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「君を愛したくない」とおっしゃる旦那様、そのぶん私が愛して差し上げます

作者: 久遠れん

 私は今日、ディロン公爵家に嫁入りした。


 私の旦那様となったダニエル様は盛大な結婚式が終わって、お屋敷に戻ったあと初夜の準備をするために引っ込もうとした私を引き留めた。


 首を傾げる私に、旦那様は告げる。


「夜の準備はしなくていい。私は君を愛したくない」

「?」


 少し硬い声音で告げられた言葉。表情も心なしかこわばっているように感じられる。


 視線は伏せられて、私を見ていない。


 愛することはない、ならまだしも、愛したくない、というのはどういう意味だろう。


「言葉の意味を伺ってもよろしいですか?」

「言葉通りだ。公爵夫人としての生活は保障する」


 頑なな言葉に私は少しだけ眉をひそめた。


 そんな私の反応を見ているだろうに、旦那様はさっさと私に背を向けてベッドに入ってしまう。


 一人立ち尽くす私はどうするのが正解なのか。


 しばらく考えて、浅く息を吐き出し私はネグリジェに着替えてベッドに入った。


 ベッドから追い出されることはなかったけれど、本当に旦那様は指一本私に触れることなく寝入ってしまったのだった。




▽▲▽▲▽




 「愛したくない」と仰る旦那様の真意はわからないまま、結婚して一週間がすぎようとしていた。


 旦那様の言葉通り、生活に不自由はない。


 必要なものは全て先回りして揃えられていたし、触れ合いがないことを除けば邪険にされているとも感じない。


(私にできることは何かしら)


