めた。
しかしあまり大事にしたくなかった織史は、いつものテラスでゆっくりと過ごすことにした。
蝉舞は仕方ないと言うように溜め息を吐いていたが、滋養のあるお茶を用意すると言って微笑み、部屋を後にした。
一人になった織史は、ぼんやりと外を眺めながら昨夜の夢を思い出す。
もう朧にしか思い出せないけれど、確かな記憶にある部分もある。
それはつまり、自分が経験した事柄と重なるということだ。
自分に、“忘れている事”があるのだと自覚して、眉根が寄る。そこへ―――
「気分が優れないと聞いたが、調子はどうだ?」
窓の向こうから顔を出したのは、この華殿の主・薫水であった。
驚きに目を丸くしていると、薫水は庭に続く硝子戸の入り口から室内に入り、織史の前に腰を降ろした。
「まあ、薫水殿。ご婦人の元を訪ねるのに窓からだなんて、はしたないですわ」
声を上げたのは蝉舞だ。茶器を片手に部屋に入ってきたところ、突如現れた薫水の姿に、その経緯を推察したのだろう。
窘める言葉は微かな呆れと愉しげな空気を含んで、主に向けられた。
「秘密めいていて、面白そうだろう?」
「それは逢瀬の場合です。薫水殿の場合は、単に面倒だったから、ではありませんこと?」
「バレていたか……」
「そのような甘い情緒溢れる行動は、その時と場に応じなくては、ただの無作法です。よろしくて?」
「では、連れ出すときはバルコニーからにしよう」
するりと織史の手を取って、薫水は騎士を思わせる素振りで膝を折った。
蝉舞はその様に紅い唇を微笑ませ、満足そうに薫水に席を勧めた。
そして薫水の手元に気付いて、目を丸くする。
「あら、珍しい物をお持ちでいらっしゃいますのね」
「今日は、面白い本を持って来たんだ」
薫水は言いながら一冊の本を卓に置いた。
緑色の布表紙に、題名らしきものが金糸で刺繍されているその本は、背を糸綴じされた代物だ。
「文字はまだ難しいかもしれないが、これは絵本だから、何となく内容も分かるだろう」
言いながら、薫水は卓に物書きようの紙と筆を置き、織史の前にその本を開いて置いた。
そこには淡い彩で描かれた絵と、物語の内容だろう文章が記されている。
流線型の筆文字は、象形文字のように記されており、織史はまだ読むことはできない。
それでも、描かれている絵を見ていると、何が記されているのか分かる気がした。
これは、竹取物語のような女性の求婚譚だ。
「…昔、老夫婦のもとに一人の少女が現れる。彼女は愛らしく、美しく成長して、四人の男性に求婚される。彼らは東西南北の領主で、彼女に贈り物をする。南は朱甄という鏡。西は白路という白い衣。東は青化粧という化粧道具。そして北は黒星という剣を贈った。しかし彼女は誰の想いも受け取れぬと、自害しようとする。そこへ現れたのが中央の神の遣いだ。その御遣いが言うには、彼女は中央の地が産んだ巫女。ゆえに道は決まっている。その報せを受けた四人の求婚者は、涙ながら彼女を中央に送るため舟を造らせた。彼らの温情とその心に感じ入った彼女は、中央に向かう前に、彼らからの贈り物に神氣を込めた。そして彼らは、彼女から贈られた宝物を大切にし、暮らしていきましたとさ」
話の筋を薫水が語って聞かせてくれた。
やさしげな絵柄が随所に収められていて、主人公の女性と四人の男性との遣り取り、そして贈り物と彼女が巫女姿となって中央に帰る場面などは、正に『かぐや姫』のそれと似通っている。
「あら薫水殿、彼らに贈られたのは、彼女の巫女装束ですのよ」
「ん?」
「物語らしいと言ってしまうとそれまでですけれど、彼らが贈った四つの装身具は、そのまま姫巫女が身に着けて御帰りになられたのです」
「つまり、神氣が込められていたのは、そのまま中央からの宝物だったという訳か?」
「はい。ですから、花嫁が肖っているのですわ。己を愛する者からの贈り物であり、神の氣を宿す祝福の装身具として。愛に包まれる、というものですわ」
蝉舞はほんのりと頬を桃色に染めて、うっとりと目を閉じた。
