【第4話】学院生活
今日は本格的に授業を観察してみることにした。
朝一番の授業は「基礎魔法理論」。1年生の必修科目らしい。
教室に潜り込むと、既に学生たちが席についてた。みんなノートと羽根ペンを用意して、真剣な顔をしてる。
「今日は魔法の歴史について学びます」
前に立った教師が話し始めた。年配の男性で、長くて白いひげを生やしてる。いかにも「賢者」って感じの見た目。
「魔法は古来より人類と共にありました。最初は本能的に使われていましたが、徐々に体系化され、学問として発展したのです」
ほうほう、魔法にも歴史があるのか。
学生たちは一生懸命メモを取ってる。でも中には眠そうにしてる奴もいる。
「つまらない」とか「眠い」とか、小声で文句を言ってる奴もいる。
あれ?これって変じゃない?
教師は貴重な知識を教えてくれてるのに、なんで文句を言う学生がいるんだろう?
俺には人間の知識がすごく貴重に思えるけど、人間自身はそう思ってないのかな?
「魔法学院の設立は2300年前。初代校長のアルカディウス大賢者によって...」
話を聞いてると、この学院にも長い歴史があるらしい。2300年前から続いてるなんてすごいな。
でも学生たちの反応は相変わらず微妙。
「テストに出るかな?」
「これ覚える必要ある?」
「実技の方が大事でしょ」
あー、なるほど。
人間は知識を「役に立つかどうか」で判断してるんだ。テストに出ない、実生活で使わない知識は、価値が低いと思ってる。
でも俺から見ると、全部面白い知識なんだけどな。
これって、人間の学習の特徴なのかも。『目的』がはっきりしてないと、やる気が出ない。
逆に言うと、目的があれば真剣に学ぶってことでもある。
実際、「これはテストに出ます」って白ひげおじさんが言った途端、みんなペンを動かし始めた。
人間って現実的だな。
でも考えてみると、それも理解できる。人間には限られた時間しかないから、全部の知識を平等に学ぶわけにはいかない。
優先順位をつけて、必要な知識から学んでいく。それが効率的な学習方法なんだろう。
俺みたいに時間がたっぷりあるスライムとは、学習に対する姿勢が違って当然だ。※魔物の寿命は無限。但し冒険者に狩られるなどして、実際には数日~数年
授業の途中で、面白いことが起こった。
一人の学生が質問をした。
「先生、魔法って本当に古代から使われてたんですか?証拠はあるんですか?」
おお、これは良い質問だ!
でも教師の反応が微妙だった。
「それは...古い文献に記録されています」
「でも文献だって、間違いがあるかもしれませんよね?」
「む...君は授業を疑うのですか?」
雰囲気が険悪になってきた。
他の学生たちも困った顔をしてる。質問した学生も、ちょっと後悔してるみたい。
これって何なんだろう?
質問することは悪いことなのか?疑問を持つことは間違ってるのか?
でも教師は「学びなさい」って言ってるんだから、疑問を持つのは自然なことじゃないか。
この矛盾は何だ?
観察してると、どうやら学習には二つのタイプがあるらしい。
一つは「受け入れる学習」。これは、教師の言うことを素直に信じて、覚える学習だ。
もう一つは「疑う学習」。教えられたことを疑って、自分で検証しようとする学習。
さっきの質問は「疑う学習」だったけど、この授業では「受け入れる学習」が求められてるみたい。
でもどっちが正しいんだろう?
