令嬢と王子は永遠に躍る
あれから、テオドールとクリスティーナは予定通り、翌年の草花が芽吹いた頃に結婚した。
幼い頃からずっと一途に一人の女性を愛し続け、その人以外とは結婚しないと宣言していた第三王子が、その想い人と結ばれると言う電撃的な発表は、エンデバークの国民を大いに驚かせた。
しかもそのお相手は、先代国王が愛した子供たちの一人、ミシェル元王女殿下の孫にあたるというのだ。
隣国に嫁いでしまった当時、多くの国民が美しいミシェル元王女殿下の、あの底抜けに明るくてちょっとお転婆な様子をもう見ることができなくなったことに、一抹のさみしさを覚えていた。
当時をよく覚えていた世代は、この婚姻を知って、しみじみとした気持ちになりつつ、婚姻式の日を心待ちにした。
そんな多くの国民に祝福された二人の婚姻式は、晴れやかな、どこまでも続く青い空のもとで執り行われた。
婚姻が済めば、テオドールは臣籍降下して新たに公爵家を興し、外交を担うことになる。
本来であればそう大仰な婚姻式とする予定ではなかったが、国民の想いに応えるべく、多くの人が二人の姿を見られるよう取り計らうことになった。
婚姻の儀式が終わり、王都の大聖堂の入り口に現れた二人は一対の人形のように美しく、仲睦まじい様子が見て取れた。
黒に、クリスティーナの髪色であるプラチナの糸を使った刺繍が入ったジュストコールを羽織ったテオドールの姿はとても凛々しく、多くの女性を虜にした。
その傍に立つクリスティーナはAラインのドレスで、首と鎖骨、腕が見事なレースで隠されている。ドレスの裾にはテオドールの瞳の色と同じ、春の草原の色の糸と髪色である銀の糸を使い、テオドールの衣装に入っている刺繍と同じ意匠が施されていた。
そのドレスから感じ取れる花婿の花嫁への執心と、その美しい肌を他の男に見せてやるものかという執念に気づいた彼と彼女の兄弟達は頬を痙攣らせたが、当の本人達が幸せそうだから良いかと、そこから目を背けながら二人を祝った。
多くの人に祝福されたクリスティーナは、こんな日が来るなんてと幸せを噛みしめていた。
あの、自国での辛い日々の先に用意されていた婚姻では、こんな幸せな気持ちには絶対にならなかっただろうと断言できる。
隣に立つ愛しい人と顔を合わせて微笑み合えば、また幸せな気持ちが込み上げてくる。
そうしてにこやかにしていれば、ふとテオドールの顔が近づいてきた。何か言いたいことがあるのだろうかと耳を傾けようとすれば、顎を掴まれ上を向けられる。状況を理解する前に、その柔らかな唇が自分のそれに重ねられた。
それをみた観客の悲鳴にも似た歓声が響き、その場は大いに熱狂した。
耳と頬をうっすらと赤く染めた花嫁の初々しい姿に、テオドールは今度こそ耳に口を寄せ、何かを告げる。彼の言葉にクリスティーナはさらに顔を真っ赤にした。
テオドールの執着を知る親族はその内容を予想して、にやにやと二人を見つめた。
ーーその夜、テオドール待望の初夜を迎えたあと、花嫁はしばらく姿を公に現すことはなかった。いや、正確にはできなかった。
蜜月が過ぎてもなかなか仕事に復帰せず、漸く仕事場に出てきたと思っても、仕事を最低限済ませたらさっさと帰ってしまう弟に、いい加減にまともに仕事をして貰わねば困る、となった。
テオドールを引っ張り出すと言う貧乏くじを引いたテオドールの二番目の兄が意を決して公爵邸を訪れれば、愛する人との時間を邪魔されたことに不機嫌を覗かせる弟と、愛されて輝いているけれどどこか疲れ切った義妹の姿に口元が引き攣った。
「テオ…さすがにクリスティーナを休ませてやれ…。身体を壊すぞ…。」
「ティナの体調の管理は万全です。ご安心ください。」
「いや、疲れ切ってんじゃん。寝かせてやれよ!」
「ティナと一緒にいるのに眠るだけなんて!できる訳がありません!」
「よし分かった。今すぐ城へ向かうぞ。」
そう言うと、次兄は文字通り、テオドールの首根っこを掴んで引きずっていく。去り際にクリスティーナの方に顔だけを向けて、「今のうちに寝ておきなさい。」と言い置いて、喚くテオドールを無理矢理馬車に詰め込んで、馬車は走り出した。
その光景に、ようやく眠れると泥のようにベッドに沈み込んだクリスティーナが目覚めたのは翌朝のこと。帰ってきた形跡のないテオドールの姿を探していれば、ニーナがその答えをくれた。
「旦那様は王太子殿下と第二王子殿下にこってり絞られているようです。昨夜、使者が訪れ、『城に留め置くので今夜はゆっくり眠りなさい。しっかり叱っておく。』と言う伝言が届けられました。
「まあ…!」
