第6話:人里への道と魔族の影
フィアナの監視下で森を進むこと半日。日が西に傾き始め、木々の隙間から差し込む光がオレンジ色に変わる頃、フィアナが立ち止まった。
「この先十里(約40km)ほどで、人間の村落が見えるはずだ。私の合流地点はその村の近くにある」
カイはホッと息をついた。森の奥深くで野営をするのは、さすがに心細かった。
「ありがとうございます、フィアナさん。これでようやく人間に会えます」
「喜ぶのは早い。森の外縁は、人間と獣、そして時には魔族の領域が入り乱れる最も危険な場所だ」
「魔族……ですか?」
カイの頭の中で、フィアナの口にした新しいキーワードに『万象改変』のシステムが微かに反応した。
「ああ。奴らはこの世界に敵対する存在。人間族はもちろん、我々エルフ族も憎んでいる。奴らの持つ魔力は淀んでおり、森の秩序を乱す。もし遭遇したら、お前の『改変』を使う暇もなく殺されると思え」
フィアナの口調は厳しく、その警戒心はゴブリンの比ではなかった。
(魔族の原理、か。これもいつか解析してみたいけど、今は無理だ。まずは安全を確保しないと)
カイは自分の『魔力回路の拡張阻害構造の削除』の改変が成功した後、静かに魔力を練る練習を続けていた。そのおかげで、低だった魔力は微量だが着実に上昇し、「魔力:F」という最低ランクには達していた。これは元の世界にいた頃の自分からは考えられない進歩だ。
二人はさらに一時間ほど歩き、木々がまばらになり始めた頃、遠くから微かな悲鳴と、争っているような金属音が聞こえてきた。
フィアナの表情が一変する。
「この音は……人間の旅人か、あるいは村の者が襲われている!」
フィアナは弓を構え、音のする方向へ走り出した。カイも疲労分解速度を改変した効果で、彼女に遅れることなくついていく。
音のする場所に着くと、そこには半壊した古い荷車が放置され、荷物が散乱していた。周りの地面には、血の痕と、何かが引きずられたような跡が残っている。人の姿はどこにもない。
「遅かったか……」フィアナは悔しそうに弓を下ろした。
「フィアナさん、これは何に襲われた跡ですか?ゴブリンではないですよね?」
「ああ。この引き裂かれた荷車の痕と、この妙な臭い……間違いない、**『オーガ』**だ。知性は低いが、並の騎士団でも苦戦する怪力を持つ巨大な亜人種だ。この辺りで群れを見かけることは珍しい」
フィアナは地面の血痕と、足跡を慎重に確認する。
「血痕は濃いが、致死量ではない。人が二人ほど、引きずられていったようだ。おそらくオーガの巣に連れ去られた」
「助けに行きましょう!まだ間に合うかもしれません!」
カイは興奮気味に言った。小説の展開なら、ここで迷わず助けに向かうのが主人公だ。
しかし、フィアナは冷徹に首を横に振った。
「馬鹿を言うな。オーガの巣は洞窟か廃墟だ。奴らは匂いを嗅ぎつけ、一斉に襲いかかってくる。そして、お前はただの少年だ。私一人でも危険すぎる」
「でも……!見捨てていいんですか!?」
「衛士としての判断だ、カイ。一人を助けるために、二人とも命を落とすわけにはいかない。私はまず部隊と合流し、応援を求める」
フィアナの判断は冷静で合理的だった。だが、カイは納得できなかった。せっかくチート能力を持って転生したのに、目の前の危機を見過ごすなど、元の世界の小説の主人公ならあり得ない。
(助ける『原理』を考えろ、カイ!)
彼はすぐに『万象改変』のシステムに語りかけた。
「フィアナさんが安全に、かつ確実にオーガの巣を特定し、制圧できる『原理』を作り上げる」
【改変の規模が大きすぎます。対象の『原理』が複雑すぎます。成功率0.005%。】
「やっぱり無理か!」
彼は再び能力を最小限に絞る。
(オーガの巣の場所さえ分かれば、フィアナさんを説得できるかもしれない。オーガが連れ去った道、その**『足跡の原理』**を視覚的に強調する)
「この地面に残されたオーガの足跡に、**『十秒間、鮮やかな緑色の光を放つ』**特性を付与する」
【改変完了。足跡原理(視覚強調)を上書きしました。】
瞬間、地面に残されたオーガの足跡が、ホタルのように緑色に発光し始めた。その光は数十メートル先まで続き、明らかに森の奥、巨大な岩山の方向へ向かっている。
フィアナは、再び目の前で起こった不可解な現象に、言葉を失った。
「これは……!何をした!お前の力か!?」
「この光は十秒で消えます。これなら、夜になる前に巣を見つけられるはずです。フィアナさん、お願いします!僕を囮にする必要はありません。あなたは遠くから弓で援護してくれればいい。僕が、彼らを助けます!」
フィアナは光る足跡と、決意に満ちたカイの顔を交互に見た。彼女の衛士としての冷静な判断と、目の前で光る確かな手がかり、そして少年の無謀な正義感。それらが彼女の心を激しく揺さぶった。
「……愚か者め。わかった。私も衛士だ。目の前で助けを求める者を、無碍にはできぬ」
フィアナはそう言うと、再び弓を構えた。
「ただし、私の命令は絶対だ。お前が勝手な行動を取った瞬間、お前の背中を射抜くぞ」
「ありがとうございます!」
カイの心は高揚した。チート能力を持って、初めて困っている人を助けに行く。これこそが、彼が夢見た「異世界転生」の醍醐味だった。
二人は、緑に光る足跡を辿って、暗くなる森の奥深くへと踏み込んでいった。