考えてみると、両方必要なのかもしれない。
基礎的な知識は、まず受け入れることから始まる。疑ってばかりいたら、何も学べない。
でも、ある程度知識が身についたら、今度は疑うことも大事。そうしないと、間違った知識をずっと信じ続けることになる。
つまり、学習の段階によって、適切な姿勢が違うんだ。
初心者は受け入れる。上級者は疑う。
さっきの学生は、まだ初心者なのに上級者のような質問をしたから、教師が困ったのかも。
人間の学習って、本当に複雑だな。
授業が終わって、次は「魔法実技」の時間だ。
実習棟に移動すると、広い部屋にいろんな魔法具が置いてある。
「今日は初級火魔法の練習です。まず基本の詠唱から...」
実技の教師は理論の教師とは全然違う。若くて元気で、学生たちとの距離も近い。
「火よ、我が意志に従い、燃え上がれ!」
教師が見本を見せると、手のひらに小さな炎が浮かんだ。
「おおー!」
学生たちから歓声が上がる。みっきの理論の授業とは大違いだ。
「みんなも やってみましょう。ただし、火事にならないように気をつけて!」
学生たちが一斉に詠唱を始める。
「火よ、我が意志に従い...」
「燃え上がれ!」
「燃え上がれ!燃え上れ!...難しいな」
でも、なかなかうまくいかない。
煙が出るだけの奴、全然反応がない奴、逆に大きすぎる炎を出して慌てる奴。焦げてるやつもいるな
みんな必死に練習してる。さっきの理論の授業とは、集中度が全然違う。
これが実技の魅力なのかな。目に見える結果が出るから、やりがいがある。
失敗しても「もう一回!」って感じで、諦めずに挑戦してる。
理論の授業では文句を言ってた学生も、実技では楽しそうにしてる。
人間って、体を使って学ぶのが好きなんだな。
「先生、なかなかうまくいきません」
「詠唱の時に、もっと炎をイメージしてください。言葉だけじゃだめです」
「イメージですか?」
「そうです。魔法には技術力だけじゃなく、想像力も大事なんです」
おお、これは面白い発見だ。
魔法には技術的な側面(詠唱、杖の使い方など)と、精神的な側面(イメージ、意志など)の両方があるらしい。
つまり、理論と精神の両方が必要ってことか。
これって、人間の学習全般に言えることかもしれない。
頭で理解するだけじゃなくて、心で感じることも大事。理論の授業で退屈してた学生たちも、実技では感情が動いてるから集中できる。
学習には感情が重要な役割を果たしてるんだな。
実技の授業を見てると、学生たちの個性もよく分かる。
すぐにコツを掴む天才タイプ、努力でカバーする努力家タイプ、なかなかうまくいかずに落ち込むタイプ。
ふと目をやると、教師が声をかけてる。
「大丈夫、最初はみんなうまくいきません」
「あきらめずに続けましょう」
「一人一人のペースがあります」
これも教育の重要な部分なんだろうな。技術を教えるだけじゃなくて、学生の心のケアもする。
人間の教育って、本当に奥が深い。
授業の最後に、教師が言った言葉が印象的だった。
「魔法は強力な力です。でも力だけあっても意味がありません。大切なのは、その力を〈正しく使うこと〉です」
力と責任。これも人間社会の重要なテーマなんだろうな。
知識も、魔法も、力の一種だ。そして力には責任が伴う。
教育は、力を与えると同時に、責任も教える行為なんだ。
だから教師は、ただ技術を教えるだけじゃなくて、人格的な指導もしてる。
すげーな、教育って。
午後は別の授業も覗いてみた。
「魔法生物学」では、いろんな魔物について学んでる。
「スライムはこの世界で最も多い基本的な魔物です。知能は低いですが、適応力が高く...」
おい、知能が低いって失礼だろ!
俺だって今こうして学習してるんだぞ。話せないからって、偏見はよくないぞ。でも確かに、一般的なスライムは俺ほど考えてないかもしれない。俺が特殊なのかも。
「歴史学」では、この世界の歴史を学んでる。
戦争、政治、文化の変遷。人間社会の複雑な歴史が展開されてる。
歴史を学ぶことで、現在を理解しようとしてるんだな。過去を知れば、未来を予測できるかもしれない。
「魔法薬学」では、様々な薬の作り方を学んでる。
材料を組み合わせて、新しい効果を作り出す。これも一種の創造行為だ。
どの授業も、それぞれ違う角度から世界を見てる。
魔法、生物、歴史、薬学...全部違う分野だけど、どれも世界を理解するための方法なんだ。
人間は世界をバラバラに分けて、それぞれを深く研究してる。そして最後に、それらを統合して全体を理解しようとしてる。
これが学問なんだな。
一日中授業を観察して、俺は人間の学習について色んなことを学んだ。
・学習には理論と実技、知識と感情、受け入れる学習と疑う学習、様々な要素がある。
・教育は知識を伝えるだけじゃなくて、人格形成も含む総合的で神聖な行為。
・学習者の個性やペースを尊重することが大事。
・学問は世界を理解するための様々なアプローチの集合体。
そして何より、学習は楽しいものだってことも分かった。
実技の授業で学生たちが見せた集中力と喜び。新しいことを知る喜び。できなかったことができるようになる達成感。
俺も今、まさにそれを感じてる。
毎日新しい発見があって、理解が深まっていく。これが学習の楽しさなんだな。
明日はどんな授業を観察しようかな?
人間の学習を観察することで、俺自身も学習してる。観察者として成長してる。
これって、メタ学習?学習について学習すること?
うーん、複雑だけど面白い。
学習に終わりはないんだな。常に新しいことを学び続ける。それが生きるってことなのかもしれない。
「続きが気になる!」
「もっと読みたい!」
と思ったら、下にある☆☆☆☆☆から作品への応援お願いします。
もちろん1つでも5つでも正直な感想で構いません!
もしよかったら、ブックマークもいただけると大変励みになります!!!