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生きて  陽と殊  作者: Hayakazu
1/1

二人の未来をあきらめない

 命


 予定日を過ぎても生まれる気配は無かった。「初産は大概遅れるもの」といわれていたものの、やはり私も例外ではなかった。

予定日から四日後の夜に下腹部に違和感を感じた。

陣痛は痛みの起こる時間が規則的だと聞いていたから時計を気にしていると本当に時間通り

痛みが起こる。まるで測っているかのように正確だ。何回か痛みが時間通りに起こるのを確かめて

(間違いない、陣痛だわ)

確信した事で両親に告げにいった。

母親はさすがに落ち着いていたが、普段冷静な父親のうろたえ振りにはびっくりした。急にソファーから立ち上がったと思うと部屋の中をウロウロしている。

(えっ、お父さん?)

男性ってこんなものなのか?陽さんもこんな風になっただろうか?

(見てみたかったな…)

病院に電話すると、今すぐ通院することではなさそうだから明日、9時の来院でいいと言われた。

母親から

「一緒に寝ようか?」

と言われたが断った。この先子供が生まれて帰ってきたら益々両親に負担を掛ける。ゆっくり休める日には休んでほしい。特に母親には。

夜、一日の最後に来るオムツ交換の介護士さんに彼の身体を少し端に寄せてほしいと頼んだ。もう、40歳を過ぎているであろうベテランの女性介護士さんだ。

一瞬、「?」の顔をされたが、何となく察してくれたのか彼の身体をずらして私が眠れるスペースを作ってくれて

「この位で大丈夫ですか?」と聞いてくれた。

「ありがとうございます。十分です。」

「赤ちゃんが生まれたら、賑やかになりますね。その分、お母さんは大変だけど」

母から私が陣痛が起こっている事を聞いていたらしい。

“賑やか”という言葉に心がふわっとした。

(そうだ、家族が増えるんだ。新しい家族が…。)

入院の準備をして彼の隣に体を横たえた。

静かに眠る彼の顔をずっと見ていた。その間にも陣痛は訪れ、少しずつだが痛みも強くなっている。

右手でお腹を抱え込み、左手で彼の身体を抱きしめた。

(陽さん、貴方が私に授けてくれた命が生まれてくるよ)

痛みで殆ど眠ることが出来なかったが、朝方痛みの引いている時にうつらうつらとしたのだろう、

カーテンの向こうが明るくなり、鳥の囀りで目が覚めた。それと同時に痛みが襲ってくる。

食欲は無かったが母親から体力使うから少しでもたべたほうがいいと言われごはんをおにぎりにしてもらい口にした。

9時前には病院には着いたがもう既に待合室は待っている人でいっぱいである。

(一体どの位待たされるのだろう)

と思ったが最初に名前を呼ばれた。

診察室に入り子宮の開き具合を診られた。

「ううーん、まだ、少し開いているぐらいなのでもうちょっとかかるかなぁ。入院してベッドで寝ているより子宮の開きをよくするため動いた方がいいと思うんだよね。もう一度家に帰ってもらって…出来れば少し歩いて…欲しいかなあ」

(えっ、この痛みを抱えて歩くの?)

「万が一、破水など異常が有ったらすぐに病院に来てください」

早く入院して少しでもこの痛みと不安が取り除かれればと思ったがそうはならなかった。

帰り際に看護師さんから

「痛みで辛いでしょうけど、今お腹の赤ちゃんも生まれる準備を始めてるの。赤ちゃんもこれから狭い産道を通って出てくる。これって赤ちゃんにとっては大変な事なの。だから、お母さんも頑張って」

一度家に戻った。時間が経つごとに痛みは強くなり、起こる間隔も狭まってきている。

それでも言われたように家の中を歩いた。

(…頑張って生まれてこようとしている痛みだから…)

と自分に言い聞かせてはいたが、だが本当に痛い!