 考え込みすぎると落ち込むから、気分転換として弾いていたピアノの鍵盤から視線を上げて、窓の外、ガラスの向こうを見る。


 少しの白い雲と青空が広がっている。ピアノを弾く手を止めれば、小鳥の優しい鳴き声が耳朶に届く。


「愛情を、受け取ってはくれるかしら」


 私が無償の愛を差し出せば、少しは心を開いてもらえるだろうか。


 公爵夫人として嫁いだ以上、家を継ぐ子供を産むことは義務だ。


 とはいえ、旦那様が嫌がっている以上、どうしようもないのだけれど。


 まだ結婚して一週間だからいいものの、子供がいないまま一年二年と過ぎれば、責められるのはわかりきっている。


 旦那様の本心がわからない以上、周囲に事情を説明できるはずもなく、私が針の筵に置かれるのは時間の問題だ。


 それなら、私もできることをしなければならない。


 政略結婚とはいえ、旦那様のことを嫌っているわけではないのだから、歩み寄る必要がある。


 「愛したくない」と言われたことにただ頷いて、将来悲観に暮れるだけの女にはなりたくない。


「となれば、なにから始めようかしら」


 旦那様に差し入れでもしてみようか、あるいは愛の言葉を綴った手紙でも渡そうか、言葉として伝えることも大切だろう。


 色々と考えていたら、少しだけ楽しくなってきた。


 私は自然と笑みを深めて、再びピアノを弾くのだった。






 夕食の席で、食事を共に食べている旦那様に声をかける。


「旦那様のお好きな料理は何ですか?」

「……肉を焼いたものが好きだ」

「味付けならどんなものがお好きですか?」


 好物を知るのは歩み寄りのための第一歩だと思ったのだ。私の質問に旦那様は少し考える。


「味が濃いものが好みだな」

「奇遇ですね。私もです」


 にこりと微笑んで私も答えた。


 そもそも王国の料理は基本的に味付けが濃い。


 隣国ではそうではないらしいのだが、この国は昔から濃い味の料理が好まれている。


 だから、この会話は本当に表面上のものだ。


 けれど、ここ一週間そこまで会話をしていなかったから、大きな一歩だと思える。


「それがどうかしたのか」

「旦那様の好みを知りたかったのです」

「……そうか」


 旦那様は少しだけ言葉に詰まってから一つ頷いた。


 食事を再開した旦那様を見つめながら、私も止まっていた手を動かし始めた。






 翌日、メイドに声をかけてティーセットを用意してもらった私は旦那様の執務室に向っていた。


 ドアをノックして入室の許可をもらい、部屋の中に入る。


 ティーセットの乗ったトレーをもったメイドが私の後ろに続く。


「旦那様、少し休憩などいかがですか?」


 私の声掛けに旦那様が時計へと視線を滑らせる。


 時間は午後の三時。休憩にはちょうどいい時間のはずだ。


「……わかった」


 一つ頷いて旦那様は手にしていた羽ペンを置いた。


 立ち上がって執務机からソファに移動した旦那様に笑みを深めつつ、私も向かいのソファに腰を下ろす。


「どういう風の吹き回しだ?」

「最近根を詰めていらっしゃるようでしたから」


 旦那様の問いかけに穏やかに笑って答える。メイドが入れてくれた紅茶を前に、私は笑みを深めた。


「適度な休憩は効率を上げるのだと父がよく口にしていました」

「……そうか」

「はい」


 にこりと微笑んだ私に旦那様が視線を伏せる。ティーカップに延ばされた手を、私は温かく見守った。






 夜、旦那様を待ちながら刺繍をしていた。


 椅子に座ってランプの明かりで部屋を明るくして、刺繍針を動かす。


 夜も更けたころに旦那様が部屋に戻ってきた。


「まだ起きていたのか」

「キリのいいところまでやってしまいたかったのです」


 待っていた、というのは口には出さない。


 私が刺繍枠をテーブルに置いて旦那様を見上げると、旦那様はなんだか少しだけ苦しそうに眉を寄せていた。


「旦那様?」

「……早く寝たほうがいい。夜更かしはあまりするものではない」

「そうですね」


 旦那様ももう寝るだろうし、ランプの明かりがいつまでもついていては寝付きにくいだろう。


 私は刺繍セットを片付けて立ち上がる。


「おやすみなさい、旦那様」

「ああ。おやすみ」


 挨拶を交わして、私はベッドに入った。


 旦那様は、少し間をおいてから私に背を向けてベッドに入ったようだった。


 まだまだ道は長い。




▽▲▽▲▽




 そんな風に過ごすこと、三か月。


 私が歩み寄るたびに苦しそうな顔をしていた旦那様だが、私が差し出す愛情をはねのけられることはなかった。


 少しずつ歩み寄る私は不器用に私に答えてくれる旦那様を嘘偽りなく愛おしいと思うようになっていた。


 そんなある日。


「明日、領地の視察に行く。一緒に行かないか?」


 夕食の席でそう言われて、私はぱちりと瞬きをした。


 旦那様が私を仕事に同伴しようとするのは初めてだ。


 すぐに返事を返せなかった私に、旦那様が自嘲気味に笑う。


「無理にとは言わない」

「いえ、ぜひ行かせてください。旦那様が治める土地を私もみてみたいです」


 私の言葉に視線を伏せていた旦那様が私を見る。


 正面から見つめられて、心臓が少しだけ高鳴った。


 最近、旦那様と視線がよく合うようになっている。


「そうか。では明日は遠出になるから、そのつもりで」

「はい」


 ディロン公爵家は王都に屋敷を構えているが、領地は王国内に複数持っている。


 そのうちのどこに行くのだろうと思いつつ、私は初めての旦那様との遠出の約束に、明日が一気に楽しみになった。






 翌日。私は比較的動きやすいドレスに身を包んで、旦那様と一緒に馬車に揺られていた。


 王都からそこそこ離れた場所にある領地に行くらしく、しばらくは馬車に乗りっぱなしになるらしい。


 馬車の中は沈黙が下りていたけれど、その沈黙すら気にならなかった。


 そしてついた目的地である領地で、作物の実りをはじめとして領民と交流する旦那様を一歩後ろから私は見つめていた。


(領主としても旦那さまはとても優秀な方なのよね)


