王都の混沌と大図書館の鍵
人間族の王都は、広大で堅牢な城壁に囲まれていた。しかし、城壁の上空に渦巻く黒い『淀んだマナ』の雲は、街全体に暗い影を落としている。
王都の門は、避難民の流入と兵士の出入りで混乱していた。門番の兵士たちは疲弊しきっており、フィアナのマント姿にも厳しい視線を向けたが、エルフ族が連盟軍として派遣されているという噂が広まっていたためか、深追いはされなかった。
街中に入ると、ルミナリアのような静謐さとは無縁の、騒然とした空気が満ちていた。大通りでは、騎士団が慌ただしく移動し、魔術師団が上空の『淀んだマナ』に対抗するための防御魔法陣を構築している。
「カイ。この魔力の濃度は、ルミナリアで感じたものとは比べ物にならない。闇の公爵は、既にこの街全体を**『死の領域』**に改変しようとしている」フィアナは緊張した面持ちで囁いた。
「ええ。この街のマナの平衡は、崩壊寸前です。急いで知識を得なければ」
カイたちの第一目標は、王都の中心にある**『王立大図書館』**だ。そこには、エルフ族の聖域にもない、人間族独自の視点から記録された『世界の原理』の知識があるはずだった。
大図書館は、王城に隣接した巨大な石造りの建物だった。しかし、緊急事態のためか、図書館の門は固く閉ざされ、近衛騎士団が警備にあたっていた。
「ここに入るには、王室か、騎士団の正式な許可が必要だ」フィアナが確認した。
カイは、一瞬ためらった後、フィアナに目配せをした。
「フィアナさん。ここは、僕の力で『信頼』を勝ち取るしかありません」
カイは、門を警備していた騎士団の隊長に近づいた。
「失礼します。僕は、エルフ族から派遣された『調律者』の協力者です。緊急で、大図書館にある古代の文献を参照する必要があります」
騎士団長は、カイの少年の姿を見て、鼻で笑った。
「調律者だと?こんな子供が?ふざけるな。エルフの協力者なら、すでに王城の会議に出席しているはずだ。ここは立ち入り禁止だ、すぐに立ち去れ!」
「信じてもらえないのも無理はありません。ですが、この街の上空にある『淀んだマナ』を打ち消す原理の鍵は、大図書館にしかない。僕の力を見せます」
カイはそう言うと、近くに立てられていた騎士団の旗竿をターゲットにした。
原理:「**旗竿の『金属強度と耐久性の原理』を、『王都の最高防御壁を超える』**原理に一瞬で改変する」
【改変実行。対象:旗竿。改変原理:超硬度・超耐久化。】
【改変完了。】
旗竿は見た目こそ変わらないが、カイはそれを騎士団長に差し出した。騎士団長は疑いながらも受け取り、自分の持つ名剣で試しに切りつけてみた。
キィィィィン!
鋭い金属音が響き渡り、名剣の刃の方が大きく欠けた。騎士団長は絶句し、旗竿を何度も叩きつけ、踏みつけたが、旗竿は傷一つない。
「な……なんだ、これは!?」
「これは、僕の力で『原理』を書き換えた結果です。信じていただけましたか?僕に、大図書館の知識が必要です。一刻の猶予もありません」
騎士団長は顔面蒼白になり、すぐに上層部に連絡を入れた。数分後、王都の魔術師団の団長と、王城の使者が駆けつけ、事態の重大性を理解した彼らは、すぐにカイを大図書館へと案内した。
騎士団長と魔術師団長の護衛のもと、カイとフィアナは王立大図書館の内部へと入った。ルミナリアの図書館とは比較にならない、膨大な情報量と、人間族の知識の集積に、カイの心は高揚した。
「フィアナさん。僕は、ここで**『マナの平衡原理』**に関する古代の記録を探します。それが、『闇の公爵』に対抗する最大の武器になる」
フィアナは、カイの隣で警戒を続けた。魔術師団長は、カイの持つ力を恐れながらも、その能力を頼りにせざるを得ない状況に陥っていた。
「調律者殿。我々の調査では、闇の公爵は、王都に存在する**『巨大なマナの結界』**を破壊しようとしているようです。その結界が破られれば、王都は一瞬で死の領域と化す」魔術師団長が焦りを滲ませながら言った。
「結界の原理……それも調べておきます」
カイは、能力をフル稼働させ、図書館の奥深くにある古代の文献を次々と解析していった。
【学習実行。対象:古代人間魔術による『マナの平衡維持』に関する原理。】
そして、ついにカイは、求める情報に辿り着いた。それは、この世界に存在する**『マナの平衡を保つための、根源的な数式』**が記された、羊皮紙だった。
∂t∂Ψ=D∇2Ψ−γ(Ψ−Ψ0)
(これだ!この平衡方程式こそが、世界のマナの流れの原理を規定している!)
