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日常編④ 心をほどく甘味

 ギルドの拠点には、私が作った焼き菓子の香りがよく漂っている。


 パウンドケーキ、林檎のタルト、焼き立てのクッキー。


 甘い匂いは任務で張りつめていた空気を和らげ、仲間の表情を少し柔らげてくれる。

 魔力の制御訓練よりも、バターと砂糖を計る時間の方がよほど落ち着くのだから、自分でも可笑しく思う。


「……また焼いてきたのか」


 広間の机に皿を置いた途端、低い声が背後から落ちた。


 振り返ると、腕を組んだカインが立っていた。

 いつも通り無表情――のつもりなのだろうが、黒曜石の瞳は皿に吸い寄せられている。


「ええ。みんなで食べられる量にしたつもりよ」


 私は笑って返す。


 皿を差し出すと、カインは一瞬だけ躊躇したが、結局ひとつ摘んだ。

 すらりと伸びた指先に摘まれたクッキーは、ひと呼吸のうちに彼の口へと運ばれた。


「……甘いな」


 低い声。

 口元はいつもの無表情を保っているのに、視線は落ち着かず、クッキーの皿にちらりと戻る。


「隠しても無駄よ。甘党だって、もう皆知ってるもの」


 言った途端、カインはわずかに眉をひそめた。

 だが、否定はしなかった。


――数日後。

 彼から唐突に声をかけられた。


「……休みの日、時間はあるか」

「ええ……どうして?」

「街に新しい店ができた。甘味を出すらしい」


 それは――彼なりのお礼、なのだろう。



 休日。


 待ち合わせ場所に現れたカインを見て、私は思わず足を止めた。

 普段は黒衣か訓練着ばかりの彼が、深緑のジャケットに白いシャツという端正な装いをしていたからだ。


 漆黒の髪は整えられ、瞳はいつもより柔らかい。

 整った輪郭と高い頬骨は彫刻のように端正で、どの角度から見ても隙がない。


 街を歩けば人々が振り返り、無表情のままでも周囲を圧倒するほどの美貌だった。


「……似合ってるわ」


 思わずこぼれた言葉。

 見惚れてしまう自分に気づいて頬が熱くなる。


「お前もな」


 彼は少しだけ視線を逸らす。


 私も、いつもの堅苦しい任務服ではなく、淡い藤色のワンピースを選んでいた。

 プラチナブロンドの髪を編み込みにして、胸元には小さなブローチ。


 普段は鎧のように纏う衣服を脱ぎ、ただの一人の女性として歩くのは久しぶりだった。


 カフェの中は木の温もりに満ち、窓から差す陽光がケーキのガラスケースを輝かせていた。

 漂う香ばしい匂いに、心が自然と緩む。


「どれにする?」


 カインが問いかける。


「苺のタルト……いいえ、今日はショコラケーキにするわ」

「なら、俺はフルーツタルトだ」


 やがて、注文が運ばれてくる。

 艶やかなチョコレートの表面と、瑞々しい果実を散りばめたタルト。


 スプーンを手にした指先が、なぜか落ち着かない。


「……」

「……」


 言葉が出ない。


 甘さは舌に広がるのに、胸の鼓動ばかりが耳の奥で響いている。


 ふと視線が合った。

 黒曜石と翡翠が交差し、一瞬の沈黙が甘美な重さを持つ。


「その……また、来てもいいか」

「ええ……その時は、今度は私が奢るわ」


 彼の低い声は、剣戟の音よりもずっと心を乱す。


 店を出ると、風が髪を揺らし、カインの影が重なった。

 石畳を並んで歩く足音は不思議とそろい、街の喧騒の中で二人だけが静かな調べを奏でていた。


「……ギルドでは、いつも気を張ってるからな」


 ぽつりと、彼が呟く。


「だから、こういう時間は……悪くない」


 その言葉に、胸の奥が温かくなる。


 依頼でも断罪でもない時間。

 けれど、確かに「因果を返す者」としての日々の糸が、彼との間に細く結ばれていくのを感じていた。


「カイン」

「なんだ」

「……ありがとう。誘ってくれて」


 彼は少しだけ立ち止まり、視線を落とす。

 そして、ほんの僅かに口元を緩めた。


「……次回は俺が礼を言う番だな。楽しみにしてるぞ」


 その一言に、頬が熱を帯びる。


 甘い菓子よりも、彼の言葉の方がずっと強く心に残った。


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