 税収とか、そのあたりの数字のことは私にはちんぷんかんぷんだ。


 けれど、領地の代表である村人と真剣に話をしている旦那様の横顔はかっこいいと思う。


「奥様、お腹は空かれていませんか?」

「え?」


 穏やかな声音で話しかけられて、少し驚いて振り返る。


 そこには領民の女性が笑顔で佇んでいた。


「粗末なものではありますが、この地方のお菓子を用意しております。ぜひ、食べていただければと」

「あら、ではいただこうかしら」

「こちらにご用意しています」


 旦那様の傍を勝手に離れて大丈夫かしら。


 でも、旦那様のお話を遮るのは仕事の邪魔になってしまう。


 少し迷ったけれど、領民の好意を無下にすることは旦那様の顔に泥を塗る行為に思えて、私は断らずに女性についていった。






 ついていった先は領民の代表の家だということだった。


 貴族のお屋敷しか見たことのない私には、ずいぶんと粗末な家に思えたけれど、これが平民の暮らしなのね、と納得して口には出さない。


 その程度の分別はある。


 出されたのはやっぱり貴族のティータイムに慣れている身としては粗末なクッキーだ。


 食べるのに抵抗はないけれど、物珍しくてまじまじと見てしまう。


「どうぞ、お食べください」

「いただくわ」


 一つつまんで口にいれる。


 触感が普段食べているクッキーとは全然違う。それに独特の風味がある。


 何が違うのだろう。


「お口に合いますか?」

「ええ。美味しいわ」


 まずくはない。美味しいとも思わないけれど。


 でも、お世辞が必要なことくらいは世間知らずの私にだって理解できる。


 にこりと微笑んだ私は、出された紅茶に手を付ける。口の中がひどく乾いていたからだ。


 こくんとこれまた少し変わった味のする紅茶を飲み干すと、なんだか、急に、眠くなってきた。


「あ、ら……?」


 ぐらり、身体が揺れる。座っていられない。急激な眠気に抗えない。


 そのまま、私は唐突な眠気によって意識を手放した。




▽▲▽▲▽




「……ぅ……ん……」


 緩やかに意識が浮上する感覚。手足がだるい。目を開けるのが億劫だ。


 本当はこのまま寝続けてしまいたいのに、なぜか早く起きなくちゃと思う自分もいた。


 重い瞼を意思の力でどうにかこじ開ける。燦燦と降り注ぐ太陽が眩しい。


「……?」


 太陽が、眩しい?