この数式は、マナの拡散、時間経過によるマナの変化、そして基準値$\Psi_0$への収束を司る原理を示していた。闇の公爵は、この平衡状態を、自分の力で逆方向に傾けることで、死の領域を作り出していたのだ。
カイは、その数式を脳内に完全にコピーし、改変の原理を構築した。
ターゲット:闇の公爵の**『淀んだマナによる平衡破壊の原理』**。
原理:「闇の公爵がマナ平衡を崩そうとする**『負のエネルギー干渉』に対し、この数式を基にした『正の安定化原理』を上書きし、その負の干渉エネルギーを『自己修復のエネルギー』**へと変換する」
これは、単なる防御や消滅ではなく、敵の攻撃そのものを利用して、世界を修復する、究極の改変だった。
【改変原理:『マナの平衡点への強制収束』を構築しました。】
【能力発動に必要なエネルギー:極めて膨大。現在の魔力では、数秒の持続が限界です。】
「数秒でいい……。その間に、闇の公爵の本体に、僕の『対消滅の原理』を打ち込めばいい!」
知識を得たカイは、すぐに図書館を出て、王城での軍事会議に参加した。会議には、人間族の王、騎士団長、魔術師団長、そしてエルフ族から派遣された共同戦線の指揮官が参加していた。
会議の議題は、闇の公爵の軍勢を迎え撃つための最終的な防衛ラインの構築だった。
カイは静かに立ち上がった。
「皆さん。闇の公爵の討伐に、僕を最前線へ送り込んでください。僕の『万象改変』の力は、大軍を相手にするよりも、本体に直接干渉する方が、効果的です」
彼の言葉に、会議室全体がざわめいた。
「無謀だ!闇の公爵は伝説の存在だぞ!」
「王都の運命は、この少年一人の命にかかっている!」
しかし、カイは決意を曲げなかった。フィアナは、一言も発さず、カイの隣で静かに立っている。彼女の存在が、カイの言葉の重みを増していた。
最終的に、王と騎士団長は、カイの力を最後の希望として受け入れるしかなかった。
「よかろう。調律者カイ・アスベル。お前が、我ら世界の命運を握っている。フィアナ衛士。お前は、この者を絶対に死なせるな」
「命をもって、お護りいたします」フィアナは短く、力強い言葉で応じた。
会議が終わり、王都の騎士団の兵舎で、カイはフィアナと二人きりになった。外は、闇の公爵の軍勢が刻一刻と近づいていることを示すように、上空の黒雲が濃くなっていた。
「フィアナさん……僕、怖いです。数秒しか持たない原理で、闇の公爵と戦うなんて」カイは正直に弱音を吐いた。
フィアナは、そっとカイの手に触れた。
「大丈夫だ、カイ。お前は一人ではない。お前が原理を書き換えるその数秒間、私が、誰にもお前へ近づかせない。私の弓と剣は、お前の盾だ」
彼女の眼差しには、もはや任務や使命の影はなかった。あるのは、かけがえのないパートナーへの、純粋な信頼と愛情だった。
「僕が『ワールド・リバウンド』を発動させたら、フィアナさんはすぐに避難してください。その原理は、魔族だけでなく、周囲の全てを巻き込むかもしれません」
「断る。私はお前の隣にいる。お前が調律者である限り、私はお前の衛士だ」
その夜、王都は静まり返っていた。そして、夜明けとともに、世界の存亡をかけた戦いが始まろうとしていた。




