外務大臣子息は踊ろうとして転んだ
「え?ぇえ?クライス様、それは…えぇと…そうなんですの?」
二人で部屋に籠っていた事実を知っていただけに、さすがにクライスだけしていないとは思ってもみなかったクリスティーナは困惑した声を上げる。
観客もこれは予想外だったようで、クライスに憐憫と同情の視線が寄せられた。
対して、いつの間にか復旧していた王子といえば、それは当然だろうという顔でクライスの忠臣ぶりにうなずいている。全くの勘違いだろうに相変わらずおめでたい頭をしているものだとクリスティーナは考えつつ、関係者を見渡した。
シエナは目を逸らし、ダグラスとジョージは目を見開いて驚いている。
「ええ…。
二人きりで出かける事は何度かありましたが、キスすら許して貰えませんでした…。」
相変わらずシエナは目を合わせようとせず、なんだか可哀想になったクリスティーナが現実を思い知らせることにした。
「えぇと…確かクライス様はシエナさんに高価な贈り物を多々されておられたかと思いましたが…それだけだったのであれば…非常に言いにくいのですが…貢ぎ担当…ですわね…?」
「やっぱり…そう、ですよね…。」
ガックリと項垂れて膝をついたクライスの側に王子が行き、慰めるかのように背中をさすっている。
会場の男性たちは同情して涙を流す者もいて、一部の男性の心を抉ったようだった。彼らはきっとうっかり娼婦に貢いだか、女性関係で何かあったのだろう。クリスティーナは見なかったことにした。
「…ま、まあ良かったではありませんか!だってシエナさんのお腹にいる子の父親候補から外れることができたのですから!ね?ね?クライス様、元気をお出しになって。」
「は…?」
「ちょ…ちょっと…!」
「何を言っておる、シエナの腹の子は私の子だ。そうであろう?」
「いや俺だ!」
「僕の子でしょ!?」
「いやですわ…先ほど複数名と関係を持っていたと申し上げたばかりなのに、頭がお花畑に侵されるって本当に恐ろしいですわね。気持ち悪いですわ。」
「…!」
「わかってませんでしたの…?なんと言うか…うーん。まあ、私にはどうでもいい事でしたわね。
ええと、父親候補は…確か7名でしたわね。クライス様を入れて4名も入っているのだとばかり考えておりましたが、こちらにいらっしゃる3名とあと他に4名。
シエナさんが本当に心を寄せている方がいるかは不明ですが、妊娠は想定外だったようですわ。地位と金目当てで何とか帳尻を合わせたくて必死、と言うところですわね。
ふふ。良かったですわね、クライス様。間一髪ですわ。」
「先日、急に私と関係を持とうとしたのはそのせいだったのか!なんて言うことを…!」
「だ!だってしょうがないじゃない!
ジョージは身分が低すぎだし、ダグラスは脳筋だし!王子はリスクが高い!
あんたが身分も権力もちょうど良くて一番押し切りやすくて丸め込みやすいのよ!それなのに肝心な時に怖気付いて逃げやがって!この自惚れ屋!」
もう会場中ドン引きである。
丸め込みやすいと評される外務大臣子息に、それは駄目だろう…という気持ちやら、愛らしい顔を醜く歪ませた子爵令嬢の顔の恐ろしさ…とりあえずその場の何もかもにドン引いていた。
そして同志よ!と仲間意識を感じていた一部の男性客は憐みを感じつつも、なんだかシラけた気分になった。なんだコイツも上手いことやってるんじゃないか、しかも逃げたなんてとんだヘタレじゃないか、と。
「いや、逃げた訳でなく、後日きちんとした場を設けて改めてと思っていただけだったのですが…」
ーーなんだムッツリか。
この時、会場に妙な一体感が生まれた。
「うわぁ…本当に気持ち悪い…。私、この人のこういうところが本当に嫌いだったの。婚約が破棄できて良かったと心底思うわ。」
ものすごい勢いでクライスが振り返った先には元婚約者の姿。目を丸くして見ているあたり、自分が元婚約者に嫌われているとは毛ほども考えていなかったらしい。クリスティーナからすれば、マリアの反応は淑女の範囲は超えていないものの、割と素直に嫌悪を表現していたと思うのだが、それに気づいていないとは…実は彼の心臓にはマリモのように毛がビッシリ生えているのかもしれない。
「マリア…気持ちはわかるけれど、落ち着いてちょうだい。」
「いやいや、分かりません!そのように思われていたと感じたことありませんよ!!マリア、どういう事ですかっ!?」
「どうもこうも、貴方、自分が大好きすぎるのよ。妙に自己評価も高くて気持ち悪いっていつも思っていたわ。ぼやかしてではあるけど伝えた事あるはずよ。」
そう言われて振り返っても思い当たる節がない。首を傾げたクラウスにクリスティーナが現実を知らせる。
「クラウス様、私から見てもマリアは淑女の範囲を越さない程度には伝えていましたよ。お気づきになりませんでしたの?おかしな事。」
その言葉に顔を真っ青にしたクラウスは救いを求めるようにマリアを見るがマリアの表情をみて膝をついた。
しばらく立ち上がれそうにないクラウスを放っておいて話を進めることにして、今度はシエナに向き合う。
「それにしても、クライス様に押し付けようとなさっていたのなら、貴女、本当に何がしたいのかしら。
先ほどの殿下の婚約破棄宣言から考えれば、てっきり殿下狙いかと思ってましたわ。」
「上手く行ったらラッキーかな?と思って。」
「貴女…わかってはいたけれど、恐ろしいほどのアホの子ね…。
ところで脳みそカスカス殿下……あらまあ!なんて面白いお顔!麗しいお顔が涙と鼻水で非常に残念な事になってますわ。
ああ…ここに絵師はいらっしゃらない?面白いお顔だからぜひ王宮か美術館にでも飾って頂きたいわ…!ああそうだわ、この話を本にして挿絵に入れるのも良いわね!」
「ぐすっ…私の扱い酷すぎないか?」
「それは仕方がございませんわ。殿下がいろいろ酷くて残念なのは事実なのですから。嫌ならば何とかなさって?」
「手伝え。」
クリスティーナの顔から一切の表情が抜け落ちた。
「お断りよ。
まあ、今更直しても手遅れですし、そのままで宜しいのではなくて?本人以外、だぁれも困りませんから。」
無表情でそう述べた後、クリスティーナは慈愛を感じさせる微笑みをその美しい顔に浮かべた。