騎士団長の息子は踊れない
「…え…?」
紫顔の側近たちのか細い声は、クリスティーナの爆弾投下によって静まり返った会場に響いた。この広く素晴らしい夜会ホールにも意外と響くモノらしい。
彼らは自らの元婚約者をみて、目を大きく見開いた。なぜなら彼女たちの傍にはそれぞれ男性が寄り添っており、仲睦まじい様子が見て取れたからだ。それぞれが呆れを含んだ何とも言えない表情を自身へ向けている。
「まあ…ようやくお気づきになられましたの?
各家に先んじてお知らせしたのは、私と殿下が予定通り結婚していた場合、私どもを支えてくれるはずだった方達に形が変わることを事前にお知らせする必要があったからです。
各家の当主へ私どもの婚約解消の事実をお知らせしてすぐ、それぞれのご婚約者さまの家は破棄を希望されました。皆さまのご父君は我が子の不誠実さを把握しておりましたので否とは言えず、謝罪をすると共に婚約破棄を受け入れました。
そして、このお姿を見て頂ければご理解頂けますように、皆さまの元婚約者はそれぞれがすでに新しいご縁を結び、非常に良好な関係を築かれております。近いうちに婚姻を結ぶ予定の方と、すでにご夫婦の方がいらっしゃいますわ。」
その言葉に側近候補だった彼らは硬直した。
周囲からは何を今更なことを言っているのかと驚きと呆れの視線が向けられている。
彼らは、婚約者が自身の将来性や家格によって得られる地位を手放すはずがない、そして婚約者が自身へ好意を持っているのだと信じて疑っていなかった。だから婚約の解消を望む訳がないとたかを括っていた。はっきり言えば婚約者のことも、婚約者の実家のことも軽んじていたのだ。
そしてシエナと出会ってからはその思いに拍車がかかり、シエナの無責任な言葉を真に受けた。実家からの手紙は無視し、社交も疎かにした。
そんなある意味で孤立した状態で、シエナから自身の婚約者に虐められたのだと涙ながらに語られ、彼女を守らねばという思いに駆られた。
そうして、自らの婚約者は嫉妬心から愛しいシエナを苛める憎い存在と勘違いも甚だしい思い違いを引き起こした。
さらに愚かな彼らは、罰と称して婚約者との茶会はもとより、贈り物も、エスコートの申し出もせず、それを繰り返すうちに婚約者との交流がいつしか完全に途絶えていたことに全く気付いて居なかった。
だが、彼らにとって、愛しいシエナは主君の妻になり、王妃となるべく存在で、自らは都合の良い存在である婚約者とそのまま婚姻をするつもりだった。むしろ王妃となったシエナを虐めぬように監視し、必要最低限の社交をさせ、あとは家に閉じ込める気だった。その上、見目だけはいいのだから跡取りとなる子だけは産ませてやろうなどと言うおぞましい考えも持っていた。
だから彼らにとって、エスコートや贈り物をしないのは婚約者への罰でしかなく、婚約を解消も破棄もする気はなかった。なんとも図々しくて傲慢で都合の良い考え方をする清々しいほどの屑である。
しかし、そんな彼らの誤算は、元婚約者たちがこの状況をむしろ喜んでいたという事につきる。彼女たちはずっと我慢していた。断れない縁談を家の安定の為に組み、貴族令嬢としての矜持でこの苦しみしかない婚約を耐えていたところに、破棄できるだけの材料を向こうから提示してくれたのだ。それはもう歓びで踊り狂いそうになったし、同士と言える令嬢たちとこっそり開いた茶会で、この時ばかりは淑女らしさを放棄しておおはしゃぎし、祝福し合った。
そして彼女たちは、元婚約者も破棄か解消を望んでいるだろうと思っていた。だからこそ彼女たちは不思議だった。なぜ元婚約者は顔色を悪くして縋るような目をしているのか。
その答えはクリスティーナが教えてくれた。
「あら?当然でございましょう?何を戸惑っていらっしゃるの?
だって家同士の契約ですのよ?それなのに、不貞を犯して婚約者を蔑ろにしたばかりか、信頼関係も築けないほどの関係性。さらに将来性すらも怪しくなったとなれば継続する必要は無くなりますわ。元々様々な事情でお断り出来なかっただけでしたから。むしろあなた方の婚約はあなた方にとって利の多い契約でした。
え?まさかアレだけのことをしでかしておいて、結婚するおつもりでしたの?正気ですの?」
「不貞だなんて…それにアイツは俺を好いていたはずで…!」
震える声で返すのは騎士団長の脳筋息子である。常の大きな態度と違ってなんともか弱い声音だ。
「あら?ダグラス様は婚約者ではない女性の側に侍り、街で逢引し、個室に度々二人きりになっていらっしゃいましたわね?コレのどこが不貞ではないと仰いますの?
逆の立場なら問答無用で破棄されるでしょう?
それに、一万歩譲って、例え当初は好いていたとしても、そんなやりたい放題されてもなお好きでいられるほど、貴族の女は夢見がちな生き物ではございませんのよ。
女であるほど、現実を見るのも、見限るのも早いものでございます。状況を見誤りましたわね。
さらに最近の貴方は鍛錬も適当だと言うではありませんか。弛んでますわ。ただでさえ数少ない魅力ですのに、それすら失くした貴方に恋をするものはいませんわ。
それで次期団長など…寝言は寝て言うものですわ。」
「そんな…だって…いつだってアナベルは俺に…!なあ俺のこと好きだっただろう?!」
「甘え過ぎましたわねえ。
ねえ?元婚約者で、次期アイゼンバッハ侯爵夫人 アナベル様、そう思いませんこと?」
「ええ、クリスティーナ様。全くその通りですわ。
ダグラス様、私、貴方の傲慢さが大嫌いでしたの。大きなお声も苦手でしたわ。けれど団長様が頭を下げられ、どうしてもと仰るから仕方なく結ばれた婚約でした…。
貴方の不誠実さは非常に腹立たしく思いましたが、それを団長様が許すはずがないことはわかり切っておりましたので、これで解消できると初めて貴方に感謝しました。今、穏やかで愛情深い夫と一緒になれて、私は本当に幸せですわ。」
頬をうっすらと紅色に染め、傍にいる夫を見るアナベルの表情は初めて見るものだった。
いつも自身といる時に俯いていたのは、恥ずかしかったからではなく、恐怖だったのだと気づき、ダグラスは己の愚かさに膝をついた。
「あらまあ。貴方は本当に独りよがりな幼少期から全く変われなかったのねえ?よくそれで私に傲慢だの何だのと言えたものですこと。
けれど次期団長と呼び声高いアイゼンバッハ卿とお幸せそうなアナベル様を見れば…いい加減、わかりますわね?」
「…次期…団長は俺じゃ…」
「まあ!実力も資質も物を考える頭もありませんのに!?すごい自信ですこと。おみそれしましたわ。
ああ…あと言い忘れてましたわ。アイゼンバッハ卿とアナベル様の縁組は団長様によるお声がかりですわ。アナベル様への謝意でもありますわね。この意味、解ると宜しいのですが?」
「親父が…?嘘だろ…?」
「ふふ、事実ですわ。
それにしても、シエナさんもなかなかですわね。皆さまとご経験済みでしょう?愛する方を共有できる方々の気が全くしれませんわ。なんて気持ち悪いこと…。」
ダグラスがガックリと項垂れた直後、新たな火種が投下された。この瞬間、観客の思いはもう帰りたいというものでひとつになった。