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オカルトを哲学する

作者: 天海波平

哲学という偉そうなタイトルがついてますが、特に深い考察があるわけでもない。



ー「オカルトとは」ー

 

 皆さんはオカルトは好きでしょうか?

 

 私はいい歳しているんですが、結構好きです。

 いえ正直に言いましょう、大好きです。

 ちょっと気恥ずかしいですね………

 ここでは「大好物」だと言っておきましょう。

 

 昔はテレビでUFOの特番やら、「ピラミッドの謎に迫る」とか「宜保愛子の心霊の世界」とかよく見たものです。

 その当時は単純にオカルト番組とだけ言いました。

 一概にオカルトと言っても、その言葉を含むジャンルは結構な量があるんですよね。

 霊、UFO、UMA、古代文明、神隠し、パラレルワールド、陰謀論、都市伝説など、ちょっと考えただけでも、これだけ出てきます。

 「都市伝説」や「陰謀論」などの言葉は昔は無かったですね。

 「スピリチュアル」や「パラレルワールド」、「ハイヤーセルフ」などが最近の流行りでしょうか。

 ところでこの「オカルト」なのですが、これを検索するとwikiなどでは、こうあります。


・秘術、神秘(的なもの)、超自然的なもの

・目に見えない、隠れていること

 

 このようにオカルトは、大きく2つに分類されており、単純な説明がされているだけです。

 ここに「ホラー」(恐怖)は含まれていないんですね。

 ですが「オカルト」という言葉に、恐怖を感じる人が多く存在します。


 何故でしょうか?

 

 それはやはり「オカルト」というジャンルの中に、一般的に「死後の世界」や「霊」と言われるものが含まれることが、一番の原因かと思われます。

 私たちは本能的に「死」と言うものを恐れます。

 「死」は生きている私たちにとっては、未知の領域だからです。 

 「生」の行き着いたところに「死」があることは間違いありません。

 ですが私たちは、それがどのようなものであるのかを知ることはできません。


 人は死ぬと「仏」や「霊」になると言われますが、それを認識する(すべ)はありません。

 「霊」など、一般の人には見ることはできませんし、ごくわずかに存在する「霊能者」と言われる人が「見える」と言われることはありますが、残念ながらそういう人たちのほとんどが「詐欺師」や「ペテン師」の部類に入ると言われています。


 ですので「霊」の存在を完全に否定して、「人は死ぬと身体は肉に、精神は無になる」と断言する人もいます。

 「魂」や「霊」と言った存在など無い、と言うわけです。

 私には真偽のほどは分かりませんが、古今東西のあらゆる場所、時代においてこの話題は途切れること無く続いています。


 また、宇宙人やU F O などを取り扱った場合においては、その話題が大きく取り上げられることがあっても、あまりにその存在が定かでないため、国家という尺度で見た場合は、それの多くは存在を否定されています。

 私たちは、先程も取り上げたように「未知」のものに恐怖します。

 そして、あやふやな存在に右往左往して、自分の立ち位置を見失い、他者からの信用を失うことさえあります。

 これも先程の話と同じく、UFO の写真や映像の大部分がフェイク、つまり偽物です。

 故に国などの大きな機関では、安易にその存在を認めるわけにはいかないのです。

 ですから「騙されまい」と構えることは確かに必要なのです。

 幽霊や宇宙人など存在しない、空想の産物だと言いきる人は、そのような「騙されまい」と言う気持ちが大きく働き、「最初から信じなければ騙される事はない」と心の決めて「オカルト」を(なが)めるのです。


 オカルトとは、人の気持ちに左右される、ものなのです。


ー「空想の存在」ー


 皆さんは「フライングフィッシュ」というものをご存知でしょうか?

 これは以前に高速で空中を飛び回る、体長が10センチほどの細長い羽根がいくつも生えた生物とされていて、テレビカメラにその姿を捉えることは出来ても、肉眼で見ることができない、不思議な新しいUMAとして話題になったものです。

 ですがこれ………

 正体が分かったんですね。

 その正体は「ハエ」でした。

 空中を飛び回るハエをテレビカメラで写したとき、そのカメラの特性上、高速で飛ぶハエをとらえると「長細く」「羽根がたくさん生えているように」写ることがわかったのです。

