人間の街と広がる異変
ルミナリアを出発したカイとフィアナは、王都を目指し、エルトリアの森を抜けて人間族の支配領域へと入った。フィアナは衛士の装束の上からフード付きのマントを羽織り、特徴的なプラチナブロンドの髪と尖った耳を隠している。エルフ族の衛士が人里深く入ることは異例であり、目立つことを避ける必要があった。
「ここから先は、人間族の領域だ。彼らはエルフ族に対し、畏敬と同時に、強い警戒心を持っている。余計な接触は避けるぞ」フィアナは厳しく命じた。
「わかりました」
カイは、杖として改変した『鋼靭木』の枝を手に持ち、普通の旅の少年を装った。しかし、彼の瞳は、周囲の環境から得られる『原理』の情報を常に捉え続けている。
森を抜けた先に広がるのは、広大な平原と、人間族の作った開拓地や小さな村落だった。ルミナリアの静謐さとは対照的に、人間の街は喧騒と活気に満ちていたが、その中心には、どこか落ち着かない空気が漂っていた。
二人は最初の大きな街、**『ミルトン』**に立ち寄ることにした。王都へ向かうための情報収集と物資の調達が必要だったからだ。
街の門をくぐると、その異変は明らかだった。
「人が……少ない」カイが呟いた。
「ああ。活気が無い。以前、衛士の偵察で聞いた情報と違う」フィアナも周囲を警戒する。
酒場に入ると、中の雰囲気はさらに重苦しかった。客たちはひそひそと話し込み、表情は暗い。カイは、フィアナに目配せした後、席につき、酒場の主人に水を注文した。
「失礼ですが、街が少し静かですが、何かあったのですか?」カイが恐る恐る尋ねた。
主人はカイをじろりと見た後、低い声で答えた。
「旅人か。知らぬのも無理はない。最近、この辺りでも**『影落ち』**の噂が広まっている」
「影落ち?」
「そうだ。突然、森の奥から異様な瘴気が流れ込んできて、動物や、時には人間まで、まるで生気を吸い取られたかのように倒れていく。そして、死んだ者が夜になると、影だけの兵として彷徨い始めるという……」
カイの脳内で、『淀んだマナ』と『生命力の逆転原理』に関する知識が警鐘を鳴らした。
(やはり、『闇の公爵』の軍勢の影響だ。ただのスケルトンやゴーストではなく、生命力を直接吸い取る、より高度な魔族の仕業だ)
フィアナは静かに水を飲み干し、口を開いた。
「その『影』の兵は、どのような武器を使うのですか?」
「武器?いや、奴らは触れない。ただ、奴らが通った後、生命の力が失われるそうだ。噂では、**『生命力の原理』**を書き換える魔族がいるとか……」
フィアナとカイは顔を見合わせた。酒場の主人が口にした「生命力の原理」という言葉は、彼らの使命が極めて根源的な戦いであることを示唆していた。
ミルトンでの情報は、カイにとって非常に重要だった。特に「影だけの兵」という現象は、魔族が単なる物理的な軍勢を率いているのではなく、**『存在の原理』**そのものを応用した兵器を使っていることを意味していた。
二人は宿を取り、すぐに情報と能力の解析に取り掛かった。
「フィアナさん。影の兵は、おそらくゴーストよりもさらに非実体に近い。淀んだマナの濃度を極限まで高め、物理法則から逸脱した**『原理の歪み』**を具現化したものだ」
「つまり、通常の剣や魔法は一切効かないということか。我らの衛士隊の戦術は通用しない」
「ええ。ですが、僕の『万象改変』なら対処できます」
カイは、自身の能力の原理を徹底的に検証した。
『対消滅の原理』は有効だが、ゴースト一体でさえ全魔力を使い果たすほどのリスクがあった。大規模な軍勢に対しては、全く実用的ではない。
(もっと効率的で、持続可能な原理が必要だ。影の兵は、周囲の**『生命力』を奪う。ならば、その『奪う原理』**そのものを、逆転させてしまえばいい!)
カイは、図書館で学んだ古代エルフ族の防御術と、魔族の『生命力逆転原理』の知識を組み合わせた。
ターゲット:影の兵が活動する空間、あるいは、その魔族兵器そのもの。
原理:「**『生命力を奪う原理』を、『周囲の生命力を微細に修復する原理』へと上書きし、その魔族兵器の活動エネルギー源である『淀んだマナ』を『自己崩壊』**へと導く」
これは、単なる防御や消滅ではなく、敵の特性を逆利用する、極めて高度な原理の改変だった。
【警告:改変の規模が極めて高度です。『エネルギーの流れ』を逆転させる原理構築には、細心の注意が必要です。】
【改変成功率を向上させるための提案:『澱んだマナ』と『清浄なマナ』の平衡点を司る、『マナの平衡原理』を事前に理解する必要があります。】
「マナの平衡原理……」
カイは、ルミナリアで得た知識の中には、それに関する記述がなかったことを思い出した。この知識は、さらに上位の聖域、あるいは王都の『大図書館』にしかないかもしれない。
「フィアナさん。王都へ急ぎましょう。僕が目指す王都の『大図書館』には、魔族の原理に関する、より上位の知識があるかもしれません。それを手に入れれば、影の兵器を、僕一人で無力化できます」
フィアナはカイの決意を認め、短く頷いた。
「わかった。ルミナリアからの共同戦線が王都に到着するまで、時間がない。急ぐぞ」
翌朝、二人はミルトンを発ち、王都へ向かう街道を急いだ。旅の途中、彼らは人間族の避難民と多くすれ違った。皆、疲弊し、顔には魔族への恐怖が張り付いている。
カイは、彼らの様子を見て、自分の使命の重さを改めて感じた。
旅の途中、フィアナが珍しく、個人的な話をした。
「カイ。ルミナリアの衛士は、故郷である森を守るのが使命だ。だが、私は今、王都へと向かっている。これは、衛士としての責務を超えた行動だ」
「フィアナさん……」
「闇の公爵の出現は、森だけの問題ではない。世界の平衡を脅かす危機だ。そして、その『調律者』であるお前を護衛すること。それが、今の私の『存在の原理』になっている」
フィアナは、カイの横顔を見つめた。その言葉には、衛士としての任務だけでなく、カイへの個人的な信頼と、未来への誓いが込められていた。
「ありがとうございます、フィアナさん」
カイは強く決意した。この力を、必ずフィアナの誓いを裏切らない形で、世界のために使う。
王都はすぐそこまで迫っていた。街道は次第に賑わいを取り戻し、巨大な城壁が見えてきた。しかし、その城壁の上空には、遠目にもわかるほど濃い、黒い雲のような**『淀んだマナ』**が渦巻いているのが見えた。
「あれが……王都……!」
その魔の雲は、闇の公爵の力が既に王都にまで影響を及ぼし始めていることを示していた。そして、その雲の中心には、何らかの巨大な原理が構築されていることを、カイの『万象改変』のシステムが警告していた。
「フィアナさん、急ぎましょう。闇の公爵は、ただの討伐対象ではない。彼は、僕の能力を試す、**『原理の試練』**だ」
二人は、世界の命運がかかった決戦の地、人間族の王都へと足を踏み入れた。




