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黒鶺鴒  作者: 美紅
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繋がる花(一)

 窓際の椅子に腰掛けて、織史は目の前に広がる花の咲き乱れる様を眺めていた。

 華殿にはその名に相応しい花々に飾られた庭園が幾つも有り、この一室はその内のひとつである奥の庭園に向かって、半円形に突き出す構造のテラスのような場所だった。天井から足元まである大きな硝子窓らしい透明な壁面が、突き出した半円を描いているため、太陽の光と花の香りが踊る室内でありながら、屋外の空間をも併せ持つ不思議な部屋である。

 惺永に案内された場所の中でも、心を和ませるこの空間が一番気に入っている。

 ここに来てから三日目。

 昨日も昼過ぎには、僅かな時間であったものの、薫水たちとこの場でお茶を飲んで過ごした。

 ぼんやりと時の流れて行く様を感じる孤独感にも似た感覚に、織史は思わず溜め息を零してしまう。

 叶君の世話になっていた黰宮、霄雲の庇護下にあった東宮庭、どちらでも自分にできることは少なく、無気力であったがゆえに、時間を持て余すようなことがなかった。

 何よりも、霄雲を筆頭に薫衣、桃鈴、彬矢、駒羅といった面々が、織史の側に常に控えていたので、これほどの孤独感を味わうことがなかった、というのが正直なところだ。

――甘えて、いたんだ……。

 改めて、彼らの存在を感じて、織史は己の身を省みた。

――どうして、自分は…――

 深く眉間に皴を刻んで、何度目かの溜め息が口を突く。

「相変わらず沈んだ顔をしているな。花がしおれてしまうぞ」

 不意に背後から声を掛けられて振り返ると、青灰色の髪を滝のように流す佳人が佇んでいた。

 最初こそ「氷のよう」に感じた声も、聞き慣れてくると澄んだ中に親しみを覚えて、織史は小さく微笑みを返す。白く冷笑を浮かべたようにすました顔は、微かな心配の色も浮かべてこちらを見返した。

「こんな天気に、外に出ぬからそのような顔になる。行くぞ」

 薫水から「キツネ」と呼ばれているその人物は、いつもふと現れてはこうして織史をどこかに連れ出そうとする。

 片手には白磁の酒瓶を持っており、歩く度に微かな音が立つので、懐にさかずきが入っていることも明らかだ。けれど、決して織史を酒の友にさせるために連れ出しているわけではないことを、織史は知っていた。

「…そんな、何もかもを察していては、酒にも酔えなくなるぞ」

 少し笑った口許が、織史に向けられた。

 顔を上げると、キツネの手が頭を撫でて、そのまま腕を引かれて庭に続く硝子戸を一緒にくぐる。

 辿り着いたのは噴水を囲む庭の石階段だ。段差の小さなきざはしが五段続き、その下には芝桜が広がっている。

 キツネはそこに座るよう織史を促して、自分も腰を降ろした。

 風を受けて青灰色の髪を風に遊ばせ、噴水を眺めたのも束の間、早速酒瓶を傾けている。

――なんだか、不思議な人……。

 正直な感想だった。

 出逢ってから、そう時間が経っている訳ではないのに、キツネはそういう壁を作らせない人物だ。

 まるで風。すっと入って来て、嫌な気持ちをさせない力を持っている。

――それに…――

「こちらの世界も、そう変わらぬであろう?」

 キツネは一口飲んで、吐息に紛れて訊ねた。

 織史は、素直にこくりと頷く。だが、キツネから視線を外すことはしない。

「食事も人も、根本的な部分が似通っておれば、慣れるのも早いものだ」

 織史を安心させるようにやさしい声音であったが、内容よりも、キツネにそう言わせしめることの方が、気になる。

 どうやらキツネも華圉も、織史が別の世界から来たことを知っているようなのである。

 それでいながら、龐公のように危険視することもなく、むしろそれが当然であるかのように接してくるから、織史は不思議でたまらなかった。せめて、少しくらい疑うような、驚く素振りを見せてくれた方が、安心できるというものだ。

「驚いておらぬのがそんなに不思議か? 薫水アヤツを拾った時は、少しは驚いたがな」

 こちらの心を読んだように、キツネは薄く笑って織史を一瞥すると、また杯を口に寄せた。

「語弊のある言い方をするな、キツネ」

 呆れを含んだ声が聞こえて、織史はキツネの肩越しに声の主を見た。

 石畳を進んで来る薫水の顔には微かな汗が浮かんでいる。服装もいつもより軽装で、左腕には上着らしき衣を掛けているから、鍛錬の後だろうか。

「私が、お前の室に宛がわれただけだろ」

「その言い方も妙だと思うが……お前がそれで良いと言うのなら、構わぬよ」

 キツネの考えには織史も同感だった。おそらく、薫水の言葉に深い意味はないだろうが、まるで自分からキツネの部屋へ訪れたような…艶めいた邪推を起こしそうな言い回しだからだ。

 しかし、ふたりの間にそのような空気がないことを知っている織史は、どのように薫水がこちらで過ごしてきたのかが気になった。

 その視線に気付いた薫水は、織史の横に腰を降ろすと目を細めて口を開いた。

「大した話ではないよ。同室になったキツネと話しをして、意気投合したからここまで同行してもらった。私の目的が何なのか、私自身も分からん状態であったのを、キツネが知恵を貸してくれたんだ」

「子どものくせに態度が大きくて……度胸が据わっていて、女だと言われた時には目を疑ったがな」

「お蔭で怪しまれることも少なかっただろ」

「そうそう。南からの道中も、楽をできたよ」

――南?

「ああ。私たちは最初、南の地で出会ったんだ。だから、朱姫しゅき殿も存じているよ」

「今は朱妃(しゅひ)となったのだろ、あのはねっ返り姫は」

「そうだったな。御姿が変わられないから、どうも妙な気がする」

「お前には名で呼ばせているからな。あの姫も御縁のあることだよ」

「それには私も驚く。こんな短時間にふたつの縁とは、やはり希代の姫巫女と呼ばれるだけのことはある」

 織史は「朱妃」という言葉に聞き覚えがあった。

 自分の声が出ないことを、呪が掛けられていると見抜いた叶君が呼んだ、赤い髪と紅い瞳を持った女性がそう呼ばれていた。

 そして彼女は、織史の体内に潜められていた三頭の黒狻猊を取り出した人物でもある。

 薫水は初めて会った時にも叶君のことを知っている風であったから、もしかすると三人は旧知の間柄なのだろうか。

 しかし、そこまで考えて行き当たるのは薫水の言った「色々とあって」の内容だ。

 察するに、薫水も織史と同様に向こうの世界を知っている様子で、むしろ同郷の人間のように思える。

 となると、彼女はどのようにしてこちらに来たのだろうか。

 自分は覚えていないが、薫水はそれらを知って、こちらに居るような、そんな気がした。

「ん? ああ、そなたにはまだ話したことがなかったか……。丁度好い。今日はこの後に時間がある。お茶でも飲みながら、そなたの疑問を解いてやろう」

 思案に眉を潜めていた織史に、薫水はにっこりと笑いその眉間を人差し指でつつくと、立ち上がり手を差し出した。


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