日常編➂ ジークの大惨事クッキング
その日の朝、ギルドの食堂には妙な緊張感が漂っていた。
普段なら焼き立てのパンの匂いと温かなスープの湯気が満ち、皆が思い思いの席で静かに朝食を取るのだが、この日は違った。まるで戦場に向かう前のような気配が走り、誰もが微妙に視線を交わし合っていた。
「今日の夕飯は俺に任せろ!」
宣言したのはもちろんジークだ。がっしりした腕を組み、胸を張る姿はどこか誇らしげで、彼自身はまったく疑うことなく堂々と立っていた。
「……また何を思いついたの?」
ヴェラが椅子に腰かけたまま、冷ややかな視線を上げる。
白銀の髪がわずかに揺れ、碧眼にはうっすらと警戒が浮かんでいた。
「料理だ! たまには俺が振る舞ってやる!」
「…………」
食堂に沈黙が広がった。
カインは眉をひそめ、私は思わず視線を泳がせてしまう。
頭に浮かんでいたのは、あの悪夢の「黒焦げ肉事件」だった。
「いや、みんな何だよその顔は!」
「前回の黒焦げ肉事件を忘れたとは言わせないわ」
ヴェラの鋭い言葉に、食堂の隅にいた仲間たちまでもがくすくす笑った。
あの日、ジークが焼いた肉は外は炭、内は生という前代未聞の代物で、結局みんなが胃薬を求めて走り回ったのだ。
「今回は違う! ちゃんと勉強したんだ。塩も胡椒も控えめにな!」
「……“控えめ”っていうのは、袋ごとぶちまけないことを言うのよ」
「おい待て、それは……あれは事故だ!」
結局、誰も止められなかった。
カインすら「まあ、たまには任せてみるか」と呟き、私たちは半ば諦めの気持ちで調理場に集合することになった。
調理場に立ったジークは、戦場で剣を振るう時と同じ気迫を放っていた。
鍋を抱え、豪快に肉を投げ込むと鉄板に油がはね、じゅうっと音を立てて白い煙が上がる。
「おお、いい匂いだろ!」
「……煙が目にしみるんだけど」
私は袖で目を押さえた。
「それは旨味の証拠だ!」
しかし、調味料を振る彼の手は止まらなかった。
ぱっぱっぱ――。塩、胡椒、さらにどこから取り出したのか香草まで。
「ジーク! 入れすぎ!」
「えっ、そうか? これくらいが丁度いいんだよ!」
その勢いのまま完成した肉料理は、案の定、しょっぱすぎた。
一口食べたヴェラが顔をしかめる。
「……舌が痺れるわ」
「おいおい、そんなにか?」
ジークが自分でかぶりつき、数秒後に固まった。
「……っ、しょっぱ……」
私は慌てて水を差し出した。
ヴェラが小声で呪文を唱えると、皿の上に淡い光が走り、次の一口は不思議と程よい味になっていた。
「……これなら食べられる」
私は微笑んで頷いた。
「ちょっとぐらい加減を間違えただけだ」
ジークは悔しそうに頭をかいた。
次に挑戦したのはスープだった。
大鍋を火にかけ、野菜をざくざく切って放り込み、豪快に木の杓文字でかき回す。
「これは簡単だろ! 煮込むだけだ!」
香りは悪くなかった。
湯気に混じる野菜の甘みが漂い、今度こそ期待できるかと思えた。
しかし味見をしたカインが無言でスプーンを置いた。
「……カイン?」
「……これは……辛いな」
ジークが慌てて口に含み、目を剥いた。
「な、なんでだ! 俺は胡椒を少ししか……」
振り返ると、スパイスの瓶が倒れ、中身の半分が鍋に落ちていた。
「……ジーク」
カインの声が低く響いた。
「わ、悪かった! でも、これは修行だ! 失敗して学ぶのが大事なんだ!」
結局、ヴェラが再び呪文で調整し、スープも何とか食べられるものになった。
しかしジークは諦めなかった。
焼き野菜に挑戦するが、火を強くしすぎて焦げ、サラダは塩を振りすぎて草むらのような味になる。
パンを温めれば石のように硬くなり、卵焼きを作ろうとしたら油を入れすぎて爆発し、卵が天井に張り付いた。
「な、なんでだ……!」
頭を抱えるジークの姿に、私は笑いを堪えきれなくなり、肩を震わせた。
カインまで「……芸術的な散らかり方だな」と言って唇を噛みしめている。
「笑うな! 俺は真剣なんだ!」
ジークは必死に訴えるが、誰も笑いを止められなかった。
それでも、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
失敗だらけのはずなのに、皆の顔は自然とほころんでいたのだ。
ヴェラが小さな呪文で味を整え、カインが器用に切り分け、私は皿を並べる。
わいわいと声を交わしながら、調理場はまるで祭りのように賑やかになっていた。
やっとのことで並んだ料理は、どれも完璧とは程遠いものだった。
それでも、湯気を立てる皿の数々は不思議と心を温める力を持っていた。
「おいしいよ、ジーク」
私は素直にそう言った。
「セリナ……無理しなくていいんだぜ」
「本当に。だって、みんなで笑いながら食べられるご飯なんて、幸せじゃない」
ジークは耳まで赤くして頭をかいた。
「ま、まあ……次はもっと上手くやってみせる!」
カインが口元を緩め、空になった皿を指先で軽く叩いた。
「……まあ、お前の料理は刺激的で目が覚める。俺が仕上げをするから、次もやってみろ」
「な、なんだそれ! 最初から信用してない顔じゃないか!」
「事実だからな」
軽口を交わす二人に、食堂はまた笑いに包まれた。
皿を片付け終えた夜の食堂には、まだ笑い声の残響が漂っていた。
窓から差し込む月明かりに照らされ、仲間たちの影が長く伸びている。
因果を返す任務では、張り詰めた空気と冷たい言葉ばかりが飛び交う。
だが、この日の食卓には、何ものにも代えがたい温もりがあった。
失敗だらけでも、仲間と分け合えば立派なご馳走になる――そう心から思えた夜だった。




