デデの逃亡計画書
◇ ◇ ◇
その深夜、煌々としたランプの灯りの下で、デデは“魔獣の棲む森”へ逃亡する計画書を立てはじめた。
日記には箇条書きで決行はいつで、マダムを騙して娼婦館の誰にも悟られずに、一体どうやって出奔できるのか?
あの森へ行くにはどうすればいいのか?
娼婦館から森は遠すぎて女の足では無理だ。森の入り口まではどうしても馬車が必要になる。御者を丸め込むにはどうしたらいいのか?
──思いつく限りデデは次々と書き連ねていく。
ロザリーにはどういえばいいかな──?
いやロザリーを巻き込むことはできない。
もしあたしが突然消えたらマダムは怒り狂って、ロザリーを折檻して逃げた場所を無理やり問い詰めるだろうから。
などなど──。
これが面白いことに色々とああでもない、こうでもないと記載していくうちデデの気持ちが徐々に『死』から『生』へと変化していった。
◇ ◇ ◇
元々、デデは森へ行って魔獣に殺される目的で出奔したかった。
このまま娼婦として生きるのは絶対に嫌だったからだ。
なのに今の自分はなぜか自死することすらできない。
何よりも卑しい男たちの『玩具』になるくらいなら、恐ろしい森の中で魔獣に殺されたほうが何倍もましだったのだ。
──そうよ、あたしは死んで父さんと母さんのいる世界へ行きたい! とずっと願っていた。
だが──ふとデデは気付いた。
ちょっと待って──森へいったとして本当に魔獣に直ぐに殺されるのかしら?
今まで森へ行った人たちは魔獣に殺されて誰も帰ってこなかったというが……
だけどそれは王都の市井の人たちの単なる臆測よね──?
逆にいえば、森の中がどうなっているのか見た人は誰もいないんでしょう?
本当に魔獣に殺されて帰ってこなかったのかな? それとも何かあの森には誰にも知らない秘密があって彼等は生きているのかもしれない?
デデは「はっ」として慌てて本箱から一番お気に入りの“森の絵本”をテーブルに出して開いた。
その絵本は『冥府の森の国』という絵本だった。
この不思議の冥府の入り口のある森の国には、夢見せの白銀のユニコーンや、泉に潜む美しい妖精、ブナの大木に穴を掘って住む小人のドワーフや小獣人たち。そして小動物のように可愛い魔獣たちを使役する麗しい冥府の魔族の男女たちが生き生きと描かれていた。
もちろん実在しない『お伽噺』の絵本なのだが、魔族たちと行動を共にする森の生物たちは色とりどりの美しさで、まるで生きているかのように躍動していた。
絵本を見つめるデデには、これらの森に住む不思議な生き物たちが現実にいる錯覚に陥り、自分の脳裏に思いっきり彼等がいきいきと駆け巡っていた!
──そうよ、たとえ魔獣に殺されたとしてもいい、ただもしかしたら何日か運よく生き延びればいい。ううん、あたしが真剣に“森で生きる為の準備”をして行けばもっと長く生き延びる事はできるかもしれないじゃない?
無論、とっとと魔獣に殺されてもいいのよ。そもそもそれが目的なんだから。
でも、でも一日でも一時間でも、少しでも長く森の中で生きてもみたいわ。
──不可能ではないのかもしれない。
だって、あたしは昔から森が大好きなんですもの!
故郷にいた時も近くの森の中で遊んでいる時が一番楽しかった。いつも夕暮れまで森にいたから、母さんが心配して「早く帰ってきなさい、森の精に食べられちゃうわよ!」と迎えにきてくれたっけ。
それほど森の中で遊ぶのが大好きな女の子だった!
ええ、どんなに恐ろしい魔獣がいたっていいの。
ああ、その前のほんのわずかな時間でいい。小人のドワーフのように、大木や雑木林や洞窟の中に隠れて何日か暮らせないだろうか?
デデのエメラルドの瞳はらんらんと輝きだしていく──。
「そうだ!」と思わずデデは無意識に叫んでポンと両手を叩いた。
なにか閃いたのか、デデは日記帳の頁をめくって大きく横に線を引いた。
そしてその下に「死ぬまでに森でしたい事」と題して森の中での生活をしてみたいことを箇条書きでどんどん書き込んでいく。
『死ぬまでに森でしたい事』
・森の薬草取りをしてスープを作ったりパンやお団子を作ってみたい。
・草花を摘んだり森を探索したい。
・魔獣の肉を焼いて食べてみたい。
・魚を釣って焼いて食べてみたい。
・小さい可愛い魔獣がいたら『使役』してペットにしたい。
・木に登って木の実や果物をとって食べてみたい。
・誰にも気兼ねなく森の中を思いっきり駆け巡ってみたい。
・寝泊りする住処を見つけて、母と父の碑を石や木で作って毎日祈りたい!
・川や泉があったら思いっきり泳ぎたい。
・寝転がって夜空の星を飽きるまで眺めていたい。
・冬になったら降り積もる雪の中で雪だるまを作ってペットと駆けまわりたい。
ざっと思いついたことを書きながら、デデは楽しそうににこにこしながら、自分が書いたものをじっくりと眺めていた。
箇条書きの横にはとても上手とはいえないへんてこな魔獣や、魚や食べ物や大きな泉や木や花などの絵も描いた。
◇ ◇ ◇
「ふふふ、こうして書きだすとあたしのやりたいことは食べたい事ばかりね!」
と声にならない読話でつぶやいた。
「あ、そうだ!」
とデデはさらに『私の夢』と書いて次の頁に一番大きく希望を書いた。
・魔人でも妖精でもいいから人間みたいな人と楽しく会話できますように、そしていつかその人と……
とデデは途中まで書きながら羽ペンを止めた。
そして「ふう……」と急に重い溜息をついた。
──もう、あたしったら馬鹿ね、もしも誰かと会えたって今はしゃべれないんだった。せめて声が出たら、声が出せたらいいのに。たとえ1人ぼっちだって歌だって歌えて小鳥たちと遊べたわ……
デデは現実の自分にしんみりとしてしまった。
だがデデはブルブルと首を勢いよく横に振る。
首を強く振るのはデデが口が利けなくなってからの癖になった。
話せなくなってからというものデデは、人と接する時に「NO!」と拒否するしぐさを必ずする。
デデの強烈な意思表示である。
それと同時に「デデ、絶対に負けちゃ駄目よ!」という、本人にとって自分を鼓舞する大切な仕草でもあった。
──そうよ『勇気』を出さねば何も実行などできない!
日記に森でやりたいことを書いた箇条書きはデデの“生きる希望”であった。
──いつかは魔獣に殺されても、ズタズタにされても、その前に、運よく一日くらい生き延びれるだけで僥倖だ!
デデは再度心に深く刻んだ──。
それと不思議とデデには大いなる“予感”があった。
──“魔獣の棲む森”を見たけど怖くなかったよ。聖教会へ行く道中で眺めた時、恐ろしい負の感情は抱かなかった。
逆に群青色に煙るような森を遠くから車窓で眺めてたら、不思議と心が穏やかになっていたものだ。
デデにはどうしても、あの森が王都の人々が恐れおののく『魔の森』には思えなかった。
──もしかしたらあの森には誰にも知られていない世界があるかもしれない。
デデの予感は当たる。森にはデデの僥倖がたくさん詰まっていたのだ。