 違和感にようやく頭が覚醒する。


 だるい体をどうにか起こして周囲を見回すと、どうやら地面上に寝ていたようだった。


 頭がずきずきと痛む。どうして、とまとまらない思考を巡らせる。


「私は……旦那様と……」


 一緒に領地を訪れていた。そこまでは意識がはっきりとしている。


 それで、そう。お菓子を勧められたのだ。


 お茶と一緒にご馳走になって、そこからの記憶がない。


「……なにか混ぜられていたのね」


 どういう目的かは知らないけれど、クッキーか紅茶のどちらかに眠り薬が仕込まれていたのだろう。


 それで、どこか知らない場所に捨てられたのか。


 ずきずきと痛む頭を押さえて唸る。油断した。


 旦那様の領地の人が、妻である私に危害を加えるなんて考えていなかった。


「どうしたものかしら……」


 旦那様の元に戻らなければならない。


 でも、どうやって。ここがどこかもわらかないのに。


「さすがに遠くはないと思うけれど」


 ふらふらと立ち上がる。ヒールのある靴が動きにくい。でも、靴を脱ぐのも怖い。


 周囲を見回しすと、木々が生い茂っている。領地の近くにあった森の中に捨てられたのだろうか。


 体を見下ろす。ドレスは破けた後も脱がされた形跡もない。


 でも、アクセサリーがなくなっている。ネックレスと髪飾り、そして結婚指輪がなかった。


 ネックレスと髪飾りは別にいいのだけれど、結婚指輪は返してほしい。


 旦那様から頂いたものなのだ。


「人のいるところに……どちらかしら……」


 途方に暮れてしまう。


 寝ている人間を移動させるのは大変だと思うから、そこまで森の奥深くではないと思いたいけれど、逆に森の入り口に放置することもない気がする。


 とにかく歩こうと思うけれど、下手に動いて森の奥に入り込むのも怖い。


「方向がわかれば……」


 私にサバイバル知識なんてないのだ。人里の方向もわからない。


 本当に八方塞がりだ。


 肩を落とした私はその場に座り込んで小さくなった。


 膝を抱えて、ドレスが汚れるのも構わず地面に座る。


「私って、無力なのね」


 貴族としての教養なんて、こんな場面ではなにも役立たない。


 だって、お父様もお母様も家庭教師も、森に捨てられた場合の対処法なんて教えてくれなかった。


 刺繍もピアノも読書も、全部今は何の意味もない。


 無力感に苛まれて、私が涙をこぼしていると、がさりと近くの茂みが音を立てた。


 思わず顔を上げてそちらを見る。


 茂みをかき分けてでてきたのは、よだれを垂らした四足の魔獣。


 生まれて初めて、見る。


「っ」


 息をのむ。恐ろしさにガタガタと体が震える。


 けれど、なにもできない。動けない。


 逃げなきゃと思うのに、体が動かない。


 悲鳴すら口から出てこなかった。


 真っ青な顔で、辛うじてずり、と後ろに下がった私の前で、魔獣はだらだらと口からよだれを垂らしながら私を見ている。


(死ぬの、こんなところで)