家に戻って4時間程経ち、もうキツイと母に訴え、病院に再度向かった。

「大分、開いてきましたね、うん、入院しましょう」

ホットした。でもそれもつかの間で分娩台に登ってからの生まれる迄の痛みは想像を絶するものだった。言葉では表せない、他のどんな感情でもごまかすことの出来ない痛みだった。

「はい、力んでえ」この声掛けを何回か聞いた。

入院して、約5時間後、「産声」を聞いた。

子供が生まれた直後の感覚。生きてきた中で初めて感じるものだった。

何だろう?この、この感情を言葉にするとしたら…。

(出産ってすごい…)

陣痛の痛みが強すぎて終わった後の解放感が半端なかった。

2850gの男の子。母子ともに健康。泣き声もしっかりしていた。

初めて私の腕に抱かされた「命」を見て

(小さい…、)

「あぁ…」

涙が溢れてくる、側に彼が居たらもうこれ以上の事は無いと思えた。

(…この子を見せたい…)

名前は「櫂」と名付けた。


退院してからの日々はもう目まぐるしかった。彼の看病だけでもキツイと思っていた日々が懐かしく感じた。最初の三か月、授乳は三時間毎。夜間の授乳は特にきつかった。三時間毎に起こされ、授乳が終わっても中々寝付いてくれず、ようやく寝たかなと思うとすぐに授乳でまた起きる。そんな事の繰り返しだった。出産前と同様に自費で介護サービスを増やしてもらっていた。只々、両親の経済力に感謝しかなかった。日中は訪問してくれる人に任せても夜間はさすがに私が起きて面倒を看るしかなかったので、昼間、櫂が寝ている時に一緒に寝るようにしていたが、睡眠不足は否めなかった。

 その日の夜中もお腹を空かせて泣き出した櫂に授乳し終わり、ウトウトし始めたからベッドに戻そうとしたが置いた途端泣き出す。抱き上げてあやしているとウトウトしてくるのでもう一度ベッドに戻そうと水平にしただけでまた泣き出す、この繰り返しにさすがに

「もう、なんで寝てくれないの!」

思わず声をあげてしまう。そうするともっと激しく泣き始める。

(あぁ、駄目だ)

再び抱き上げあやす。

「櫂、寝てよ~、ママもう眠いよ!」

抱いているとスヤスヤ寝息を立てる。

抱きながら立っているのが辛くて壁に寄っかかるが腕の「よしよし」の動きが止まっても櫂の顔がゆがみ始める。まったく容赦ない。

抱きながら彼の側に寄る

(こんなに泣いているのに…)

相変わらず静かな寝顔である。

少し腹立たしくなる。

全身から泣き声が出ているかのように要求を訴えてくる櫂。

只々静かに眠っている彼。

同じ生きている命なのに全然違う。

ボーっと彼の顔を眺める。

いつどうなってしまうかわからない「死」と隣り合わせの彼と過ごしているうちに時々「命」について特に「死」について考えるようになった。

「死」はいのちの終わり。心臓が止まればそれは「死」。

心臓が止まる。じゃあ、その心臓が止まる事を決めているのは一体誰だろう?

誰が心臓に「止まれ」と言うのだろう。

それとも心臓自体が止まる事を決めるのだろうか?

心臓には全く違う別の『意思』があるのだろうか?

一人の人間の「生」を終わりにすると決めるのは一体誰なんだろう。

今、もし、彼の心臓が、今、止まってしまったらそれは誰が止めたのだろうと、なぜここまで生きてきたのに止めてしまったのだろうとその理由をずっと考える気がする。

「生」も想像を絶するほど不思議で神秘なのだろうけど、「死」も不思議だ。


秋も深まり、木々も色づき、穏やかな日差しが部屋のベッドにあたる。

この日も彼は穏やかな寝顔をしていた。

5か月を迎える櫂をベビーカーに乗せ近くの公園に散歩に出た。

すれちがった数人の人達がベビーカーを覗いて笑顔になる。

「かわいい」と声に出す人もいる。そんな人達を見るとお世辞ではなく本心から言っているのだと思う。櫂が特別かわいいのではなく、「赤ん坊」という存在が人々を笑顔にする。只々泣いて、欲求を通す、時には恨めしく思える程のモンスターのような存在であるのに、人々を芯から笑顔にさせる存在。

只々、無心に生きる事だけで媚も売らず、それだけで存在しているからだろうか?

