日常編⑧ 小さな熱と、大きな絆
朝、目を覚ました瞬間から体が重かった。
喉は熱を帯び、頭の奥がずきずきと痛む。起き上がろうとしたが、背中に鉛を抱え込んだような倦怠感に抗えず、再び布団へ倒れ込む。まぶたを開けているだけでもひどく疲れる。
「……風邪?」
ぼんやりと呟いた声は、自分でも驚くほど掠れていた。
昨日までの無理が祟ったのだろう。連日の依頼と、夜更けまでの調書作成。休む暇などなく、気づけば倒れる寸前まで走り続けていた。
額に滲む汗を感じながら、ぼんやりと天井を見上げる。視界が揺れる。こんなにも弱い自分を見せてしまうのは久しぶりだった。
そこへ、軽いノックの音がして扉が開く。顔をのぞかせたのはヴェラだった。
「セリナ? 朝の訓練に来ないなんて珍しいわね」
彼女はすぐに私の顔色を見て眉をひそめ、額に手を当てた。ひやりとした掌から、冷たく澄んだ魔力がすっと肌に流れ込む。体内の流れを確かめる診断の魔法だ。
「熱があるわね……魔力の循環も乱れているけど、深刻な損傷はない。ただの風邪よ。安心して」
その一言に、緊張が解けてまぶたが重くなる。だが次の瞬間――
「セリナが倒れた!?」
ジークの大声が廊下に響き渡り、バタバタと足音が近づいた。
扉が勢いよく開かれ、仲間たちが雪崩れ込んでくる。
「だ、大丈夫か!」
「無茶をするからよ」
「水を持ってくる」
慌ただしい声が飛び交い、私は布団の中で必死に微笑もうとした。
「……平気よ。ただ、少し休めば……」
しかし、その声は低く遮られる。
「喋るな。今は休め」
カインの声音だった。命令ではなく、心底からの心配に満ちていた。その真剣さに胸がきゅっと締め付けられ、私はそれ以上言葉を発せず、目を閉じた。
布団の脇では、早くも大騒ぎが始まっていた。
「よし、俺が看病してやる!」
「あなたに任せたら大惨事になるわ」
「氷枕を持ってくる」
頭はぼうっとしているのに、不思議と安心感だけはあった。彼らの声が耳に届くだけで、心が落ち着いていく。
やがて薬草の香りが漂ってきた。
「体を起こして。少しだけ飲める?」
ヴェラが差し出したのは淡い緑色の薬湯。苦みが舌に広がるが、喉を通ると熱が少し和らいだ気がした。
「ありがとう……」
「礼はいいから。あなたが倒れたら誰がクッキーを焼くのよ」
その冗談めいた言葉に、思わず笑いそうになる。けれど同時に、拠点での自分の居場所を確かに感じて、胸の奥がじんわり温かくなった。
けれど、胸の奥に古い記憶が疼いた。
――公爵家にいた頃。私は熱で伏せったことがある。あのときは父も母も、兄も妹も誰一人として見舞いに来なかった。厚い扉の向こうは静まり返り、入ってくるのは侍女だけ。彼女は用意された薬を運び、淡々と布団の位置を直すと、無表情で退出していった。優しさの欠片もない手つきに、子どもだった私は必死に涙を堪えたものだ。病に臥せった心身よりも、その孤独が胸に重くのしかかった。
今はどうだろう。焦げ臭い匂いを漂わせて台所で奮闘するジークの声が聞こえる。
「よし、俺に任せろ! こういう時はおかゆだ!」
「ぎゃあっ! 底が焦げついた!」
「だから言ったでしょう!」
不格好で、騒がしくて、けれど温かい。私は布団の中でそっと目を閉じ、耳に届く賑やかな気配を抱きしめた。
結局できあがったおかゆは形も味も不恰好だったが、匙を口に運ぶと不思議と涙が込み上げてきた。
「……おいしい」
「嘘つけ! 絶対しょっぱすぎるだろ」
「でも、気持ちがうれしいの」
ジークが耳まで真っ赤になり、そっぽを向いた。
夜になり、カインが戻ってきた。彼は黙って椅子を引き寄せ、私の傍らに座る。
「水分は摂れているか」
「ええ……みんなが助けてくれたから」
「そうか」
彼はしばらく黙って私を見ていた。その眼差しに責める色はなく、ただ静かな安堵が宿っている。
「……お前は強い。だが、強い者ほど脆く崩れる時がある」
低く響く声に、私は思わず涙ぐんだ。
「だから……頼れ。お前ひとりで背負う必要はない」
言葉を返す余裕はなかった。ただ、握られた手の温もりに安心し、目を閉じた。
その夜は浅い眠りを何度も繰り返した。額の冷たい布を替える手の感触。薬草を煎じる匂い。椅子の軋む音。
誰かが交代でそばにいてくれることが、こんなにも心強いものだと初めて知った。
翌朝、目を覚ますと熱は下がっていた。
ベッドの傍らには、ジークの手書きの「おかゆ改良レシピ」と、ヴェラの調合した薬草茶の瓶、そしてカインが置いていった黒い外套が掛けられていた。
それらを見た瞬間、胸がいっぱいになった。
かつては孤独しかなかった病の床に、今は仲間たちの想いが溢れている。
日々の依頼で力を合わせる仲間たちが、こうして日常でも私を支えてくれている。
――それは何よりも強い絆の証。
私は外套を抱きしめ、静かに微笑んだ。