夢見る少女そのものの姿に、薫水は小さく笑って湯飲みを手にする。
それは幼い妹を可愛がる、姉のように温かな眼差しで、織史の口許にも自然と笑みが浮かんだ。
「今ので分かったと思うが、ここに描かれている巫女装束は、そのままこの世界の花嫁衣裳になっているんだ。理由は蝉舞が言ったように、花嫁の幸福を祈るもので、サムシング・フォーのようなものだと思ってくれ。まあ、これを持ってきたのは花嫁衣裳を紹介するつもりだけでなく、そなたの暇潰し代わりと、この世界を簡単に象徴しているからでもある」
『世界を?』
「そう。この世界には、物語に登場したように四つの領土…厳密に言うと人が住む大陸と、神が坐す中央の神聖な地が存在する。四つの大陸は、中央からの位置で東西南北、それぞれを冠して大土と呼ばれているんだ。そなたが発見された地であり、叶君や霄雲がいるのは東大土。東の地だ」
織史の書いた紙に、薫水はその地名を記してみせた。
「隣接するのは北大土。大河を挟んで南大土。中央の聖地の向こうに西大土。そして……地球の概念を持つ我々には想像し難いんだが、東の果てを行くと、中央聖地の一点、天空域へと繋がる。そうだな…球体の表面ではなく、内側に陸地があると考えてくれ。だから、中央聖地の向かい側、大土を間にすると反対側には、天空域という地があるんだ。ただ、天空域はその名の通り天上に位置するため、ある場所から下を覗くと、大土の一部が見えるというファンタジーが待っている」
『見える空は、天空域という地だということですか?』
「土地の概念というより、雲の上なのかな。太陽も雲も月も星もある空が、どのように存在しているのか、それを考え出すとこの世界の構造は不思議としか言い様が無い。まあ、この辺はメビウスの輪を思い浮かべると大体は理解できる、と私は踏んでいる。何より、私はここに世界調査に来た訳ではないから、“こういうものだ”と受け入れるほうが得策だと行き着いた」
『薫水さんは、初めは南に来たのですよね?』
「そうだ。南は朱妃殿の居られる地で…――」
『南大土?』
「その通り。で、ここからがこの本が活躍するんだが、この絵本はただの絵本ではない」
薫水はもう一度卓の上の本を広げて、絵の上に指を走らせた。
丁度、主人公の女性に四人の男性が一堂に会して求婚している場面だ。
「最初に言っておくが、決して動いたりする訳ではない。ただ、現実に忠実なのだ」
薫水が初めに示したのは、金髪に青い衣を纏った男性だ。
「彼は衣も青いものを着ているから分かりやすいと思うが、どこの領主だと思う?」
『東?』
「正解だ。瞳も碧く描かれているし、どこか霄雲の外見と似ているだろ? ではこちらの男性はどうだ?」
次に示されたのは赤い髪の男性だ。こちらは、どこか朱妃の姿を思わせる。
『南』
織史の解答に、薫水は満足そうに頷いた。
そんなふたりの姿を側で見ていた蝉舞が、微笑ましいと感想を口にする。
「まるで学士館の先生と生徒のようですわね」
『ガクシカン?』
「学士館は、書いて字の如く、学を志す者の集まる場所のことだ。いわば学校のようなもので、そこから役人などが輩出されている。いずれ機会があれば、各地にあるから見学してみるといい。さて、話を戻すが、こちらの白い髪の男が西、そして黒髪の者が北を象徴している。彼らの衣服や姿、それから言動などは正にお国柄を表しているから、絵を見ているだけでもここの世界観が見えてくる。まだ約束の期日まで時間があるから、是非読んでみてくれ」
織史は、嬉しさに顔を綻ばせながら首肯する。
そして本に手を伸ばすと、じっくりと中身を読み始めた。
勿論、何と書いてあるのか文章はまだ読めないけれど、薫水が説明してくれた内容を思い出しながら、絵柄に照らし合わせて意味を考えることも楽しかった。
ここに来て初めて、己の前に広げられた包みの中身を、見ようとしている自分がいる。
それがとても懐かしい気分を起こさせて、織史は夢中でその本を読み進めていった。