 散歩を終え、家の近くまできたら母親が家の前でキョロキョロしている。私達を見つけると小走りに寄って来た。

「お母さん?」

「殊、なんで携帯出ないのよ?」

「あっ、音消してた…ってどうか…」

「いいから、陽さん、、陽さんが、とにかく早く!」

「えっ!」

ベビーカーを母親に預け家に駆けこんだ。

部屋に入ると父親が彼の側にいる。入って来た私に気づくと、

「殊、陽君、目が覚めたぞ‼」

ベッドに駆け寄ると彼が目を開けて天井をボーっと見つめている。

「陽さん!!」

声を掛けても直ぐには反応が無い。

「陽さん、陽さん!」

視線がゆっくりと向けられ、その後ゆっくりと顔が向けられた。

「陽さん、わかる?わかる?私の事わかりますか?殊です!」

彼の手を強く握るが、握り返しては来ない。口元が少し開くが言葉は出てこない。

「陽さん、陽さん、わかる?」

口元に微かな動きが見れたがやはり言葉は出ない。

目の表情が私に何か言おうとしている

「陽さん…」

その時、彼の眼がゆっくりと閉じてゆっくりと開いた。

(目で返事をしてくれた?)

「わかる?私がわかるのね?」

再びゆっくりと瞬きをしてきた。

「殊」

後ろから声がかかり、振り向くと櫂を抱いた母親が立っていた。母親の手から櫂を受け取り彼の方に向いて櫂を彼に近づける。

「陽さん、貴方の子供です。男の子、櫂って言います」

初めて見る赤ん坊に目が見開くのがわかった。

「五か月になるの…」

彼の口が動こうとしているのがわかったが、言葉はやはり出てこない。

「陽さん…わかるのね、この子の事…」

驚きの表情から何かを納得したようなそんな表情に変わった。

櫂をジーっと見つめる目から一筋の涙がこぼれた。


 彼が目覚めてから半年。むせる程の新緑の薫りがする季節になった。

目覚めてからの半年間の彼と櫂の毎日はそれぞれが成長の日々だった。

目覚めてからひと月程、再び入院をして経過観察となった。それから、安定してきてからはリハビリ尽くめの日々となった。思いのほか言葉は早く復活してくれた。まだ時々すんなりと言葉が出てこない時も有るが日常の会話はほぼ出来ている。

「早く、櫂を抱きたい」

話せるようになった頃に彼はそう言った。なのでリハビリを上肢優先にトレーナーの人にお願いをしたようだ。

彼の進歩は目を見張るものがあった。病院関係者の人からは

「奇跡だ」という言葉が何度も聞かれた。


そして櫂も日々成長していった。少し前には歩く事も出来るようになり、言葉も少し話せるようになった。「パパ」と言いながら立ち上がって彼の側にたどたどしく寄って行った櫂を抱き寄せて、彼は又泣いていた。


エピローグ

 夕食を食べた後、櫂を殊の両親に任せ、二人で散歩に出た。まだまだ足の動きは完全とは程遠い。杖が無いとまだバランスが保てない。杖を片手に殊に片腕を支えてもらっている。寄り添う殊の横顔を見つめる。昔と変わらず綺麗な横顔だ。だが以前とは明らかに違う。「逞しさ」を感じる。母親になったからか、嫌、俺が目が覚めない間に俺の知らない苦労がどれほどあったんだろう?

あの夜、母親は俺は死ぬと言った。でも俺は死ななかった。一年三か月位目が覚めなかっただけで済んだ。寝ている間の記憶は不思議と無い。自分にしてみれば一晩しか寝てないような感覚だった。目が覚めた時何より驚いたのは、櫂を見せられた時だ。

母親に俺は死ぬと言われ、色々な葛藤があった。特に「死」を受容するまでの事。それから残される「殊」の事。何が残せるかと悩んで、結局何も残せないままあの日を迎えた。でも、目が覚めて、櫂の存在を知って、殊から

「櫂が泣いて、笑って、食べて、歩いて…櫂の命が私に力をくれた」と聞いて、俺は殊に残せたんだと思った。

(母さんもきっとそうだったのかな、俺の存在が母さんの生きる力になれた?)

「陽さん、月が綺麗ね。今日は満月だったのね」

俺は空を見上げて

「ああ、本当にきれいだ。」

(母さん、あの夜と同じ月だ)


                                       完






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