 するとその話題は一気に無くなりました。

 当然でしょう、フライングフィッシュという生物は存在せず、その正体はハエでカメラのイタズラだったと人は理解したからです。

 この理解が及んだ時点でフライングフィッシュという「空想の存在」は消えて無くなりました。

 オカルトで無くなってしまったのです。

 これは結果から考えると「見間違い」、「勘違い」ですよね。

 この「見間違い」や「勘違い」によって、ときに人は騙され、自尊心を傷つけられたと憤慨し、嘲られたと感じることがあります。

 ですから、ある一定の人たちは初めからオカルトと言われる現象や、それに付随した話を信じようとしなくなります。

 フライングフィッシュの話のように、非科学的な存在などおらず、すべてにおいて科学的な説明がつくはずであると、思い込むようになります。

 そうすると不思議だと思える現象に遭遇しても、最初からその存在を否定し、考えることも探すこともしなくなります。


 科学や物理学が進歩していき。

 この世界は物質世界と揶揄されて、「理」により「空想の存在」は軽視され、「オカルト」は存在するか? しないか? という話で興味を浮かべる余裕もなく。

 「オカルト」など最初から信じない方が、現実的で「理」にかなっているので、「正しい」と思われているのではないでしょうか?


ー「オカルトの理解と価値、その神秘性」ー


 ですが、その姿勢は勿体ないと思うんです。

 ある意味正しい姿勢だとは思います。

 ですが、勿体ないのです。

 それはオカルトにはもう一つ、「神秘的な」と言った意味が含まれているからです。

 世の中には普段は隠れて見えないのに、時折りそれは姿を現し、その神秘的な現象を見せてくれます。

 代表的な例を挙げてみると「オーロラ」です。

 その存在も、その現象が起こりうる理論も、人類はすでに立証しています。

 ですがその現象を前に、多くの人が神性を感じとります。

 もちろん全ての人がそうだとは言えません。

 それでも「その奇跡の現象」の前に、人は人の手に及ばぬ力の存在を知り、そこに神を感じることがあります。

 それを、勘違いだと非難する人もいるでしょう。

 「神など存在しない」という人は数多くいます。

 ですが「目に見えるもの」「触れられるもの」が全てでしょうか?

 私たちは確かに「人の理解の範疇」で世界を認識して、その中で私たちは生活しています。

 その中に「価値」を見いだし、それを元に行動しています。

 ですがその「理解」や「価値」で世界は出来ているのでしょうか?

 この「理解」や「価値」はあくまで人間の尺度のものであり、人間が勝手に思っているだけかもしれません。

 犬は人間で3歳ほどの知能を持ち、簡単な言葉を理解すると言います。

 ですが、それ以上のことを理解することはできません。


 人は、人以上のことを理解するのでしょうか?


 それに、人は時代とともに「理解」や「価値」に変化を加えて来ました。

 ほんの数百年前まで宇宙は地球を中心に動いていると信じられており、それに意を唱えた学者が「それでも地球は回っている」と言いながら罰則を受けたのです。

 

 人間の「理解」と「価値」とは、時代によって変化の起こる、あやふやで不確かなものなのです。


 私たちはその時代の人を笑えるでしょうか?


 笑うのであれば、未来に対し我々は恥じねばなりません。

 なぜなら、我々の立つこの世界は、未知に溢れているからです。

 「いまの時代をもって未知など無い」と言うのであれば、それは傲慢です。


 確かに科学的技術は発展しています。

 宇宙空間も9割近く解明したといいます。


 ですが、目に見えるもの、触れることが出来るもので未知を測ろうとして、地球を汚し未来を汚しているではないですか。

 それでいて、見て見ぬふり、触れずさわらずで放置しているのが現状ではないですか。


 これからも私たちは「想定外の出来事」を口にして、それを聞かねばならないのでしょうか?


 いまの時代は物質に覆われて、この世界の真理から遠ざかっていく感覚がします。

 その真理が何かはわかりません。

 単なる思い違いかもしれません。

 ですが………

 テレビをつけると、「イジメ」のテロップとともに、悲惨なニュースが流れたりするんです。

 とても人間の行いとは思えない、酷い内容です。

 「人間」とは何か?

 「人間らしさ」とは何か?

 その答えが遠ざかる感覚に陥りました。

 

 「お天道様が見ている」


 それだけの言葉を、今の時代は否定するのでしょうか?

 己を律することなく、快楽と物質にまみれることが正義とされているのではないでしょうか?

 日本人は、この言葉とともに自己を顧みて、己を律し、心の内に神を宿すことで、他者を労わることを美徳としてたはずです。

 この言葉の内にこそ神は存在し、私たちを正しい方向へ導いていました。

 それを時代は否定するのでしょうか?