 そんなにも悪いことをしただろうか。魔獣に食べられるほどの悪事を働いただろうか。


 唇を引き結ぶ。涙があふれて視界がにじむ。怖くて仕方なかった。助けてほしい。


「旦那、さま……!」


 縋るように夫を呼んだ、その瞬間。


 魔獣が大きな鳴き声を上げて私に突進してきた。


 死を覚悟してぎゅうと目を閉じた私は、けれどいつまでも襲い掛かってこない痛みに、そろりと瞼を開ける。


 そこには。剣を片手に私の前で、魔獣を抑え込んでいる旦那様の姿が、あった。


「旦那様……!!」

「無事か! アンリエット!!」


 叫ぶように名前を呼ばれる。


 こくこくと頷いて、それでは背を向けている旦那様に伝わらないと気づいて慌てて声を出した。


「だ、大丈夫、です!」

「そうか……!」


 ぎりぎりと魔獣と押し合いをしていた旦那様は私の返答に少しだけ安堵したように息を吐いて、そのあと一気に剣を押し込んで魔獣を切り裂いた。


 どす黒い血があたりに散る。


「ぐぎゃあああああ」


 魔獣の耳をふさぎたくなるような悲鳴が響いた。


 呆然と見守る私の前で、魔獣にとどめを刺した旦那様がゆっくりと私を振り返った。


 返り血で洋服が汚れている。


 顔にまで飛び散った魔獣の血は早く拭わなければ瘴気で旦那様を苛むだろう。


「旦那様!」

 慌てて立ち上がって手を伸ばした私の手を、旦那様掴んだ。


 そのままぐいっと引っ張られて抱きしめられる。


「旦那、さま……?」

「よかった、無事だった……! 姿が見えなくなってどれだけ心配したと!」


 ぎゅうぎゅうと痛いほどに抱きしめられて、私は言葉を失った。


 旦那様の声が震えている。それだけ心配をかけたのだ。


「怖い思いをさせてすまない。よく、生きてくれた……!!」


 その言葉が、最後の一押しになった。


 怖かった。本当に怖かったのだ。


 ぐっと唇を噛みしめたけれど、目からはぼろぼろと涙があふれて止まらない。


 私は旦那様の背中に手をまわして、ぎゅうと握りしめた。


「こわ、こわかったです……!」

「ああ」

「旦那様、旦那様……っ。助けてくださって、ありがとうございます……!!」

「当然だ。私はアンリエットの伴侶なのだから」


 背中をゆっくりと撫でられる。落ち着かせようとしてくれている優しさに、むしろもっと涙があふれてきた。


 わんわんと泣き始めてしまった私を、それでも優しく包み込むように旦那様は抱きしめ続けてくださった。






 涙が落ち着いたころ、旦那様に手を引かれて森を出た。


 旦那様の顔の返り血はきちんとぬぐって。


 村では大規模な私の捜索隊が組まれていたらしく、姿を見せた私に誰もがほっとした姿を見せた。


 だが、旦那様の視線は鋭いままだ。


「下手人は見つかったか」

「はい。最近この地に越してきた夫婦が犯人です」


 人を殺せるのではないかというほど低い声で口を開いた旦那様に、領民の代表として旦那様とずっと話していた男性が応じる。


「ここに連れてこい。私が首をはねる」

「旦那様?!」


 過激な発言に驚いたのは私だけのようだった。


 領民の人たちは旦那様に言われるがままに、わめいている男女を連れてくる。


 女性のほうは私にクッキーと紅茶をふるまった人だ。


「アンリエット、この二人で間違いないか」

「え、あの」

「答えてくれ」


 切実な声音に、私が黙り込んだのは刹那の間だった。


 汚い言葉をわめき続けている二人のうち、女性を指さす。


 森に置き去りにされただけならまだしも、魔獣に殺されかけたのもあって、かばう気は起きなかった。


「そちらの方に、紅茶とクッキーをふるまわれてからの記憶がありません」

「そうか」


 旦那様が魔獣を仕留めた剣を抜く。


 目を見開く女性の前で、私が見たこともない冷酷な顔をしていた。


 私ですら恐ろしいと思うのだから、正面から殺気を浴びている二人は生きた心地がしないだろう。


「万死に値する」


 そういって剣を振りかざした旦那様に、私はとっさに抱き着いた。


「理由を聞きましょう。同じことが起きては困ります。それに、私刑はダメです。法に触れます」


 この国では、どんな理由があれ私刑は禁じられている。


 人を殺して罪に問われないのは野党に襲われたなどの正当防衛の場合のみ。


 抵抗できない二人を殺したとなれば、事情を鑑みれば不問とされるかもしれないが、それでも旦那様の経歴に傷がつく。


 私の言葉に、旦那様は暫し沈黙した。そしてややおいてとても低い声で唸るように告げる。


「どうしてアンリエットに危害を加えた。答えろ」


 地を這うような低い声。


 まだ剣は振りかぶったままだから、私は旦那様に抱き着いたまま、ちらりと他の領民によって地面に頭を伏せるように押さえつけられている二人を見る。


「か、金だ! 金をやるといわれたんだ!! 俺たちは悪くない!」

「誰に言われた」

「ブルボンと名乗った! 隣国の公爵だと!!」

「……なに?」


 旦那様がようやく剣を下ろした。考え込んでいる様子の旦那様からそっと離れる。


「旦那様?」

「……戦争を起こす気か」

「え?」


 思わぬ言葉を漏らした旦那様に私はぱちりと瞬きをする。


 戦争? 私を森に置き去りにすることで?


 瞬きをする私の前で、いくらか冷静になった様子の旦那様が剣を鞘に納めた。


「その二人は憲兵に渡せ。殺さないように言い含めろ」

「はい」

「私たちは悪くない!! 仕事をすれば隣国の貴族にしてくれるといわれて!」

「黙れ」


 先ほどよりさらに低い声と共に旦那様が二人を睨む。


 ひっと息をのんだ二人の表情から察するに人を殺せるくらいの表情をしているのだろう。


 項垂れた二人は、そのまま領民によって憲兵へと引き渡されることとなった。


 私たちは時間も遅くなりつつあるからと領地への宿泊を勧められたけれど、旦那様がそれを断って、王都に帰ることになった。




▽▲▽▲▽




 王都に帰りついたのは夜も更けたころだった。


 まずゆっくりとお風呂に入る。メイドの手を借りて全身を綺麗にして、お風呂から上がった私をいつも以上に美味しそうなご馳走が待っていて、目をぱちくりとさせてしまう。


 けれど、言われてみればけっこな時間何も食べていない。


 食欲をそそる香りに、お腹がぐうと現金にも音を立てた。


「アンリエット、食事にしよう」

「はい」


 私と同じくお風呂に入って着替えたらしい旦那様に手を引かれて、席に座る。


 いつもなら手を引かれるなんてことはないから、少しドキドキしてしまう。


 食事を食べている間、旦那様は静かだった。私もあえて余り喋らなかった。


 沈黙の中、食事を食べ終えると、旦那様が穏やかに微笑む。


「アンリエット、手を」

「はい」


 立ち上がった旦那様が私の元まで歩いてきて、手を差し出される。


 手を重ねて立ち上がった私は、旦那様が歩くままに寝室へと向かった。


 寝室のソファに並んで腰を下ろして、私は旦那様を見上げる。


「どうしたんだ?」

「え、っと」


 甘やかな眼差しを注がれて、心臓が変な音を立てている。


 今まで旦那様が私をみる瞳に、こんなにもわかりやすく感情が乗っていたことはない。


 どきどきと煩い心臓を抑えながら、私はそっと息を吐く。


 呼吸を繰り返して気持ちを抑えて、私はずっと疑問だったことを尋ねた。


「旦那様、どうして私を森に捨てると戦争になるのですか?」

「……アンリエットは公爵夫人だ。あの夫婦は捨て駒で、捕まるのが前提だっただろう。供述によって隣国の手で公爵夫人に害がなされたとなれば、私をはじめこの国の誰もが黙ってはいない」

