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消し去る前に  作者: マムシ
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ウラオモテ

 田宮里香には日課があった。日課と呼ぶにはいささか頻度が少ないが、定期的にやっている奇行である。

 雨が降る深夜の公園。傘もささずにブランコの柵に寄りかかり、暗い空を見つめる。雨水で黒いワンピースは濡れ、裾から水がしたたり落ちる。長い髪の毛も額にへばりつき、離れようとしない。

 この時間に意味はない。何も考えていない。時間は進んでいるが、何も変わらない。この世界とは切り離されたような空間にただ一人、取り残されている時間。

 ごくたまにこの世界から自分を切り離す。悪癖は唐突に襲ってくる。


「もしかして、死のうと思っている?」


 その声に体が震えた。気が付いた時には自分の目の前に男が立っている。田宮は慌てて、姿勢を正し、男の顔を見た。ビニール傘を差した紳士。スプリングコートを羽織り、表情は無かった。髭は綺麗にそられ、髪の毛もさらさらしていて、実に清潔感がある。だがどこか感情が欠落しているような、そんな不信感を抱く無表情で、ただ空を見つめる田宮をまじまじと眺めている。

 田宮は怪訝そうな顔を見せた。


「何言っているの?」


「いやそうじゃなければいいんだがね」


「仮にそうだとして、何だと言うの?」


「別に私は親切で言っているわけでは無い。ただ自殺をしようとしている人間を見分けることが出来るようになっただけだ」


 田宮は目を細めた。この男はにこりともせず、淡々としゃべっている。先ほどまで自分がやっていた不可解な行動が可愛く見えるほど、この男は不気味だった。

 冷たい柵から腰を放し、公園から去ろうと出口へと向かう。少し早歩きで、男と距離を置こうとした。


「傘、貸そうか」


 立ち去る田宮の背後からそう聞こえた。振り返ると、ビニール袋を差し出している。


「いいえ、結構です」


「そうか……」


 男は再びその傘を差し、続けて言った。


「君が自殺を考えていないことはよく分かったよ。自殺というのは非常に迷惑な行為だからね。首を吊っても、ビルから飛び降りても、それを処理する人間がいる。電車に飛び込むなんてもってのほかだ。それだけじゃない。一人が自殺をすれば、周りの人間はそれが自分のせいではないかと勝手に妄想してしまう」


 田宮は背後から聞こえるこの講釈をよくある正義感を振りかざした綺麗ごとだと思って聞いていた。


「だが私には自殺志願者の存在そのものを消す力がある。なんと便利な力だろうか。君もそう思うだろ」


 足が止まった。いまこの男は何と言った? 人間の存在そのもの消す? 肩が震え、目の下が動いた。


「いまなんて――」


 振り返ると、男は一枚の紙切れを掲げている。


「私は自殺志願者の戸籍、そしていままで関わってきた人間の記憶、まさしくこの地球に産み落とされ、育ってきたその全てを抹消することが出来る。この契約書にサインした者は元からいなかった。存在しなかったこととなり、未来永劫、誰にも思い出されることはない。自殺志願者はこの世界から解放され、その周りに人間は罪悪感にさいなまれることもない。なんと好都合、なんと利のある契約書だろか」


 田宮はその嘘のような話に生唾を飲み込んだ。


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