はとこたちの心遣いを有り難く受け取り、今のうちにやりたい事を済ませてしまおうと精力的に動きつつ、久しぶりの昼寝を堪能した。
流石にその夜は帰して貰えたテオドールはどことなくげっそりしていたが、クリスティーナの姿を視野に入れてすぐ復活していた。が、いつもよりはしつこさが無かった事を考えれば、兄達の説教は一応効いていたようではあったので、クリスティーナは密かにほっと息を吐いた。
そうこう過ごすうちに、一人目の息子を授かり、また季節が巡って二人目の息子を出産して暫くした頃、母国から報せが届いた。
それは王太子妃となったソフィアからの手紙で、二人目を懐妊し、来年の暖かくなる頃には出産予定であることが書かれていた。
ちょうど時を同じくして、自身の父母が産まれたばかりの子の顔を見に訪れたので聞いてみれば、その後の彼らについても聞かされた。
「無事にお子が産まれれば、予定通り阿呆の去勢をして、地方の男爵位に正式に着任させる。
と言っても、ある程度矯正できた頃にサリバン女史に許可を取って、ちょくちょく領地に行ってはいたみたいでね。最初は噂を聴いていて冷たかった領民も、あの素直さもあって憎めなくなったらしくて。なんだかんだと今は受け入れられたみたいだよ。
クライスとダグラスは別の領地で生きていかせるつもりだったんだけど、どうやら陛下に懇願したらしい。
『自分たちの行いが間違っていたことも、周囲に迷惑をかけていたことも重々承知しているが、今度こそジルベルトと共に力を併せて男爵領を盛り立てたい。今までの贖罪を男爵領に尽くすことで晴らさせてほしい。』って。
それでも分散させた方が良いかなと思っていたんだけど、サリバン女史がもう大丈夫だと言うから、監視役も少なくて済むし、まあ良いかってことで阿呆より先に男爵領で暮らしているよ。こっちはなんか面白がられる感じで受け入れられているようだよ。」
「まあ…!人は極限になれば変われるのですねえ。」
「まあ彼らは底意地が悪いわけではなかったからね。素直なお馬鹿さんを利用しようとする者がいなければ大丈夫でしょう。サリバン女史は男爵領に住まいを移すそうだよ。」
思わず父の顔をまじまじと眺めたクリスティーナは、「サリバン様は本当に彼らの躾が愉しくなってしまわれましたのね…。お手紙では伺っていましたが、てっきり冗談かと…。」と呟いた。
驚くクリスティーナを尻目に父は言葉をさらにつなげる。
「そういえば領民が面白がっている理由なんだけど。
ダグラスは自警団をする傍ら、美容院を開いたらしいよ。美に目覚めちゃったのかな~。たまに女装もしてるっぽいし。最初は化け物って大騒ぎになったらしいけど。
クライスは意外と商売に向いていたらしい。あちこちで領の特産品を開発しようと頑張ってるらしいよ。」
「あらまぁ…!少し意外な結末ですわね…。
お父様の方はいかがですの?さすがにもう陛下から泣きつかれることは減りまして?」
あの事件の後、ジョシュアは婚約時の契約を盾に、宰相の座を降りた。国王とその側近は、辞めないでくれと泣き叫んで縋り付いたらしい。
しかし、ジョシュアは「婚約時に『解消か破棄されたら宰相を降りる』って約束したでしょ?後任は育ててるから大丈夫。僕はいい加減、領地に帰りたいし、愛する妻と毎日お茶をしたいし、ティナと孫に自由に会いに行きたいからもうやだ。」と言って強引に退職した。
後任となった人は国王と側近のその姿にドン引きしながらも尻を叩いて仕事をさせているらしい。
「まだたまに来るけどね。夜会以外で一回も登城してないよ。今までのツケだと思って頑張って欲しいよねー。
でもあの件で正妃様が離宮に篭っちゃったから、寂しいらしい。側妃様とギルバート殿下に構ってもらいに行って邪険にされ、ならばと王太子妃様と孫に構ってもらおうとして何度も行っていたらギルバート殿下に叱られてしばらく面会を拒否されたみたい。
最近では早々にギルバート殿下に譲位して正妃様に逢いたいとばかり言ってるらしい。」
「陛下は…お変わりないようですわね…。」
と、クリスティーナは思わず遠い目をしてしまった。
それぞれがそれぞれの道を歩み始めた。
共に婚約を解消したかつての同志も、素敵な相手を見つけて婚姻して子を設けている。
救いようがないとサジを投げられた彼らもまた、真っ当に生きようと努力を始めた。
あの仕返しをした事で割とすっきりしていたから、彼らに対する含みはさして残していなかったけれど、彼らの事でこんなに清々しい気分になる日が来るなんてと、クリスティーナはあの苦労の連続だった日々を懐かしんだ。
月日が薬になって心を癒すと言うのは本当なのだなとしみじみと青い空を眺めた。
誤字報告ありがとうございました。