 ならば、いまの時代は「狂っている」としか思えません。


 これでは「神秘性」を含めるオカルトの話になりません、歪んだ価値観を植え付けるカルトになってしまいます。


ー「未知への対処」ー

 

 私たちは「未知」をおぼろげながら認識しています。

 予知はできませんが、ある程度の予測はできます。

 そこに予言というものが発生することもあり、多くの人々を惑わせることがあります。

 その上で私たちは、前に進まなくてはなりません。

 「未知」を覗こうとすると、それは恐怖を帯びているように見えて、いく手を塞ごうとし、不安をまといます。

 

 あなたが「神」や「霊」、果ては「宇宙人」など信じようが信じまいが、「未来」という「未知」はやって来ます。

 それを乗り越えるのに、どんなものが必要なのでしょう?

 お金でしょうか?

 知識でしょうか?

 それは、もちろん大事なことと思われます。

 必ず必要だと思います。

 ですが、これからの時代は、今以上に情報が錯綜し、ものの「価値」が目まぐるしく変化していきます。


 あなたはこれから何を「理解」し、何に「価値」を見い出しますか?


 それがわからずとも、決して恐れないでください。

 なぜなら「オカルト」には元来、「ホラー」は含まれないのです。

 恐怖を帯びているようで、違います。

 それは錯覚です。

 隠れて見えないからそう思うのです。

 その「オカルト」に向き合う心構えは、あなたも持っています。


「好奇心」


 これがあれば、乗り越えます。

 数ある情報から、自分の嗜好に合うものを探すのは大変でしょう、ですが手に取る事は可能です。

 困難かもしれません。

 ですが、これが「オカルト」を切り開く一番の武器です。


 ぜひとも、あなたの手で神秘の扉を開いてください。

 

ー「最後に……… オカルトと向き合う」ー


 話は変わりますけど、私は思うのですよ。

 「空想の存在」って「自我」も含まれるんじゃないかと。

 霊長類である人間は、オカルトを含むのではないかと?

 「人間はオカルトである」と、そう思うのですよ。

 「自我」というものは、見れますか? 触れますか?

 「自分を想って」なければ、存在しないじゃありませんか。

 いつでもどこでも想っていますか?

 寝ている時も想えますか?

 食事中は?

 トイレにいる時は?

 そんな時は、自己など隠れていて気付くことはないでしょう?


 だから、そんな曖昧な人間を「オカルト」に感じるのです。


 ただね、「自我」が「見えてない」「隠れている」という部分で「オカルト」的ではあるんだけど、自分を含め神秘性とか神性を感じさせる人が、いまの時代はほとんどいない。

 その「いない人」の代表が政治家とか思想家だと思えてしまうのです。

 「思想」も、また「オカルト」と呼べる部分があると思うのだけれど、その彼らをどう見ても「神性」は感じられず、「詐欺師」か「ペテン師」の部類にしか見えない時があります。

 酷い時には、とある政治家の政治活動を見て「カルトじゃん」って思う事もあります。

 

 しかし、そうなってしまうのは、あまりに今の世の中が「物質」を求めすぎて、「心の神性」に価値を見い出せないまま、成熟した心を持たずに世の中に出て行く人が多いのだと思います。

 それが「イジメ」を生み、それに対して無関心な教師を生み出してしまう理由なのかもしれません。


 でも神性を感じさせる人が、まったくいないわけでもありません。


 間違いは間違いであると、狂ったものは正せと言える人は確かにいる。

 苦しむ人に、手を差し伸べれる人さえいる。

 人が生まれてくる理由は、心に神性を宿し、その神性を高めるために成長していく存在であると、そのように思うのです。

 

 それを「狂っている、異常だ」と笑うなら、笑えばよい。


 オカルトな存在でありたい私は、心の内にそれを秘め、表に出す事なく笑いながら……… 生きて死にたい。

要点が迷子になりがちで、無駄に長かった………

他に言いたい事もあったように感じるし、もっとバカらしいお気楽な内容であったはずなんだけどなぁ。



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― 新着の感想 ―
[良い点] なかなか多方面にむけた、面白い着眼点でした。 [一言] 西洋が掲げる唯物論は確かに科学を推し進めました。 それゆえに、物質主義といいますか、「絶対的な何か」の存在があるかの様に錯覚させられ…
[良い点] 私もオカルト番組好きでした。 最近ないですよね~。
[一言] 「人は、人以上のことを理解するのでしょうか」という箇所にハッとしました。  確かに、全てを理解出来ると思うのは傲慢ですねえ。 「お天道様が見てる」「神さんが見てる」と言うのも、私の子ども時…
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