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四つ

作者: 泰然寺 寂

 本


 本は買うだけで満足だ。内容などあまり気にはならない。その時の気分次第で漫画を買ったり大衆小説を買ったり、純文学を買ったり洋書を買ったりする。本の分厚さも気分によってまちまちだ。千ページを越える百科事典でも十数ページぽっちの絵本であっても。金に糸目を付けることはない。その日その時買いたければ買う。それだけでいいのだ。本棚が少しずつ埋まっていく様を眺めるのが良い。下から埋めていこうかそれとも上から。そういったことを考える一時が重要だ。本棚は堅牢な木製の物とアルミ製の軽いラックを用意する。同じ本を二冊買ってそれぞれに入れていく。敷物が沈み込み、凹んだ型が付く。智の重みを感じる。なぜか軽いアルミのラックの方が沈んでいたりすると最高だ。

 だから電子書籍はいただけない。


 理解


 理解は感覚に一歩先んずることを、いったい幾人が知っているのであろうか。感覚が先立って理解が追いつく。なるほどそれは一見理に適っているように思える。脊髄反射なる言葉もあるように、語として勘違いが引き起こされる要因も関係していると思われる。だがここで脳を介さない反応即ち意識よりも感覚、この前提たる脳より意識が生じているという考えがまず持って間違いではなかろうか。臓器移植されたヒトが移植前とは異なる趣味嗜好に目覚めるという話はよく聞く。当然頭部を丸々移植するわけにはゆかぬゆえ、喩えば心臓移植された後趣味嗜好が変わったとして、元の心臓の持ち主は心臓で物を捉えていたのかという問題になる。だから私がこの文章を書き起こしているのも、理解が感覚より先んじたからなのである。


  エコー


 エコーが夜空とまだ名付けられていない空間に滑り出したのは、いつか地球と呼ばれる星の四度目の再生途中だった。世界はまだ緑で絶対的な統括者も存在せず、あるべき姿があるべき姿を取る以前の、非常に不安定であり、それゆえ純粋で、エコー以外の知性がそこに存在すると一挙にその色へ塗り替えられてしまうような、薄氷の危うさを秘めている。

 エコーは自らの色を持たない。他の知性が「おはよう」と声を掛ければ「おはよう」と返すし、「こんばんは」なら「こんばんは」と返す。受動としての存在は他者が存在することによって成立するが、完全なる受動であるならばエコーはエコーとして存在することができない。本質が無いからだ。ならばエコーはなぜ存在しうるかというと、v=H0Dで示される速度よりも僅かに速い存在速度を有しているかだった。僅かに未来へ振れ、見かけ上今に存在することはない。現在点における矛盾をクリアしたエコーは、智者としてあるのではなく、鏡として宙にあり、地にあった。

 エコーは星を映し出す。平面に投射される奥行きは、宇宙ですら為し得なかった無限の広がりを持った。行き止まりの奥へ到達することの出来る、完全な存在としてのエコー。主体を持たないからこそ全知全能に最も近かった。星は二重写しとなり個を失った。しかしまだ個を認識する知性が誕生していない星においてそれは些末なことであったし、いずれ歴史が儚い一瞬を有限回のうち存在の耐えられる回数まで刻んだとき、クローンなどという呼称で立ち現れる問題でもあったため、本質的に個の崩壊は解決されるべき事象でもあった。

 エコーは産声を上げる。聞こえた声をそのまま受けて発した物であったが、時は満ちたことをエコーは知った。二重写しの星々をエコーは取り囲んでいく。今、地球と呼ばれるようになった星を含む平面の中の無限は、エコーに囲まれながらゆっくりと動き出す。宇宙その物となり、しかし大きさを持たないエコーが動いたとして、映し出された星々は気付かない。エコーが去った後に残る星と、エコーが映し出した星。今、別個の歴史を歩み始めた二つは些細な違いから全く別種の物となるまでそう時間は掛からない。


 自壊球


 今、私の手元に二十八のピースからなる球がある。片手では持てず両手で持つには少し小さいぐらいの大きさだ。各々のピースはスクラムを組むようにかっちりと嵌っていて、油膜を張ったように七色に輝くそれは、この世の全てを構築する光のように怪しげな光沢を放っている。

 ただ一つだけピースの嵌っていない箇所がある。球を平面上で安定させるために、一つだけピースの抜けた部分を机に付けるように置いている箇所だ。ゆえに七色に光っていることを除けば不格好な亀が手足を引っ込め、来るべき何かを待っているかのようにも見える。それが七つのラッパであるとも限らないから注意すべきかどうか悩む。

 この球の出生を語るには京都から始めなければならない。地下鉄の松ヶ崎駅を降りて少しの距離にある大学の、工芸科学部でこの球は産声を上げた。産みの親は同期生のNという男だ。腹を痛めて子を産む代わりに連日連夜工作室に閉じこもっては図面を引き直して、鬼気迫るとはまさにこのことかと云わんばかりだった。

 球の作成に私は少なからず関わっている。私の専攻は高分子工学である。とりわけその分野でも新世代のガラスに関わる研究を行っていた。融点に関する諸問題をクリアして、強度の高く、軟性に富み、傷つかず、ゆくゆくは宇宙分野において実用化が期待される素材を作り上げることが私の研究であり使命でもあった。

 Nは試作段階のガラスを欲しがった。実用に足りない改良の余地があるガラスを、である。私のガラスが未完成だという旨は当初から伝えてあったため、おおよそ何かの比較にでも使うのだろうと思った。事実、七色に光る素材で球が作られたのを見たとき、私は予測が正しかったことを知った。

「ありがとう」

 彼はできあがった球を見せながら云う。よもやこれが彼との正常な最後の会話になろうとは当然ながら思いもしなかった。夕立の降りしきる蒸し暑い六月であったことを記憶している。

 球は完成しない。最後のピースを嵌めた後、彼はおかしくなってしまったからだ。私と「正常な」会話をしていたときも、実は狂っていたのかもしれない。いや、狂っていたのだ。彼が最後のピースを嵌めたとき、球は壊れた。かちりと気持ちの良い音が鳴ったかと思うと球は二十八のピースに別れていた。さっきまでのスクラムはかくやと云わんばかりに彼の手には二十八の板きれがあった。

 私は最後のピースを嵌めない。彼と同じ末路を辿りたくない。ただ、誰かが狂う過程は少しだけ見たいとも思った。

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― 新着の感想 ―
[一言]  全体を通して何かの寓意だろうという雰囲気はあるものの、何の寓意かは判然としません。これは読者を引っかける積もりで実は何の寓意でもないのか、それとも自分の頭が弱いだけなのかと、どうも落ち着か…
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