宴当日の準備 要注意人物の訪問
長い時間をかけて、準備を進めて来た。
今日を乗り越える事が出来れば、これまでの努力が報われると思うと気持ちが引き締まる。
「ようやく、なのですね」
感慨深そうに、ミュレアが呟く。
彼女はフィリネグレイアの髪を結っている。その隣にはミュレアを手伝うためにトーチェが控えている。
「ええ。これが終われば、また忙しくなるわ」
目を閉じ、溜息まじりでフィリネグレイアが言う。その言葉に、ミュレアは不安げな表情を浮かべた。
「本当に、宜しいのですか」
鏡越しに見たミュレアの表情を吹き飛ばすかのように、フィリネグレイアは笑みを浮かべた。
「わたくしが進むためには必要なことだもの。止めるつもりは全くないわ」
フィリネグレイアの言葉を後押しするかのように、トーチェが続く。
「そうですよ。陛下を押しまくって下さい!あの手の殿方は引いては駄目です。押せ押せです!!」
両手で握りこぶしを作りガッツポーズをとって力説するトーチェにミュレアは呆れ、フィリネグレイアは笑った。
以前なら侍女に対してこのような会話をするのはミュレアとしかしなかった。しかし、今はサヴィアローシャを始めとし、フィリネグレイアに使えている侍女や女官たちとも気軽に話す。
つまり、フィリネグレイアはミュレア以外に心強い味方が増えたのだ。
「そうね。知りたいなら引いていては・・・待っているだけではだめよね。頑張って押してくるわ」
フィリネグレイアの言葉にトーチェは満面の笑みを浮かべた。ミュレアはため息混じりに注意する。
「おし過ぎて押し倒さないよう、注意して下さい。・・・はい、完成しました」
最後に花の髪飾りを編み上げた髪に挿して、ミュレアはようやく笑った。
「お綺麗です」
ミュレアは鏡に映ったフィリネグレイアを眩しそうに見つめる。
フィリネグレイアも編み込まれた己の髪の出来具合を確かめると、それに満足し、1つ頷いてからミュレアの方を振り返る。
「ありがとう、ミュレア」
フィリネグレイアとミュレアはお互いを見て微笑む。
「装飾品はどうされますか?直前にお付けいたしましょうか」
「時間もそれほどあるわけではないし、付けてしまうわ」
「畏まりました」
フィリネグレイアは体の位置を元に戻す。
この日のために悩みに悩んで選んだ衣装を身に付け、衣装に合うように、化粧はフュレイネに、髪形はミュレアにしてもらった。
あとは装飾品を身に付ければ、全ての準備が終わる。
ミュレアとトーチェが、持ってきた装飾品を鏡台の上に置く。その中の耳飾りをミュレアが手に取り、フィリネグレイアに問う。
「ご自分でお付けになられますか?」
フィリネグレイアは昔から他人に耳を触られるのが苦手である。そのため、耳飾りだけは、いつも自分で身に付けている。
「ええ」
ミュレアから耳飾りを受け取り、慎重に耳に付けていく。
付け終わったのを確認し、ミュレアは次に首飾りを手に取る。
「失礼します」
そう言って、ミュレアが首飾りを付ける。他の装飾品も次々と付けていく。
全て付け終わり、フィリネグレイアはいつの間にか逸らしていた視線を自分が映っている鏡へ戻した。
そこに見ることが出来る自分。
美しい装飾品を身に付け、飾り立てた自分。
付けている物は高値で取引されるほど、人々に価値のあるものだと認識されている。
では、それらを身に付けている私自身はどうなのだろうか。
人々にとって、自分は価値のあるものだろうか。
あの人にとっては?
物思いにふけっているフィリネグレイアをミュレアが引き戻す。
「準備も終わりましたし、居間へ移動されますか?」
トーチェといつの間にか呼んできたのだろうスチカに道具の片づけを任せたミュレアがフィリネグレイアへ問う。
「ええ、そうするわ。まだ始まるまで時間があるからお茶を入れてもらえないかしら。少し疲れたわ」
苦笑して頼むとミュレアから是と返事が返ってきた。
座っていた椅子から立ち上がり、扉へ向かって歩く。ミュレアが先に扉の前へ移動し、扉を開ける。
そこを通り抜けて居間に行くと、ソファに座ってお茶を飲んでいる人物がいた。
何故、訪問者がいるのか、フィリネグレイアは訳が分からなかった。だが、その見慣れた人物が誰なのか分かった瞬間フィリネグレイアは眉間にしわを寄せ、少し乱暴に歩いて寛いでいる人物の元へ行く。
「何をしていらっしゃるのですか?」
不快感を隠すことをせず声音に含み、目の前の人物を見下ろしながらフィリネグレイアは問う。
その問いに笑顔で返答が返ってきた。
「何って…兄として妹を労いに来たのだけれど、迷惑だったかな?」
ロベルトが首を傾げて問いかけてきたことに、フィリネグレイアは苛立ちが増した。それが分かっていて、兄は妹をからかうかのようにゆっくりとお茶を飲んでいく。
いちいち怒っていても仕方がないと自分に言い聞かせ、フィリネグレイアはロベルトの向かいのソファに座る。
今度は相手の目をしっかりと見ながら欲しい情報を噛み砕いて話す。
「迷惑ではありませんが、なぜ宴の前であるというのにお兄様がここにいらっしゃるのですか。私にはその理由が全く分かりません。教えていただけませんか?」
「う~ん、私も早くシアの元へ行きたいのだけれどね」
