あの頃の私にとって あの人は未知の存在でした
今日、わたくしフィリネグレイア=ドーテ=オイネットは嫁ぐために相手先の屋敷に居を移します。
その相手というのがこの国のトップである国王なのですが、わたくしが陛下のもとに嫁ぐのには少々複雑な理由があるのです。
まあ、それは追々明かしていくとして、一番衝撃的なのはわたくしが本当の花嫁ではないということでしょうか。
この言葉にも少し語弊がありますが、わたくしには一つの大きな仕事のために国王の花嫁になるのです。
それは、国王に世継ぎを作らせること。
わたくしと共に、というわけではありませんが。
――以上、政略結婚を前にした女性の心境。
※結婚に対する不安は、今のところ全くありません。
「フィリネグレイア、もうすぐ宮殿に着く」
声をかけられフィリネグレイアは窓の外に向けていた視線を、一緒に馬車に乗っていた父親に定める。
「分かっていると思うが、決して他の臣下に悟られてはならない。陛下と以前話した者たち以外に知られた時、お前はもちろん、我がオイネット家も窮地に立たされることとなる。肝に銘じておけ」
この結婚が決まった時から再三言われた言葉を再び告げられる。
「はい、お父様」
分かっておりますとも、と心の中で呟きながら、自分の心の中にぽっかりと穴が開いてしまっているのを感じていた。
彼女フィリネグレイアは20歳であり、本来すでに子どもの1人や2人いてもおかしくない年齢である。ちなみに彼女の双子の兄はすでに3児の父親である。
本来なら彼女も兄と同じ年、15の時に内々に定められていた人と結婚し家庭を築くはずであった。
しかし、あと半年というところで相手が「俺なんか悟っちゃった!ちょっくら僧侶になってきます☆」と出家してしまった。
元々親同士の親交が厚く、その関係で結んでいた婚姻であった。
親交が厚いからと言って一方的にそれもふざけた様な理由で婚約を破棄されたのだ。両親は怒り、大変な騒ぎになるのではと肝を冷やした事を今でも鮮明に思い出す事が出来る。
だが、予想に反して特に家同士の衝突も無く、むしろ両親ともに彼らしいと苦笑していた。
政略に使える娘の婚約が白紙に戻ったのだ。直ぐに次の婚姻を持ってくるだろうと思っていたが、父親はなかなか相手を見つけてこなかった。
そのことに首をかしげながら過ごす中、同年代の友人たちが次々と結婚し子どもを出産していった。
普通の人ならここで焦るところだろう。しかし全く気にしておらず、むしろ彼女にとって好都合であった。
世間では徐々に女性が社会で働くことが認められてきていた。彼女は自分の力がどれだけ通用するのか試してみたいと考えていた。
いつ実行しようかと計画を練っていたときに今回の話が舞い込んできて落胆はした。だが、自分が計画していたものよりも面白い状況を父親が持ってきてくれたことに、彼女は感謝した。
感謝しているにはしているのだが、相手と決して愛し合わないと分かっている結婚というのは何とも空しいものだと彼女は思った。
結婚に愛などというものを求めるほど、彼女は純真でなければ愚かでも、夢見る少女でもない。
だが、完全に諦められるほど世の中を悲観してもいなかった。