「なるほど……」


 確かに私は公爵夫人だけれど。


 そこまでの大事になる存在だという認識は欠けていた。


 今回の件は、旦那様に声をかけず領民だからとついていった私にも落ち度がある。


 しょんぼりと肩を落とした私に、旦那様もまた苦しげに眉を寄せた。


「すまない、アンリエット。我が領地で私の妻に危害を加える人間がいると、想定しなかった私のミスだ」

「そんなことはありません!」


 私ははじかれたように顔を上げた。


 至近距離に旦那様の整った顔があって、その瞳には後悔と一緒に私が映りこんでいる。


 私はそっと旦那様の手を取る。


「旦那様は危険を冒して助けに来てくださいました。感謝こそすれ、責めることなどありません」

「アンリエット……」


 そっと持ち上げた旦那様の手を頬に充てる。手のひらの温かさを感じながら、そうっと口を開く。


「今日、大切にしてくださっているのだと身をもって感じました。……なぜ、旦那様は私を『愛したくない』と仰ったのですか?」


 あの時は答えてもらえなかったけれど。いまなら答えてくれるかもしれない。


 希望を胸に問いかけた私に、旦那様が僅かに視線を伏せる。ゆっくりと語りだした。


「私がディロン公爵家の養子だということは、知っているだろう?」

「はい」


 旦那様は前公爵夫妻が子に恵まれなかったため、伯爵家から養子に取られたのだというのは結婚前に両親から教えられている。


 一つ頷いた私の前で、旦那様は自嘲地味に笑う。


「私の両親は優しい人たちだった。けれど、私が子供の時に流行り病で儚くなってしまって、身寄りのない私を前公爵夫妻が引き取った」

「はい」

「環境の変化に戸惑った。それまでの私は伸び伸びと育てられていたから。義両親の教育はとにかく苛烈で――虐待の一歩手前だった」


 その言葉に、思わず息を飲む。


 私の反応に旦那様はそっと私の頭に手をまわして、抱きしめた。


 旦那様の胸元から、どくどくと心臓の音がする。少し鼓動が早い。


 旦那様も緊張しているのかもしれない。


「公爵になるのだから当然だといわれていた。そうだと思うしかなかった。けれど、愛する両親を失った直後の環境の変化に私はついていけず、心を閉ざすことでしか自分を守れなかった」

「そう、なのですね……」

「ああ。両親のようにまた失うのが怖かった。だから、愛する人は作らない、と決めたんだ」


 泣きそうだ。旦那様のことを何一つ知らなかったのだと痛感させられる。


 ぐっと唇を噛みしめた私に「けれど」と旦那様の柔らかい声が降り注ぐ。


 頭の後ろに回されていた手が頬に触れて、上を向くように添えられる。


 絡み合った視線の先で、旦那様の瞳に炎が燃えていた。


「アンリエット、君のことは……愛おしい、と思っている」


 息を、飲んだ。


 愛を口にする旦那様の声音があまりに優しく甘くて、私の心臓が大きな音を立てる。


「私のために、心を砕いてくれてありがとう。アンリエット、愛しているよ」


 降りしきる愛の言葉。同時に近づいた顔に目を閉じる。


 唇に触れた柔らかさを、きっと生涯忘れることはない。




 半年後、お互いに新しい結婚指輪を薬指にはめて、大きなお腹に毎日耳を添える旦那様に、私は柔らかく微笑む日々を送るのだった。






読んでいただき、ありがとうございます!


『「君を愛したくない」とおっしゃる旦那様、そのぶん私が愛して差し上げます』のほうは楽しんでいただけたでしょうか?


面白い! 続きが読みたい!! と思っていただけた方は、ぜひとも


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