「お義姉様もいらしてらっしゃるのですか?」
フィリネグレイアの驚きに、なんてことはない、といった風にロベルトは頷く。
「ああ。どうしても出席したいと押し切られた」
「先月タリアを出産されたばかりではありませんか。どうして許可されたのですか!」
ロベルトの妻であるアンシアは、フィリネグレイアが王宮に入る少し前に女児を出産している。普通に生活できる状態になっているとはいえ、まだ公式の場に出られるほど体調が回復しているとは思えない。
それに、アンシアは二人目の子であるロレンスを出産したあと、肥立ちが悪く、数箇月まともに動くことが出来なかった。今回も体調が悪くなるのではないかとずいぶん周りが心配していた。今回は前回のような症状を聞いていないので、大丈夫だとは思うが、まだ安心は出来ない。
それを分かっているだろうに、何故止めなかったのだとフィリネグレイアはロベルトを責める。
ロベルトは感情的になっているフィリネグレイアを尻目にお茶を飲んでいた。フィリネグレイアはそんな兄の悠長な行動に苛立たしさを感じた。
ゆっくりとカップをソーサーに戻してからようやくフィリネグレイア問いに答える。
「お前が陛下の婚約者として初めて公式の場に出る晴れ舞台だからだよ」
ロベルトの言葉にフィリネグレイアは目を見開いた。
「そんな、もっとご自分のお体を大切にしていただかないと」
フィリネグレイアは動揺して視線をさまよわせる。
義姉が自分の晴れ舞台だと無理をして来てくれたことが嬉しい。だが、それで体調を崩してしまったらどうするのだ。
不安と嬉しさが混ざり合い、フィリネグレイアは混乱した。
「体調が悪くなったら有無を言わせず連れ帰るつもりだから安心しなさい」
「はい」
兄の言葉に素直に頷く。
先ほどまで感じていた苛立ちは一応収まったが、肝心の質問に答えてもらえてない。
「で、何故お兄様がここにいらっしゃるのですか?」
「あれ、やっぱりそこ聞くんだ」
「当たり前です。お義姉さまの話で忘れると思ったら大間違いです」
ここでふと、フィリネグレイアは国王を思い出した。以前、こんな風に自分がした質問に答えてもらえず、違う話題でうやむやにされたせいだろうか。
そうでなくても、兄は国王影響を受けている。
頭の痛くなる事を思い出してフィリネグレイアは眉間にしわを寄せた。
「じゃあ、用件だけを簡潔に」
それだけ言うとロベルトは口を閉じ、フィリネグレイアをじっと見つめる。その視線を受け止め、フィリネグレイアはロベルトが口を開くのを待つ。
「辛いなら、無理にここに居なくてもいいんだ。いつでも帰ってこい」
兄が告げたその言葉に、フィリネグレイアは呆気に取られた。
「さて、言いたいことも言ったし。そろそろ私も会場に戻ろうかな。シアも待っているだろうし。それじゃあフィー、また後で」
「はい、また後で」
いつも通り動かない頭をなんとか働かせ、返事を返す。
その言葉にロベルトは彼女に手を振った。
「あ、お茶御馳走様でした」
最後にお茶を出したのであろう、部屋で待機していたサヴィアローシャに礼を言って退室していった。
彼と入れ替わるように、ミュレアがお茶一式を持って居間に戻ってきた。
「お嬢様、お茶が入りました」
呆然と固まっているフィリネグレイアに構わず、ミュレアは淡々と彼女に頼まれた仕事をこなす。
「ああ、ありがとう、ミュレア」
フィリネグレイアは自分の前のテーブルに置かれたお茶を見つつ、どこか上の空でミュレアにお礼を言う。
「ロベルト様、ようやくお嬢様のご結婚をお認めになられたのでしょうか」
ロベルトが出ていった扉の方を見てサヴィアローシャが呟く。
その言葉に、フィリネグレイアは首を振った。
「いいえ、お兄様は全く諦めていないわ」
どうにか正常に動けるようになった後、カップを持つ。ミュレアが入れてくれたお茶を飲んで、ほっと心を和ませた。
「そうですね。あのご様子ですから、私もまだ諦めていらっしゃらないと思います」
フィリネグレイアの言葉にミュレアが続く。
どうして二人がそう判断を下すのか、サヴィアローシャには分からず、首を傾げた。
お茶を半分ほど飲んだところでフィリネグレイアはカップをソーサーに置き、首を傾げたままのサヴィアローシャに説明し始めた。
「先程お兄様は『辛いなら、無理にここに居なくてもいい。いつでも帰ってこい』とおっしゃったでしょ?つまり、“結婚するのを止めて実家に戻れ”と言っていたの」
「それは、受け取り方の問題では」
「お父様が仰っていたのならわたくしを心配してくださっての言葉だと受け取るのだけれど。あのお兄様の場合は、ね」
フィリネグレイアがミュレアに同意を求め、ミュレアは頷いた。
「そうなのですか」
二人がこのような判断を下す出来事があったのだろう、とサヴィアローシャはこれ以上この事について考えるのを止めた。
ゆったりとお茶を飲み干したところで、フィリネグレイアは立ち上がる。
「もうそろそろ時間ね。行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
フィリネグレイアはミュレアに見送られ、サヴィアローシャと共に部屋を出ていった。
執筆途中のタイトル 「お嬢、出撃」