国王の側近とダンス練習
「分かったわ。主役が早々に退場してしまってはいけないものね。それで、練習はどこで行うの?」
「はい、こちらで場所を作って行うと聞いております」
「練習の相手は誰にして頂くのかしら」
「イリア様と聞いております」
あの何を考えているのか読みづらい表情をしている青年が相手なのか。どちらかと言うと話す回数が多いトリウェルや女性の扱いに慣れているだろうクロードが相手の方がまだ良かったのだが、我が儘を言える立場ではない。
「イリア様が来る前に練習できるよう部屋を片づけないといけないわね。侍従の方々にも頼んで準備してちょうだい」
それだけ言うと、フィリネグレイアは机の上に置いていた荷物を片づけに寝室へ戻った。
寝室に戻り勉強机に荷物を置いた。隣の部屋から侍女や侍従たちの騒いでいる音が聞こえる。時折悲鳴の様なものも聞こえるが、恐らく気のせいだろうと思いこんでおく。
今は不意に出来た時間が恨めしい。
何もしない時間が出来てしまうと、昨日の事を考えてしまう。そうならいために勉強に集中しようと思っていたのに、どうしたらこれ以上この感情に振り回されなくなるのだろうか。
自分の感情を制御できなくなるのは、怖い。
襲いかかってくる不安に、フィリネグレイアは身ぶるいした。身体を落ち着かせる為に二の腕をさする。
こんな風に自分の中だけで気持ちを整理しようとしても上手くいかないときは、どうすれば良いか。
フィリネグレイアは1つ、決断をする。
身体が落ち着くとフィリネグレイアは明るい庭園を窓越しに見つめる。
ああ、ダンスの練習ではなく植物の手入れをしたい。
ああ、あそこで作業をしている庭師が羨ましい。
朝にカポネラの花の世話をしたせいか、無性に植物の手入れをしたい衝動にフィリネグレイアは襲われていた。ここに来る数カ月前から植物の世話が出来なかった反動かもしれない。
どうでも良い事をつらつらと考えていると扉をノックする音が響いた。入室を許可するとミュレアが部屋に入って来た。
「お嬢様、部屋の準備が整いました」
「そう。今行きます」
ミュレアは扉の近くに身を引いてフィリネグレイアが通れるように道を開ける。フィリネグレイアは扉を抜け、居間へと戻る。彼女の後にミュレアも続いた。
居間には既にイリアが来ていた。
「イリア様、今日は宜しくお願いします」
フィリネグレイアが礼をとりながら言うと、イリアも同じように礼を返した。
「こちらこそ宜しくお願い致します」
イリアはそう言うとフィリネグレイアに手を差し伸べた。フィリネグレイアは彼の手に自分の手を預ける。サヴィアローシャがゆっくりと竪琴を奏で初め、その音に合わせて2人は踊り出した。
練習に引っ張りだされるくらいだ。彼はダンスが上手いのだろうと予想をしていたが、思った以上に彼は上手かった。危なげなく足を運ぶのはもちろんのこと、自然とパートナーを導いて行く。彼のその手腕にフィリネグレイアは心の中で拍手を送る。ここまで女性を完璧にリード出来る人はなかなかいないだろう。
「ダンス、お上手なんですね」
いかに上手くても、先程からイリアはいつもと変わらない無表情のままだ。ずっとこのままではこちらが気疲れしてしまいそうだ。話しかけたら少しは変化が現れるだろうかという期待を込めてフィリネグレイアは彼に話しかける。
「幼いころから姉に仕込まれましたから」
答えは返って来たが、彼の表情は変わらない。まあ、直ぐに変化があると思っていたわけではないが、少し残念である。
だが、簡潔に物事を話している彼が自分の事を少しでも詳しく話してくれた事を嬉しく思う。フィリネグレイアの予想では「貴族の嗜みですので、これぐらい当然です」などと差し支えない返答が来ると思っていた。これは少し、自分に心を開いていると自惚れても良いのだろうか。
気難しい猫を手なずけようとしているみたいだと思いながら、慎重にイリアに質問する。いきなり深いところまで進んでは警戒されてしまう。
「そうですか。アリアス先生が・・・それなら、わたくしとイリア様は同じ方にダンスを教わったという事になりますね」
「そうですね」
フィリネグレイアが笑顔で言うと、驚くことに、イリアもうっすら笑みを浮かべた。それはとても優しいもので、フィリネグレイアは何故かとても嬉しくなった。
それからも他愛もないことをぽつぽつと話しながら練習を続けた。
合間に休憩をはさみながら1、2時間程踊った後、イリアが仕事に戻るため練習が終了した。お礼を言って見送ろうとしたフィリネグレイアをイリアが静かに見つめる。何か言いたい事があるのだろうかと不思議に思っていると、イリアが口を開いた。
「これから陛下の執務室へ向かいますが、オイネット嬢も行かれますか?」
もうそんな時間だろうかとミュレアを見ると、彼女は無言で肯いた。
「はい、ご一緒させて頂きます」